第140話 包囲
蒼馬が兵を率いてラフバンの街近郊までやってくると、すでにアレクシウスの反乱に対処するため布陣していたアドミウスが自ら出迎えてくれた。
シェムルが手綱を引く馬に跨がり、やってきた蒼馬に向けて、アドミウスは一礼する。
「曲者に刺されたと聞いて心配しておりましたが、ご無事で何よりにございます」
これに蒼馬は「心配をかけた」と告げてから、遠くに見えるラフバンの街を見やる。
「それで、反乱軍の様子は?」
「街を逃げ出してきた住民たちの話によれば、反乱軍は当初よりやや数を増して千から千五百ほど。その中核となるのは、アレクシウスが連れてきた傭兵と反乱に同調した元諸侯らの兵たちを合わせた三百あまり。その他は街の住民の中から男たちを駆り集めた民兵だそうです」
アドミウスの説明に、蒼馬は渋い顔になった。その理由を察したアドミウスは説明を付け加える。
「陛下がアッピウス侯爵の軍を制した際に、兵として従軍していた住民が少なからず討たれておりますからな。正直に申し上げて、あの街での陛下の評判はあまりよろしくありません。率先して反乱軍に加わわった男たちも多かったそうでございます」
神ですら、すべての人を幸福にすることなどできはしない。ましてや神ならざる人の身では言わずもがな。
何かをなせば、それを賞賛する者がいる一方で逆に恨みに思う者も出る。
そんなことはとっくに承知しているが、それを実際に目の前に突きつけられれば、あまり気分が良いものではない。ましてや、その者たちをこれから叩き潰さねばならないとなれば、蒼馬ならずとも渋い顔になるだろう。
アドミウスは皮肉げに唇の片端を笑みに吊り上げる。
「とはいえ、アレクシウスは反乱を決起したくせに、これまで何の成果も上げぬまま街に引きこもるばかり。兵糧攻めとまでは行きませぬが、こうして我らが主要街道を押さえているため、すでに街で生活物資の不足も起きております。そのため早くも住民らの間には厭戦気分が蔓延し、民兵らの士気もどん底に落ちているそうです。
これならばわざわざ陛下御自ら御出でいただかなくとも、私が預かりました兵だけでも十分攻め落とせましょう」
しかし、アドミウスはそこで顔をしかめる。
「そう言い切りたいところですが、アレクシウスごとき者の妄言に乗せられたとはいえ、民に刃を向けるのは気が進みませぬ。そして、何よりもワリナ姫様の安全を考えれば無理押しもできません。挑発を繰り返して何とか街の外に引き出そうとしておるのですが、あの腰抜けめは亀のように街に閉じこもるばかり。正直、手をこまねいております」
「当然の配慮だと思っているよ。それに、もともと牽制に留めておけと命令したのは私だしね」
判断に間違いなかったと保証する蒼馬にアドミウスは一礼してから「今後は如何いたします?」と尋ねた。
蒼馬はしばし考えてから答える。
「私も力押しで攻めたくはないな。民を傷つけたくないし、ワリナ姫の身も心配だよ」
「そう言えば、ワリナ姫を正妃にお迎えなさると聞いております。元ホルメア国の者として喜ばしい限りです。これは何としてでもワリナ姫をご無事に奪還せねばなりませんな」
「そういうこと」
蒼馬は照れくさそうに笑ってから続けて言う。
「それをアレクシウスに知られても急にワリナ姫の身に危険が及ぶことはないと思うけど、知られていないならそれに越したことはない。街への包囲を徹底し、情報と物資を遮断してね」
蒼馬がラフバンの街を本気で攻略――しかも短期決戦を狙っているのだと察したアドミウスは真剣な顔つきになった。
それとは対照的に蒼馬は淡々と続けて指示する。
「街に厭戦気分が蔓延しているなら、それだけでも十分圧力になるはずだ。さらにそこへ街の民や兵に投降を促せば、戦わずにこちらへ下る者が出るだろう。そうならなかったとしても、アレクシウスが何の対処も取らなければ、彼から民や兵の心がさらに離れるだろうね」
