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破壊の御子  作者: 無銘工房
興亡の章
507/533

第185話 名宰相

「徹底抗戦すべきだ!」

 ロマニア国の王城にある玉座の間で開かれた朝議において、そう勇ましく主張したのは、国軍の将校のひとりであった。

「このまま王城に籠もり、時間を稼げば東部へ落ち延びられたパルティス殿下が兵を率いて参りましょう。それに合わせて我らも打って出れば、エルドア国を王都の内と外から挟撃できます!」

 これに他の者たちも同調して声を上げ始める。

「左様! 現に、エルドア国めは攻めて来る様子すらない。これは王城の堅牢さに恐れをなしてのものでござろう」

「亡き陛下の御遺書を焼いたモンティウスめは許せぬが、王都奪還に功を挙げれば他の者の罪は問わぬと約すれば、パルティス殿下の下にいる者たちも奮起いたしましょう!」

 次々と勇ましい意見が上がる。

 しかし、ゴルディアだけは、ただ瞑目(めいもく)したまま諸将諸侯らの主張に耳を傾けるばかりであった。

 そのため、しだいに威勢良かった諸将諸侯らの声も尻つぼみとなって消えていく。そして、いつしか沈黙の中でゴルディアへ意見を求める目を向けるばかりとなっていた。

 その中で、ようやくゴルディアはゆっくりと(まぶた)を開く。

 それから睥睨(へいげい)するように諸将諸侯らをぐるりと見回した。

 軍事や武芸についてはからきしで、文弱の徒とも陰口を叩かれるゴルディアだったが、その視線に歴戦の諸将諸侯らも圧倒される。

「この城に糧食は、どれほどある?」

 ゴルディアは、ぼそりと問うた。

 その問いに誰もが気まずそうに顔を見合わせるばかりで答えられる者はいなかった。

「今、王城にいる人数では、どのように切り詰めても後十日と保たぬであろうな」

 ゴルディアは小さく吐息をもらした。

「籠城ともなれば、城壁によって戦わなくてはならぬが、弓は何張りある?」

 その問いにもまた、誰も答えられなかった。

 そんな諸将諸侯らに向けて、ゴルディアは矢継ぎ早に問いを投げる。

「矢の本数は? 投石の数は? 煮え湯を沸かす薪は? 鍋は? 攻城兵器を焼く油は? 城門を補強する資材はあるのか?」

 誰も、そのひとつとして答えられなかった。

 気まずく顔や目を背ける諸将諸侯らを再びぐるりと見回してから、ゴルディアは言う。

「何もない。あったとしても、とうてい足らぬ」

 王都ロマルニアの王城が戦いの城であったのは、はるか昔の話である。

 時代の流れとともに王城の周囲には王侯貴族の屋敷が建ち並び、さらにその外には庶民が暮らす街区が形成されていった。それにともない、その中心にあった王城は防衛施設から行政施設へとその役割を変えていたのである。

 かつては糧食や武具が納められていた倉庫は、増えた行政官吏らの執務室や書類の保管室になっていた。矢や投石が飛び込まぬように細く縦長だった矢狭間の窓は、採光のために大きく広いものへと造り替えられている。侵入した敵の勢いを弱めるために狭く曲がりくねっていた通路も通りやすく広く真っ直ぐなものになっていた。

「なぜ破壊の御子めが、いったんは捕らえた私を何ら代償を求めずに解放した? 何も告げずに、ここへ追いやった? それがどういうことかわからぬ貴公らではあるまい?」

 それにも諸将諸侯らは答えられなかった。

 しかし、それは答えがわからなかったからではない。答えられない問いだったからだ。

 ゴルディアは重いため息をひとつ洩らす。

「破壊の御子は、その気になりさえすればいつでもこの王城を落とせるとわかっている。いや、攻める必要すらない。包囲するだけでも、すぐに私たちが干上がると理解している。だからこそ、無駄な流血と労力を回避するために、私を送り込んだのだ」

 ゴルディアは苦笑を洩らした。

 臣下らに自分の真意を理解してもらえないと悩んでいたというのに、破壊の御子はこの状況に置かれれば自分が何をどう決断するか理解しているというのが皮肉である。

「知ってのとおり、私は軍事には(うと)い。そのようなことはない。パルティスが援軍を率いてくるまで王城を守り抜ける。そう歴戦の勇士たる諸卿らが自信をもって言われるのならば、私はそれを信じよう。――どうだっ?!」

