第179話 国崩しの猛毒
エルドア国の王都ホルメニアの城で、ガラムたちとともに対ロマニア国戦略の中途報告を受け、今後の対応を協議していた蒼馬のところへ急報が届けられた。
「急報! ロマニア国内にて潜伏活動中のトゥトゥ殿からの急報でございます!」
そう告げる先触れのエルフの女官の後に続いて入室してきたハーピュアンの急使は、よほど急行してきたのか荒い息で肩を上下させながらも、蒼馬に向けて翼を伏せて礼を取った。
それに蒼馬は、礼は不要だとばかりに直接に問いかける。
「トゥトゥからの伝言はっ?!」
ハーピュアンの急使はひとつ唾を飲み込んでから報告する。
「巣穴から賢狼は追いやられ、戦狼は彷徨い、雌狼は鎖につながれました! 狼の巣穴に蛇を送り込むときは、今をおいて他はなし! 以上です!」
巣穴とはロマニア国の王都などの中心部、賢狼はゴルディア、戦狼はパルティス、雌狼はピアータ、そして蛇とはセサル王が残した国崩しの猛毒の総仕上げとなるあるものをそれぞれを指す符丁であった。
すなわちトゥトゥからの伝言は次のような内容となる。
「ゴルディアは王都から地方へ追いやられ、パルティスは王城に寄りつかなくなり、ピアータは幽閉された。今こそ国崩しの猛毒を使う好機である」
蒼馬は無言で、ぐっと拳を握った。
これは人を欺き、陥れる謀略である。あらぬ罪の濡れ衣を着せられたピアータをはじめとし、その運命を滅茶苦茶にされる人が何人も出るだろう。
それを思えば手放しで喜ぶ気にはなれない。
だが、同時にこれでついにロマニア国の脅威を排除できると思えば、沸き立つ気持ちは抑えきれなかった。
「よし! ――トゥトゥへは、機を見て蛇を放つように指示を出せ」
ハーピュアンが再び翼と頭を伏せて受諾を示すと、蒼馬は事の成り行きを黙って見守っていたガラムへと顔を向ける。
「ガラム。ノルズリの進捗状況は?」
蒼馬が尋ねたのは、元マーベン銅山のドワーフの戦士長であり、今は地将ドヴァーリンの副将を務めるノルズリのことである。彼は今、ズーグと共に旧バルジボア国領に派遣されていた。
「すでに仕込みは終えているそうだ。ズーグからは、まだ始まらないのかとしつこく催促が来ている」
ガラムは表情を微妙にゆがめた。人間にはわかりづらいが、長年の付き合いからガラムが苦笑したのだと察した蒼馬は、彼もまた苦笑を返す。
「ズーグへは、もうすぐ大暴れさせてあげるから、もうちょっと我慢するように伝えて」
「承知した。あいつには『犬の仔でも「待て」ぐらいはできるぞ』とでも伝えておく」
ソルビアント平原のゾアンたちにとって、獲物を奪い合い、ときには襲いかかってくる狼は仇敵である。その狼が家畜化された犬は、敵意よりも蔑まれる存在であった。
その犬の仔扱いされとなれば、ズーグもカンカンに怒るだろう。
そんな光景を思い浮かべた蒼馬は小さく笑ってから、表情を真剣なものへと変える。
「それで本隊の状況は?」
「すでにガッツェンの街で待機させてある。後は俺がひとっ走りして合流すれば、いつでも進軍可能だ」
「よし。それならすぐにガッツェンの街へ行き、本隊を率いてラップレーへ進軍。いつでも渡河できるようにしてくれ」
ラップレーは、かつてホルメア戦役の際に今は亡きバルジボア王セサルの計略で筏を使った浮き橋によってロマニア国軍が侵攻してきた地だ。
しかし、当然ながらセサル王が架けた筏の浮き橋はとっくに撤去されている。
ところが、すでに蒼馬から策を伝えられていたガラムは何の疑念を挟むことなく承諾した。
さらに蒼馬は続けて言う。
「これより私も後続の部隊とともに、マサルカ関門砦へ進軍する。部隊の指揮は、アドミウスに任せる。モラードとシャハタ、それにエラディアは私の親衛隊を組織してくれ。留守となる王都は、マルクロニスに任せる」
名前を呼ばれた者たちは、次々に承諾する。
そして、蒼馬は最後に自身がもっとも信頼する自らの半身に向けて言う。
「シェムル。君は、当然私の傍だ」
「言われるまでもない!」
シェムルは得意げに張った自身の胸をどんと叩いて見せた。
そんなシェムルに目を細めてから蒼馬は自分を注視する皆へと振り返る。
「みんな。この戦いをもって、ロマニア国を完膚なきまでに叩き潰すぞ!」
皆はいっせいに「おお!」と唱和の声を上げた。
