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破壊の御子  作者: 無銘工房
聖戦の章
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第26話 ボーンズの悲劇3-誓い

今年最後の更新となります。

皆様、良いお年をお迎えください。

 どっぷりと陽が暮れ、夜の(とばり)が舞い降りた。

 夜空には満天の星々が(きら)めいている。

 セルデアス大陸において、夜空の星々は火の神が創造神の心臓を太陽として天に掲げたときに飛び散った血飛沫(ちしぶき)だと言う。神話のとおり星々が創造神の血飛沫というのならば、満天を埋め尽くすほどの大量の血が飛び散ったことになる。そう考えれば美しい星空も凄惨な光景に様変わりするだろう。

 しかし、それすらも星々が見下ろすボーンズの街の状況に比べれば、まだしもマシかもしれない。

 大地は連日流される大量の血潮でグズグズの泥濘と化し、そこには回収し切れていない死体が散乱している。

 そこへさらなる血潮をそそぎ、死体を積み重ねようとするかのように、夜を押して聖戦軍は街を攻め立てていた。

 激しく剣戟(けんげき)を打ち合わせる音が鳴り響き、怒号と悲鳴が交差し、一瞬ごとに死が生まれる。

 そんな激しい攻防が繰り広げられる一方で、その街の反対側は打って変わって静けさに包まれていた。

 そこは日中もっとも激しい戦いが繰り広げられた場所である。その反動なのか、誰も彼もが眠りこけているように聖戦軍の野営地に人の姿はない。夜襲を仕掛けてくる敵をあぶり出す篝火(かがりび)の数も、今夜は控えめである。

 そんな野営地を囲む柵から出て、松明を片手にボーンズの街を見守るアルフェリウスに、従卒のピートが声をかける。

「そろそろ、どういうことか説明してくれないか、若様」

「この戦いをおまえはどう見る?」

 逆に問い返してきたアルフェリウスに、ピートはしばし考えてから答える。

「街は俺たちの予想以上に奮戦はしている」

 ピートは自身が口にした奮戦と言う言葉に物足りなさを覚えた。

 それも当然であろう。街は五ヶ月近くも抗戦を続けているのだ。例えそこに分厚く高い壁の存在があろうとなかろうと関係ない。

 街は数十万の敵に囲まれ、逃げ道はなく、援軍もこない。そんな絶望的な状況にあってなお、心が折れることなく、今なお抗戦を続けられる街の人々には賞賛の念を惜しめるはずがなかった。

 しかし、それでも残酷な現実は否定できない。

「それでも、時間の問題だろうな」

 それは否定しようがない事実であった。

 籠城戦とは味方の救援を前提としたものである。味方の助けが来ない籠城戦など、ただ滅亡を先延ばしにするだけのものに過ぎない。

「そうだ。――そして、それは街の中の人々もわかっているはずだ。今は表立っていないだけで、とっくに人々の中には厭戦(えんせん)気分が蔓延(まんえん)しているだろう。そして、その中にはきっといるはずだ。周囲がどうなろうと構わない。自分だけでも助かろうって考える奴が」

 アルフェリウスは、どこか悲しげに言った。

「そんな奴が、今まで行動しなかったのは、聖戦軍へ交渉を持ちかける伝手(つて)がなかったからだ。聖戦軍には、これまで交渉の使者を殺してきた前科がある。末端の王や将軍に交渉を持ちかけても握りつぶされてしまうだけだろう。だから、俺自身が誘い水となってやった」

 そこでアルフェリウスは皮肉げに唇の片端を吊り上げる。

「誰もが知る帝国で強い権力を有する三大選帝大公家の人間であり、戦場で場違いな派手な衣装を着て、意味もない降服勧告をするような組みやすそうな馬鹿な相手がいるぞってな」

「なるほどね。――それで赤い布に包まれた密書ってわけか」

 アルフェリウスはうなずいて、それを認める。

 密書の内容は街壁の防御塔の扉の解錠を条件に、自身の生命と財産の安全の保証を求めるものだった。それを承諾する合図となる太鼓の拍子を叩いたアルフェリウスは諸王諸侯らに依頼し、日中はこちら側を激しく攻め立てさせて防衛する敵兵を疲労させた後、今は街の反対側に夜襲をしかけ、敵の注意をここからそらさせている。

