第160話 正体(前)
「ソーマ陛下の正体ですと?」
おうむ返しに問い返すトゥトゥに、セサル王は鷹揚にうなずいて見せた。
「そうだ。奴の正体について、私の推論を語ってやろうというのだ。――どうだ? おまえにとっても有益であろう」
トゥトゥは、しばし悩んだ。
最初に考えたのは、これが時間稼ぎではないか、ということだった。しかし、すでにセサル王は常人ならば確実に二度は死ぬ量の毒を飲んでいるのだ。いくら抵抗があったとしても、それだけ飲めば助かる見込みはないだろう。
それでは、この事態に不審を覚えた衛兵や「根」の間者たちがやってくるまで自分たちをこの場に引き留めておき、道連れにしようとしているのではないかとも考えた。
しかし、先程までのセサル王ならばともかく、今やセサル王はトゥトゥが知る毒蛇にして亡霊に立ち返っている。そんなセサル王がいつ来るかもわからぬ衛兵や間者をあてにするとは思えなかった。
それよりも毒蛇がもたらすのは謀略という毒であり、亡霊が残すのは猜疑という呪いである。
この西域の闇に君臨したセサル王が残す最期の毒と呪いが如何なるものかトゥトゥは興味を覚えた。
「良いでしょう。お聞かせ願いましょうか」
トゥトゥが承諾すると、セサル王は喜色を浮かべて話し始めた。
「それでは聞かせよう。――破壊の御子は、皆が言うような英雄ではない。ましてや仁愛の王でも、博愛の主でもありえない。奴の正体は、まぎれもなく破壊者だ。無慈悲な虐殺者だ。恐るべき暴君なのだよ」
「そうでしょうね」
トゥトゥは「何だ、そのことですか」と言わんばかりの気のない態度で応じた。しかし、セサル王はそれに気を悪くするどころか、どこか愉快げに語る。
「ほう。おまえも奴の本性に気づいていたか。それでも奴に近づき、取り入っているところを見ると、おおかたおまえが求める英雄とやらが見つからないときは暴君への当て馬としてぶつけるつもりであったのだろう」
そこでセサル王は、嘲笑を浮かべた。
「だが、それこそがおまえが破壊の御子を見誤っている何よりの証拠だ」
「私が見誤っている、と?」
不快げに眉根を寄せるトゥトゥへ向けて、セサル王はうなずいて見せた。
「そうだ。破壊の御子の懐に入り、奴を自分の思う方へと誘導しようなどとは愚の骨頂だ。何しろ奴がその本性をあらわにすれば、敵味方など関係ない。奴にとって、本当の意味での味方などいないのだからな。奴にとって、すべては敵だ。すべて滅ぼすべき敵なのだ。なぜならば――」
そこでいったんセサル王は言葉を切った。
それから一拍の間を取ってから次の言葉を告げる。
「あいつは、この世界を恐怖しているのだからな」
トゥトゥは呆気に取られた。
「ソーマ陛下が、この世界を恐怖しているですって?」
トゥトゥが想像もしなかった言葉であった。
法治主義に、自由と平等の保証、信教宗教の自由など、これまでこの西域どころかセルデアス大陸全土を見渡してもなかった思想を次々と打ち出す破壊の御子こそ、既得権益を有する者たちからして見れば秩序の破壊者そのものである。
その破壊の御子が、恐れられこそすれ何を恐れるというのか。
そんな不信感を込めたトゥトゥの疑問にもセサル王は微塵も動揺せずに平然と言葉を続ける。
「私がその推察に至ったきっかけは、奴から感じ取った小さな違和感からであった。――そう。あやつはあまりにも矛盾が多いのだ」
「矛盾ですか?」
トゥトゥの相づちに、セサル王は力強くうなずいた。
「そうだ。奴の言動は、その場その場を見れば正答と言えよう。しかし、もっと長い目で見れば、その言動には矛盾が多い。なぜか? それは奴の言動に一貫した理念がないからだ。そのために奴の言動には矛盾が生じるのだ」
セサル王はそのときのことを思い出すように視線を宙に向けながら語り始める。
