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影操師 ―絶対の血―  作者: 伯灼ろこ
第二章 依存
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 4節 飲まれる

 次の日、目覚めると隣りのベッドに霖の姿はなかった。時計を見ると午前の7時。霖は昨日に引き続き、調査に出たようだ。

“杏はどうする?”

 再びベッドに仰向けに倒れる杏。もう一度眠ろうにも、新鮮な血を摂取したばかりの杏からは眠気が吹っ飛んでいた。

「霖は調査。私も、調査」

 それは、自分の記憶の、だ。

 宿を出て、あの破壊された東の祠まで来る。そして、その裏の地下牢を覗いてみると、昨夜のうちに誰かが通報したのか、警官や役人が集まって調査をしていた。

(しまった……ちゃんと扉を閉めて土を被せておくんだったわ)

“問題無い。あの地下牢は中世のものだから、サゥルナの人々にとっては遺跡を発掘した感覚だろう”

(それならいいんだけど)

 杏は町人に聞かれぬよう、ベリアルとは脳で会話をしている。これは念話と呼ばれるもので、声を出さずとも言葉が相手の脳に直接響くようになっている。シャドウ・コンダクターの特殊能力の1つだ。

(あ、でも。ワーム型の死体は焼却したけど、地下牢には無数の白骨化死体が……)

 しかしそれもまた、盗掘犯が侵入したはいいが出られなくなった挙げ句に餓死したと推定されていた。

(そっか。普通はそう考えるわよね)

 杏はその場を離れ、噴水広場へ戻る。

“だが実際は違う。杏……あれはお前が喰い散らかした痕だ”

 杏はピタリと歩みを止め、ゆっくりと自分の影へ視線を落とす。

“これはずっと黙っておくべきだと判断していた。組織によって記憶操作を施され、10年以上前の記憶を失ったことが良い機会だと……”

「ベリアル」

“霖の任務地がサゥルナであると知り、もう黙っておくことが不可能だと判断した。あの男がサゥルナに来た目的が別にあるとするならの話だが”

「ベリアル。私……サゥルナで生まれたのね?」

 影が揺れる。それはイエス、の意だ。杏はベンチに座り込み、今一度、サゥルナの町並みを見渡す。

「なんとなく見たことがあったのは、既視感なんかじゃない。実際に見ていたのね……」

 杏は10年前、つまり7歳の頃に組織に拾われてあの吸血鬼の村に住まわされた。同時に記憶操作も施されたのだろう。しかし薬が効くのは本人だけ。その下僕であるシャドウにまで影響は及ばない。だからベリアルは全てを記憶し、全てを黙っていた。

“杏の両親は日本人だが、仕事の関係上、サゥルナに住んでいた。その家がこの北にある。お前の生家だ”

 昨日、ベリアルは言っていた。ここから北へは行くなと。

“行くか? 両親に会えるぞ”

 足が無意識的に震える。行きたくない、と杏の潜在意識が騒ぎ立てる。

「両親は……きっと、私のこと嫌ってるわ。記憶操作を施されても、両親に捨てられたという記憶だけは根強く残っている」

 杏は噴水広場から伸びる西の道へ入る。その突き当たりには簡素な公園があった。しかし長年、誰も手入れをしていないせいで雑草が伸び放題、遊具は錆びついて動かなくなっていた。

「…………」

 妙な寂しさを感じるのは、以前ここで遊んだことがあるからだろう。

「私、何歳で捨てられたの?」

“6歳だ”

「へぇ……6歳から組織に拾われるまでの1年間、私はどこで何をしてた?」

 錆びたブランコに腰掛けてみる。胸が、懐かしさでいっぱいになった。

“1年間は――あの地下牢だ”

「……?」

“両親は杏を捨てたその上で、あの地下牢に閉じ込めたのだ”

「!!??」

 ガン、と頭を誰かに殴られたような衝撃が走った。ぐわん、ぐわん、と激しい目眩が襲い、今朝食べたものを吐いてしまう。

“両親はな、杏を怖れていたんだよ。人の生き血を吸う吸血鬼を産んでしまった、と。だから地下牢に閉じ込め、餓死させようとした”

 杏は頭を抑えてうずくまる。

「お嬢さん、大丈夫??」

 その様子を見た町の老婆が助けに来るが、布で隠された杏の姿を垣間見た途端、鬼のような形相になる。

「吸血鬼?! 何故戻ってきた!! 今度はサゥルナ全員の血を浴びる為か!!」

「――――っっ」

 杏は老婆を押しのけ、逃げた。

 頭が痛い。割れそうだ。操作された記憶の壁にヒビが入り、今にも崩れそうである。

“母親の方はヒステリックに杏を殺そうとした。だが父親は少し、お前を可哀想だと思っていたようだ。だから地下牢に閉じ込めはしたものの、生け贄として村人を1人づつ放り込んでいた”

