第22話 遭遇(前)
このときピアータ・デア・ロマニアニスはエルドア国の客将という身分であった。エルドア国軍に属しておらず、蒼馬からの要請でもなければ、あえて聖戦軍と戦う必要がない立場である。
しかし、だからといって故国が聖戦軍に蹂躙されている事態に、おとなしくしていられるピアータではない。
自ら名乗り出て獣将ズーグの指揮下に入ると遊撃部隊として、斥候や略奪を目的に聖戦軍本隊から離れる部隊を見つけては、それをいくつも叩き潰してきた。
そして、今回もまた彼女専属のハーピュアン偵察兵であるララからの聖戦軍によって支配された村があるとの報せを元に、自ら百狼隊を率いてやってきたのである。
このときピアータが率いる百狼隊は、重装槍突撃騎兵である銀狼兵五十騎、軽騎兵である金狼兵五十騎、重装歩兵でもある蒼狼兵五十騎からなる、およそ百五十騎であった。
いずれもピアータ同様に故国を蹂躙する聖戦軍に怒り心頭に発する勇者たちだ。
その中にあって、常日頃からじゃじゃ馬姫に振り回されているおかげか、激しい怒りを覚えながらも冷静な部分を残すデメトリアが、前を駆けるピアータへ自身の馬を寄せて諫言する。
「姫様。獣将殿を待たなくて、よろしいのですか?」
馬並みの速度で駆けられるとはいえ、自前の足を使わねばならないゾアンである。さすがに騎兵でそろえた百狼隊と比べると、持久力に劣るのは否めない。そこでピアータたち百狼隊は、斥候としての役割を担っており、敵部隊を見つけた際は速やかに本隊のズーグへ連絡し、指示を仰がねばならなかったのだ。
しかし、銀髪の乳姉妹へピアータは怒りとともに吐き捨てる。
「当たり前だ!」
ピアータはぎりりと奥歯を噛みしめた。
「目の前で無辜なる民の暮らす村を焼かれていながら待てと言うのか? 私には無理だ! ――おまえらは我慢できるのか?!」
ピアータの言葉の後半は、百狼隊へ向けられたものである。これに百狼隊の騎士らは怒号をもって賛同を示した。もはや無理とは思いつつもデメトリアはさらに言う。
「エルドア国軍では新参者の私たちが、独断専行するのは如何なものかと思いますが」
少し前までは国の命運を懸けて互いに殺し合う敵であり、ロマニア国が滅んでからも蒼馬に従属するのを拒み、今なおロマニア国の姫を自称するピアータである。そんな彼女が独断専行などすれば、如何なる疑念を抱かれるかわからない。デメトリアとしては至極真っ当な忠言である。
「知るか!」
しかし、それをピアータは一言の下に切り捨てる。
「それにあの獣将殿が、それぐらいでとやかく言うような玉か!」
ピアータたち百狼隊を斥候として出す際に、ズーグはその行動の自由を認めていた。これには身内のエルドア国軍から異論が出たのも当然である。
しかし、それをズーグは「敵の咽喉笛に食らいつきたくてたまらない狼を縄でつないでどうする?」の一言で退けたのであった。
これにはデメトリアも「姫をよくご理解いただいている」と感心したものである。
そういう事情があるとはいえ、暴走しがちなピアータの補佐を自認するデメトリアは、次善の提案をする。
「それでも近くにいらっしゃる獣将殿を無視するわけにはいきません。ララを報せに飛ばしますよ」
「勝手にしろ!」
曲がりなりにもピアータの承諾を得たデメトリアは、後方で護衛の騎士とともに待機しているララへ向けてうなずいて見せた。人間種よりも遙かに遠目が利くハーピュアンのララは、それだけでデメトリアの意図を読み取ると、馬の背中を蹴って空へと舞い上がる。
そのとき、空に甲高い笛のような音が響き渡った。
それはバグルダッカ大公軍の総攻撃の号令――「死神の口笛」である。
その音の意味はわからずとも、不穏な状況を感じ取ったピアータが叫ぶ。
「状況を伝えろ!」
これに騎士のひとりが答える。
「姫殿下! 敵騎兵がこちらに向かってきます! 敵は騎兵のみ! その数およそ二十騎!」
「騎兵のみの部隊だと?」
ピアータは驚いた。騎兵のみの部隊など、自身が立ち上げた百狼隊を除けば初めてである。