 すべては内通者が動きやすくするためのものだ。

 それが功を奏したのか、目の前のそそり立つ防壁は静まり返り、人の気配が薄かった。

「おい、若様。あれを見ろ」

 ピートが指し示す方を見やれば、防御塔の基部の辺りで小さな灯火が闇の中に円を描くように動いていた。

 ピートへひとつうなずいて見せてから、アルフェリウスは同じように松明を手にした腕を大きく円を描くように動かして見せる。

「若様よ。こちらから仕掛けて言うべき台詞じゃないが――」

 アルフェリウスの応答を確認して、こちらに向かってやってくる灯火を見やりながらピートは顔をしかめる。

「――こんな誘いに乗ってくる奴なんて、ろくでもない奴だぞ」

「ああ。俺もそう思う」

 そこでアルフェリウスは苦笑いを浮かべる。

「――誘った奴も乗った奴も、どちらもろくでもないさ」


                  ◆◇◆◇◆


 闇を越えてアルフェリウスの前に現れたのは、松明を片手にした従者らしき男に手を引かれてた、でっぷりと太った男と、まだ幼い乳飲み子を抱いた若い娘であった。

 太った男はアルフェリウスに気づくと、それまで手を引かせていた従者を乱暴に突き飛ばし、あたふたとした足取りでアルフェリウスの前に来て、その場でひざまずく。

「これは、これはアルフェリウス・ワイザン閣下であらせられますでしょうか? 御自らお出迎えいただき恐悦至極にございます。閣下のご尊顔を拝することができ、これに勝る喜びはございませんぞ」

 太った男は卑屈そのものを顔に貼りつけたような笑みを浮かべて()み手をし、アルフェリウスにへつらう。

「その、何だ。おまえはそれで良いのか?」

 今なおボーンズの街の人々は必死に戦っているのだ。それなのに太った男の態度には彼らを裏切ることへの一片の罪悪感もなく、アルフェリウスは思わず尋ねてしまった。

 口にしてしまってから失言だったと後悔するアルフェリウスだったが、太った男はそれに気づくどころか、よく尋ねてくれたとばかりにまくし立てる。

「当然ではありませんか! あの下民どもめ! この高貴なる私に無理やり石運びなどやらせたのですぞ!」

 よほど憤懣(ふんまん)が溜まっていたのか、いったん口火を切ると太った男の口からは怒濤(どとう)のように不平不満の言葉があふれ出した。

 それにアルフェリウスの頬が、ひくりと引きつる。

 どこをどう聞いても、目の前の太った男に非があるとしか思えない。自ら高貴というのだから、むしろ率先して街の防衛に力を注ぐのが責務であろう。

 それを否定するどころか、憤懣すら感じる太った男の精神性がアルフェリウスには理解できなかった。

 それだけではなく、目の前の太った男の卑屈な笑みも過剰にへりくだる姿勢も、無性に(かん)(さわ)る。まだしも一緒に連れてきた若い娘の方が、その表情に罪悪感をにじませているだけ遙かにマシですらあった。

 アルフェリウスは、その内心の嫌悪感を表に出さないように自制する。もっとも、仮に嫌悪感を出したとしても、目の前の男は気にもしなかっただろう。

 不平不満を吐き出すだけ吐き出した太った男は、再びアルフェリウスに揉み手をしながら上目遣いに尋ねる。

「それで、お約束どおり私たちの身の安全は保証してくださるのでしょうか?」

 やっぱり無しにして良いか、と言いたいのをぐっとこらえてアルフェリウスはうなずいて見せる。

「無論だ。ワイザン大公家の名にかけて、約束は守ろう」

 そう言うと、太った男は満面の笑みを浮かべてその場で平服した。

 すると、そこへ馬蹄(ばてい)の音が鳴り響いた。

 そちらへ目を向けたアルフェリウスの表情がゆがむ。

「バグルダッカ大公閣下……!」

 馬に乗って現れたのは、暴君クロゥ・カァン・バグルダッカその人であった。

 クロゥは馬上から平伏する太った男を見下ろす。

「ほう。こいつが恥知らずの裏切り者か?」

 アルフェリウスに向けられたクロゥの目は「もう用済みだろう?」と明確に問いかけていた。

 他者を愚物と断じるクロゥにとっては、この太った男など生かす価値はないのだろう。

 アルフェリウス個人としては、このような男がクロゥに嬲り殺されても何の良心の呵責(かしゃく)も覚えないが、それでもワイザン大公家の名にかけて助命を約したのである。みすみすクロゥに殺させてしまうわけにはいかなかった。

