第130話 毒蛇の経歴
バルジボア人の出稼ぎ労働者による互助会を原型とする西域全土の闇にはびこる巨大組織「根」。その存在とともに、その総帥として数々の破壊工作や暗殺を指示してきたバルジボア国王セサル・バルジボアのことをトゥトゥはすべて蒼馬へと語った。
「セサル王の指示によるものと思われる『根』の凶行によって命を落とした者は数知れません。さらに私が知らなかったり、気づいていなかったりするものを加えれば、一体どれほどの数になるか。
確証はございませんが、ロマニア国のダライオス大将軍とブルーセス侍従長。このロマニア国の柱石とも言える両名を殺害したのも、セサル王だと私は確信しております」
トゥトゥから一通りの話を聞き終えた蒼馬は驚嘆の念をため息とともに吐き出す。
「にわかには信じがたい話だね」
「誓って真実でございます」
自分を売り込むための虚言と勘違いされては一大事と慌てて言葉を付け足すトゥトゥに、わかっていると蒼馬はうなずいて見せる。
「この段になって、あなたが嘘をつくとは思っていない。だけど、それでもあのセサル王が私を暗殺しようとしたというのは信じがたい話なんだよ」
そこで蒼馬は眉間にしわを寄せた。
「何しろ、あのセサル王が私を暗殺しようとするだけの理由が思いつかない」
これにシェムルが異を唱える。
「何を言っている。ソーマは今や国で一番偉い王なのだぞ。狩りでも戦いでも、群れの頭を押さえるのは当たり前ではないか?」
さらに、「それでも暗殺とはけしからん。男ならば正々堂々と戦いを挑むべきだ」とシェムルは憤慨した。そんな彼女に蒼馬は「本当に挑まれたら、私の方が困るんだけどね」と苦笑してから言う。
「バルジボア国にしてみれば、むしろ私が死ぬのはまずいことなんだよ」
意味がわからないと首をかしげるシェムルへ答える前に、蒼馬はまずマルクロニスへ話を振った。
「ねえ、マルクロニス。バルジボア国の兵力はどれぐらいだっけ?」
長らくホルメア国軍に在籍し、今では主にエルドア国内の治安と防衛を担うマルクロニスは、隣国の戦力についても当然詳しい。しばし記憶を掘り起こすように間を置いてから、マルクロニスは答えた。
「常備軍といえる兵は百から二百。有事の際に国中の戦える男を総動員しても二千に達するかどうか程度でしょうな」
これにシェムルは驚いた。
「ずいぶんと少ないな。建国前に起きた北部諸侯の蜂起の方が多いではないか」
シェムルが言うのは後世で「メンダックスとアッピウスの乱」と呼ばれるエルドア国建国前の内乱のことである。このときアッピウス侯爵を頭とする北部諸侯軍は五千の兵を揃え、アッピウス侯爵だけでも一千の兵を集めていた。
シェムルに「そうだね」と蒼馬は同意すると、続けて言う。
「バルジボアは小国なんだ。国土も小さく人口も少なければ、産出される資源も耕作できる農地もほとんどない。
攻め落としても得られるものはほとんどないのに、国へ入る道は隘路や難道ばかりで守りやすく攻めにくい。
そして、バルジボア国も下手に兵力を増強して隣国から脅威と見なされるよりも、むしろ兵力を押さえ、両大国にへつらい、その間を渡り歩いて均衡を保つことを国の存続方針としていた。
だからこそ、それほどの小国でありながらも――いや、そんな小国だからこそ、これまでホルメアとロマニアの両大国に挟まれたまま存続できたんだよ」
そこで蒼馬は深いため息を洩らす。
「それだけに、私を暗殺する理由がない。特に、ベルテ川沿いの戦いがロマニア国との痛み分けに終わり、互いに兵を損なったまま睨み合いを続ける現状こそバルジボア国の理想に近いはずなんだ。
それなのに私を暗殺などすれば、この国は大混乱だよ。混乱に乗じてロマニア国が攻めてくれば、この国が滅んでしまう恐れもある。それは、両大国の均衡の上に成り立っているバルジボア国にとってもっとも恐れる事態のはずなんだ」
わけがわからないとぼやく蒼馬の意見を後押しするように、エラディアも発言する。
「そもそも、暗殺自体が危険な行為なのです。危ういところでございましたが、こうして陛下がお命を留めましたように暗殺は必ず成功するというものではございません。むしろ、どれほど準備をし、どのような凄腕の暗殺者を手配しても、失敗する可能性の方が高いものなのでございます」
成功すればそれまでの形勢を大逆転できる鬼札ともなる暗殺だが、それだけに人々の拒否感や嫌悪感は強い。もし暗殺が失敗し、その実行者が捕縛され、そこから裏を取られるようなことでもあれば、一大事だ。たとえ得るものが少なくとも、報復と見せしめのために大軍をもって攻め込まなくてはいけなくなる。
