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破壊の御子  作者: 無銘工房
燎原の章
55/540

第54話 資格

 シェムルたちを置いて走り出した蒼馬は、まず領主官邸へと向かった。

 とにかく足が必要だ。

 蒼馬は厩舎(きゅうしゃ)に行くと、伝令に用いられる馬車を出してもらう。これは荷台がない人が乗る御者台だけの二輪の馬車である。曳いているのも荷竜ではなく、脚の速い騎竜だ。

 御者台に上りながら、蒼馬は自分に言い聞かせるように、ひとりごちる。

「ホプキンスさんに教わったとおりにやれば、大丈夫なはず」

 砦からこの街に来るまでの間、ホプキンスに頼んで馬車の動かし方は教わっていた。

 そのときは興味本位からのお遊びだったが、まさかそれが役に立つときが来るとは思わなかった。今回扱うのは荷竜ではなく騎竜だが、基本は同じだろう。

 蒼馬は御者席に置かれていた細い棒を手に取る。これは乗馬鞭のように、騎竜の尻を叩いて走らせるためのものだ。棒の先端にいくつもの棘のついた金具がつけられているのは、荷竜も騎竜もその身体には硬い鱗があるため、多少鞭で打ったくらいでは痛みを感じないからである。

 荷竜ではかなり強く叩かなければいけなかったが、初めて騎竜を扱う蒼馬は、まず軽く棒で尻を叩く。すると、叩かれたことがわかったのか、騎竜はのろのろと脚を動かし始めた。しかし、その速度は人間が歩くよりもやや速い程度である。蒼馬が求めていた速度には到底及ばない。

 仕方なく、今度は先ほどより強く叩く。

 だが、やはり騎竜の脚を動かす速さは変わらない。

 何度か叩いてみるが、騎竜は駆けるどころかついには立ち止まってしまい、わずらわしそうに尻尾を振り回される始末だった。

 思うように動かない騎竜に気ばかりが焦る蒼馬の耳に、少女の声が思い起こされる。

『それが誰であろうと、あなたは傷つけることはできない。それがなんであろうと、あなたは壊すことはできない』

 蒼馬は、もしやと思い自分の太ももを棒で叩いてみる。

 確かに叩かれた感触はあった。しかし、棘のついた金具の部分で叩いたのに、まったく痛みが感じられない。これでは騎竜が走るわけがなかった。

「くそっ! こんなときに……!」

 まさか、こんなところであの性悪な女神の恩寵によって足止めを食らうとは思ってもみなかった。

 どうすればいいかと蒼馬は途方に暮れた。

「何をしている。そっちに詰めてくれ」

 そう言うなり蒼馬を押しのけて御者台に座ったのは、シェムルである。

「シェムルが残ってくれないと、みんなに説明が――」

「それは、シャハタに任せた。それより、行くぞ」

 問答無用とばかりに蒼馬の手から奪い取った棒で、騎竜の尻をひとつ叩く。途端に騎竜は馬車を曳いて走り始めた。跳ね橋を渡って領主官邸から出たシェムルは、蒼馬に尋ねる。

「で、どこへ向かえばいい?」

 自分ひとりでは馬車ひとつ満足に動かせないのは事実だ。御子でもないシャハタに、あれだけ我の強い面々を説得できるか不安はあるが、蒼馬は観念した。

「東門から出て、街道の北にある山沿いを走って!」

 シェムルは手綱を取り、騎竜を東門へ向かわせた。途中、蒼馬とシェムルが連れ立って街の外に出るのに驚くゾアンの戦士たちへ「すぐ戻る」と声をかける。

「ソーマ! しっかり掴まっていろよ!」

 門の外に出たシェムルは、そう言うなり騎竜の尻を力いっぱい叩いて走らせた。

 この時代の馬車の車輪は、ようやく木の丸い円盤から木製のソリッドスポークが使われ始めた頃である。当然ながら、ゴムタイヤのように弾力のある車輪ではない。また、板バネなどの衝撃を緩和させる機構も存在しないため、そこが平野であっても整地されていない場所を走らせるのは大変なことだった。

