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破壊の御子  作者: 無銘工房
聖戦の章
522/534

第10話 リュッベン攻囲戦1-暴君襲来

 ついに聖戦軍の先遣隊が侵攻してきたエルドア国の旧ロマニア国領東部だったが、蒼馬が指示した焦土作戦は遅々として進んでいなかった。

 その原因は、焦土作戦への猛反発である。

 まず、焦土作戦の決行を伝えられた旧ロマニア国の領主や騎士らは激怒した。

 蒼馬からの書状をその場で破り捨てると、「王たる資格なし」と断言したのである。書状を(たずさ)えてきた使者たちは王からの書状を破り捨てるという非礼を(とが)めたり、または怒りを(なだ)めようとしたりした。だが、領主や騎士たちが無言で、もしくは怒声とともに剣や槍を持ちだしたのには、這々(ほうほう)の体で逃げ帰るしかできなかったのである。

 また、そうした領主や騎士たちの反応を想定し、強制的に焦土作戦を実行するように命じられていたマルクロニスだったが、農村や集落などでは民たちの頑強な抵抗に遭い、それもままならない事態となっていた。

 もともと兵の多くは貧農の出身が多い。そうした農村の家や畑のありがたみを誰よりも痛感する彼らでは、自らの身体を家の柱に結びつけて家を焼くなら自分も一緒に焼けと叫ばれ、畑を守るために幼い子供たちと手をつないで人の壁を作って抵抗する一家を強制的に排除することなどできるわけがなかった。

 さらには、そうした事態を聞きつけた領主や騎士が兵を引き連れて抵抗すれば農民らも農具を手に取り、反乱の様相すら(てい)し始めたのである。

 決死の覚悟を持って任に当たっていたマルクロニスであったが、兵たちまでもが領主や農民らに同情し、手心まで加え始めるに至っては無言で空を仰ぎ見るほかなかった。

 そんな中で、ついに聖戦軍の先遣隊となる軍がヒトゥウリ河を渡ってエルドア国に侵攻してきたという報せが入ると、旧ロマニア国領の領主や騎士らは、こぞって聖戦軍へ恭順を伝える使者を送ったのである。

 彼らからしてみれば焦土作戦を強制する蒼馬も、侵略してくる聖戦軍も、どちらも自分らの財産を損なわせようとする敵でしかない。その上で、王としての庇護契約を足蹴にし、焦土作戦を強行しようとする蒼馬よりも、いまだ実被害が出ていない聖戦軍の方がマシと思い、すり寄ろうとするのも当然であった。

 そして、こうした領主や騎士たちからの恭順の申し出は、聖戦軍にとってはまさに渡りに船である。

 何しろ彼らにとって西域は、右も左もわからぬ異境の地だ。現地の人間の協力は大いにありがたいどころか、必要不可欠と言っても過言ではない。その上、恭順の申し入れの中には、自らが聖戦軍の先鋒となりエルドア国の王都ホルメニアへ攻め上がるとまで言い切るものすらあったのだ。

 これを受け入れれば、聖戦軍は最短かつ最小の被害でエルドア国を滅ぼし、そして蒼馬は迫り来る大軍への恐怖のあまり、かえって国を滅ぼした暗愚の王として歴史に名を残したであろう。

 しかし、蒼馬の後世の評価は暗愚の王ではない。

 蒼馬の評価は、史上最悪の破壊者にして虐殺者である。

 すなわち、そうはならなかったのだ。

 聖戦軍の先遣隊を務めていた諸王や諸侯らは、旧ロマニア国領の領主や騎士らの恭順を申し入れる書状を手に、はてと首をかしげたのである。

「果たして、この恭順を受け入れて良いものなのだろうか」――と。

 これが通常の遠征であったのならば、彼ら聖戦軍の諸王諸侯らは一も二もなく申し入れを受け入れていたであろう。

 しかし、これは聖戦である。

 神敵を討伐し、聖教の正当性を証明し、人間の神の御心に沿うための聖なる戦いなのだ。

 その戦いにおいて、邪教徒とされていたエルドア国の人間の恭順を認めて良いものだろうか判断に迷ったのである。

 恭順を受け入れて見事に勝利したは良いが、後になって「それは聖教的に正しくない」と批難されようものならば、たまったものではない。下手に邪教徒に宥和(ゆうわ)的だと思われでもしたら、聖教の権威が強い帝国では身の破滅である。