◆◇◆◇◆
王都ロマルニアの王宮の一角にある大きな屋敷。
それはゴルディア王子が住まう屋敷であった。
虚飾を好まず、質実剛健な政治家であるゴルディアの気質を表すかのように、飾り気の少ない質素だがしっかりとした造りの屋敷である。
そんな屋敷にわずかな供回りの騎士や従僕を連れて訪れたのは、ゴルディアの腹心とされるセルティウス侯爵であった。
セルティウスがゴルディアの屋敷を訪れたのは、ゴルディアの妻アデリアへのご機嫌伺いという名目である。
その実は、地方巡察に向かうゴルディアより、家族のことを気にかけて欲しいと頼まれ、こうして毎日のようにゴルディアの屋敷を訪れていたのであった。
屋敷の前まできたセルティウスは、そこで屋敷の門番が誰かと何やら押し問答する姿を目にする。
「殿下のお屋敷の前で、何を騒いでいる?」
セルティウスに気づいた門番は事情を説明する。
「実は、この者がゴルディア殿下へお届けしたいものがあると申しているのです。ですが、不届きにもこいつは殿下に直接でなければそれを渡せないと申しまして」
門番と押し問答していたのは、その身なりから平民と思しき男であった。
これにセルティウスは眉根を寄せる。
いくら落ち目とはいえ、ゴルディアはロマニア国の第一王子である。平民ごときが、そのゴルディアに直接ものを渡すなど許されるはずがなかった。
そのような慮外者はさっさと叩き出すのが門番の務めである。いや、そもそも殿下の屋敷があるここまで入られるとは、王宮の門衛どもは何をしていたのか。
そんなセルティウスの嘆きを察した門番は、慌てて言う。
「それが、この者はブルーセス侍従長の印を所持しているのです」
セルティウスは驚いた。
ブルーセス侍従長といえば、ドルデア王が崩御されて間もなく屋敷を焼いた不審な火事で亡くなった人である。殉死とも、ただの失火とも、はたまた何者かに謀殺されたとも言われているが、未だに真相はようとしてわかっていない。
そのブルーセス侍従長所縁の者が何故このときにゴルディアの屋敷を訪れたのかと疑念を覚えたセルティウスは、従者を介して受け取った男が差し出した印をしげしげと見つめる。
金属製の円盤状の印には、確かに亡くなったブルーセス侍従長の印が刻印されていた。裏に返して見れば、そこにはこれを所持する者の身元を保証することと、自身が亡くなった後に限り、これを持って王宮を訪れた者の通過を許可するようにという旨が彫金によって刻まれている。
「おまえは亡くなられたブルーセス侍従長殿に縁がある者か?」
印を手にしたままセルティウスは男に問いかけた。すると、男は平伏しながら答える。
「はい。私は以前ブルーセス様のお屋敷で従僕を務めさせていただいた者です」
男が言うには、長らくブルーセス侍従長の家に勤めていたが、父親が亡くなり郷里に老いた母ひとりとなったため帰郷することになり、その際にブルーセス侍従長本人より多額の慰労金とともに、あるものを預かったという。
「旦那様――ブルーセス侍従長様からは、誰にも、それこそ家族にも秘密で、これを預かっていて欲しいと渡されました」
そう言って男が背嚢から取り出したのは、紙と蝋で封印された木箱であった。
「それは?」
セルティウスの問いに、男は首を横に振るう。
「旦那様からは知らされておりません。それに決して箱を開けてはならないと申しつけられておりましたので、私にはわかりません。ですが、旦那様からはご自身が私のところへ受け取りにいくまで大事に預かるように、と。そして、もし旦那様が亡くなられた場合は、一緒にお預かりしましたその印を使ってゴルディア様へ直接これをお届けするように、と固く言われておりました」
「待て。すでに侍従長殿が亡くなられてから、一年は経過しているのだぞ。何故、今日になって届けにきた?」
セルティウスの指摘に男は冷や汗を掻く。
「そ、それが……。実は、旦那様が亡くなられたと私が聞いたのは、つい最近なのでございます」
そんな馬鹿な、とセルティウスは驚いた。
ブルーセス侍従長が亡くなったのはドルデア王の訃報とともにロマニア国全土に伝えられていたはずだ。
「嘘ではございません。本当のことなのです」
男は冷や汗を拭いながら事情を説明した。