「ああっ……」

 白骨化した死体の山は、杏に捧げられた生け贄。それは、同じではないか。

 あの吸血鬼の村と――。

“だから杏は餓死することなく、1年もの間、地下牢で生き続けられた。ワーム型の影人は、最後の生け贄だった。やつは自分を地下牢へ放り込んだ杏の父親を憎み、影人化した。しかし運が良いのか悪いのか……直後、杏はシャドウ・コンダクターとして覚醒し、召喚された我がお前を外の世界へ連れ出した。影人はあの時から放置され続け、昨日、やっと杏に始末された。これは、なんたる運命だろうな”

「なによ……やっぱり私、吸血鬼じゃないの……」

“幼児期は自制心に乏しい。本能のまま血を追い求めてしまうのは、仕方のないことなんだ”

「それが吸血鬼だって言ってるの! 自制心が無いと血を貪ってしまうなんて、ほんと、バケモノ……」

“杏……”

「私、いくら研究の為だからといっても、霖の妻になる資格なんてない。霖は組織のエリートなの。そんな彼には、もっと、正義の象徴たる属性を司った女性がお似合いだわ……!」

 自然と溢れる涙はやはり、霖を好きになってしまったからこそだ。

“…………”

「霖に命じてほしかった。僕の妻になれ、って。でも良かったわ、未遂に終わって」

 ポタポタと流れる涙が視界を白く濁らせる。地面に落ちている瓦礫に気がつかないまま、躓いて転倒する。擦りむいてしまった頬の傷に触れ、自嘲気味に笑う。

“杏”

 数人の足音が背後より迫る。ベリアルの声が一段と低くなり、杏に警戒しろと告げる。

「追い詰めたぞ、吸血鬼。今こそ、母親の仇を討たせてもらう」

「私は息子よ! まだ9歳だったのに!」

 吸血鬼帰還の凶報を聞きつけた町人たちが続々と集結し、吸血鬼退治に乗り出してきていた。各々に十字架や杭、銀製の武器を携帯している。

「ベリアル……これは既視感? いいえ、ついこの間、あったばかりよねぇ。吸血鬼退治」

“ああ”

「でも困ったものだわ。あの村のやつらは全員死刑囚だったから殺しても規則違反にはならなかったけど、この人たちは普通の第三者。殺したりしたら、組織からお叱りを受けるのは私……」

“逃げるしかない”

 杏は隠れやすい森を目指して走った。

「逃げたぞ、追え!!」

 しかしシャドウ・コンダクターの脚力に第三者が追いつけるはずがない。町人たちは杏を見失い、しばらく森を探索したものの、陽が落ちても見つけられなかった為に本日は吸血鬼退治を切り上げ、引き返していった。

「やっと諦めたわ……私への恨み、相当深いみたいね」

 枝の上で様子を窺っていた杏は、町人が完全にいなくなったことを見計らい、地上へ降りる。

「宿にも戻れなくなっちゃった……」

 闇夜に浮かぶ青白い月を見上げ、白い息を吐き出す。

「生まれ育った町にも、組織にも、私の居場所は無い。結局、あの吸血鬼の村だけが私の居場所だったなんて……皮肉ね」

 その村さえも、壊滅した。

 杏は両膝を抱え、これからどうしようと悩む。長い爪で左手首の血管を切りつけ、溢れる血を眺めてみる。

(この武器を使えば、平穏に生きられるかしら……)

「……杏さん?」

 暗く沈んだ心に光が射すのは、そう遅くはなかった。

「霖っ?」

 杏は左手を後ろ手に隠し、霖の登場に目をぱちくりとさせる。

「杏さん……どうしたのですか。町は吸血鬼が出たと騒ぎになっているし、もしやと思い、探していたのですが」

 霖が自分を探してくれていた。この事実が、冷え切った心をじんわりと温めていく。また溢れそうになる涙を堪え、「大丈夫だ」と、告げようとした。

「血が、出ていますよ」

 目聡い霖は、杏が自ら傷つけた左手首を指摘する。杏はこれは木の枝で掠っただけだと説明するが、霖の視線は流れる血から離れない。そして次に吐き出された言葉に、杏は度肝を抜かれることになる。

「これ、飲んでみても良いですか」

「……なんですって?」

「いえ、単純にそう思っただけです。何故なら、杏さんはいつも美味しそうに血を飲んでいらっしゃるので――……血とは、そんなに美味なものなのかと」

 自分が血を飲む様をそんな風に観察されていたのかと思うと、なんとなく恥ずかしい。

「杏さん。僕の血は、どんな味がするのですか?」

「……例えるなら、高級なワインよ。とても」

「なるほど。やはり人によって味が違うのですね」

 霖は研究対象として、興味深く聞いている。

「そんなに言うなら霖も試してみなさいよっ」

 杏は左手首をずいっと差し出し、そっぽを向く。霖は杏の手をまるで宝石に触れるように慎重に扱い、ゆっくりと、舌を這わせた。

(!!)