「なるほど。承知いたしました」
指示の受諾を示してから、アドミウスは蒼馬がやってきた方を見やる。
「しかし、圧力を掛けるにしても、いささか過剰ではございませんか?」
アドミウスの視線の先では、蒼馬が引き連れてきた兵たちが陣を張り、駐留する準備を始めているところであった。蒼馬が王都を発った当初、率いていた兵は千程度である。ところが、途中でミュトスなど応援として各地からやってきた兵と合流し、今や万に達しようかという規模となっていた。
それだけの数の兵である。ただ野営の準備を始めただけでも、もうもうと砂塵を巻き上げ、ただならぬ空気を漂わせていた。
「応援はいらないって言ったんだけどね。この戦いに参加しなければ騎士としての名が廃ると言われちゃ、追い返すわけにもいかない」
蒼馬は深い嘆息をもらした。
「おかげでミシェナからは、早急に反乱を鎮圧してくれって泣き付かれたよ」
「それは、それは……」アドミウスは苦笑いする。「涙目で睨んで来るミシェナ女史の顔が思い浮かびます。ですが、酒蔵の鍵を握るミシェナ女史の言葉となれば、あだやおろそかにはできませんな」
ドワーフをはじめとし、歴々たる酒豪ばかりのエルドア国の武将たちにとって、酒類を管理するミシェナは決して怒らせてはならない人のひとりである。彼女を本気で怒らせればどうなるかは、ソロンという実例を頻繁に目にしていればわからぬはずがない。
アドミウスの冗談に笑顔を浮かべた蒼馬だったが、真剣な表情になる。
「応援にやってきた兵の野営の場所割りなどは、それぞれの爵位や面子を考慮しなければならないのでミュトスに任せてきた。でも、その後の用兵については、アドミウスに一任するつもりだ。ミュトスとよく話し合って問題なくやって欲しい」
不測の事態に備え、大将軍であるガラムには王都に残ってもらっている。また、ズーグはロマニア国対策として東部に行ってもらっていた。そのため、この場でもっとも位の高い将はアドミウスとなる。
「おお。万の兵を指揮できるとは恐悦至極。お任せください」
蒼馬の指示に、アドミウスは大軍を指揮するのは武将の誉れとばかりに快諾してくれた。
「それに、ルオマの街のミュトス殿とともに、あのアレクシウスめに意趣を返せるとあれば、これに勝る喜びはありませんからな」
そう言うとアドミウスは楽しげな笑い声を上げながら軽快な足取りでミュトスに会いに行くため歩いて行った。
「相変わらず、良い性格しているな、あいつ」
呆れたようなシェムルの言葉に蒼馬は苦笑いとともにうなずいた。それから蒼馬はドワーフの工兵部隊を率いる戦士を呼び寄せる。
「まず、街から見えるところで適当に穴をいくつか掘って欲しい。それと、大きな櫓みたいなものを建てるんだ」
「穴と櫓ですか?」
訝しげに問い返すドワーフに、蒼馬はしっかりとうなずいて見せる。
「そうだよ。穴は深さとか気にせずに適当に掘ってくれれば良いよ。あと櫓もすぐに壊れなければ耐久性なんて気にしないで良いから。こっちも、とにかく大きく作ってくれれば良いからね」
野営に際して穴を掘って便所を作るのは至極当然のことである。しかし、蒼馬の話しぶりから、掘るのは便所の穴ではなさそうだ。
それに櫓にしても、高い街壁に囲まれているラフバンの街を監視する物見櫓を建てるには、ここでは遠すぎる。それに、物見櫓ならばそうと言えばいいのに「とにかく」など曖昧な物言いである。
何を考えているかわからないが、王の命令とあれば断るわけには行かない。ドワーフはしきりと首をひねりながら、自分の持ち場へ戻っていった。
その次に蒼馬が呼び寄せたのは、女官長のエラディアである。
