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影操師 ―絶対の血―  作者: 伯灼ろこ
第二章 依存
12/24

 5節 本当の名前

 しかしベリアルの警戒は、的中となった。

 そこはホテルだった建物を一軒家に改築した、特殊な様相をしている。やたら立派な玄関や、フロントの煌びやかなシャンデリア。……見覚えがある。

「り……霖……どうして、ここに……」

「ここに住んでいる夫婦が現在の僕の研究対象でしてね。任務とは別の」

 霖はこのサゥルナの地に任務とは別の目的があると言っていた。その場所が、杏の生家だったのだ。

「何か問題でも?」

「…………」

「どの道、この家で過ごす以外は野宿になってしまいますよ」

 この家には、まだ杏の両親が住んでいるのだろうか。杏の心拍数はピークに達し、今にも卒倒しそうだ。

 スタスタと歩く霖の服を掴み、少しスピードを落としてくれとせがむ。霖はそんな杏を見て、フッと微笑む。

「大丈夫です。結構、融通の効く方々ですから」

 しかしそんな杏の心境を知るよしもなく、霖は居間へ続く扉に手を掛けた。しかし、バンッ! ――という音と共に内側から開いた扉が、杏の心に爪を突き立てた。

「驚いた……大丈夫ですか、杏さん」

 霖は目を見開く杏を心配そうに見る。だがこの時の杏の瞳に映っていたのは、扉を開けた主――杏の、父親だった。

「……吸血鬼が帰還したという噂は、真だったか」

 あの時から10年が経過している。度重なる心労が父親をかなり老けさせていた。それでも面影はある。優しかった頃と、自分に恐れおののいていた頃と。

「霖! 貴男、これは一体、どういうつもりなの?! どうして、あの吸血鬼が――!!」

 ヒステリックな金切り声にも聞き覚えがある。それを聞くのが嫌で、いつも耳を塞いでいた。杏は霖の腕を引っ張り、ここはやっぱり嫌だと首を振る。すると母親の悲鳴はより一層、激しくなる。

「この吸血鬼め! 私の霖から……息子から離れなさい!!!!」

「――――????」

 しばし、思考が停止する。時計が壊れたように、なかなか作動しない。

(なにを……)

「お前とはもう親子の縁を切ったはず! なのにどうして戻ってきたのよ! その美貌で弟をたぶらかしたの?!」

(なにを言ってる……)

「お母さん、今、何と言いました?」

 霖の口から漏れるその言葉が、思考の停止に追い討ちをかける。

「消えなさい! 今すぐ私たちの前から消えて! でないと、またお前を殺すわよ!」

 母親は食器棚から銀製のナイフを取り出し、杏に向けて投げつける。ナイフは杏の眼前で霖の手によって振り払われ、赤い液体を伴って床に落下する。

「ああっ、霖、ごめんなさい。貴男の手を傷つけてしまったわ……。でもそんなバケモノの為に己の身を犠牲にする必要は無いのよ?」

 霖に向かって話す時の母親の口調はヒステリックなものとは違い、癪に障るような猫なで声だ。

「お母さん、お父さん。教えてください。この人は、僕の姉なのですか」

 母親は穢らわしい言葉を口にしたくないように、噤む。黙る母親の隣りで、父親が諦めたように答える。

「――そうだ」

 母親が父親をキッと睨むが、父親はその先に続く言葉を止めない。

「霖。そこの女は、お前の1つ上の姉――口無杏だ」

「くちなし……あん」

 明かされた真実の名。母親は父親の制止を振り切り、怒り狂ったように食器棚のナイフを全て投げつける。杏は俯いたまま、ナイフ全てを掴んで床に落とす。人間技ではないその動きに、父親と母親が「ヒッ」と同時に息を飲んで後退る。そんな両親の姿を見た杏は、怒りを感じるよりも悲しくなり、無言のまま口無家を出た。水を打ったように静かだった家の中からは、やがて両親と霖の言い争う声が聞こえ始める。杏は両耳を塞ぎ、走った。

“だから、あれほど北へは行くなと言ったのに……”