 また、そこまではならなくとも、戦後には領地や財貨の分配が行われるのだ。そこでの自分の取り分を少しでも増やそうと、早くも互いの足の引っ張り合いが始まっている中で、相手につけいる隙を見せるわけにはいかなかった。

 軍事的判断はつけられても、宗教的判断はつけられない聖戦軍の諸王諸侯らは困ってしまったのである。

 一応は聖なる戦いということで、諸王諸侯らの(そば)には従軍神官が置かれていた。しかし、彼らは軍事についてはド素人である。ただ聖戦のお題目である、邪悪な破壊の御子とそれに従う者を討つべしとしか口にしない彼らに、恭順を受け入れるべきかの答えなど持ち合わせているはずがなかった。

 本来ならば、そうした宗教的最終判断を付けられるのは、アウストラビス大神官である。

 ところが、そのアウストラビス大神官は本軍として、いまだはるか後方にいた。そこへ一々行動の是非を問い合わせる余裕などありはしない。

 困った聖戦軍の諸王諸侯は、もっとも簡単な解決策を取る。

「みんな殺してしまえば問題ないだろう」

 その結果、旧ロマニア国東部の諸侯や騎士らが送った使者は、ことごとく殺害されてしまった。また、その中には殺される前に拷問に掛られ、領地の場所や防衛情報を搾り取られてしまい、かえって領地に聖戦軍を招き入れてしまうことになったのである。

 使者を殺す――すなわち一切の交渉を拒否する聖戦軍の対応に、旧ロマニア国東部の諸侯や騎士ら戦慄(せんりつ)した。

 さらに実際に聖戦軍の蛮行を間近で目にすることで、それは恐怖へと変わる。

 聖戦軍は開戦の呼びかけも降伏の勧告もなく、交渉や降伏も一切認めない。ただただ押し寄せ、圧倒的な数の暴力をもって蹂躙(じゅうりん)していくのだ。

 そして、そこにいた人々は皆殺しである。

 それが首の据わらぬ乳児であろうと、余命幾ばくもない老人であろうと、立派な騎士であろうと、みすぼらしい農民であろうと関係ない。まさに老若男女、身分の違いもなく殺された。せいぜい違いと言えば、女ならば殺される前に陵辱が加わるかどうかのものでしかない。

 それは侵略というより、エルドアの人間を根絶やしにせんがためのものであった。

 これは私たちが知る戦争ではない。

 ようやく旧ロマニア国東部の諸侯や騎士は、蒼馬が予想していた――否、その予想を超える聖戦軍の蛮行に恐怖した。

 聖戦軍の脅威を理解した旧ロマニア国東部の諸侯や騎士たちは、遅まきながら腹をくくらざるを得なかったである。

 今さらすべての民を後方へ避難させる余裕はない。ましてや彼らを置いて自身が逃げるわけにもいかなかった。それならば、せめて逃げる余力がある者だけを自分の妻子とともに後方へ逃がし、自身は聖戦軍へ徹底抗戦することで、蒼馬が約した遺族への温情にすがるしかなくなったのである。