 わずかな起伏や小石ひとつで、馬車は容易に跳ね上がる。その下から突き上げるような衝撃は、一瞬でも気を抜けば馬車から身体が放り出されてしまうほどだ。恥も外聞もなく御者台にしがみついていなければ、数瞬と待たずに蒼馬の身体は地面に叩きつけられ、大怪我を負っていただろう。

 それに対してシェムルは、さすがだった。腰を浮かせた体勢で手綱を取り、軽くたわめた膝で衝撃をうまく殺している。それだけではなく、横転しそうになれば素早く体重の掛け方を変え、暴れる馬車を見事に制していた。

「こうして自分で走らせてみると、馬車もいいものだなっ!」

 正面から吹きつける風に体毛をなぶらせ、シェムルは嬉しそうに言う。

 しかし、それを聞いた蒼馬は、悲鳴を上げそうになった。今の口ぶりは、どう聞いても馬車を走らせたのは初めてというものだ。

 もはや蒼馬は生きた心地がしなかった。

「ソーマ! こっちでいいのだな?!」

 シェムルは、馬車の立てる音に負けないように声を張り上げて尋ねる。それに返事をしようとした蒼馬だったが、この激しい振動の中で口を開けば舌を噛み千切ってしまいそうだ。かといって場所を指し示そうと馬車から手を放せば、次の瞬間に馬車から放り出された自分の姿が容易に想像できる。やむなく蒼馬は必死に顎をしゃくって、目指す場所を示した。

「んーっ! んっんっ!!」

「わかった! あの森を目指せばいいのだな!」

 そう言うなり、シェムルは騎竜に一鞭くれた。

 さらに加速した馬車に、蒼馬は泣き出しそうになる。あまりに激しい振動に振り回され、とっくに自分の身体がどういう状況になっているのかすらわからない。すでに馬車は横転して崖を転落している真っ最中だと言われても信じただろう。

 そんな拷問のような時間がようやく終わり、馬車が止まると、蒼馬は転げ落ちるようにして降りた。

 荒れ狂う馬車から振り落とされないように必死にしがみついていたため、疲労のあまり蒼馬はまともに立ち上がることすらできない。

 それでも()いずるようにして馬車から離れると、わずかなものでも見逃さないとでも言うように、眼を見開いて周囲をじっくりと眺め回した。

 そこは、平野と山の境目となっている場所である。

 北側は急勾配な山の斜面が間近に(せま)り、それとは逆に南側は起伏が少なく、なだらかに下る草原の裾野が広がっていた。裾野の先には、平原に引かれた一本の筋のような街道が見える。いまだその姿は見えないが、あの街道をたどって討伐軍は押し寄せてくるのだろう。

 そして、東側は山から突き出た舌のように森が生い茂り、西側には岩などがところどころに頭を突き出した、南側よりやや起伏がある裾野となっている。

 蒼馬はまず北側の山の斜面を見上げながら、シェムルに問うた。

「シェムル、この山は駆け上れる?」

「無理だな。傾斜がきつすぎる。登れないことはないが、駆けるのは無理だぞ」

 蒼馬と並ぶようにして山を見上げながら、シェムルはそう答える。

 その答えに満足した蒼馬は、次に森を見に行くために立ち上がろうとした。ところが膝が笑って言うことを聞かない。

「私の肩に掴まれ、ソーマ」

 シェムルの肩に掴まりながら、ようやく立ち上がった蒼馬は、覚束(おぼつか)ない足取りで森へと歩いて行く。

 蒼馬の前に広がる森は、現代日本人が森という言葉から連想するものとは大きく違う。

 街の近くならば(まき)拾いや豚の放牧などで人の手が入るが、ある程度人の住む場所から離れてしまえば、この時代の森は古代から続く原生林そのままだ。そこには蒼馬では名もわからぬ様々な樹木や草が生い茂り、冬でも鬱蒼(うっそう)とした雰囲気に包まれていた。