 玉座の間に、沈黙が舞い降りた。

 ゆっくりと十を数える時が経ってから、ゴルディアは口を開く。

「そうであろう。ロマニア国の臣下である貴卿らはわかっていても口にはできまい。ならば、私が言うしかなかろう」

 しかし、ゴルディア自身もまたその言葉を口にするには、わずかに口ごもらずにはいられなかった。

「……我らロマニアは負けたのだ」

 ゴルディアは皆に見えないところで拳を固く握る。

「ロマニア国は、終わるのだ!」

 ゴルディアは血を吐くように言い切った。

 わかっていたとはいえ王位継承者であるゴルディアの口から突きつけられた事実に、諸将諸侯らは一様にうなだれてしまう。中には涙ぐみ、嗚咽をもらす者もいた。

「ゴルディア殿下。パルティス殿下は東部へ落ち延びておりましょう。パルティス殿下さえ無事なら、国の命脈は――」

「無理であろう」

 すがるような発言をゴルディアは否定する。

「破壊の御子が、パルティスを放置するとは思えん。この王城が片付けば、破壊の御子はパルティスの首を取りにいくだろう。そのときには、いくらパルティスに好意的な東部の諸侯と言えど、自身の領地の安堵(あんど)のためにエルドア国になびかざるを得ん。それではパルティスのところに、どれほどの兵が集まるか」

 その言葉に数名の領主らがさっと顔を背けた。

 それにゴルディアは「領主として当然のことだ」と領主らを擁護する。

「それにパルティスのところは兵力以上に、人材が足らぬ」

 パルティス個人の能力は、せいぜい最前線の指揮官のものにすぎない。パルティスの王としての大器は、その周囲に人材があってのものだ。

 しかし、パルティスを慕うのは、武闘派と呼ばれる武勇に重きを置く者たちばかりである。個々の戦場では活躍できても、国土奪還という戦略を描ける戦略家がいない。周辺国家と交渉して支援を得られる論客がいない。兵糧や武具を集めて戦場へと送る後方支援ができる官吏がいない。

 せめてパルティスの意図を汲み、その手足となって戦場を縦横無尽に駆け巡れる将がひとりでも手許にいれば話は違っただろう。

 しかし、それができたはずのピアータはすでにエルドア国に囚われているという。

 また、パルティスと一緒に東部へ落ち延びたというモンティウス宰相も、主君の遺書を焼き捨てるという大罪を犯し、その信用に大きな傷を残しては、論客は無論のこと後方支援という大役を務められるかどうかも怪しい。誰だろうと主君の遺志すら裏切った者に、安心して背中を預けられはしないだろう。

 それでもパルティスの器量と、それを慕う将兵らがいれば、一度や二度ならばエルドア国軍を退けられるだろう。

 だが、その後が続かない。すでに西域の大半を支配しようというエルドア国が相手では、如何(いか)なパルティスといえど長くは保たないだろう。

 もはやロマニア国は詰んでしまっている。

 誰もがそれを理解しながらも、それでも未練がましくもすがりつく。

「何とかロマニア国の命脈を残す手段はありませんでしょうか?」

 それにゴルディアは、次の言葉を呑み込んだ。

 ある――と。

 ゴルディアが知る限り、破壊の御子は領土拡大への野心に(とぼ)しい。それどころか領土が広がれば、対処しなければならない問題もまた増えると言い、否定的ですらあった。

 現状の侵攻も、ロマニア国が起こした先の征西によって明らかになった国防上脅威を排除するという安全保障を目的とした軍事行動でしかない。

 そんな破壊の御子が相手ならば、交渉次第でロマニア国の存続を認めさせることは難しくなかった。

 もっとも、それにはロマニア国が再びエルドア国の脅威となり得ないよう国土の大半を割譲し、エルドア国に敵対できないほどの小国へ落ちた上での話である。

 それでも破壊の御子が王である間は良い。

 だが、その後継者に領土拡大の野心がないとは言い切れない。たとえ後継者がそうであったとしても、その次の後継者は?

