第18話 身代金
「身代金って取れないかな?」
シェムルとガラムと三人で昼食を食べていた蒼馬は、おもむろにそう言った。
そこは領主の執務室に程近い場所にある中庭の一角である。
そのような場所で、仮にも街の領主である蒼馬が食事をするのに、まるで蛮人のようだと眉をしかめる人間も多かった。
だが、シェムルが周囲を壁で取り囲まれた場所を好まないゾアンであるのと、蒼馬もまた現代日本の住宅のような快適な通気性や採光が確保されていない、薄暗くジメジメとした屋内より、こうして太陽の下で食事をした方が快適だったため、天気がよければ中庭に出てふたりで食事をするのが通例となっていた。
そこに今日は、たまたま居合わせたガラムがご相伴に与っていたのだ。
「いったい誰の身代金だ?」
そう言いながら、シェムルは豚の皮つき肉を串に刺して火で炙ったものを蒼馬に差し出した。
蒼馬はそれを受け取ると、まず一口齧る。丁寧に炙られた皮はパリパリで、噛みしめると、その下からトロトロの脂があふれて来る。それが振りかけられた岩塩と香辛料の味とともに、何とも言えない旨味となって口いっぱいに広がった。
「うん、おいしい。――ほら、前の領主の人を捕まえているでしょ。あの人の身代金」
そう言われても、シェムルは思い出せなかった。自分の分の肉を齧りながら、首を傾げるばかりである。
そんな妹へガラムは助け船を出した。
「あの太った兎のことだ」
「ああ。あいつか!」
この街の前領主である王弟ヴリタス・サドマ・ホルメアニスとは、シェムルも蒼馬とともに一度だけ顔を合わせたが、すっかり失念していた。思い出すのと同時に、シェムルは眉をしかめる。
「しかし、マルクロニスの話では、あいつを使っての交渉は無理ではなかったのか?」
「うん。でも、あのときとは状況も変わったしね」
この前は、軍隊を差し向けて蒼馬たちを討伐しようとするホルメア国とは、交渉も何もできなかった。だが、いまだにホルメア国は「ボルニス決戦」の痛手を癒しきっておらず、次の討伐軍を派遣する目途も立っていない様子だ。それならば、こちらの要求次第では交渉の余地もあるだろう。
さすがに、街の独立や自治を認めろと言う条件は無理だろうが、身代金の要求ぐらいならば通りそうな気がする。それに、ついこの前までジェボアの商人ギルドによる買い叩きで資金難に喘いでいたため、少しでも資金を稼いでおきたいところだ。
「俺には、あのような奴にそれほどの価値があるとは思えないのだが、それも良いのではないか?」
ゾアンでも氏族同士の戦争で捕えた族長を解放する条件で、相手に譲歩を求めることもあるので、ガラムはごく当たり前のように同意した。
ガラムの賛同も得られた蒼馬は安心し、残った最後の肉の一切れを口に入れると、良く噛んでからゴクリと飲み下す。
「ごちそうさまでした」
蒼馬が手を合わせてそう言うと、シェムルもそれに合わせる。
「ゴチソウサマデシタ」
ふたりの見慣れぬ仕草に困惑しているガラムに、蒼馬は尋ねた。
「ヴリタスって人は、今どうしています?」
せっかく捕えたものの交渉にも使えず、かといって無駄に解放するのも勿体なかったヴリタスの身柄は、失礼がないようにと念を押した上でガラムに預けていたのである。
ところが、ガラムは意外なことを言った。
「エラディア殿に預けてある。――人間の王族など、どう扱えば良いか俺たちにはわからん。下手に扱うと、後々面倒になると彼女に言われたのだ」
言われてみれば、それもそうかと蒼馬は思った。しかし、性奴隷として苦しい目に遭ったエラディアが、同じエルフを性奴隷としていたヴリタスの世話を買って出たというのに、首を傾げる。
「エラディアさんなら、変なことはしないと思うけど。とにかく、今どうなっているか訊いてみなくちゃね」
すると、シェムルが腰を上げた。
「それなら、厨房からお湯をもらってくるついでに、あいつを呼んで来てやる」
いつものように食後のお茶を用意しようと厨房に足を向けたシェムルの前に、すっと人が立った。