「ソーマ様、何かご用でしょうか?」
優雅に一礼をするエラディアは、いつもは大国の女官長に相応しい優美な服装が、このときは黒エルフ弓箭兵の戦装束をまとっていた。ただし、王である蒼馬の傍に控える必要からか、装身具を身につけ、戦装束にも飾り布をつけている。
「ラフバンの街の民や兵に投降を促す文を書いて欲しい」
蒼馬がエラディアを呼び寄せた理由が、これであった。孤児を中心に識字率の向上に努めている蒼馬だったが、そうした施策が実を結ぶのには数十年単位の時間が必要である。いまだ大半の人が読み書きができない中で、エラディアが率いる黒エルフ弓箭兵隊だけはほぼすべての者が読み書きを修得していたのだ。
それはもともと高級娼婦の教養として修めていた者が多かっただけではない。知識と教養こそが衰えを知らぬ美しさであるというエラディアの考えから、黒エルフ弓箭兵ではすべての者が読み書きと計算を学ばされていたからである。
「ソーマ様の御意のままに。――住民や兵は、アレクシウスの妄言に騙された被害者であり、今ならば罪には問わないので投降すべし。そのような内容で、アレクシウスたちを悪人に仕立て上げ、住民や兵との間を引き離す内容でよろしいでしょうか?」
純真無垢な乙女のような笑みで、アレクシウスを陥れるような内容をさらりと告げるエラディアに、蒼馬もまた人の悪い笑みを浮かべて答える。
「さすが私の女官長だ。良くわかっている。それをピピたちに空から街中へばらまいてもらってね」
「では、急ぎ準備いたしましょう」
まるで時代劇に出てくる悪巧みをする悪代官と越後屋のようなやり取りを蒼馬と終えたエラディアは、早速自分の部隊へと戻っていった。
「なあ、ソーマ」
エラディアを見送っていた蒼馬にシェムルが声をかけてきた。
「《猛き牙》と義姉上との婚姻の儀式を思い出さないか?」
これからワリナを救出しなければならない大事な戦いを前にしては、何だか楽しげなシェムルの物言いに、蒼馬は首をかしげたが、すぐに思い出す。
ゾアンにおいて氏族が異なる者が婚姻を結ぶ場合には、花婿となる男が相手の氏族のところへ乗り込み、邪魔する男たちを倒して花嫁となる娘を奪い取らなくてはならない。
それは、もっと野蛮だった時代にあった略奪婚の名残である。今ではあくまで儀礼的なものに過ぎないが、氏族の間での戦いも起きるゾアンにとっては、嫁いだ娘とその家族の情を断ち切るために必要な儀式であった。
そして、ガラムがシシュルを妻に迎えるときには、両氏族をまきこんでズーグと派手に殴り合ったものである。
「ああ。確かにそう……なのかな?」
兄であるアレクシウスの下から武力を使ってワリナ姫を妻に迎えるのだから、略奪婚と言えなくもない。
微妙に納得がいかない蒼馬に比べ、シェムルは大きくうなずいた。
「ああ。そうだとも!」
敵対する氏族のところへ乗り込んでまで自分を求められるのはゾアンの娘にとっては、人間で言う白馬の王子が迎えに来るのと似たようなものらしい。
乙女を自称するシェムルにとっても、それは憧れのものだという。
「これは絶対に負けられないぞ! 絶対、無事にワリナを奪い取るぞ!」
シェムルは鼻息も荒く、そう言い切った。
そんなシェムルに、蒼馬は微笑を洩らす。
奪われる花嫁に憧れると言っておきながら、言っていることは花嫁を奪う花婿の台詞である。
しかし、それが何ともシェムルらしい。
「そうだね。必ずワリナ姫を奪ってやろう」
そう言うと蒼馬はシェムルとともに、ワリナが囚われているであろうラフバンの街を見やったのである。
さて困ったぞ。ガラムとシシュルの結婚話を書かなくてはいけないように自分で追いつめてないか、私? 書きたいとは思うのですが、どうしても恋愛ものは苦手で^^;