「英雄と呼ばれながら、その本性は臆病そのもの。博愛を装いながら、自己偏愛の臭いを感じさせる。無私を気取りながら、追及するのは利己そのもの。戦いを罪科と言いつつ、やっていることはその罪科を積み上げることばかり。慈愛の言葉を吐きながら、どれだけの敵を虐殺したのやら。仁愛を掲げながら、自分の理想を押し通す様は暴君そのもの。しかし、その理想には、奴自身の理念が感じられん。まさに矛盾の塊。矛盾そのものだと言っても過言ではないだろう」
セサル王は宙に向けていた目をトゥトゥへと向ける。
「その最たる例は、ボルニスの統治時代の奴の言動だ。奴はその異質な知識をもって様々な産物を生み出し、それにより街を急速に発展させていた。そして、それと同時にその異質な知識とその産物を安易に流出させてしまい、シャピロ商会の放蕩息子を度々困らせていたという」
それはトゥトゥも知っていた。
蒼馬が服飾のボタンをはじめとした知識を安易に流出させるのに、蒼馬の知識を独占しておきたいシャピロ商会のヨアシュは何度となく苦言を呈していた。しかし、そのたびに蒼馬は「そんな大したものとは思わなかった」と釈明し、その後も同じ失敗を繰り返していたという。
「だが、おかしいとは思わぬか?」
セサル王は、獲物を前にした蛇のような笑みを浮かべた。
「一度目は本当に知らなかっただけだろう。二度目はただの失敗だったのかも知れぬ。だが、三度、四度と奴は同じことを繰り返しているのだぞ。
奴は、自らの知識の価値を理解できない愚か者なのか?
否。実際にその知識を用いて街を発展させているところからも奴は自身の知識の価値は十分理解していよう。また、その言動や発想を鑑みても、奴は決して愚かではない。その異質な知識や思想を抜きにしても、奴はそれなりに優秀な知性の持ち主だと言えよう。
では、奴は同じ失敗を繰り返すほどの間抜けなのか?
否。破壊の御子の施策や軍略を見ればわかるように、奴は間抜けどころか用心深く慎重な性格をしている。とうてい同じ過ちを繰り返すような人間ではない。
では、奴は自分の知識に対する周囲の人々の驚きなどを意にも介さぬ他人に無頓着な人間なのか?
否。伝え聞く奴の民への施策や周囲への配慮。そして、実際に奴と相対したときの目の動き、言葉遣い、その態度を見れば、奴は周囲の人に対して過剰とも言えるぐらいに気を配っているのがわかる。
では、奴は他者の忠告にも耳を貸さぬ傲岸な人間なのか?
否。むしろ奴は他者との調和に重きを置き、自身の意志より他者の意志を尊重さえしている。
では、何故だ? 何故同じ失敗を繰り返す? 誰から何度となく忠告されても、何故また同じ失敗を繰り返すのだ? それは偶然なのか? 否、偶然も繰り返されれば、それは必然だ。ならば、その答えはひとつしかあるまい」
セサル王は意地悪な問題を出す教師のような笑みを浮かべてトゥトゥに尋ねた。
しばし考えたトゥトゥは、ひとつの解を導き出す。
「……まさか、ソーマ陛下は意図してやっていた、と?」
「そのとおりだ!」
セサル王は肯定した。
「奴は、わざとやっていたのだ! 貴重な知識を安易に流出させる失敗を何度も繰り返す。そんな間抜けを、愚か者を演じていたのだ!
ならば、それ以外の矛盾した言動もうなずける。
すべては奴が演じていたのだ! 時には英雄を、時には仁君を、時には博愛者を、時には理想家を! 奴はその都度都度に、周囲にとって――否。自身にとって都合が良い人間の仮面をかぶり、演技を続け、周囲を欺いてきたのだよ! それ故に奴の言動には一貫性がなく、矛盾の塊なのだ!」
まるで熱く焼けた刃をぶつけられるようなセサル王の熱弁に、トゥトゥは返す言葉が見つけられず、しばらく黙ってしまった。ようやくあってトゥトゥは何とか言葉を絞り出す。
「演技だと言うのならば、人は誰しも何かを演じているとも言えるでしょう。たとえば目指す理想像や憧れる人を真似る――演技するのは、当たり前のことでは?
