第165話 不協和音
「七度戦い。七度負けるのですか?」
将の誰かが洩らした小さな言葉が、やけに響き渡った。
それに蒼馬は大きくうなずいて肯定を示す。
「そう。ピアータと七度戦い、七度負けて欲しい」
その場に集まっていた将たちは互いに顔を見合わせ、ざわざわとざわめき始めた。
全滅寸前のわずかなゾアンたちを率いて立ち上がり、西域の大国ホルメア国を下した蒼馬が率いるエルドア国の将たちである。その中には弱将などひとりとしていない。
強敵と戦えと言われれば奮い立ち、寡兵で敵の大軍を迎え撃てと言われれば我こそがと先を争って名乗りを上げるような猛者たちばかりである。
しかし、それが七度もわざと負けろと言われれば話は別だ。
死力を尽くした上での敗北なら殊勝に受け入れられても、わざと負けてやることなど死んでもできない負けず嫌いばかりであった。
やる者はいないかという蒼馬の呼びかけにも、誰もがお互いの出方を窺うばかりで名乗りを上げようとしない。
そうなるであろうことは予想していた蒼馬は、重ねて言う。
「わざととはいえ負けるんだから、当然こちらにも被害は出てしまう。下手を打てば、本当に全滅してしまう恐れすらある。そうならないように慎重に、そして被害を最小限に留めながら負け続ける。これはそれだけ困難で責任重大な任務だ。――我こそがやろうという者はいないかな?」
蒼馬は、この任務が如何に困難であり、その責任が重大であるかを説明した。しかし、それでも将の中から名乗り出る者はいない。
気まずい雰囲気まで漂う中で、ガラムがひとつため息をついてから名乗りを上げる。
「俺で良ければやろう」
ガラムとてわざわざ負けてやるなど真っ平御免である。しかし、武将の誰も名乗りを上げなければ彼らを統率する大将軍として責任を感じてしまう。大将軍として命令することもできるが、やる気の無い者に無理矢理やらせても決して良い結果にはならない。
そんなことになるぐらいならばと自ら名乗り出たガラムだったが、それを蒼馬は即座に却下する。
「いや、駄目だ。ガラムでは影響が大きすぎる」
ガラムがやってくれれば、おそらく策は間違いなく成功するだろう。だが、それと同時にガラムではエルドア国軍が被る悪影響が大きすぎる。
何しろガラムはエルドア国軍の象徴たる大将軍なのだ。彼が何度も負けたとあっては、エルドア国軍の威信が揺らいでしまう。最悪、国内に要らぬ動揺や不安を招きかねなかった。
それで国内が乱れては、ピアータを策にはめられても元も子もない。
蒼馬は改めて呼びかける。
「皆の将としての自負は良く理解している。だからこそ、この困難な任務を遂げた者は、後にその功労を大きく讃えると約束しよう」
策を遂行すれば、その労をねぎらい、功に篤く報いると蒼馬は確約して名乗り出るのを促した。
しかし、それでも名乗り出る者はいない。
いよいよ困った蒼馬は、自分が指名する以外はないかなと思い始めたときである。
「よろしいですか。ソーマ陛下」
そう言って手を上げたのは、ジャハーンギルの長子メフルザードであった。
「何? メフルザードがやってくれるの?」
蒼馬は意外に思いつつ、そう返した。
メフルザードと言えば自尊心が高い典型的なディノサウリアンである。人間種などか弱い猿程度にしか思っていない彼が、ピアータにわざと負ける役目を引き受けるなど想像すらしていなかった。
「私ではございません」
メフルザードはそう思われるのも我慢ならんとばかりに、他種族でもそうとわかるぐらい不機嫌な口調で否定した。
やっぱり、そうだよねぇと思いつつ蒼馬は「それじゃあ、何?」とメフルザードに尋ねる。
「その任務に推薦したい者がおります」
メフルザードの言葉に、蒼馬は再び意外に思った。
父親であるジャハーンギル同様に自尊心が高いメフルザードは、他人を気に掛けるような性格ではない。そんな彼が誰を推すのか気になった蒼馬は、それは誰かと尋ねた。