 結局は、いつしかロマニア国は比類無き大国となったエルドア国に呑み込まれてしまう。

 これでは単なる問題の先送りに過ぎないのだ。

 そこまで考えてからゴルディアは密かに自嘲の笑みを浮かべる。

詭弁(きべん)だな」

 ゴルディアは言葉にせず、胸のうちで呟いた。

 ロマニア国の存続を破壊の御子が認めるのは、戦を好まず軍才にも乏しい自身が王についた場合である。たとえ小国に落ちようとも、そんな現状すらもひっくり返す可能性を秘めた英傑――ゴルディアが何よりも信頼するふたりの英傑(えいけつ)たちが、その国に存在するのを認めるはずがないのだ。

 それは、人間種を恨むゾアンのところに単身で現れた少年が、西域の雄と知られた大国ホルメアに続きロマニア国をも滅ぼし、西域の統一を果たそうとしているという事例を間近に見てきたエルドア国ならば、なおさらである。

 ふたりの生首を抱えて血塗れの玉座に座る自身の姿を思い浮かべたゴルディアは、きっぱりと告げた。

「そのような手段はない」

 そして、すべてを振り払うようにゴルディアは諸将諸侯らに背を向ける。

「明日、私はエルドア国へ降伏を申し入れる」


                  ◆◇◆◇◆


 ゴルディアより降伏の申し出を受けた蒼馬は、速やかに講和の場を用意した。

 場所は王都ロマルニアの王宮にある接収した貴族の屋敷の一室である。

 そこへわずかな従者だけをともなってやってきたゴルディアは、すでに部屋の中で待っていた蒼馬へ向け、一切の怯えも卑屈さも感じさせぬ堂々たる態度で名乗った。

「ロマニア国第一王子ゴルディア・ドルデア・ロマニアニスである」

「エルドア国の王をしている木崎蒼馬です。――こちらの席へ座って下さい」

 名乗り返した蒼馬であったが、すぐにその視線をゴルディアから(そむ)ける。

 その態度にゴルディアはわずかに訝しげな表情を作るが、蒼馬に促されて用意されていた席に腰を下ろした。

 シェムルひとりを後ろに(はべ)らせて相対する席に座った蒼馬だったが、その態度はどこか気まずげな様子である。尻が落ち着かぬように終始身体を動かし、これから講和の話し合いをしようというのに目すら合わせようとしない。

 後ろに立つゾアンの娘や壁際に控えるエルフたちも困っているような気配に、さすがにゴルディアも眉をひそめる。

「ソーマ王よ。如何(いかが)されたか?」

 蒼馬はビクッと身体を震わせた。

 それからややあって、蒼馬は恐る恐ると言った口調で尋ねる。

「……責めないのですか?」

「何のことかな?」

 ゴルディアは蒼馬の意図がわからず尋ね返した。

 さんざん躊躇(ためら)ってから、蒼馬はようやく口を開く。

「私たちが、あなたたち兄妹の離間を誘い、内乱を引き起こす策略を用いたことです」

 これにはゴルディアも思わず苦笑してしまう。

「そういうことか。――確かに、貴公の策略によって私は親友を亡くし、そして今また母国をも失おうとしている。その点について貴公に何のわだかまりもないと言えば嘘になろう」

 ゴルディアは苦笑をおさめると、真剣な面持ちを作る。

「私はロマニア国を代表する王族として、今この場にいるのだ。国同士の戦や外交にあって、策略や謀略はあって(しか)るべきもの。それをやられたからと相手をなじれば、それに対する備えも覚悟もなかったのかと恥をさらすようなものではないか」

 ゴルディアは蒼馬へ微笑みかける。

「逆に貴国が兵馬だけをもって我が国に押し進んでいれば、それこそ両国の民数千数万が命を落としただろう。それを思えば、むしろ貴公の行いは賞賛すべきものだ」

 ゴルディアは、ひたりと蒼馬の目を見つめた。

「ソーマ王よ。自らの成果を誇ってくれ。そうでなければ、負けた私たちがより(みじ)めになるではないか」

 穏やかでありながら、強い意志と気高さすら感じさせるゴルディアの言葉に、蒼馬は圧倒されてしまう。

 そのとき、言葉を失ってしまった蒼馬の後ろに立っていたシェムルが、いきなり腰の山刀を引き抜いた。

 講和の席において刃を見せるという暴挙とも呼ぶべき行動に、誰もが驚いた顔で見つめる中で、シェムルは無言のまま引き抜いた山刀を逆手に握ると、その手で自身の胸を叩いたのである。

 それはゾアンの戦士が優れた戦士へ対して敬意を表す仕草であった。

 しかし、ゾアンと直接に触れ合ったことはないゴルディアは無論のこと、シェムルと付き合いの長い蒼馬とてすべてのゾアンの戦士の仕草の意味までは知らない。

 だが、自身に何ら恥じるところはないと公然と胸を張るシェムルの姿は、姿形が異なる異種族にすら伝わる気高さとともに彼女の意志を一片の(あやま)ちもなく他者へと伝える。