 何と言い訳してクロゥに見逃してもらおうかとアルフェリウスが思案する間に、太った男はクロゥに向かって()びを売る。

「これは、これはバグルダッカ大公閣下。あなた様のご勇名は以前より聞き及んでおりました。こうしてご尊顔を直に拝見できたのは望外の喜びでございます!」

 まったくもって見事な卑屈ぶりである。アルフェリウスも思わずそこまで誇りを捨てられるものかと感心するほどであった。

 しかし、こうした手合いには飽き飽きしているクロゥである。太った男の行動は、むしろ自身の命を縮める行為であった。

 そして、クロゥの表情を見るからに、すでにこの太った男には何の価値も見出していないようである。もはや処分するだけのゴミを見るような目だ。

 父親の意を察し、その長子のジュルチが無言で馬から下りる。

 自身の命が風前の灯火であるとは気づかぬまま、太った男はさらにクロゥへ媚びを売り続けていた。

「そうだ! バグルダッカ大公閣下は『英雄、色を好む』を体現なされていると聞きます。それなら――」

 そこで太った男は後ろにいた赤子を抱く女性の腕を引っ張り、クロゥの前へ引き出す。

「この女。私の妻ですが、まだ若く器量よしで、しかも高貴な血筋の娘ですぞ。今は赤子を産んだばかりですが、すぐに具合も良くなりましょう。どうぞ、大公閣下のお慰めにお使いください」

「だ、旦那様……?!」

 妻と呼ばれた女性は、赤子を抱いたまま信じられないと言った目で太った男を見る。それに太った男は癇癪(かんしゃく)を起こす。

「ええい! 私に逆らうのか?! 私の言うとおりにしろ! おまえだって、帝国の選帝大公家の女になった方が良かろう!」

 アルフェリウスも唖然としてしまった。

 これがクロゥから妻を差し出せと言われたなら理解できる。暴君の前では、そうするしかないと同情もしよう。だが、この太った男は何を言われるよりも先に、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく自身の妻を差し出したのだ。そこに一抹の苦悩や逡巡すらない。それどころか非難の目を向ける妻に対して、聞き分けがないとばかりに叱りつけるなど、いったいどういう精神をしているのだろうと理解に苦しんだ。

 そこへ突如、笑い声が湧いた。

 驚いたアルフェリウスがそちらへ目を向けると、そこにいたのはクロゥである。彼は馬上で腹を抱えて笑い声を上げていた。そのあまりの大笑いぶりに、アルフェリウスは夜の闇を隔てたボーンズの街に届くのではないかと心配してしまう。

 ひとしきり笑ったクロゥは何故か満面の笑みを浮かべると、馬からひらりと下りて太った男へ歩み寄った。

「俺様も、ここまでの屑は見たことがないぞ!」

 そう言うなり、クロゥは両手で太った男の胸ぐらをいきなり掴み取る。そして、次の瞬間、クロゥは太った男の服の胸ぐらを力任せに引きちぎった。すると、引き裂かれた男の衣服の胸元からバラバラと音を立てて地面に何かがこぼれ落ちる。