 そうして猫の額ほどの領地しかない領主や騎士たちまでもが決死の覚悟とともに聖戦軍へ徹底抗戦を試みた。

 しかし、兵数の差は圧倒的である。

 領主や騎士たちの悲壮な決意など歯牙にも掛けず、聖戦軍は津波の濁流が砂でできた城を押し流すが如く、抵抗する(いとま)すら与えず蹂躙(じゅうりん)していった。

 そして、聖戦軍の先遣隊は旧ロマニア国東部の港湾都市ルイズベンに到達する。


                  ◆◇◆◇◆


「私は死なねばならない」

 港湾都市ルイズベンの領主は、そう覚悟を決めた。

 ルイズベンは旧ロマニア国東部で最大の港町である。ベネス内海に面する街の港は、大型の船舶を受け入れられるほど広く、水深も深い。そのため、大陸中央や南部の交易船からは、西の海洋交易国家ジェボアへ向かう海路の中継点として利用されており、それらがもたらす交易が街の主な産業であった。

 そんなルイズベンの街は、西域の中にあっては独特である。交易で訪れる多種多様な人種と種族の人々が織りなす開放的な空気と、彼らがもたらした文化や風習がかもしだす異国情緒に溢れ、そして何よりも訪れる異国の人々に対して友好的であった。

 そのため、西域においては「西のジェボア、東のルイズベン」と称せ、また大陸中央からは「西域の海の玄関口」とも呼ばれ、親しまれる港町である。 

 ところが、今やその空気は一変していた。

 いつもなら目抜き通り一杯に溢れる人々の姿はなく、時折人目をはばかるように顔を伏せ、逃げるように足早に歩く住民の姿を見かけるだけである。また、いつもなら威勢の良い掛け声で客を呼び込んでいる商店も、今は固く店を閉じたままだ。そればかりか家々は固く門扉を閉ざし、その奥からは息をひそめる住人の気配がするばかりである。

 異国の産物を満載にした交易船と、その乗員である水夫たちで溢れかえっていた港は今や閑散としていた。わずかに残る船は何らかの損傷を負って出港できないものばかりで、水夫の姿などどこにもない。

 このような状況となったのは、言わずと知れた聖戦軍のせいである。

 三日前に姿を現した聖戦軍の先遣隊はわずか五百人ほどで、当初ルイズベンの領主は「あれが数十万の兵とは笑わしてくれる」と高をくくっていた。ところが、日を追うごとに時を追うごとに聖戦軍の数は増え、今や十数万にも達する規模だ。しかも、それはいまだに増え続けている。

 この地域は石材資源が乏しいため高い防壁などはないが、河の中州にあるルイズベンは河という天然の堀を有する攻めがたい都市であった。それでも十数万の敵が押し寄せてくれば陥落するのは必定だ。

 ルイズベンの領主は慌てて住民総出で河の手前に土塁を築くとともに、大陸中央の王侯貴族にも顔が利くという交易商人を講和の使者として聖戦軍に送ったのである。

 しかし、その交易商人は、今や河の対岸に突き立てられた槍の穂先で首だけとなって(からす)に目玉をほじくられていた。

 そして、しだいに旧ロマニア国領東部での聖戦軍のおぞましい所業を伝え聞くにつれ、領主の胸に湧き上がってきたのは、痛烈な後悔である。

 領主が思い浮かべるのは、エルドア国の大将軍と言う黒毛のゾアンの姿であった。

「私は判断を誤った。あのとき素直に命令を受け入れれば良かったのだ」

 焦土作戦の決行を伝え、避難させる者があれば受け入れて後方へ連れて行くと伝えてきたゾアンを領主は激しい口調で罵倒し、剣を抜いてまで追い返したのである。

 だが、あのとき自身が避難を呼びかければ領民の中にも、それに応じる者たちもわずかながらいただろう。

 あのときならば、そうした者たちに一個でも多くのパンを、一杯でも多くのエールを、一枚でも多くの銀貨を持たせて避難させてやることもできたはずだ。

 しかし、すべては手遅れである。

 今や聖戦軍は河の対岸を埋め尽くし、街を完全に包囲していた。海を見やれば、そこにあるのは帝国の軍船である。とうてい逃げ道などありはしない。たとえその包囲を抜けられたとしても、女子供や老人を抱える足の遅い避難民など格好の獲物である。獲物を求める餓狼のように徘徊(はいかい)する聖戦軍に見つかり、皆殺しにされるのは目に見えていた。