 そして、誰よりも蒼馬がそれを理解できないはずがなかった。

「ゴルディア殿下」

 蒼馬は自分と同じようにシェムルの姿に見とれているゴルディアへ呼びかけた。 

「あなた方は私がありとあらゆる手段を用いねば勝てなかった難敵であり、そして尊敬すべき強敵に間違いありませんでした」

 一切の誇張や忖度を抜きに、蒼馬は断言した。

 これにゴルディアは破顔する。

「ありがたい。ソーマ王よ」

 感謝の言葉を告げたゴルディアは、表情を引き締める。

「さて、互いに時間は有限である。講和の交渉を始めよう」

 その後は穏やかな空気のままロマニア国の併合条件が話し合われた。

 その席において、ゴルディアはさすが辣腕(らつわん)で知られる政務家である。蒼馬の要求を事前に承知していたかのように、よどみなく交渉が続けられた。

 それでも、ときには蒼馬の要求をゴルディアが拒否する場面もあった。

 だが、その際にもゴルディアはその事由を理路整然と説明し、その利害を説き、条件によってはその対案さえ示したのである。そして、そのいずれも蒼馬が「なるほど」と納得せざるを得ないものであった。

 そのため、講和は驚く順調に進んでいった。

 しかし、その中で唯一互いの意見が衝突したのはロマニア王族の処遇についてである。

「パルティスとピアータの両名については、極刑に処する」

 弟妹の助命を嘆願するゴルディアに対し、蒼馬は(かたく)なに拒絶したのだ。

「私はガッツェンの街において、すべての民を前に私の民を脅迫のため害した者を許さないと宣言している。それを成したピアータとパルティスのふたりを決して許すわけにはいかない」

 揺るがぬ決意を込めた蒼馬の言葉に、ゴルディアは小さくうなずいた。

「なるほど。――王の一言は百金に勝る、という。だが、これよりロマニア国であった土地を統治して行くにあたり、ロマニア王家の者の協力を得るのは、貴公にとっても有益であろう。

 たとえば弟のパルティスを慕う諸将諸侯らは多い。弟を従えれば、多くの諸将諸侯らも大人しく貴公に従うだろう。逆に、そのパルティスを処刑すれば、どこでいらぬ恨みを買い、後々に統治の瑕疵(かし)にならんとも限らん」

 さらにゴルディアはピアータについても言及する。

「また、ピアータは女だ。兄の私が言うのも何だが見目麗(うるわ)しい王族の姫である。そのピアータの価値は、男である貴公にとっては弟以上に利用価値は高いのではないか?」

 つまりはピアータを(めと)れば、ロマニア国だった土地の統治は容易(たやす)くなるぞ、というわけだ。

 このゴルディアの提案に、蒼馬は顔をしかめる。

「ひどいな。妹を私への生贄に出そうって言うの?」

 蒼馬の批難に、ゴルディアは笑って見せた。

「ピアータも王族の姫の覚悟はできていよう」

 そこでゴルディアは照れくさそうな表情になる。

「それにあのようなお転婆とはいえ、年の離れた可愛い妹なのだ。たとえ当人にとってはお節介であろうと恥辱であろうとも、生きながらえて欲しいというのが兄である私の願いだ」

 ピアータを娶るように勧めるゴルディアに、蒼馬は卓の上に身を乗り出しながら提案する。

「それなら、ゴルディア王子。むしろ私は、あなたこそ欲しい。あなたならば、宰相の地位を約束しますよ」

 駆け引きや冗談ではなく、蒼馬は本気であった。

 エルドア国で宰相候補に名が上がるのは、間違いなくソロンである。しかし、国の重職を嫌う当人に拒絶されている上に、その性格はムラがありすぎた。いくら能力が高くとも、安定した国政を執ることを求められる宰相としては重大な欠点と言えよう。