するとメフルザードは、ちらりと一瞬だけ蒼馬から視線を外す。
「そこにいる、モラードはどうでしょう?」
メフルザードが視線を向けてその名前を挙げたのは、蒼馬の大旗の旗手を務めるカマラ種のディノサウリアンのモラードだった。
新設された儀仗兵隊の隊長として、この場に居合わせたモラードは、突然自分の名前が挙げられたことに、その巨体と比べて小さな目をまん丸に見開いて驚いている。
そして、蒼馬もまた驚いた。
ディノサウリアンの中でも怪力を誇るものの奴隷種として虐げられてきたカマラ種のモラードは、温和な性格で気も弱く、とうてい戦いには向いていない。そんなモラードが儀仗兵隊の隊長を務めているのも、その武力ではなく、ただ身体の大きさで見る人を威圧するためのものである。そんな彼に戦いが務まるわけがない。
「なぜ、モラードを推すの?」
言外に、モラードでは無理だろうと告げる蒼馬に、メフルザードは答える。
「モラードが儀仗兵の隊長に取り立てられたのは、陛下を窮地より救った功績ですが、それはただの偶然でしょう。儀仗兵とはいえ、兵は兵。何の武功も挙げられていない者が兵の長とは、如何なものかと」
痛いところを突いてくるな、と蒼馬は思った。
モラードはミルツァの地での戦いにおいてピアータ率いる百狼隊の襲撃から蒼馬を助けた功績によって儀仗兵隊の隊長に大抜擢されていた。
だが、その功績は大旗の旗手として従軍してでのものだ。ひとりでも敵兵を討ち取っていたり、刃を交えたりしていたりすればともかく、旗を振り回して敵を追い払ったのが武功と呼べるか難しい。
本来は兵や将としてではなく、一旗手として金銭などで報いてもよかったのだが、ちょうど儀仗兵隊を創設したかった蒼馬の思惑が重なったための大抜擢である。それだけに、一足飛びで儀仗兵隊の隊長に任じたのは行き過ぎと言われれば、それは否定しづらかった。
また、この場に参加するのを許されていたディノサウリアンの中からも、メフルザードに同調するような声が洩れ始める。
そんな声を背景に、メフルザードは言う。
「それならモラードに、兵の長たる力があるのかを確かめ、武功を挙げさせる良い機会ではないでしょうか?」
奴隷種ごときにそんな力があるものか。
そんな声が聞こえてきそうなほど他種族にもはっきりとわかる悪意が込められた言葉だった。
しかし、そのメフルザードの言葉に他のディノサウリアンたちが明確に賛同する声を上げ始める。
これは困ったことになったぞ。
蒼馬がそう思い始めたときである。
どごんっという凄まじい音が轟いた。
それとともにメフルザードの身体がゴロゴロと凄まじい勢いで床を転がった。メフルザードに賛同して声を上げていたディノサウリアンたちは口を大きく開いたまま声を失ってしまう。
「だ、大丈夫か、兄者?!」
末弟のパールシャーが血相を変えて倒れた兄へと駆け寄り、助け起こした。一体どれほどの衝撃を受けたのだろうか。強靱な肉体を誇るディノサウリアンであるメフルザードが、弟の肩を借りねばまともに立てない有様だ。
そんな兄に肩を貸して立ち上がらせたパールシャーは、小さく非難の声を上げる。
「親父。いくら何でもやり過ぎだぞ!」
それが向けられたのは、無論ジャハーンギルであった。
メフルザードを打ち倒した尾をゆらゆらと動かすジャハーンギルは息子の非難の声にも答えず、ただむっつりと口を引き結び、誰もが触れられぬ剣呑な気配を漂わせるばかりである。それどころか、余計なことを言うなとばかり、パールシャーを一瞥して黙らせてしまう。
そんな父親と兄弟の諍いに、次兄のニユーシャーが無言で蒼馬の前へ進み出ると蒼馬へ向けて頭を下げて謝罪を示した。しかし、それで終わりと言わんばかりに、父親の後ろに戻ってしまう。
気まずい空気が謁見の間に漂った。
それを払拭しようと蒼馬はわざとらしい咳払いをひとつする。
「え~と。――それで推薦されたけど、モラードはどうする?」