それをもって、なぜソーマ陛下が世界を恐れているとおっしゃるのですか? だいたい、英雄や仁君ならば理解できますが、なぜ間抜けや愚者を演じる必要があるのです?」
トゥトゥの疑問も当然だとばかりに、セサル王はひとつうなずいて見せる。
「それを語るには、まず奴の根幹となる部分について語らねばなるまい」
椅子の背もたれに悠然と寄りかかったセサル王は、落ち着いた口調で語り始めた。
「あやつは、この西域にいきなりやってきたと言う。異なる界からという突拍子もない噂はさておき、そういう噂が生まれるほど、こことは違う遠いところからやってきたのだろう。奴の異質とも言える言動や知識を鑑みれば、それは間違いではなかろう」
そこでセサル王は、トゥトゥへ問いかける。
「では、トゥトゥよ。仮におまえだったら、どうする? どこともわからぬ異境の地へたったひとりで放り出されてしまったとしたら? そこには当然頼れる者もいない。それどころか常識すら通じない。そんなところへ、いきなり放り出されたとしたら、おまえならどうする?」
セサル王の質問の意図が読めなかったトゥトゥは、正直に答えを返す。
「元のところへ戻る方法を探します」
「その方法が容易には見つからない。もしくは、ないとしたら?」
矢継ぎ早に投げかけられるセサル王の質問に、トゥトゥは淡々と答えを返す。
「すぐに戻れないというのならば、まずはそこで生きる方法を探すでしょう」
トゥトゥの答えに、セサル王は我が意を得たりとばかりにうなずいた。
「そうだ。まず、生きることを考える。だが、ただひとり生きるには、そいつはあまりに無力であったとしたら? 当然、誰かにすがって生きねばなるまい。しかし、ただで助けてくれる者などいただろうか? 普通はおらぬ。だが、奴は幸運にもその手を掴めたのだろう。
しかし、それで奴が安寧を得られたと考えるのは早計だ。一度掴み得た幸運の手は、さらなる不安を生じさせるからだ。
それはいつまで続く? いつまで無力な自分を助けてくれる?
それはとてつもない不安だったのだろう。
せっかく掴み取った生きる可能性だ。決して失うわけにはいかない。ならば自分を助けるに足る価値のあるものを提供しなければならないと考えたとしても不思議ではない。
そして、気づいたのだ。いや、教えられたのかな? いずれにしろ、そいつは自分の中にあった価値あるものに気づいた」
トゥトゥはセサル王が言わんとしてことに気づく。
「それが、自分の中あるこの地では異質な知識と思考だったと言いたいわけですか?」
「そのとおりだ!」
トゥトゥの答えに、セサル王は次第に血の気を失いつつある顔に喜色を浮かべた。
「破壊の御子は自身の異質さこそが、自分の価値だと気づいたのだ! 最初はそのような考えはなかったのだろう。だが、おそらくは誰かが教えたのだ。その異質さには、価値があるものだと。それは貴重な資質であると。
それ故にあやつは、この世界を拒絶した。自らの異質さを損なわないように。自らが異質であり続けるために。価値を示し続けるために。貴重であり続けるために!」
興奮に見開かれたセサル王の目が、すっと冷たく細められる。
「だが、それは同時に奴にとって新たな恐怖の始まりでもあったのだ」
それまで言葉に込められた熱が嘘のように冷め、セサル王は冷たく鋭利な氷を思わせる問いを発する。
「トゥトゥよ。この世界は、人間種が多くの異種族を亜人類と蔑み、迫害している。その理由は何だ? いや、そればかりではない。おまえは知っていよう。同じ人間種であろうと、王侯貴族は平民を見下し、その平民らは賤民どもを蔑んでいる。それはまた亜人どもにおいても同様だ。人は他人を蔑み、迫害し、敵視する。その理由は何だ?」
トゥトゥは即答できなかった。
単に人間が他の種族を迫害する理由を問われれば、種としての特質に欠けた劣等感や単純に聖教の教義を挙げただろう。しかし、セサル王の問いは同じ種族の中での差別や迫害にまで言及されていた。
すぐには答えを出せずに黙り込んでしまったトゥトゥに、セサル王はニヤリと笑う。
「自分とは違う」
それは短い言葉であった。
しかし、それでいて何百もの言葉を連ねるよりもはるかに強く重い衝撃となってトゥトゥの胸へ伝わった。