「面白い。帝国の騎兵とやらの実力は、どれほどのものか確かめてやる! ――おい!」
ピアータは声をかけようとした相手の様子がおかしいのに気づき、かけようとしていた言葉を変える。
「どうかしたか?!」
その問いがかけられたのは、馬に乗り、弓を背に負い、口許を黒い布で覆ったエルフの女性――黒エルフ弓騎兵であった。
ピアータが遊撃部隊として行動すると言われたときに、同じ騎兵種の部隊として今後連携していくことになるだろうと蒼馬がその試金石として百狼隊へ一時的に預けた黒エルフ弓騎兵二十人の隊長である。
「いえ。何でもございません。気のせいでございましょう」
死神の口笛の音に嫌な予感を覚え、その秀麗な眉をひそめていた黒エルフ弓騎兵の隊長だったが、気のせいだと自身に言い聞かせた。
不審を覚えたピアータだったが、今はそれを子細に問い詰めている余裕はないと割り切る。
「問題なければ良い! 手筈どおり、先手は任せたぞ!」
「ソーマ陛下のご命令とあらば、是非もございません」
かつてミルツァの戦いにおいて多くの姉妹の命を奪ったピアータに対してわだかまりがないと言えば嘘になる。だが、大恩ある蒼馬とエラディアの命令とあれば、それに従うのみだ。
黒エルフ弓騎兵たちは弓矢を構えると、馬足を緩めた百狼隊の前へと出る。
「敵は二十騎ばかり。そんな小勢でありながら逃げるどころかこちらに突撃してくるとは、蛮勇なのか、それとも――」
敵を観察していた黒エルフ弓騎兵の隊長だったが、敵騎兵が掲げる旗を目にした途端、その目がカッと見開かれた。
敵騎兵が掲げるのは、赤と緑に塗り分けられた下地に×の形に交差された弓と矢を背景にして前足を振り上げる馬の図案の旗。
エラディアとともに大陸中央からこの西域まで流されてきた彼女は、その旗が示すものを知らぬはずがなかった。
「敵は、バグルダッカ大公軍!」
黒エルフ弓騎兵の隊長は戦慄とともに叫ぶ。
「繰り返す、敵はバグルダッカ大公軍! 敵を小勢と侮らないで! 先のは噂に聞く、バグルダッカの『死神の笛』! 奴らは戦うつもりです! しかも……あれは暴君?! 先頭を駆けるのは、《暴君》クロゥ・カァン・バグルダッカ!」
黒エルフ弓騎兵のみならず、ピアータたち百狼隊にまで戦慄が走った。
西域では暴君の恐ろしさは噂話に過ぎないが、それでも彼が人間の神に認められた御子であり、聖戦軍の副将であることは既知の事柄である。さらに総大将のアウストラビス大神官が武人ではなく聖職者であることを考慮すれば、事実上の聖戦軍の総大将と考えて間違いない。
そのような重要人物と、このような場所で遭遇するとは予想もしていなかった事態であった。
しかし、これはまたとない好機である。
如何に暴君といえどもその手勢は二十騎ばかり。ここでクロゥを討ち取れば、まさに大金星。逆に聖戦軍にとっては大打撃となろう。
黒エルフ弓騎兵の隊長は自身もエルフィンボウにつがえた矢を引き絞りながら号令をかける。
「狙うは暴君ただひとり! 暴君を討ち取る好機です!」
黒エルフ弓騎兵隊二十騎全員が、こちらに向かって先頭を駆けて来るクロゥただひとりに狙いを定め、矢をつがえた弓を引き絞った。
エルフたちの殺意のこもった二十の射線がクロゥに集中する。
馬で駆ける両者の距離は瞬く間に縮まり、エルフたちはクロゥを射程に捉えた。
そして、エルフたちが矢を放つ。
その寸前である。
「さあ、来い!」
クロゥは両手を手綱から離したかと思うと、馬上で大きく両腕を開いたのである。
これには黒エルフ弓騎兵たちも矢を放つことを忘れて驚いた。
俺様に矢を当てて見せろ。
まさにそう言わんばかりのクロゥの行動である。
しかし、それは後続の味方のために身を挺して矢を受け止めようなどと言う殊勝なものではない。
それは絶大なる自負からによるものであった。
不遜なり、下郎どもめ! 我は暴君。我は無比なる強者。我は生まれついての強奪者。我こそが絶対なる勝者である! それを名もない下郎の矢ごときで、この命を奪えると思うたか! 身の程を知れ!