「お湯をお持ちしました。どうぞ、これをお使いください」
それは湯気を立てる小さな鍋を持ったエラディアである。
先日、女官長に任じられてからエラディアは、こうして蒼馬の世話を焼くシェムルの手助けをするようになっていた。とは言っても、とやかく口や手を出すわけではない。ただ、今のように蒼馬のために何か必要なものがあると、それをあらかじめ用意しておいて、そっとシェムルに差し出すだけである。
それについては、シェムルも大いに助かると思っていた。
だが、それと同時に何となくシェムルの警戒心がうずくのだ。
「……わざわざ、すまない。助かる」
しかし、善意からだと思うと断るわけにもいかず、シェムルはその鍋を受け取った。シェムルは石を囲って作った小さな炉にその鍋を置くと、いったん湯を沸かし直してから腰に吊るした袋から乾燥させた葉っぱを摘み入れ、お茶を煮出す。
その間、ずっと手許を注視されている気配を感じ、シェムルは顔を上げた。すると、エラディアと目が合う。
「……お茶がどうかしたのか?」
「いえ。ゾアン式のお茶と言うのは、私たちの知っているお茶とは、香りも色もずいぶんと違い、とても珍しいので」
エラディアが珍しがるように、この世界でお茶と言えば普通はドライフラワーや香辛料などで香りや味をつけたお湯を指すのだ。
「僕は、このお茶が好きかな。ウーロン茶みたいな味がするし、お肉を食べた後の口もさっぱりするしね」
シェムルからお茶の入った椀を受け取りながら、蒼馬が言った。
いくら脂っこい肉料理が美味しく感じる成長期の少年である蒼馬と言えども、このお茶がなくては肉料理ばかりのゾアンの食事には早々に音を上げていただろう。
「ソーマ様は、そのお茶がお好きなのですね」
何気ないエラディアの言葉に、シェムルは危機感を募らせる。
「うむ。ソーマは、私のお茶が好きなのだ」
「ええ。そのようですね」
なぜか胸を張って自分のお茶を蒼馬が好きだと誇示するシェムルと、それに穏やかな笑顔で応じるエラディア。
どういうわけか、ふたりの間からピリピリとした気配が伝わって来るのに、蒼馬は問いかける様にガラムを見やった。すると、ガラムは首筋の毛を逆立てる妹を一瞥してから、ため息をひとつ洩らす。
「気にするな。――山猫が自分の縄張りを取られないかと、警戒しているだけだ」
すると、それを聞きとがめたシェムルが、睨みつけて来る。
「《猛き牙》よ。山猫とは、いったい誰のことを言っているのだ?」
いきなりエラディアから自分へと矛先を向けられたガラムは、空っとぼけて話題を変える。
「さあ、な。――それよりも、エラディア殿。ソーマが尋ねたいことがあると言っていたぞ」
悔しげに歯をむき出して唸り声を上げるシェムルに苦笑した蒼馬だったが、ガラムの言うとおりエラディアにヴリタスのことを確認したかったため、それに乗った。
「エラディアさん。この街の元領主の方は、どうしていますか?」
そう言われても、すぐには誰のことか思い出せなかったエラディアは、そのおとがいに指を当てて考え込む。しばらくして思い出したのか、ポンッと小さく手を叩いた。
「ああ。あのゲスですか……」
エラディアの唇から、小さな呟きが洩れる。
その背筋も凍るような冷たい侮蔑の口調に、蒼馬たちはぎょっとした。彼女が浮かべる穏やかな微笑みとの落差に、聞き間違えではないかと耳を疑う。
「捕えてありますヴリタス殿下でしたなら、官邸の一室で失礼がないようにお世話させていただいております」
すると、エラディアは先ほどの言葉がまるで嘘のように、にこやかに答えたのだ。
触れてはいけない。
蒼馬たちは一様に、そう固く誓った。
「と、とにかく。ヴリタスに会わせてもらえますか?」
「もちろんでございます、ソーマ様。――今からでも、よろしゅうございますが?」
そうエラディアに応じられた蒼馬は、早速ヴリタスの許へ案内を頼む。