さすがに蒼馬もモラードでは無理だと思った。
まずもってモラードに兵を率いた経験が無い。それどころか最下級の奴隷であった彼は、他人へ命令した経験ばかりか何かしろと指示したこともないだろう。そんなモラードが生死に関わる戦場で部隊を動かせるわけがない。
だが、推薦されて名前が出た以上は、蒼馬も当人の意志を確認しなければならなかった。
そうしなければ蒼馬がモラードを頼りにならないと見做していると思われてしまうからだ。それではなおさらモラードの立場が悪くなる。
そうは言っても、それでモラードが本当に引き受けてしまっても困ってしまう。
そこで蒼馬はモラードが拒否しても良いだけの理由を用意してやる。
「もちろん、断っても良い。戦いは遊びじゃない。率いる兵ばかりか自分すらも死ぬ危険性がある。生半可な覚悟や安易な考えで引き受けて良いものではない。それで当人が死ぬのは自業自得だ。でも、それに道連れにされる兵たちはかわいそうだ」
そこで蒼馬はあえて言葉を句切ると、一拍の間を置いてから告げる。
「自らの弱さを認めるのは勇気が必要だ。自分の力不足を認め、拒否するのもまた決して恥ずべき行為ではないと私は確信している。それを理解した上で答えよ。おまえはやるか?」
まさに、英明にして寛大なる王の論法。とっさに思いついた言い訳にしては、なかなか良いことを言ったんじゃないか?
厳粛な面持ちを崩さぬまま、蒼馬は内心で自画自賛していた。
おそらくディノサウリアンにはわからないだろうが、蒼馬の「断って良いんだよぉ~」という慈愛の笑みを向けられたモラードは、内心の困惑を表すようにその小さな目をキョロキョロと動かしてから、ようやくあって口を開く。
「……ソーマ様がやれと言うなら、おらはやりますだ」
「うむ。勇気ある決断だ」
モラードの答えに、即座に賞賛の言葉を返した蒼馬は、すぐに「あれ?」と思った。
ここはモラードが自身の力量不足を認めて拒否する流れではなかったのだろうか。それを勇気ある決断だと自分が認めることで、モラードへの非難を避ける展開だったのではないだろうか。
しかし、どういうわけか自分の耳はモラードが承諾したように聞こえたのだ。
朝議の場を見渡せば、臣下たちは驚きにざわめいており、どうやら自分の聞き間違えではなさそうである。
「あ~……。で、でも、今からモラードの武具を用意するには時間がかかるだろうしなぁ。儀仗兵の武具は見栄え優先で、実戦的じゃないし」
蒼馬は何とか理由をつけて時間を稼ごうとした。
しかし、それにモラードは即答する。
「儀仗兵隊の隊長となると決まったときに、大将軍様がおらに武器と鎧をくれましただ」
モラードの発言を受け、蒼馬がその目をガラムへと向けた。すると、ガラムがついっと目をそらす。
そうだね。ガラムは面倒見が良いよね。
普段ならば絶賛する話に蒼馬は頬を引きつらせつつ、さらに言う。
「でも、いきなりなれない武具じゃ扱うのは大変でしょ?」
それに対してもモラードは即答する。
「おらの時間があるとき、大将軍様に稽古をつけてもらってますだ」
うん。さすがガラムだ。とっても面倒見が良いね!
ガラムが諸将へ気を配り、軍をとりまとめ、大将軍の務めを果たしているという喜ばしい話が、このときばかりは恨めしい蒼馬であった。
さらに何とかモラードの発言を撤回させる理由をつけようとした蒼馬だったが、シェムルがそれを制する。
「それぐらいにしておけ。それ以上はモラードの面子が立たなくなるぞ」
蒼馬は咽喉まで出かかった言葉を慌てて呑み込んだ。
顔はモラードに向けたまま視線だけをメフルザードに同調したディノサウリアンたちへ向けると、やはり異種族にもそれとわかるぐらい「ほれ、見たことか」と言わんばかり態度である。
蒼馬は胸の内で「仕方が無い」と嘆息をもらした。
「良いだろう。この大事な任務をモラード、おまえに託そう」