そんな声なき声が聞こえてくるような傲岸不遜な表情と、そして何よりも他者を圧倒し、射すくめる強烈な眼光。
それに黒エルフ弓騎兵は動揺した。
その絶大なる自負に、その傲慢なまでの自尊心に、恐れをなしたのである。その恐れと動揺は彼女たちの矢の狙いを我知らず、わずかに狂わせてしまう。
「放てっ!」
黒エルフ弓騎兵の隊長の号令とともに一斉に放たれた矢は、クロゥを中心に降り注ぎ、それでいてことごとくはずれてしまった。
それは、あたかも矢が暴君に恐れをなし、自ら彼を避けたかのようで光景である。
その光景に黒エルフ弓騎兵たちはさらに動揺してしまう。そのような状態では当てられる矢も当たるはずがない。続いて行った二射目もすべて外れてしまった。
「うわはははっ!」
哄笑を上げるクロゥは、馬上で両腕を広げたまま風を切って飛ぶ矢の雨の中を駆け抜けて行く。
後先考えぬ蛮勇。ただの無謀。単なる偶然。そう片付けるのは簡単だ。しかし、実際に暴君を目の前にすれば、この結果が至極当然と納得してしまっている自分に気づく。
それほどまでにエルフだとか人間だとか言う前に、その存在の格が違うのだ。
黒エルフ弓騎兵の隊長は恐れを口に乗せた。
「これが暴君……!」
動揺する黒エルフ弓騎兵たちに向け、遅れて射程に捉えたバグルダッカ大公軍の騎兵からの矢が放たれた。その矢を受けて、先頭近くを走っていた黒エルフ弓騎兵のひとりが馬上から転げ落ちる。
我に返った黒エルフ弓騎兵たちも応射するが、暴君に圧倒される彼女らと、逆に暴君に率いられて勢いに乗るバグルダッカ大公軍の騎兵らでは射撃の差は歴然である。またもや黒エルフ弓騎兵のひとりが矢を受けて落馬する。
「黒エルフ弓騎兵、退かれよ!」
劣勢となった黒エルフ弓騎兵の後ろから馬蹄を轟かせて接近してきたのは、デメトリアだった。
「これ以上、エルドア王より借り受けた貴女らを失ったとあれば、我らが姫の名折れ! 後は任されよ!」
このまま引き下がれるものかと拒絶しかけた黒エルフ弓騎兵の隊長だったが、劣勢なのは否定できない。わずかな躊躇の後に転進の号令をかけて馬首をひるがえした。
代わって前面に押し出てきたのは、デメトリアを先頭に鏃の陣形を組む銀狼兵である。
銀狼兵は、人馬ともに板金鎧で身を固め、騎兵が脇に抱える長大な槍をもって突撃し、敵兵や敵陣を突破する重装槍突撃騎兵だ。もともと強固だった鎧は、騎馬突撃にロマンを抱く蒼馬のテコ入れと、その無茶ぶりを向けられたドワーフたちの高い技術力によって中世の騎士が身につけた全身甲冑と遜色がないものとなっていた。
そんな銀狼兵らが一丸となって突撃してくるのである。
その光景はさながら鋼鉄の土石流であった。
しかし、それを前にしてクロゥは投擲用の短槍を手に取ると、不敵に笑う。
「おうおう。鉄の亀が馬に乗っているわ」
そう言うと馬上で槍を投擲する態勢を取った。
槍を握る右手の甲で人間の神の刻印から冷たい銀色の光がにじみ出る。