 松明の灯を受けてキラキラと輝くそれらは、金貨銀貨や宝石の(たぐ)いであった。

「これだけのものを隠し持っておきながら、真っ先に妻を差し出すか。見上げた根性だ!」

 クロゥが手を離したことでその場に尻餅をついた太った男は、滝のような冷や汗を掻きながら卑屈な笑みを浮かべて揉み手をする。

「も、もちろん、後でこれも閣下に献上しようと思っていたものでして……」

 クロゥは、にたりと笑う。

「ああ。その様子だと、もっとも価値のありそうな宝飾品は胃袋の中か?」

 その瞬間、わずかな篝火の明かりだけでもそうとわかるぐらい太った男の顔が青ざめた。そんな太った男の肩をクロゥはバシバシと叩く。

「すごいわ! 呆れるわ! ここまで来ると、一種の才能だな!」

 再びクロゥは大笑いを上げた。

「気に入ったぞ! この俺様の名において、おまえの命を保証してやろうではないか!」

 そこでクロゥは(そば)に控えていたジュルチへ言う。

「兵を率いて、他の連中より先んじてこいつの邸宅を押さえろ。俺様の名において、そこへの略奪を一切禁じるとな!」

 ジュルチは無言でうなずいて父親の名を受諾する。

「それと、こいつは俺様の賓客(ひんきゃく)だと周知させろ! この街を落とすのに協力して大きな功績を挙げた、大事な大事な賓客だとな!」

 クロゥの言葉に太った男はたるんだ顎の肉を震わせて喜ぶ。

「おお! 本当でしょうか、大公閣下!」

「おう。喜べ。貴様の街での安全は、この俺様が保証してやろう!」

 クロゥに身命や財産の安全の保証ばかりか賓客という立場まで与えられた太った男は何度も平伏して感謝の意を表していた。

 そんな太った男に、アルフェリウスは信じられないといった目を向ける。

 街での安全を保証したということは、裏を返せば街以外での安全は保証しないということだ。つまり命が惜しければ街を出ることはできなくなる。

 それをこいつは理解しているのだろうか。

 これより略奪され尽くされる街の中で、唯一略奪を逃れるということを。さらに敵将に保護されるということを。それによって周囲からどう見られるのかということを。

 もはや自分の理解が及ばぬ何かを見るような目をアルフェリウスに向けられているとも知らずに、太った男はクロゥに媚びへつらい続ける。

「おお、大公閣下! 大公閣下の慈悲深さと度量の広さは、終生忘れはいたしません。いえ、その御名を我が家で子々孫々に至るまで讃え続けましょう!」

「名か。おお、そうだ! おい、豚。おまえの名前を聞いていなかったな。名は何という? 本当に豚という名前か?」

 豚と罵られたというのに、どこか嬉しげな様子で太った男は「大した名ではございません」と前置きしてから言う。

「ヴリタス」

 太った男は、へらりと笑う。

「私の名前は、ヴリタス・サドマ・ホルメアニスと申します」

 元ホルメア国の王弟ヴリタス・サドマ・ホルメアニスは、自らの名を告げた。


                  ◆◇◆◇◆


「暴君って野郎は、思ったよりも厄介だ」

 そう蒼馬に告げたのは、ズーグであった。

 そこは元ロマルニア国の王都であったロマルニアの王城にある蒼馬の執務室である。

 旧ロマニア国領の東部で聖戦軍へゲリラ戦を仕掛けていたズーグであったが、暴君と相対したときのことを聞きたいという蒼馬からの召還命令を受けて一時帰還したのであった。

「まずもって、俺たちゾアンにとって騎兵ってのが厄介だ」

 それについては蒼馬も理解していた。

 ゾアンの特性は四つ足で馬のような速さで駆けられることだ。

 しかし、騎兵が相手ではその特性の利点はなくなってしまう。それどころか四つ足にならなければ全力疾走できないゾアンと比べ、馬を駆けさせたまま武器を振るえる騎兵の方に利があった。

 さらには剣で切り結ぶ上でも、重力に逆らって下から切り上げなければならないゾアンよりも、馬上から剣の重さを利用して切り下ろせる騎兵の方が有利なのは自明の理である。ましてやゾアンの山刀は、馬上剣と比べれば長さにおいても劣っていた。