「種族が違う。民族が違う。国が違う。生まれが違う。住んでいる場所が違う。目の色が違う。髪の色が違う。肌の色が違う。言葉が違う。考えることが違う。
自分とは、違う。
ただ、それだけだ。ただそれだけをもって人は他者を蔑み、恨み、おとしめ、敵視し、迫害し、攻撃する理由にする。理由になってしまう。それほど人とは、どうしようもないほど狭量で、他人を攻撃せずにはいられない、度しがたい生き物なのだよ」
セサル王は唾棄するように言い切った。
それからセサル王は嗜虐に目を輝かせながら、トゥトゥに質問を投げかける。
「では、この西域でもっとも他者とは違う者は誰だ? もっとも蔑まれ、敵視され、攻撃される可能性がある者は誰だ?」
セサル王の言葉に、トゥトゥはある人の姿を想起した。
それは、ひとりの人間である。しかし、人間種でありながら、その脳髄に異質な知識と思想を有するがために、同じであるはずの人間種の誰とも違う。
おそらくはこの世界で唯一無二。
この世の誰とも違う存在。
「そうだ。破壊の御子その人だ」
トゥトゥの推測を読み取ったようにセサル王は言った。
「破壊の御子は、自分こそがもっとも差別の対象となると考えていた。自分こそがもっとも迫害の対象となるとわかっていた。自分こそがもっとも攻撃の対象となるのだと理解していたのだ。
しかし、だからといって自身の異質さを隠すわけにはいかなかった。
なぜならば、その異質さこそが自身の価値であると承知していたのだからな。
生きるためには、自らの価値である異質さを示さねばならない。しかし、異質さを示せば示すほどに迫害や攻撃の対象となる恐れもまた大きくなる。
生きるためには死の危険を冒さなければならないという矛盾。何という矛盾だ」
セサル王は椅子から腰を浮かすと、卓の上に身を乗り出すようにしてトゥトゥへと迫る。
「しかし、その中で破壊の御子は思いついたのだ。異質でありながら迫害されず、逆に多くの人々に称賛される存在があるということを」
そこまで言われればトゥトゥにもセサル王が言わんとしていることがわかる。
「英雄」
圧倒されるままにトゥトゥが口にした言葉に、セサル王は力強くうなずいた。
「そうだ! 異質である奴は、迫害を避けるために英雄であらねばならなかった! 敵視されるのを避けるために、英雄を演じなければならなかったのだ!」
セサル王は哄笑を上げる。
「ただの凡人の身でありながら、よくぞここまで英雄を演じ続けられてきたものだ! たかが偽物の分際で、これまで如何なる大英雄も成し遂げられなかった西域統一という大偉業の寸前にまで達せられたものだ! もはや恐れ入るしかない!」
ひとしきり笑ってからセサル王は、その唇を皮肉げに吊り上げる。
「だが、それで奴が恐怖から解放されたわけではない。何しろ誰よりも破壊の御子自身が自分は英雄では無いことを熟知していたのだからな。
いつまで英雄を演じ続けられるのか? いつまで周囲を欺き続けられるのか?
いつかその欺瞞が暴かれ、正体が露見したときの周囲の失望、蔑み、悲しみ、怒り、敵意を想像し、奴は不安で不安でしょうがなかったであろう。
だからこそ、奴はそこでさらに矛盾した行動を取るようになる。英雄を演じる傍らで、自身が脅威となるものではないと周囲へ示し始めたのだよ!」
セサル王の言葉にトゥトゥは落雷を受けたような衝撃を覚える。
「つまり、自身の武器ともなる異質な知識を安易に流出させていたのは、そのためだったと?」
「そうだ! 奴は必死に訴えていたのだよ! 間抜けな自分を晒して、周囲へ自身は恐れるものではないのだ、と。愚かな自分を示し、自身は皆の助けがなければ何もできない人間なのだ、と。
それだけではないぞ! その年齢に似合わぬ子供じみた奴の言動もまたそうだ! もともとの気性でもあったのだろうが、あれは周囲の人々へ自分は恐れるものではないと、自分は皆の助けがなくては生きていけない弱い人間であると訴える奴の必死の叫びだったのだよ!」
というわけで、蒼馬君の「僕、またやっちゃいました?」はあれは意図してやっていたものです。
ちなみに、蒼馬君にその異質さは貴重なものだよと教えてしまった、いわば本作品の諸悪の根源は燎原の章 第8話にいます。