 その点ゴルディアは、能力においてはソロンに一歩譲るとも、その堅実な執政はまさに宰相として相応しい。宰相という重職にあっては、ソロンを上回る逸材と断言できる。

 彼が宰相となれば、国の安泰は間違いなしだろう。

 そんな確信を込めて勧誘する蒼馬へゴルディアは破顔する。

「おお! 西域初の統一王朝の初代宰相か。破格の申し入れだな」

 ゴルディアはしばし中空に見上げ、自身が宰相として辣腕(らつわん)を振るう光景を夢想する。

 悪くはない。

 ゴルディアの口許に微笑が浮かぶ。

「だが、辞退申し上げよう」

 思わぬ拒絶に目を見張る蒼馬の前で、ゴルディアは胸を張って傲然(ごうぜん)とうそぶく。

「決して、貴公の申し入れに臆したわけではない。私ならば貴公が築く西域統一王朝の基礎を打ち立て、百年は隆盛を誇るであろう土台を築き上げられると、自惚(うぬぼ)れではなく自信をもって言える」

 そこでゴルディアは苦笑を浮かべた。

「とはいえ、まさか国と弟妹たちを犠牲にし、ひとりのうのうと栄達を得て生き延びるわけにもいかん。それに、な。これほど長く続いた王国が(つい)えるのだ。誰かが幕を引かねばなるまい。そうでなければ滅びる国もその民も(みじ)めになる。長子に生まれたのが不運であった」

 ゴルディアはそこで小さく蒼馬へ頭を下げた。

「だが、貴公に感謝しよう。西域にその名を轟かせる破壊の御子から宰相にと誘われたのを蹴る。冥府へ参る上で、これほどの名誉は考えられまい」

 すなわち、ゴルディアはすでに自らの死を決していたのである。

 これだけ言いきるのだ。もはやゴルディアの意志は覆せない。

 ゴルディアの浮かべる闊達な笑みを前に、蒼馬はそう覚った。

 そうなるとパルティスとピアータを極刑に処するという蒼馬の決意もわずかに揺らぐ。

 ゴルディアは敵ではあるが間違いなく尊敬すべき人だ。そんな人の最期の願いであるふたりの助命嘆願も、できうることならば叶えてやりたい気もする。彼の決意に(むく)いてやりたいとすら思う。

 しかし、そんな個人の感情で一度王として口にした公約を反故にするわけにはいかない。

 葛藤する蒼馬の姿に、ゴルディアはわずかに目を細めた。

「ところで、ソーマ王よ。これからの貴公の苦難が(しの)ばれる」

 何の脈絡もなく自分を(おもんぱか)るゴルディアの発言に、蒼馬は目をパチクリとさせた。

 そんな蒼馬にはお構いなしにゴルディアは続けて言う。

「国ひとつ治めるだけでも難事だというのに、それが西域初の統一王朝ともなれば、かつての古王朝をも越える未曾有の大王国である。その建国には、いったいどれほどの大難事が待ち受けるであろうか。また、建国した後も安寧とは行くまい。その先に、過酷な試練が、山のような難題が、避けられぬ危難が如何(いか)ほど待ち受けているであろうか。そのとき貴公が味わうであろう苦衷(くちゅう)は察するにあまりある」

 それを想像してしまった蒼馬は、思わず顔をしかめてしまった。ゴルディアの前でなければ、頭を抱えてしまいたいほどだ。

「そのような難局に挑まんとするのならば、賢人賢者の知恵を借りるしかあるまい。とはいえ、それほどの大難事をさばける大賢人がどれほどこの世にいようか。私には、たったひとりしか思い浮かばぬ」

 ゴルディアの言葉に、蒼馬はある人の顔を思い浮かべる。

「アウレリウス――いや、エルドア国ではソロンと名乗っているのでしたな」

 ゴルディアの告げた名は、まさに蒼馬が脳裏に浮かべた者であった。

 蒼馬の表情から自身が意図したとおりの人を思い浮かべたのを確信したゴルディアは、唇の片端を吊り上げ、人の悪い笑みを浮かべる。

「しかし、あの者は、いささか情に弱いという欠点を持つ。もし、私が貴公の敵ならば、その情を突いてあなた方の仲違いを目論むでしょうな。

 例えば、かつての愛弟子がその命を懸けての懇願を貴公にむべもなく振り払われ、無念のまま自害して果てたとか、死ぬ間際にあの者を祖国の裏切り者と(ののし)り呪詛を残したとか、いやいや、あの者の心をより深くえぐり、より凄惨に(さいな)むような末路を演出するのも良いでしょう」

 遺憾(いかん)()えないとばかりにゴルディアは小さく首を振るう。

「それを聞いたあの者の心中は如何(いか)ばかりかであろうか……」

 母国ロマニアと敵対するエルドア国に協力している以上は、ソロンもそれは覚悟の上だろうと自身を納得させようとする蒼馬の心を読んだかのように、ゴルディアはその逃げ道を塞ぐ。