男の郷里は僻地にあり、中々王都の情報が入ってこないところだという。それでも定期的に訪れる行商人や旅芸人から外部の時事や情報は得られていた。ところが、どういうわけかドルデア王の訃報は伝わっていてもブルーセス侍従長の死は聞いていなかったという。
最近になって、一年近くも前にブルーセス侍従長が亡くなられていたのを知った男は、言いつけに従い大急ぎで王都へ向かった。ところが、その後も崖崩れや橋の崩落などで何度も道を迂回したり、また泊まった宿屋の料理に中って数日寝込んでしまったりと散々な目に遭い、ようやく今日になって王都へ到着したという。
男が必死に弁解する様子に、嘘はないようだとセルティウスは判断した。
「なるほど。事情はわかった。だが、時期が悪かったな。ゴルディア殿下は今この王都にはおられぬ」
「そんな……」
男はがっくりと肩を落とした。
そんな男の様子に、セルティウスは無理もないと同情する。
庶民が気軽に旅行できる時代ではない。王都へ来るだけでも馬鹿にならない旅費がかかってしまう。さらに、これからいつ戻ってくるかわからないゴルディアを待つため王都に滞在するとなれば、男が途方に暮れるのも当然であった。
さすがに男を哀れに思ったセルティウスは提案する。
「ゴルディア殿下へ直接お渡しするのは無理だが、妻君のアデリア様にならば、どうだ?」
男はしばし悩んだ。ブルーセス侍従長の言いつけに背くことになるが、滞在費の負担に加え、早く郷里に戻りたいのも男の背中を後押しする。
「わかりました。ゴルディア様の奥様にならばお渡しいたします」
◆◇◆◇◆
「あらあら。珍しいお客様ね。セルティウス様、そちらの方は?」
ゴルディアの妻のアデリアは、おっとりとした笑顔でセルティウスと連れてきた男を迎えた。
侍女にお茶の用意を命じて歓待しようとするアデリアを制止し、セルティウスは男を連れてきた事情を説明する。
「そのようなわけで、今は亡きブルーセス侍従長様がゴルディア殿下に託されたものらしいのです。いつゴルディア殿下がお戻りになるかわからない状況では、アデリア様にご確認いただくしかないかと存じます」
「まあ。そのようなことでしたならば、私で良ければ確認いたしましょう」
そう快諾したアデリアへ男はブルーセス侍従長から預かった箱を恭しく差し出した。
受け取った木箱を自ら小刀を使って封蝋を剥がして開封したアデリアだったが、そのとたん驚愕に目を丸くしたまま硬直する。
「如何いたしました、アデリア様?!」
さてはブルーセス侍従長からの預かりものとは嘘で、何らかの危険物だったのではないかと疑ったセルティウスは、いつでも男を斬り捨てられるように剣の柄に手を掛けながらアデリアに問いかける。
すると、セルティウスの声で我に返ったアデリアが声を震わせながら、セルティウスに中身が見えるように箱を差し出した。
「セルティウス様。こ、これは……!」
箱の中に納められていたのは、房でまとめられた一巻の羊皮紙であった。
それにセルティウスもまた驚愕する。
「そ、その房の色?! まさか……! いや。そんな。しかし……!」
「セルティウス様。私は、これをどうすれば?」
動揺するアデリアに、セルティウスもまた動揺しながら答える。
「急ぎゴルディア殿下へお知らせするにしても、内容がわからなければ、どうお知らせして良いかわかりません。アデリア様、中身をご確認ください!」
「わかりました、セルティウス様」
アデリアはコクリと頷くと、震える指先で恐る恐る房をほどき、丸められていた羊皮紙を開いた。
そして、書かれているであろう文字を目で追うごとに、アデリアの顔から見る見るうちに血の気が消え失せ、身体がおこりのように震え出す。
「そんな……! こんなことって……! セルティウス様、これはどうすれば良いのでしょうか?!」
ついには蒼白となったアデリアが差し出した羊皮紙をセルティウスは「失礼いたす」と断ってから受け取った。
そして、羊皮紙に書かれた内容を読み進めていくと、セルティウスもまた身体を震わせ始める。
しかし、それはアデリアのような驚きからではない。確かにセルティウスもまた驚きはした。だが、羊皮紙に書かれている内容を理解するとともに驚愕以上に湧き上がってきた感情からのものである。
そして、セルティウスは激情のままに叫ぶ。
「……おのれ、モンティウスめっ!」