 自分の影から呆れと、哀れみを含んだ声が響く。

「ベリアル……お前は、霖が私の実弟であることを、知ってたわね」

 杏は口無家からだいぶ離れた場所にある古代の神殿跡で腰を降ろし、両足を投げ出す。

“ああ。――どうして黙っていた、なんてことを聞くんじゃないぞ。それこそがお前たちの為だと思っていたのだからな”

「そうかしら……」

 風化した神殿跡は、とても冷たい。風を遮るものに乏しいゆえに、遠慮することなく吹き抜ける冷風が身体を芯から冷やす。でもバケモノには、お似合いの場所だ。

“真実を知って何になる。時に真実は、刃となって互いの関係を切り裂くのだぞ”

「――僕はそうは思わない」

 杏はハッとして後ろを振り返る。そこには、息を切らせた霖が肩を上下に激しく動かしながら立っていた。どうやら、急いで杏を追ってきたらしい。

「霖……」

「杏さん!!」

 立ち上がろうとした杏の身体を、霖が覆い被さるように引き寄せる。

「ごめんなさいっ。杏さんのこと、僕は何も知らなかった。ただ目先の物珍しさに惹かれて、貴女を研究したいだなんて……! 杏さんが、こんな辛い思いをしていたとは……」

「…………」

「貴女は、僕の実姉だそうです。僕は物心つく前から杏さんと引き離されて生活をしていたので、記憶がなかったらしい。貴女の存在が、僕の記憶に、なかった……」

「……別に。私も、この町に戻るまでは忘れていたことだし……」

 逆に言えば、サゥルナにさえ戻らなければ、一生、思い出すことのなかった記憶だ。

「聞かせてもらっても良いですか? 杏さんが、この町でどのように生きてきたかを。填魁も、知らないらしいので……」

 霖は杏の手を握り、真剣そのものの表情で言う。今まで、どこか心を遠くに置いていた霖とは別人だ。

(この人は……私の……弟)

 杏はしばし目を伏せ、ベリアルから聞いた話をぽつり、ぽつりと話し始めようとした。

「あの」

 しかし直後、遺跡の地面を破壊して身の丈5メートルの土人間が姿を現した。霖は「ちっ」と舌打ちをし、填魁を召喚する。

「あれは今回の任務上で逃がしてしまった影人――クレイ型です。まさか、律儀に戻ってきて頂けるとは」

「サゥルナを前線基地にするっていう、計画のうちの一匹?」

「はい。計画自体は数時間前に握り潰しましたが、残党兵が小賢しく」

「そう……」

 杏はベリアルを召喚し、自らも吸血剣ヴォレミアを握る。

「私が生まれて、2歳になる頃かな。霖はその時1歳ね。誰かが身体に傷を負うと、私が必ず舐めに来ていたらしいの。両親は、最初は子供の可愛い行動だと思ってたらしいけど、やがて他人を傷つけてまで血を舐めようとする様に狂気を感じ始めたらしいわ――」

 地面から飛び出る土の手を斬り払いながら、杏が生い立ちを話す。しかしそれは独り言のように抑揚の無い話し方だ。

「これを病気だと思った両親は医者に診せるも、診断では健康そのもの。むしろ、血を摂取することにより健康的になる私を医者は吸血鬼だと判断したそう。全く、藪医者なんだか、勘が良いんだか。――そこからね。両親が私を恐れ、霖を引き離したのは」

 霖の手から発せられる波動が、遺跡ごとクレイ型の左足を砕く。バランスを保てないクレイ型に追い討ちをかけるように填魁が蠍の尻尾を突き刺す。

「最初は小動物の血を与えていたみたいだけど、私はより自分に近い血を求めて町を彷徨うようになった。つまり、人間。サゥルナにはシャドウ・コンダクターがいなかったから、当時の私にとっての生きる糧が人間の血だった」

 最後の仕上げはベリアルだ。羽ばたくと地響きが発生するほどの翼で、崩れゆくクレイ型の身体を粉砕した。ベリアルは、ただの砂の粒と化したクレイ型の成れの果てを足場にし、この地に夜王の帰還を知らしめた。

 杏は片手を腰に当て、夜空を見上げる。

「……もう耐えられなくなったのは母親の方。当時6歳の私を町の東にある地下牢に閉じ込めて餓死させようとした。でも父親は情けをかけてくれて、町人を生け贄として地下牢に放り込んでくれたの。そして1年間、地下牢で生き延びた私はある夜、シャドウ・コンダクターとして覚醒。召喚されたベリアルが私を地下牢から救い出し、遠く離れた日本へ逃がしてくれた。そして、組織にスカウトされたわけ」