「もちろん、あの者ならば道理に従えば、それもやむを得なきことと理解しよう。だが、そうして物事を簡単に割り切れるような性格ならば、父から情に弱いとは評されまい。あの者は情と道理との間に板挟みとなるでしょう。そして、それを苦に隠遁するならばまだしも、下手をすればその命を絶とうとするやもしれませんぞ」

 あり得る。

 蒼馬は、そう思った。

 常日頃からひねくれた言動を取る老人ではあるが、その実は情に厚いのは蒼馬も知っている。また、そうでなければ何だかんだと言いながら自身を助けはしないだろう。

 蒼馬の背筋に冷や汗が流れた。

「はてさて、あの者がいなければ、どうなることやら。これより大王国を築かんとする大事業も、あやしくなりますぞ。いや、そればかりか国の基礎を築くどころか、その前にすべてが崩れ落ちるやも知れませんなぁ」

 ゴルディアの脅迫に、蒼馬はたまらず悲鳴を上げた。

「自分の命を犠牲にして、私を(おど)すつもりですか?」

 とんでもない脅迫に抗議する蒼馬に、ゴルディアは呵々(かか)と笑う。

「これは異なことを言われる、ソーマ王よ。交渉においては、自らの死すらも駆け引きの道具であろう?」

 蒼馬は、ぐうの音も出なかった。

 穏やかな笑みを浮かべるゴルディア。

 それに恨みがましい目で睨む蒼馬。

 ふたりはしばし睨み合う。

「総大将としてすべての責任を負っていたパルティスは許せない」

 そして、先に折れたのは、蒼馬であった。

「だけど、ピアータだけは国の統治に協力し、民を安んじてくれるのならば命を助けよう」

 見事に蒼馬から譲歩を引き出したゴルディアは、穏やかな表情で吐息をひとつ洩らす。

「まあ、パルティスも良い年齢の男だ。兄が世話を焼きすぎては、あやつの面子も立たないであろう。この辺りが落としどころか」

 そして、ゴルディアは微笑んだ。

「かたじけない、ソーマ王。これで私もソロン殿に笑顔で別れられるというものだ。――さあ、講和の続きをやりましょう」


                  ◆◇◆◇◆


 蒼馬とゴルディアとの講和の交渉は、無事に終わった。

 その後、蒼馬は武装解除を条件に王城に籠城していた者たちへ安全を保障した上で王城からの退去を求めたのである。

 これを受けて悄然(しょうぜん)と王城から退去した諸将諸侯らだったが、王宮や王都にある自分らの屋敷と家族が無事だったことに驚くとともに喜んだ。そして、それは蒼馬が王都内での乱暴狼藉を固く戒め、籠城している者たちの家族と承知した上で保護していたということを知ると、彼らは蒼馬へ感謝したのである。

 しかし、その中には蒼馬への感謝を示しつつも、やはりロマニア国に殉じると告げ、パルティスがいるであろう東部へ向かう者も少なからずいた。

 そんな者たちに対しても蒼馬は寛大にそれを認め、捕縛や処刑などの処置は取らなかったのである。

 そうして束の間の平穏を取り戻した王都ロマルニアの王宮にあるゴルディアの屋敷に、ひとりの来客が訪れた。

「おお! ちょうど良いところにきてくれたな、アウレリウス。いや、今はソロンと呼んだ方が良いか?」

 ソロンである。

 訪れたソロンに、ゴルディアは満面の笑みで迎えた。

「お好きなように」

 顔をしかめ、ぶっきらぼうに言い捨てるソロンに、ゴルディアは嬉しそうに笑う。

「そうか! では、すまないがアウレリウスと呼ばせてくれ。私にとって、おまえは幼き日に(あこが)れ、そして目指した賢人アウレリウス以外の何者でもないのだからな」

 ゴルディアは親しげにソロンの手を取ると、その肩を抱いて屋敷の奥へと案内する。

「さあ、入ってくれ。ちょうど良いところに来てくれた。これより家族だけで晩餐を取ろうとしていたところだ。おまえも是非加わってくれ」

 導き入れられた部屋の中には、豪勢な晩餐が用意されていた。

 テーブル中央に置かれた大皿の上にあるのは、飴色にあぶられた子豚の丸焼き。その脇には、取り除かれた内臓の代わりに香草と雑穀を詰め込まれた鳥の蒸し焼き。籠の中には白パンが山と積まれ、香しい匂いとともに湯気を立てるスープが皿に盛られている。そして、物流が未発達のこの時代には貴重な瑞々しい果物まで並べられ、何種類もの酒まで取り揃えられていた。