「それに奴らは弓騎兵でもあるんだろ? 俺たちの天敵だと言っても良い。正直に言って、あいつらと真正面からやるのは下策だな」

 虚勢を張ることなく冷静に彼我の戦力を分析して判断を下すズーグに、蒼馬も全面的に同意する。

「そうだね。私もそれは懸念していたよ」

 エラディアから暴君とバグルダッカ大公家の来歴を聞いていたときから蒼馬は警戒していた。

 カンナエの戦いで勝利に大いに貢献したヌミディアに、パルティアンショットの語源となったパルティア、そしてユーラシア大陸を横断する大帝国を築いたモンゴル。

 いずれも優れた騎兵を生む遊牧騎馬民族だ。

 それと同じ遊牧騎馬民族を出自とするバグルダッカ大公家を脅威と見なすのも当然であった。

 そう蒼馬が説明すると、ズーグはしばしためらってから口を開く。

「だが、それ以上に厄介なのは、暴君って野郎だ」

 苦り切ったズーグの言葉に、蒼馬は「どういうこと?」と説明を求める。

「たまに、いるんだよ。ああいった奴が」

 常識的に考えれば、必ず死ぬ。そんな危機にこそ喜びを見出す。他から見れば無謀としか思えない行動に嬉々(きき)として打って出る。死地と呼ばれるところにこそ勝機を見出す。そして、そこから当然のごとく戦果を手に生還してくる常識の埒外(らちがい)に身を置く連中。

 ロマニア国の大将軍ダライオス(しか)り。三傑のひとりパルティス然り。

 すなわち英雄と呼ばれる、人でありながら人を逸脱した者たちだ。

 ズーグは、クロゥをその英雄の(たぐ)いだと断じたのである。

 蒼馬はズーグの剣呑な気迫に圧され、咽喉を鳴らして唾を飲み込んだ。

 しかし、すぐに蒼馬は悪戯めいた笑みを浮かべてみせる。

「私からすれば、おまえも似たようなものだけどね」

 蒼馬の思わぬ返しに、ズーグは小さく目を丸くした。ズーグは小さく鼻を鳴らして、おどけて返す。

「陛下も口ばかりうまくなられたようで。俺を(おだ)てても何も出せないからな」

 蒼馬は冗談じゃないのにとばかりに、小さく肩をすくめて見せた。

 伝えるべき事はすべて伝えたと再び東部の聖戦軍との戦いへ戻るため立ち上がったズーグだったが、不意に耳をピクリと動かした後、頭上を振り仰ぐとその場にたたずんだ。

 どうかしたかと問いかけようとした蒼馬だったが、それを言葉にする前に、彼もまた遠くから聞こえてくる太鼓の音に気がついた。

「ゾアンの太鼓か。――シェムル」

 いつもの癖でシェムルに太鼓の拍子の翻訳を頼みかけた蒼馬は、わずかに顔をしかめて唇を噛みしめてから、護衛として控えていたシャハタへと声をかける。

「シャハタ。太鼓の拍子を訳してくれ」

 シャハタは承知とばかりにうなずいてから耳をすませた。

 聞こえてくる太鼓の拍子は、東、果て、石の村、危機を意味するものだ。

 石の村とは、天幕が集まって村を作るゾアンたちの間で、石や煉瓦を積み上げた防壁を有する人間の街を指し示す言葉であった。そして、東の果てとなると現状で聖戦軍との最前線となっているボーンズの街のことになる。

 シャハタは太鼓の拍子を言葉に訳す。

「ボーンズの街からの報せです」

 続いて叩かれた太鼓の拍子は、石と壁、越える、敵、村、侵入。

「聖戦軍が街の防壁を越えて侵入してきました」

 たくさん、敵。追い返す、不可。

「敵の数が多く、撃退は不可能です」

 私たち、族長の天幕、立てこもる、戦う、終わりまで。

「街の領主官邸に立てこもり、最後まで戦うそうです」

 その場に居合わせた者たちの間から、小さなどよめきが湧き上がった。

 その中で蒼馬は一瞬拳を堅く握りしめてから、周囲へ(おごそ)かに告げる。

「私はボーンズで戦ったすべての人々に感謝と敬意を表する。彼らが戦い抜いた五ヶ月近いときは、まさに黄金の価値があった。彼らの奮戦によってどれだけ多くの民が救われたかはわからない。私はここに確約する。ボーンズの防衛戦に参加したすべての人々を賞賛し、その名誉を讃える。もし生存者がいれば重く用い、また遺族は生涯困窮しないように生活を支援すると約束しよう」