 本当は、もっと森の中まで見て回りたかったが、大地に張り巡らされた太い根や突き出された枝葉に阻まれ、蒼馬は断念する。

 しかし、それは蒼馬にとって理想的な状況だった。

「北側は険しい山。東は深く見通しの利かない森。南は、なだらかな斜面!」

 贅沢を言えば西側も山か森が欲しかったが、今はこれで満足するしかない。

 蒼馬は、ぐっと両の拳を握りしめた。

「ここだ! ここしかないっ!!」


                 ◆◇◆◇◆


「あのガキは、まだ戻らないのか?」

 その不満を表すようにジャハーンギルは、しきりとその太く長い尾でビタビタと床を叩いていた。

 蒼馬とシェムルが街を飛び出してから、すでに数刻が過ぎていた。

 その間に奇襲に失敗して戻ってきたガラムとズーグは、ふたりの不在に一瞬唖然としたもののすぐに動揺を押し隠し、主だった者たちを領主官邸の一室に集めたのである。

「何度も同じことを()くな」

 ガラムが剣呑な口調でたしなめると、ジャハーンギルは大きく鼻を鳴らして、そっぽを向く。しかし、その尻尾はさらに激しく床を叩くようになっていた。

 いつもは閉鎖的な場所を好まないゾアンに合わせて中庭で行っていた協議を屋内に変えたのは、主だった面々がそろっている場に蒼馬とシェムルのふたりがいないことを周囲に知られるのはまずいと言う理由からだ。

 特に蒼馬がいないのを知られるのは致命的である。

 現在、このボルニスに集っている勢力は、蒼馬の「鉄の宣言」を拠り所にしていると言っても過言ではない。もし、その宣言を発した蒼馬自身が逃亡したと思われれば、この勢力は一気に瓦解してしまうのは目に見えていた。

 すでに窓から射し込む陽は茜色を帯び始めている。

 もし、日が沈む前に蒼馬たちが戻らなければ、討伐軍を待たずして自分らは終ってしまうだろう。

 それだけにジャハーンギルはもとより、他の者たちも沈黙を守ってはいたが、内心では不安と焦燥とに苛立(いらだ)っていた。

 そんな重苦しい沈黙に耐えきれなかった〈たてがみの氏族〉の族長の息子バヌカが、誰にともなくぼそりと呟く。

「あの……まさか、逃げたんじゃありませんよね?」

 途端に、その場にいた全員から、ぎろりと(にら)まれた。

 バヌカの咽喉から声にならない悲鳴が上がる。それから血相を変えて、「冗談です、冗談!」と釈明するが、よけいに皆からは険悪な視線を向けられるだけだった。

 しかし、バヌカの言葉を否定する者はいなかった。なぜならば、それはこの場にいる者すべての不安を正確に突いていたからだ。

 だが、そのとき、ひとりのゾアンが声を上げた。

「ソーマ殿は、逃げたりいたしません! 必ず戻ってきます!」

 そう言ったのは、シャハタであった。

 ゾアンの風習に従えば、戦士でもないシャハタは戦いに関わる場での発言は許されていない。そんな身分をわきまえない行為をゾアンを代表するガラムとズーグという両雄の前でしでかしただけではなく、異種族であるドワーフやディノサウリアンの猛者たちの鋭い視線をその一身で受け止めているというのに、シャハタはひるみもせずに胸を張った。