 人の血は飲んでも、飲まれた経験は無い。飲まれている時の感覚は非常に奇妙で、くすぐったくて、相手が愛しいと思える。

 霖は杏の手首を丁寧に舐め取った後、感想と、そしてある提案を提示する。

「杏さんの血はあっさりしています。例えるなら野菜ジュースですね」

「そ、そうなの……」

「自分の血を自分で飲んだことなど、無いでしょう?」

「そうね。傷痕を舐めたことくらいはあるけど、飲んで味わったことまでは」

 霖は自分の口を指差し、にっこりと笑った。

「僕の口内は現在、杏さんの血で溢れています」

「……? うん」

「どうぞ、この機会に味わってみては如何でしょう」

「は……ちょっと、りっ」

 霖は杏の両頬を固定し、強引に唇を重ねた。そして提案していた通り、杏の血に溢れた舌を唇の間から滑り込ませ、味あわせたのだ。

「……霖……っ」

 唇を解放され、杏は力が抜けたように倒れそうになるが、霖がしっかりと抱きとめる。

「どうでしたか、お味は」

 今自分がした行為を大して気にすることなく、霖は味についてだけ尋ねる。

「……野菜ジュースの中でも、トマトジュース寄りね」

 杏の感想は霖が感じたものとは少し違った。霖は首を傾け、杏との味覚の違いを認識する。

「では僕の血が本当に高級ワインかどうかも怪しいものです」

「なっ、なによ! じゃあ飲んでみる?!」

 杏は出された首筋に噛みつき、吸い上げた血を飲み込む前に霖の口内に運び込む。互いの唇からは血が滴り落ち、白を基調とした軍服を赤く染め上げてゆく。

「どう?」

 自分の血を飲んだ霖は、またしても首を傾ける。

「んー。高級ワインは……やはり言いすぎではありませんか?」

「そんなことない。霖の血は、他では味わえないほど、とても美味しかった……から……」

 言いかけて、こんな発言をしている自分が恐ろしくなる。血を美味しいと思えるなんて、正気の沙汰ではない。

「今なら、杏さんも僕に命じることが出来ますよ」

「え……?」

 唇から滴る血を拭い、霖は杏の目を真っ直ぐに見る。

「僕にずっと傍にいてほしいなら、そう願えばいい。僕は杏さんの命じること全てに従いますよ」

 それは意地が悪く、甘い囁きだ。しかし杏は首を振る。

「ううん。私にはそんな資格、無いし」

「……何故?」

 霖の表情が少し曇る。

「私、やっぱり吸血鬼だった。それはもう凄いくらいに血を浴びてて、憎まれてて。こんな私を妻にする必要なんてない。もっと相応しい人が他にいるわ。勿論、研究したいなら協力は惜しまないわよ。霖はいっぱい助けてくれたから、せめて恩返しくらいはしたいしね」

 自分で言っておきながら、心の奥底から押し上げてくる悲しみに耐えられなくなる。杏は背を向け、両手で顔を覆う。

「そうですか。杏さんは、僕には何も望まない……と」

「ありがとう、霖。あ、こんなこと言ってる間に、絶対命令拘束の命令時間、過ぎちゃったね」

 でも、それで良いのだ。

 杏は両頬を叩いて無理やりに涙を止め、話題を転換する。

「それより今夜、寝泊まりするところが無いのよ。どうしたらいい?」

 霖は「ううん」と悩み、苦肉の策とも言うべき様子である場所を示す。

「北に、思い当たる場所があります」

「北……?」

 杏は顔を引き吊らせ、しかし霖が案内する場所なら大丈夫だろうと思い直す。

(北って言っても、私の生家に行くわけじゃないしね)

「わかったわ、北ね」

「はい。しかし町中を行くのは危険ですから、少し迂回しましょう」

 杏は布を被り、霖の後ろに隠れながら歩く。

“待て”

 道中、突然ベリアルが声を出し、2人の進行を阻む。

「どうしました、ベリアル」

“霖。貴様、正気か”

「はい?」

 霖はベリアルの言ってる意味が分からないといった様子だ。霖の反応を見たベリアルは黙り込み、声を出さなくなる。霖は杏に目配せをする。

「ん……多分、大丈夫。行って」

「はい」

 おそらくベリアルは杏の生家が近くにあることを警戒し、思わず声を出したのだろう。

「ここです」

 しかしベリアルの警戒は、的中となった。

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