 華美を好まず、浪費を(いと)い、粗食を好み、また執務に影響があってはならないと過度の飲酒も控えるゴルディアの屋敷では、貴賓(きひん)を招いた宴でもなければまず見られなご馳走である。

 しかし、そこにいたのはゴルディアの妻アデリアと、長男家族、そして先年妻を失って独り身となった次男だけであった。

「ゴルディア殿下」

 ソロンは嘆息する。

「あの小僧ならば、殿下を宰相にと求められたのではないですかな?」

 蒼馬とゴルディアが講和の席で何を語ったかは聞かされていない。

 しかし、常日頃から国政を任せられる宰相を渇望している蒼馬である。そんな蒼馬ならば、政務においては卓越した手腕を発揮するゴルディアは咽喉から手が出る程求めている人材に間違いない。ロマニア国の統治に加え、今後の西域統一王朝を築くためにも、必ずや是非宰相にと求められるだろうという推測は容易だった。

「うむ。そのとおりだ。――だが、断った」

 ゴルディアは、(ほが)らかに笑って見せた。

 それだけでソロンは、おおよそのことを理解する。

「すべてをおひとりで背負い込むおつもりですか?」

「当然だ」

 ソロンの問いに、ゴルディアは間髪を入れず答えた。

「ロマニア国は、建国より今に至るまで数百年に(わた)り、我が国による西域統一こそが正義であると唱え続け、またそれを民たちへ信じ込ませてきた。そして、それに従ってこれまで数千数万の民たちに犠牲を()いてきたのだ」

 ゴルディアは悲しげに笑う。

「しかし、王族である私が破壊の御子の下で栄達を得れば、何とする? 多くの民たちは思うであろう。ロマニア国による西域統一こそが正義ではなかったのか? 国の唱える正義を信じて戦い、命を落としていった父祖や父や子や兄や弟たちの犠牲は、何だったのか? エルドア国に屈し、私がその下での栄達を得んがためだったのか? ――とな」

 ゴルディアは嘆息を洩らしながら、小さく首を左右へ振るう。

「それでは民の心に、しこりが残る。いつまでもロマニアの幻影に囚われ、過去に縛られてしまう」

 そこで、ゴルディアはふっと笑みをこぼした。

「ソーマ王は優しいな。国土も民たちの犠牲も最小限に留めてくれた。おかげで国土は荒らされず、多くの人命ばかりか、その者らの家財を失うことすらなかった。

 だが、それ故に、ロマニアの幻影に囚われた諸将諸侯ばかりか多くの民たちまでも、こう思うであろう。

 私たちは、まだ戦えるのではないか? これまで払った多くの犠牲を無駄にすべきではないのではないだろうか? ロマニアの正義を貫くべきでは? ――とな」

 ゴルディアは唇の片端を吊り上げ、皮肉げに笑う。

「実際には、その最後の抵抗すらも許されぬほど完膚なきまでに破れたというのに、それすら理解できずに囚われ続ける。それではいつまで経っても国が安んじることはないだろう」

 ゴルディアは表情を改めると、真剣な面持ちとなった。

「民にとって納得できるだけの理由が必要なのだ」

 ゴルディアは断言する。

「仕方が無かったのだ。どうにもならなかったのだ。ロマニアの民たちが、そう納得できるだけの――納得せざるを得ないだけの理由が必要なのだ」

「……それが、殿下の死というわけですか?」

 ソロンの言葉にゴルディアはうなずいてみせる。

「そうだ。私は亡国の責を取り、自国の民に詫びるために自決する」

 ゴルディアは自らの死を断言した。

「敗戦国としての屈辱も、それでわずかなりとも癒やせよう。その上で、私は破壊の御子へロマニア国の民への慈悲を乞い、またピアータらには自決を固く禁じ、ロマニア国の民だった者たちのために生きよと遺命を残すつもりだ」