ヴリタスが囚われていたのは、領主官邸にある客室のひとつであった。他に囚われている貴族の子弟らが、空いている使用人の雑居部屋に数人ごとに押し込められているのに対し、やはり王弟であるヴリタスは特別扱いされているようだ。また、そうすることで貴族の子弟らの不満を抑える意味もあるらしい。
「子弟たちが雑居部屋ではなく、個室にしろと文句をおっしゃっても、『王弟と同列の扱いをお望みですか?』と尋ねれば、たいていは黙ってくださいます」と言うのは、エラディアの言である。
いくら暗愚で愚鈍と馬鹿にされているヴリタスでも、王弟であることには変わりない。さすがにそれと同列の扱いにしろとは、子弟らも言えなくなると言うわけだ。
ヴリタスがいる客室の入り口の両脇には、弓矢を持ったエルフの女性がふたり立っていた。彼女らは蒼馬たちに気づくと、足元に弓を置く。そして、腹部に右手を添え、そこを支点とするように腰を曲げてお辞儀をする。
そのふたりの間を通り、エラディアに続いて客室に足を踏み入れると、奥に置かれた寝台の上から「ひいっ」と引きつった声が上がった。
そちらに目を向けると、昼寝でもしていたのか薄手の寝巻を着たままのヴリタスが寝台の上でガタガタと震えている。
数か月ぶりに見たヴリタスは、ずいぶんと精神的に参っているようだ。相変わらず、でっぷりと肥え太ってはいるが、やや頬がこけているように見えた。
そんなヴリタスに向けて、エラディアは流れるような動作で一礼をする。
「ヴリタス殿下。――我が主ソーマ・キサキ様が、あなた様に御用があると、いらっしゃいました」
エラディアが手で前に出る様に示したので、蒼馬はシェムルを引き連れて歩み出る。すると、蒼馬を見るなりヴリタスは不健康そうな顔を怒りに赤く染め、寝台から飛び降りた。
「貴様か! 貴様が、この奴隷どもをそそのかしたせいで、私は……!」
ヴリタスは唾を飛ばし、罵声を上げながら、蒼馬へ詰め寄ろうとした。
すぐさまシェムルがその身を盾にするべく蒼馬の前に立とうとするが、それよりも早くヴリタスはギョッと目を見開いて足を止める。そればかりか、見る見るうちに顔を青くして小刻みに震え始めたのだ。
いったいどうしたのかと不思議に思った蒼馬だが、どうやらヴリタスの目は自分ではなく、その後ろに向けられているようだった。
何があるのかと振り返ると、そこにいたのは穏やかな微笑みを浮かべたエラディアである。
「どうかなされましたか、ソーマ様?」
逆に不思議そうに尋ねられ、蒼馬は狐に鼻をつままれたような顔になる。釈然としなかったが、今はとにかくするべきことを蒼馬は優先した。
「王弟のヴリタス・サドマ・ホルメアニス殿下で間違いないですよね?」
「ああ! 私が、ヴリタス・サドマ・ホルメアニスだ! 下賎な貴様ごときが……」
最初は蒼馬に食って掛かるような勢いだったのに、また言葉の途中でその勢いも失速し、ヴリタスは口ごもってしまう。そして、その目はやはり自分の後ろに向けられていた。
しかし、振り返ってみても、そこではエラディアが自分の右頬に手を添えて困り顔になっているだけだ。
触れてはいけない、触れてはいけない。
改めて蒼馬は、そう強く念じると、意識を無理やりヴリタスへと向ける。
「今日は、あなたにお願いがあってきました」
エラディアを警戒してからか、ヴリタスは蒼馬の言葉に何も応じなかった。やむなく蒼馬は次の言葉を言う。
「ホルメア国に、あなたの身代金を要求しようと思います」
「身代金だと?」
さすがに自分の身代金と聞いて驚いたヴリタスがおうむ返しに問うと、蒼馬はひとつ頷いてから言葉を続けた。
「身代金が支払われれば、すぐにでもあなたを解放いたします」
「ほ、本当かっ?!」
ヴリタスの顔に、パッと喜色が浮かぶ。
「はい。――そのためにも、あなたにホルメア国への手紙を書いてもらおうと思いまして」
「おお! 書こう! 書こうとも!」
ヴリタスは一も二もなく手紙を書くのを承諾したのだった。
◆◇◆◇◆
「ソーマ様。仲介役は、いかがいたしましょうか?」