 領主は後悔を口にする。

「私の判断の誤りが、多くの領民を殺してしまうのだ」

 だが、あのときの自身の怒り自体は、今なお間違っていたとは思えない。

 王と領主の契約である。たとえ敗北がわかっていようとも、己の死が決しようとも契約は果たさねばならないのだ。そうしなければ今後誰もその王に従わなくなってしまう。

 それ故に、今回の決断は王としては最低のものと断言する。

 だが、それと同時に頭の冷静な部分では、蒼馬の決断を正しいものと認めていた。

 数十万と口にすれば簡単だが、実際にその軍勢を前にしなければ、本当の脅威のほどは理解できない。この前では、これまで西域で大戦(おおいくさ)と呼ばれていたものが、矮小なものに過ぎなかったのだと思い知らされる。

 たかだか一、二万の兵を集めて戦いを挑んでも、巨像が蟻を踏み潰すが如く蹂躙されるだけだろう。

 そして、それだけの兵を失えば、もはや西域に抵抗できる余力など残らない。国どころか西域の終わりである。聖戦軍の暴威に西域すべてが呑み込まれてしまう。

 この圧倒的な暴威を打ち払う手段は、ただひとつ。

 今は徹底的に交戦を避けて兵を温存し、焦土作戦によって聖戦軍が弱り切ったところへ、とどめの一撃として全兵力を投入する。

 これしか考えられない。

 この非情な作戦しか考えられなかった。

 この冷酷な決断しかなかったのだ。

 それでも領主は思う。

 エルドア国によるロマニア国併合を宣言した式典において初めて目にした、どこか浮世離れした印象のエルドアの王の姿。すぐそこにいるのに、何故か薄布を(へだ)てているかのような違和感を覚える王の言動。

 そうか、と領主は納得する。

 貴様は我らの悲痛を知っていても、それを理解はしていないのだな。

 貴様は我らの悲嘆を見ていても、それに寄り添おうとはしないのだな。

 だからこそ、彼我(ひが)の戦力を非情に(はか)り、もっとも効果的かつ効率的な焦土作戦を冷酷に決断したのだな。

 領主は諦念(ていねん)と、冷たい情念をもって唇を笑みにゆがめる。

 ならば、それも良いだろう。

 その非情さをもって、あの王は聖戦軍を西域から追い払ってくれるだろう。

 その冷酷な判断をもって、あの破壊の御子は聖戦軍を討ち滅ぼしてくれるだろう。 

 それならば自分がやるべきことはたったひとつしかない。

 この地を取り戻した際に、ここに再び港湾都市ルイズベンを復興させるための種を残すことだ。

 すでに街にある馬車という馬車をかき集めて、幼い子供たちとわずかな世話人を乗せられるだけ乗せて街から脱出させていた。街を訪れたハーピュアンの伝令兵には、自分らが徹底抗戦すると伝えた上で、逃がした子供たちのことを頼んだ。ハーピュアンからはすでに子供たちを保護しており、王からはルイズベンを必ずや再興すると約するという言葉も得た。

 ならば、もはや後顧(こうこ)(うれ)いはない。

 自身の後ろに居並ぶ騎士や住民の代表たちへ向けて領主は語る。

「ソーマ王は、聖戦軍に徹底抗戦した者の名誉を保証し、その遺族がいれば手厚く遇すると約してくれた。ならば、我らはここで死なねばならない。ここで死なねばならないのだ」