銀狼兵の先頭を駆けるデメトリアへ槍を投じようとしたクロゥであったが、その寸前にデメトリアの兜の後ろにたなびく編み上げられた銀髪を目に留めた。クロゥはわずかに眉をひそめたが、次いでニタリと笑うと、槍の穂先の向きをわずかに変える。
クロゥは小さな気合いとともに槍を投じた。
投じられた槍は空気をぶち抜くような勢いで飛ぶと、デメトリアの近くを駆けていた銀狼兵の頭部に直撃する。頭部を槍で串刺しになった騎士は、悲鳴を上げる間もなく絶命し、馬上から転げ落ちた。
「なっ?!」
デメトリアの口から驚きの声が洩れた。
彼我との距離は、いまだ三十メルト(およそ三十メートル)はあるというのに、この威力。しかし、それにも増して脅威なのは、その狙いの正確さである。
死んだ銀狼兵は飛んでくる矢から身を守るために盾を前に出し、その裏に隠れるようにして馬を走らせていたのだ。
ところが、クロゥの投げた槍は騎士が視界を確保するためにわずかに覗かせていた顔を直撃したのである。
この距離ではクロゥから見えていた騎士の頭部など麦一粒より小さいだろう。激しく揺れ動く馬上から投じて、そこへ正確に槍を命中させる。
到底、人間業ではない。
まさに神業である。
「これが奴の恩寵の力かっ!」
人間の神にクロゥが与えた恩寵は「投じた槍は狙いを外さない」。
デメトリアも噂で聞き及んでいたが、実際にそれを体験すれば噂から想像していたよりも遙かに脅威である。
この男は確実に仕留めなくてはならない!
例え投槍で貫かれようとも差し違えてやるという気迫とともに、デメトリアはクロゥへ向けてまっしぐらに突進する。
決死の気迫をみなぎらせて突進してくるデメトリアに対して、余裕綽々の態度で、迎え撃つ素振りすらもなく駆けてくるクロゥ。
確実に殺った!
衝突する寸前、デメトリアは自身の槍がクロゥの身体を貫くと確信した。
しかし、それをクロゥはひらりとかわす。
クロゥが手綱を引けば馬も機敏に応えて横へと跳び、クロゥもまた馬上から身を乗り出すようにして真横に身体を倒し、まるで馬上曲芸のようにしてデメトリアの槍をかわしたのである。
そればかりでない。クロゥは身体を起こし様に右腕を伸ばすと、すれ違おうとしていたデメトリアの甲冑の襟ぐりをむんずと鷲掴みにする。
「突撃力はありそうだが、それだけだな」
クロゥは嘲笑とともに、片腕だけで甲冑を着けたデメトリアを吊り上げると、地面へと投げ落とした。
地面に叩きつけられたデメトリアの口から苦鳴が洩れる。
あまりの衝撃と激痛に、デメトリアは身体が麻痺したように動かせなかった。しかし、落ちたのが背中からであり、また強固な甲冑を着ていたこともあって、それは一時的なものであり重篤な障害ではない。
だが、それは幸運からのものではなかった。
クロゥがあえてそう落としたのだ。
苦痛に呻くデメトリアの上に、影が落ちる。
「おうおう。ずいぶんと可愛い悲鳴をあげるじゃないか」
仰向けに倒れる自分を馬上から見下ろすクロゥに、デメトリアは恐怖した。