無事、ヴリタスに手紙を書かせる約束をした蒼馬が、執務室へ戻ろうと通路を歩いていると、その背中にエラディアが声をかけてきた。
「仲介役?」
「はい。本来ならば、手紙とともに交渉の使者を送ればよろしいのですが、私たちの使者では相手にされない恐れがございます」
ホルメア国では、いまだ蒼馬たちは反乱を起こした奴隷と言う位置づけである。それでは、手紙を受け取ってもらえないばかりか、下手をしたらせっかく交渉をまとめても一方的になかったことにされる恐れすらある。
そうならないためにも、ホルメア国もおろそかにはできない地位や人脈を有する者を仲介役に立てる必要があるとエラディアは言う。
「じゃあ、街の名士や商人の人にお願いすれば良いのかな?」
すると、エラディアは少し困った顔になった。
「それが、この街で仲介役を頼めるような方はいないと思われます」
街を統治していく上で、街の有力者たちを官邸に招くことは多い。そして、その接待を受け持つのは、女官長のエラディアの役割である。そのため彼女は、すでに街の有力者たちについてはあらかた調べていたのだが、その中にはホルメア国の王宮とつながりがあるような人物はいなかったのだ。
「それじゃあ、どうすれば良いの?」
すでにその質問を予想していたエラディアは、よどみなく答える。
「ご本人は仲介ができなくとも、それができる方をご存知かもしれません。官邸に呼び出し、紹介を頼まれてはいかがでしょうか?」
そこまで考えているのならば、この案件はエラディアに一任しようとした蒼馬だったが、それを言うと彼女はその美しい顔に苦笑を浮かべて見せた。
「これは、ソーマ様の御役目にございます」
蒼馬は思わず「僕が?」と問い返してしまう。
「残念ながら、私たちはいまだに奴隷と見られております。やはり、ソーマ様ご自身で交渉されるしかございません」
理由はわかったが、すぐには頷けない蒼馬だった。
何しろ蒼馬は、交渉事を苦手としている典型的な日本人である。こちらの世界に落ちてからは、何度か交渉の場に立つ機会もあったが、それはすべて状況に追い立てられ、やむにやまれずの上でのことだ。
ましてや今回は、口が立ちそうな名士や商人たちが相手と思うと、どうしても不安が先に立ってしまう。
「まずは経験を積むことです、ソーマ様」
迷う蒼馬に、エラディアはそう諭した。
「この度は、仲介役の紹介を求めるだけです。そう硬くならずとも大丈夫ですわ。それに私が陰からご支援いたします」
そう言われても不安がぬぐい切れない蒼馬は、救いを求めるように自分の後ろについて歩くシェムルを肩越しに見やる。すると、蒼馬の視線に気づいたシェムルは自分の胸をひとつ叩いて見せた。
「おまえは奴隷商人を相手に、きちんと交渉できたではないか。ソーマなら、大丈夫だ」
まるで自分の功績を誇るかのようなシェムルの口ぶりに、蒼馬は思わず苦笑してしまった。
この街で、かつて奴隷商からドヴァーリンを買い取った時は、単なる値切りでしかなかったのだが、それでもシェムルにそう言われると、何となく大丈夫な気がしてくる。
「わかりました。僕は交渉とかが苦手なので、いろいろと教えてください」
「承知いたしました、ソーマ様」
エラディアは笑顔で承諾した。
◆◇◆◇◆
それから数日後、領主官邸にラザレフと言う名の商人が招かれた。
このラザレフは、ジェボアの交易商から買い取った品物をこの街で取り扱うのを商いとしている商人である。現在のボルニスの街では一、二を争う商人だが、それも蒼馬が街を落としたときに多くの大商人らが逃げ出したためであり、それ以前はせいぜい中堅規模の商人でしかなかった。
そのため、ラザレフ本人もやり手の商人と言うより、ただ実直に商いを続けている人の良い商人と言った男でしかない。
しかし、それは人選を任されたエラディアにとっては好都合だった。
ここ数日の間、蒼馬には交渉の基礎は教えてはきたが、それでも過度な負担をかけるわけにはいかない。かといって、肝心な仲介役を紹介できないような相手では困る。