 しきりと髭を撫でまわしていたドヴァーリンがその手を止め、シャハタに問う。

「何の保証がある?」

 その言葉を受け、シャハタの右手が動いた。

 次の瞬間、その手が左胸を力強く叩く。

「もし、おふたりが戻らなければ、この命をいかようにしてくださっても結構です!」

 左胸に手を当てる仕草は、ゾアンにとっては「この心臓をかける」という意味を持つ。万が一、蒼馬たちが戻らなければ、シャハタはその心臓をえぐり出す覚悟であった。

 その仕草の意味を知らないドヴァーリンやジャハーンギルでさえ、シャハタの目を見れば、その覚悟は伝わってくる。

 ドヴァーリンは小さく目を見張り、ジャハーンギルはあれほど苛立たしげに床を叩いていた尻尾をピタリと止めた。

 左胸に手を添えたまま毅然(きぜん)と胸を張るシャハタの姿に、その場にいた歴戦の勇者と呼んでも過言ではない者たちが見惚れた。

「シャハタ……」

 決して大きな声ではないが、そのガラムの声はやけに良く響いた。

「はっ!」

 つい感情のままに大きな口を叩いてしまったのを叱責(しっせき)されると思ったシャハタは、その場で背筋を伸ばして直立不動の姿勢をとる。

 しかし、ガラムの口から出たのは叱責の言葉ではなかった。

「今日から、おまえは戦士を名乗れ。俺が許す」

 それは、思いもかけなかった言葉だった。

 ゾアンの戦士を名乗ることは、シャハタにとっては決して叶うはずがない夢だ。そのため、シャハタは喜ぶよりも先に戸惑ってしまう。

「で、ですが、私は足の怪我で。あの、駆けて牛を狩れないので、その……!」

 本当は、ガラムの言葉に飛びつきたいのに、つい自分から否定的なことばかり言ってしまう。そんなシャハタに、ガラムは小さくため息をつく。

「牛を狩れることが、戦士の資格ではない。牛を狩るのは、それによって戦いの技量と、何よりも戦士としての勇気を示すだけに過ぎない。おまえは今、牛を狩らずとも戦士として何よりも大事な勇気と心意気を示した」

 ガラムは腕組みをしたまま、ひたりとシャハタの目を見据える。

「この《猛き牙》ファグル・ガルグズ・ガラムが認める。おまえには、戦士を名乗るだけの資格がある」

 強く言い切ったガラムの言葉が、シャハタの胸を打った。

 シャハタの見開いた目から、涙があふれ、頬の毛を濡らす。嬉しいはずなのに、なぜ自分が泣いているのかわからず、「あれ? なんで?」と戸惑いを口にしながら頬をぬぐうシャハタに、ガラムは「戦士が、涙を見せるな」とぶっきらぼうに言った。

 そんなふたりを茶化すように、ズーグが口を挟んだ。

「おいおい、ガラムよ。おまえのところは、これほどの男を狩人に(とど)めておいたのか?」

「……うるさい。余所(よそ)の氏族のことに、口を挟むな」

 そんなガラムの反応が面白いのか、ニヤニヤと笑いながらズーグはシャハタに声をかけた。

「おい、貴様。この大族長様が認めるだけで足りぬのならば、この《怒れる爪》クラガ・ビガナ・ズーグのお墨付きもくれてやる。〈牙の氏族〉に居場所がないなら、〈爪の氏族〉に来い。戦士として(ぐう)するぞ」

「ズーグ。おまえは、〈牙の氏族〉の戦士を俺の目の前で引き抜こうとするな」

 牙を剥いて威嚇するガラムに、ズーグは悪びれるどころか肩を震わせて笑いを堪える。

 それにガラムは鼻を鳴らし、ふてくされたように腰かけていた椅子の背もたれに乱暴に背中を預けた。

 そのとき、部屋にいたゾアンたちの耳がいっせいに、ピクリと動く。

「……おまえが正しかったな、シャハタ」

 口の端をわずかに上げてガラムが言うのに、ドヴァーリンやジャハーンギルが何のことかと疑問に思う。しかし、開け放たれた部屋の入り口から、しだいにこちらに近づいてくる足音に気づくと、彼らもニヤリと笑う。

 そして、間もなく部屋の入り口に、足音の主が姿を現した。

「すみません! 遅くなりました!」

 それは彼らが待ち望んでいた、シェムルをともなった蒼馬の姿であった。


 自分たちの不在が、予想以上に皆を動揺させていたことを知る蒼馬。

 これから強大な敵を迎え撃とうとするときに、わずかな疑念も抱かれたままではいけない。

 そう思った蒼馬は、自らの秘密の一端を明かし、畏怖によって皆を統率しようと図る。


次話「片鱗」

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