 すでに承知していただろうが、改めて突きつけられた現状に、どよめきが湧き起こる。

「本当に援軍は来ないのでしょうか……」

 街の名士のひとりが恐る恐る尋ねたのに、領主はきっぱりと言い捨てる。

「来ない」

 さらに未練を断ち切るように重ねて言う。

「来てもらっては困るのだ」

 焦土作戦は自身ら東部の領主たちが反対したせいで、遅々として進んでいない。聖戦軍は近隣にある集落や村や小さな街を掠奪できているため、今はまだその勢いに衰えを見せていなかった。

 今の聖戦軍にぶつかるなど愚の骨頂。せいぜい小部隊でもって、聖戦軍の後背を(おびや)かしてくれるのが関の山だろう。

「ソーマ王は、我らを助けないと明言した。我らに、死ねと断言したのだ。(あきら)めよ」

 そこで領主は、あることをふと思い出し、自嘲を浮かべた。

 まだエルドア国とロマニア国が戦っていたときのことである。良い年齢の王であるのにも拘わらず、蒼馬がいまだ妃を(めと)らず、また愛妾すら持たないというのを領主は知人たちと次のように嘲笑していた。

「自身の槍が矮小だから、立派な槍を欲しがるのだろう」と。

 ここで槍と(たと)えられているのは、男性器と(いくさ)のことだ。

 つまり蒼馬は妃を娶れないほど自身の男性器が矮小だから、戦ばかりしていて強いのだろうという負け惜しみを込めた皮肉である。

 今では蒼馬も元ホルメア国王女のワリナを妃に迎えはしたものの、いまだに後継者が生まれていない。王が天涯孤独の身であり、その後継者がいないとあれば、王の死は国の死に直結してしまう。

 こんなことならば笑い話になどせず、敵国の王だろうとさっさと妃を(めと)って後継者を作れと言えばよかった。

 そして、後継者さえいれば「たとえおまえひとりでも一緒に死にに来い。それが王の務めであり契約なのだ」と蒼馬を罵倒できたものをと、あり得なかった状況を夢想としてもてあそぶ。

 そのとき、対岸から大音声が轟いた。

 それに釣られて目を向けると、対岸では隊形を組んだ兵士たちが手にした槍や剣を突き上げて意気を上げ、それをはるかに上回る数の民衆が手に手に棒きれや石をもって無秩序に声を張り上げている。

 いよいよ攻めてくるつもりか。 

 領主は剣を引き抜くと、対岸に向けて罵声を上げる。

「くたばれ、聖戦軍! 呪われろ、破壊の御子! どいつもこいつも滅んでしまえっ!!」


                  ◆◇◆◇◆


 聖戦軍によってすぐに陥落するだろうという大方の予想を外し、ルイズベンの街は二十日を経っても持ちこたえ続けた。

 まず、初戦で街の入口ともなる大橋を焼き落とせたのが大きい。

 その大橋は、河という天然の堀に防御を頼るルイズベンにとっては強固な防壁に空いた穴であり、聖戦軍にとっては大軍をもって渡れる唯一の道であった。

 当初、交渉による講和に一縷(いちる)の望みを抱いていたルイズベンの領主は、聖戦軍を下手に刺激しないように橋への手出しを控えていたのだが、いよいよ聖戦軍が押し寄せてくるとあって橋の破壊を決断する。すべての騎士と志願した街の男たちとともに決死隊を編成すると、橋を掌握しようと押し寄せる聖戦軍を橋の上で食い止めつつ、事前に準備してあった油や(まき)などの大量の火種を投じて橋を焼こうとした。

 しかし、交易品を運ぶ隊商(キャラバン)などが通行するのを考慮されて架けられた橋だ。使用されている木材は固く太いばかりか、防火のための薬剤を染み込ませたものである。さらには河からの湿気を含んでいるため、これを炎上させるのは困難なものだった。

 また、そうはさせじと聖戦軍も橋を奪おうと押し寄せてくる。

 これにルイズベンの領主自ら率いた決死隊は、一所懸命――まさにその一所を守るために命を懸けた。多くの騎士や義勇兵が自らの放った火に焼かれながらも守り通し、ついに橋が炎上するまでの時間を見事に稼いで見せたのである。