その点ラザレフは、ジェボアの交易商ともつながりがあり、しかも蒼馬を陥れて利益を得ようと言うような人柄でもない。まさに、打ってつけの人物だったのである。
そんな思惑から招かれたとは知らず、約束通りの刻限に合わせてラザレフは、領主官邸にやってきた。
それをまず迎えたのは、美しいエルフの女官たちである。
たかが一地方都市の領主官邸で、まさかこれだけの人数のエルフの女官たちを目にするとは思いもしなかったラザレフは、いきなりその光景に圧倒されてしまう。
それには、エルフの女官たちの気迫も関係していたかもしれない。何しろ彼女たちにとっても、蒼馬の女官に任じられて初の接客である。力が入ってしまうのも無理はない。
「ラザレフ様。どうぞ、こちらへ」
その中にあって、ひとりだけ落ち着いた雰囲気のエラディアの案内で、ラザレフが通されたのは謁見の間であった。両開きの扉が開けられ、おっかなびっくりラザレフが謁見の間に入る。
「ようこそ、いらっしゃいました」
そうラザレフを迎い入れた蒼馬が立つのは、謁見の間の一番奥に設えた領主の椅子の近くではなく、部屋の中央に用意されていた大きな机の向こう側であった。
それにラザレフは、蒼馬が何か強制しようとしているのではなく、対話を求めているのだと察してホッと安堵した。
「さあ、まずはお座りください」
蒼馬にうながされ、ラザレフは椅子に座る。それを見届けてから蒼馬も椅子に座ると、その後ろに蔦で編んだ胴鎧の姿のシェムルが直立不動の姿勢で立つ。
それは、警護のためと言うより、蒼馬が相手に見くびられないためのものだった。いくら多くの異種族を従えているとはいえ、蒼馬自身に威厳や気迫といったものが乏しいのは否めない。そこで、いまだに街の人間から凶暴と恐れられているゾアンのシェムルを後ろに立たせることで、威厳を補おうと言うわけだ。
もっとも、今回はそれも不要だったようである。この街を統治してから数か月経ち、その間に治安の維持と街の住民の慰撫に努めていた実績があろうとも、一度焼きついてしまった蒼馬の悪名は今なおも健在のようだ。
ただ向き合って座っているだけだと言うのに、ラザレフは先程から湧き出る冷や汗をしきりとハンカチでぬぐっている有様である。
相手がこれでは、蒼馬としても余裕が持てた。
エラディアに指導されたように、ラザレフの時候の挨拶を受けてから、最近の街の中での出来事など雑談を交わす。そうしているうちに、蒼馬もしだいに口が滑らかに動かせるようになってきた。
そんな蒼馬の様子を見計らい、給仕のためという名目でラザレフの後ろに立っていたエラディアは話を進めるように合図を送る。
「ラザレフさん。今日は、ご相談したいことがあって、お招きしました。――実は……」
合図を受けた蒼馬が、いよいよホルメア国との仲介を頼めないか話を切り出した。ヴリタスの身代金を要求するため、その仲介を頼めないかと言う話の内容に、ラザレフは困惑したような表情を浮かべる。
「私はこの街で小さな商いを営んでいるだけで、王宮との仲介など、とてもとても……」
エラディアが調べた通り、やはりラザレフには無理な話だった。そこで蒼馬は予定通り、仲介役を頼めそうな人を知らないかと話を持って行く。
すると、ラザレフはパッと顔を輝かせた。
「ああ、そうだ! ちょうど良い人がおります」
もし、ラザレフに心当たりがなかった場合は、また別の人を招かなくてはならなかったので、蒼馬もホッとする。
「それはいったい、どなたでしょうか?」
これで面倒事が片付くと知らず知らずのうちに声を弾ませる蒼馬に対し、ラザレフはやや声を潜めて言った。
「実は、ジェボアからの客人が、ひと月ほど前から私の屋敷に逗留しているのです。その方の家はジェボアでも指折りの豪商で、きっとホルメア王宮へのツテもあるでしょう」
後ろで素知らぬ顔でそれを聞いていたエラディアは、かすかに目を細めた。