 蒼馬の言葉に、誰もが無言で頭を下げて賛意を示した。

 その間にも太鼓の拍子は続く。

 打たれた拍子が告げるのは、耳、成る、全部、聞く。鼻、成る、全部、嗅ぐである。

「耳となり、すべてを聞く。鼻となり、すべてを嗅ぐ」

 シャハタが約す言葉に、蒼馬はハッと気づいた。

 いや。気づかざるを得ない。なぜならば、それは蒼馬にとって決して忘れることはできない誓いの言葉なのだから。

「髭となり、すべてを感じる。牙となり、敵を噛み砕く。爪となり、敵を切り裂く」

 これは、かつて蒼馬がシェムルから捧げられた誓いの言葉である。

 すなわち、ゾアンの戦士が己のすべてを捧げる「臍下の君」への誓いであった。

「族王を『臍下の君』とし、魂と心と肉のすべてを捧げる」

 シャハタの言葉に、蒼馬は「やっぱりか」と思う。

 誰かはわからないが、ボーンズの街に踏みとどまって戦っていたゾアンの戦士が最期に自分へ向けて送って寄越したのだろう。

 蒼馬は自分の心臓が氷の手で握りしめられたような苦しさを覚えた。

 しかし、そのときシャハタとズーグを含めたゾアンの戦士たちがおかしな表情になる。

 それは聞こえてきた太鼓の拍子が繰り返し「再度送れ」という拍子で打たれたからだ。太鼓の拍子を聞き逃したか、重要な伝言を再確認する場合に打たれる拍子だが、それがしつこいぐらいに打たれていた。

 しばらくして、ようやく新たな太鼓の拍子が打たれる。

 それを聞いたとたん、シャハタは思わず「えっ?」と口にした。

 ズーグが全身の毛を燃えさかる炎のように逆立てさせる。彼に付き従って部屋に居たゾアンの戦士たちはお互いの顔を見合わせた。

 それだけではない。執務室の外からも騒ぎ出す声が聞こえるのだから、おそらくは太鼓の拍子を理解するすべてのゾアンが激しく動揺しているのだ。

 シャハタはとっさに太鼓を取り出すと、窓際でそれを打ち鳴らす。

 叩かれた拍子は「再度送れ」だ。

 しかし、返ってきた太鼓の拍子は先程と同じものである。

 それでもシャハタは繰り返し「再度送れ」と太鼓を鳴らす。

 だが、返ってくる拍子が決して変わらないのに、シャハタの手から太鼓が滑り落ち、床に転がった。

「ふざけるなっ! いったいどういうことだ、こりゃ?!」

 ズーグは片目を吊り上げ、牙を剥いて怒鳴り散らす。

 このゾアンたちの様子に、ただならぬことが起きたと察した蒼馬は声を上げる。

「いったいどうしたの?! シャハタ、何があったんだっ?!」

 茫然自失としていたシャハタは蒼馬の呼びかけに我に返る。

「陛下を『臍下の君』として誓ったのは――」

 シャハタはわずかに言い(よど)んでから、その名を告げる。

 そして、蒼馬は驚愕と絶望に言葉を失った。


                  ◆◇◆◇◆


 ボーンズの街の領主官邸。

 かつて小国の玉座の間だったその部屋の窓から自分が打ち鳴らした太鼓の拍子が伝わっていくのを聞き届けていた黒毛のゾアンの戦士だったが、家具などを積み上げて塞いでいた扉が外側から叩きつけられる衝撃に軋みを上げ始めたのに目を向ける。

「俺が太鼓を叩き終わるまで待ってくれたのかな」

 その黒毛のゾアンの戦士は太鼓を置くと、二振りの山刀を両手に構える。

「見直したぞ。帝国の連中も少しは空気が読めるらしいな」

 そして、黒毛のゾアンの戦士――ファグル・ガルグズ・ガラムは皮肉げに唇を吊り上げた。

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― 新着の感想 ―
明けましておめでとうございます。新年早々に私が好きなキャラのガラムが、、、、。大公なら殺して剥製か毛皮にして蒼馬に送りつけそうだがどうなることやら。次回が待ち遠しい!
あけましておめでとうごさいます! ガラム死ぬな〜〜〜( ;ᯅ; ) 死ぬ覚悟を決めて臍下の君の誓いを立てたのに、意外にも生き残ってソーマの元へ帰ってきてしまって、気まずそうにするガラムを見せてくださ…
明けましておめでとうございます。新年早々激動過ぎる……!! 豚の豚足る足掻きに初嗤いののち、まさかガラムが……
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