 こうして街の唯一の入口である大橋が焼失したことにより、聖戦軍は渡河の手段を模索しながら街を攻めなくてはならなくなってしまった。

 近隣からかき集めた小舟に兵を乗せて押し渡らせたり、河面に浮かべた空の樽に長い板を渡した仮設の橋を作ろうとしたり、さらには材木を浮き輪がわりにして兵に泳がせたりと、あの手この手で攻めた。

 これに対してルイズベンの街は女子供老人にいたるまで、まさに老若男女を問わず戦いに加わり、聖戦軍の猛攻を跳ね返し続けたのである。

 その頃になるとルイズベンの領主にもかすかな希望が見え始めた。

 まず、ルイズベンの領主が予想していたよりも聖戦軍の圧力が弱かったのだ。

 聖戦軍は数十万という数である。どんなに抵抗しようとも一気に押し潰されてしまうと覚悟していたのだが、そうはならなかった。

 さらには聖戦軍の陣営からは、日々立ち上る炊煙の数は日を追うごとに少なくなっている。それにともない末端の兵士たちの動きは明らかに精彩を欠くようになっていた。さらに立派な旗を掲げていたいくつかの軍勢が、いまだ街を落とせていないというのに街を包囲する聖戦軍の陣営から退去していく姿が見受けられた。

 このことから周辺を掠奪し尽くしてしまい、聖戦軍が早くも食糧不足に陥っているということが推察された。

 これならば後少し持ちこたえさえすれば、聖戦軍も撤退するのではないか。

 そんな希望をルイズベンの人々が抱き始めた頃である。

 今なおも続々と到着する聖戦軍の後続の中に、一際異彩を放つ軍団の姿があった。

 人数はわずか五百あまり。しかし、そのいずれもが馬に乗る騎兵であり、しかも騎手は自身が乗る馬以外にも一頭から二頭の替え馬の手綱を取って騎乗していながらも、その足並みひとつ乱さぬ姿から高い乗馬技術が(うかが)える。

 また、その装備も他の聖戦軍の騎士とは大きく異なっていた。

 他の聖戦軍の騎士らは鎖帷子や鱗鎧を身につけた重騎兵ばかりである。

 ところが、その軍団は防寒と装飾のための毛皮や華美な刺繍が施された厚手の布地に、鉄片や鋲で補強した布製の鎧――綿襖甲(めんおうこう)の軽騎兵がほとんどであった。わずかに革製の鎧に隙間なく鉄片を縫いつけた薄片鎧(ラメラアーマー)を身につけた重騎兵もいるが、その軍団の騎兵に共通しているのは誰もが鞍から弓と矢の詰まった複数の矢筒を吊していることだ。

 そして、何よりも異常なのは、その騎馬軍団の先頭に立つのが(たくま)しい肉体を惜しげもなく晒した全裸のままで、これまた全裸の若い娘を抱きかかえて馬にまたがる男の存在であった。

 男はチラリとルイズベンの街を見やる。

「まだ街ひとつも落とせていないのか、愚図どもめ」

 その男――《暴君》クロゥ・カァン・バグルダッカは、傲岸不遜(ごうがんふそん)な笑みを浮かべた。

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― 新着の感想 ―
ルイズベンの領主さん、身勝手過ぎる件
えぇ!?ソーマの戦略が正しかったと理解して、自分が間違ってたと理解した上で、なおソーマを罵るの?持って行き場のない怒りだとしても何だかなぁ。しかもこれは全体の傾向ってことでしょ、おそらく。いやー、王様…
二十日は相当持ちましたが投げ槍が絶対に命中する御子が来てしまった そしてこいつらは弓騎兵だったのですね 多分木登りが得意程度のものではなさそうです
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