自分だけではなくエルフの女官たちにも街の噂話に耳をそばだたせ、情報を集めさせているが、そのような大物が滞在していると言うような話は初耳である。日を改めて、その人を官邸に招待するまでの間に、急ぎ情報を集めなくてはいけないとエラディアは考えていた。
ところが、そんな予定を立てていたエラディアの耳を疑う話がラザレフの口から飛び出した。
「実は、今日も私に付き添って、ここに来ておるのです」
確かにラザレフは何人か付き添いの者を連れてきている。しかし、ここに案内したときにラザレフからは誰も紹介されなかったため、ただの付添いの小者として全員を控えの間に留めていた。
「もう、ここに来ているのですか?」
驚く蒼馬に、ラザレフは頷いた。
「はい。もしご領主様にお会いできればと申しておりまして」
そこでラザレフはそれを黙っていたのを咎められると思ったのか、慌てて言い訳を口にする。
「これは、ご本人の立っての頼みでして。何の面識も御約束もないのに、いきなり押しかけては失礼。もし、話の流れで自分を紹介する機会があれば、それで結構。たとえ無駄足であろうとかまわないと言っておりましたので、私もあえて紹介いたしませんでした」
エラディアは、そんな馬鹿なと思う。
豪商とも呼ばれる商人が、そのようなあやふやな理由でやって来るはずがない。蒼馬に会えるという、何らかの確信があってのことに違いなかった。
ラザレフの話に、エラディアは不審から明確な警戒へと気持ちを切り替える。
一応はラザレフと会談するに当たり、商人との交渉において注意するべき点は蒼馬に教示してある。しかし、そんな付け焼刃ではラザレフはともかく、いきなり海千山千の大商人を相手にしては心もとない。
本音を言えば、その人について調べ上げ、その対策を練る時間を稼ぐためにも、日を改めたいところだ。だが、こちらから紹介を頼んでおいて、それに適う人がすぐそこにいながら、日を改めてと追い返すのは失礼に当たってしまう。
どう応じれば良いのか迷う蒼馬に視線を向けられたエラディアは、やむなく頷いて見せるしかなかった。
「わかりました。ぜひ、その方を紹介してください」
「おお! 感謝いたします」
蒼馬の顔色をうかがっていたラザレフも、ホッとする。
しばらくして、エルフの女官に案内されて部屋に入ってきたのは、良く日に焼けた褐色の肌をした青年だった。
身に着けているのは、裾や袖口が広く取られた、ゆったりとした筒状のワンピース。そして、頭に巻いた白いカフィーヤ(アラブ人が頭に巻く布)のような白い布。それらはまるで、蒼馬が思い浮かべるアラビアの商人そのままだった。
そして、特に蒼馬の目を引いたのは、その髪だ。男だと言うのに、頭に巻いた布の下から腰に届くほど伸ばされた亜麻色の髪があふれ出ている。
蒼馬を見た青年は、大仰に両腕を広げると感嘆の声を上げた。
「ヨーホー!」
謁見の間に、良く通る青年の声が響き渡った。
「やあやあ、初めまして。私がジェボア商人ギルドの十人委員のひとり、メナヘム・シャピロ」
青年の名乗りに、エラディアのみならず蒼馬もまた驚いた。
すでにジェボアの商人ギルドとは諍いを起こしているため、ギルドを動かしている十人委員と呼ばれる豪商たちについては調べてある。そして、その十人委員のひとりとして、間違いなくメナヘム・シャピロの名前はあった。
これはとんでもない大物が来たと戦慄する蒼馬たちに向けて、その若者は目を糸のように細めて、にっこりと笑った。
「――の息子、ヨアシュと申します。お見知りおきを」
ヨアシュ「いやぁ、こうして噂に名高い『破壊の御子』とお会いできるなんて、うれしいなぁ」
突如、蒼馬の前に現れた青年ヨアシュ。
そのなれなれしい態度と軽薄なおしゃべりに、困惑する蒼馬。
さらに、ヨアシュを激しく警戒するエラディア。
女官「シャピロ商会の大うつけ。――そう呼ばれているそうです」
エラディア「あれが、うつけなものですか!」
そして、ジェボアのうつけが、蒼馬に牙を剥く。
次話「うつけ」