「…………」

「かいつまんで話すと、こんなところかしら。でも心配しないで。私自身、組織に記憶操作を施されているから、ベリアルから自分の生い立ちを聞いてもなんだか、他人事みたいな感覚だし」

 杏は「それに――」と付け加え、

「迫害されても、実の両親に殺されそうになっても、仕方ない。吸血鬼の村という、唯一の居場所だったところから追い出されても、仕方ない。誰だって、こんなバケモノが傍にいたら嫌だもんね。バケモノに居場所なんて、ハナからなかったのよ」

 杏の精一杯の強がりは、霖にある決意を固めさせる。

「杏さん……いや、姉さんの居場所は僕がつくります」

「ふーん? どうやって」

 杏はフンと鼻を鳴らし、霖に背を向ける。霖は杏の前にぐるりと回り込み、再び瞳を真っ直ぐに見て宣言した。

「やり方は考えてあります。ですが、その為に僕にはやらなくてはならないことがある……」

「なに? それは」

「今はまだ言えません。とにかく、戻りましょう」

「戻るって?」

「決まっているでしょう、僕らの生家です」

「いっ、嫌よ! どうして私のことを殺そうとした両親なんかのところへ……!」

「弟としては、姉をこんな寒空の下で野宿させたくないのです。大丈夫。杏さんには指一本、触れさせませんから」

 霖の非常に強い意志に押され、杏は渋々、生家へ戻る。生家で待ち受けていたのは、やはり両親からの罵声。耳を塞ぎたくなるが、霖が2人に何かを耳打ちした途端、静かになって居間へ戻った。

「まさか、思考操作の薬を使ったの?」

 霖に対し、杏は予想を立てる。

「いいえ。今、彼らに対して薬を使うことは出来ません」

「? なら、どうやって納得させたの?」

 しかし霖はにっこりと微笑むだけで答えない。それでもしつこく問い詰めると、「2人には絶望を与えた」とのことだった。

 杏は、元はホテルであった口無家の3階フロアへと上がる。こみ上げてくるのは、悲しみや恐怖といった負の感情ではなく、楽しかったという思い出だ。

「ここ……」

「思い出しますか? ここは杏さん専用のフロアだったそうです。僕は2階までしか使ったことがないので、この3階に関しては今、入るのが初めてです」

 杏が地下牢に閉じ込められてから、このフロアは放置されていたのだろう。かなり埃っぽく、空気が澱んでいる。それでも溢れる懐かしさは、杏の足を自然と奥へと向かわせる。

「ここ、秘密の部屋なの」

 扉を開けると、室内は子供らしい玩具や遊具でギュウギュウに詰まっていた。杏が吸血鬼だと判断される前までは、両親の愛情をたっぷりに注がれていた、その証しだ。

(変なの。この部屋を見るまでは、両親は大嫌いな存在だったのに、今は、なんだか――感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいだわ……)

「杏さん」

 思い出に浸っていた杏を、しかし霖が急に2階フロアへと連れて降りる。その表情は、険しいものになっていた。

「霖?」

「そろそろ休みましょう。3階は手入れされてないので、どうぞ2階の僕の部屋で」

「うん……ありがとう」

 生家においての霖の部屋の印象は、<素っ気ない>だ。必要最低限の生活用具しか置いてなく、埃も一切積もらず、ゴミ1つ落ちてない様はなんだか無機質だ。3階の杏の部屋とは対称的といえよう。

「几帳面なのね」

「あまり使っていないだけですよ。基本的に僕はヴェル・ド・シャトーにいますから」

「あ……そうだったわね」

 杏は苦笑し、ベッドに潜り込む。

「霖は休まないの?」

 電気を点けて机に向かう霖に対し、心配気味に尋ねる。

「ええ。報告書を作成しないといけないので」

「そう……あまり気張りすぎないでね。今日は貴男にとっても、色々あったでしょうし……」

 眠りに落ちてゆく杏。霖は、杏が完全に眠ったことを確認するなり、電気を消して部屋を出た。

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