 ゴルディアは黙って話を聞いていたふたりの息子たちに向けて言う。

「おまえたち。今ここで、アウレリウスを祖父として拝礼しなさい」

 ゴルディアの言葉を受け、長男夫妻と次男はそろってソロンの前に膝を突いて拝礼した。

 胸の奥からあふれ出ようとするものに顔をしかめ、口を固く引き結ぶソロンに向けて、ゴルディアは穏やかな口調で語りかける。

「ふたりとも私の息子とあって、武の才能は乏しいが、私自ら文官として鍛えてある。大王国を打ち立てんとする破壊の御子にとって、今もっとも求める人材のはずだ。ならば、エルドア国において立身出世も望めよう。

 とはいえ、その身に流れる血がロマニア王家の血筋とあれば、ただそれだけで敵意を向ける者もいれば、身に覚えのない誹謗中傷を浴びせられることもあろう。

 そのときは、おまえが後見人となって息子らを助けて欲しい。そして、ともにロマニア国の民だった者たちのために尽くしてもらえないか?」

 ロマニア国滅亡の責を感じての隠遁(いんとん)や、ましてや自決など許さぬ。

 そんな言外のゴルディアの言葉に、ソロンは言葉を詰まらせた。

 しばらくしてソロンは詰まらせた言葉を嘆息に変えて吐き出す。

「殿下も、お父上同様に人使いが荒くなられた」

「おそらく、私を教えた師の性格が悪かったのであろう」

 ゴルディアは呵々(かか)と笑った。

 ふたりの話が終わったのを見計らい、ゴルディアの妻のアデリアが声を掛ける。

「難しいお話は、それぐらいにいたしましょう。――さあさあ、せっかくのお食事が冷めてしまいますよ。私が料理長とともに腕によりを掛けて調理したのですから、無駄にしたらお尻を叩きますよ」

「おお! そうだな! さあ、食事にするとしよう。今宵ばかりはおまえの酒に最後まで付き合うぞ、アウレリウス」

「殿下が大言壮語をなさるようになるとは嘆かわしい。私の酒に付き合おうなどとは、百年早いですぞ」

 ゴルディアの屋敷に、暖かな笑い声が満ちた。


                  ◆◇◆◇◆


 この翌日、ロマニア国はゴルディアの名の下に、破壊の御子とエルドア国へ降伏したことを正式に公布した。

 即日、ロマニア王家の戴冠宝器の破棄が実行され、ロマニア国の終焉が決定づけられたのである。

 そして、同日、王宮内の屋敷においてゴルディア王子とその妻アデリアは服毒して果てた。

 ロマニア国滅亡の責を取っての自決である。

 ゴルディアの死を受けて蒼馬は、自身へロマニアの民たちへの慈悲を乞い、またピアータをはじめとした諸将諸侯らに殉死や自決を固く禁じるとともにロマニアの民に尽くすようにというゴルディアの遺書を公表した。

 このゴルディアの清廉な遺志に触れて涙する多くのロマニア国の民に向け、蒼馬はゴルディアの遺志を尊重するとし、エルドア国軍へロマニアの民たちへの暴行略奪を再度固く戒めさせるとともにロマニア国の諸将諸侯らに統治への協力を呼びかけたのである。

 また、蒼馬はゴルディアとアデリアのふたりの遺体を丁重に弔った。いったんは仮の墓地に弔われたふたりの遺体は、その後に統治が安定するのを待って国葬待遇で歴代ロマニア国王たちが眠る陵墓へと移され、埋葬されることになる。

「ロマニア国の名君。あるいはエルドア国の名宰相となり得た者」

 これは蒼馬がゴルディアの墓標に刻んだ言葉であった。

ロマニア国三傑のひとり、ゴルディアの退場。

活躍する場面は少ないものの、ただひたすら国のためにもがき、あがき続ける泥臭いカッコよさを感じてくれればうれしいです。


なお、美人なお姫様より、自分の父親と同じぐらいの年齢のおじさんの方を欲しがるのが破壊の御子クオリティー。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ゴルディアの死を受け入れて責任を取る姿勢に涙しました。
[良い点] ゴルディア殿下‥!惜しい人を亡くしました‥。 正直生きていて欲しかったけどここで潔く散ったからこそ良かったのかもしれないですね。 妻のアデリア殿もダライオス将軍の娘だからか最後まで肝が座っ…
[良い点] ゴルディアの責務を果たし続ける姿勢が格好いい [一言] エルドアの仲間と能力的に ゴルディア↔ソロン パルティス↔ガラム ピアータ↔ズーグ の対比になると思っていてそこからゴルディアは仲間…
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