そんなことになれば、どれだけ守りに適したバルジボア国と言えど、簡単に吹き消されてしまうだろう。
「かように暗殺とは危険な博打なのでございます。それを追い詰められたならばともかく、理想とも言える現状においてバルジボア国がしかけてきたとは理解に苦しみます」
蒼馬とエラディアの意見に、トゥトゥはもっともな意見と認めつつも「ですが」と続けた。
「そうした常識や当然の判断の光が作る影によって、これまで多くの者たちが、そこに潜む小さな毒蛇の存在を見過ごしてきました。バルジボア国王セサルとは、まさにその人生を暗殺と謀略によって彩ってきた男なのです」
真剣な口調で警告するトゥトゥに、蒼馬はしばらく考えてから提案する。
「どうやら、私たちはセサル王についてよくわかっていないようだね。セサル王について、詳しく教えてもらえるかな」
蒼馬の言葉にトゥトゥは「御意」とひとつ頭を下げてから、ゆっくりとした口調で語り始めた。
「現バルジボア国王セサルは、第四王子としてこの世に生を受けました――」
セサル王の母親は、平民の娘であった。王宮に下働きとして勤めていた母に目をとめた王が戯れに手をつけた結果生まれたのがセサル王だったのである。
王位継承権を有する王子であったものの、母親が平民では何の後ろ盾もなく、少年だったセサル王の王宮での扱いは低かったという。セサル王自身もまた内向的で自室に引きこもり、絵を描くのに没頭するだけの目立たない王子であった。
そんなセサル王が頭角を現すきっかけとなったのが、父王の死である。
父王の死そのものは長らく床に伏した末のものであり、何の疑いも持たれぬものであった。また、次の王も第一王位継承者であった第一王子が順当に選ばれており、何ら問題はなかったという。
ところが、その第一王子が急逝した。
王位継承の儀を行う直前に気晴らしでわずかな供回りだけをともなって遠乗りへ出かけた際である。何かに驚いて暴れた馬から落馬し、第一王子は首の骨を折ってあっけなく死んでしまったのだ。
これによって、バルジボア王宮に王位継承争いが勃発する。
側妃の息子である第二王子の王位継承に、第一王子と同じ正妃の子である第三王子とそれを擁する同腹の第一王女と第二王女が異を唱えたのである。
両者は一歩も譲らず、王宮を真っ二つに割って争うことになった。
しかし、その中でセサル王は、王位継承争いになど我関せずとばかりに早々に中立を宣言すると、相も変わらず絵画に没頭する毎日を送っていたという。
「ですが、その中立を宣言したはずのセサル王が毒殺されかかるのです」
当然、それでセサル王が死ぬことはなかった。だが、それでもセサル王は生死の境をさ迷い続け、再び人前に姿を現せられるようになるには一ヶ月を要したという。
そして、その間に王宮の様相は一変していた。
王位継承を争っていた第二王子と第三王子、さらに第一王女と第二王女までもがことごとく毒殺ないし、不審な事故死を遂げていたのである。
セサル王の毒殺未遂事件をきっかけとした疑心暗鬼に陥った両陣営が暗殺とその報復を繰り返した挙げ句の結果であった。
そうして上位の王位継承者がことごとく死に、気づけばセサル王こそが第一王位継承者となっていたのである。
「これだけでしたならば、まだ悲運の王子とセサル王は呼ばれたでしょう。ですが、バルジボアの悲劇はこれに留まらなかったのです」
そうして王位を継いだセサル王は、ついにその本性を現した。
生き残っていた弟の第五王子が、セサル王の即位翌日に私室に呼び出され、そこで死亡する。
どうして、と驚く蒼馬にトゥトゥは小さなため息とともに言う。
「公式には、自刃となっております」
すなわち第五王子は自ら命を絶ったということだ。
「ですが、その自刃の理由は今をもってなお明らかにはなっておらず、自刃であったことを証明できる者は、その場にいたセサル王以外にはおりません。さらに、それと時を同じくして第五王子の同腹の第三王女が自ら毒を呷って自害いたします。その自害の理由もまた不明です」
いずれにしろ、そうして自分以外の王族がすべて亡くなったことで、セサル王の玉座は揺るぎないものとなった。
しかし、いくら唯ひとりの王族とはいえ、しょせんは政治的後ろ盾がない若き新王である。セサル王は諸侯臣下に侮られ、その執政には難渋したという。とりわけ、前王時代から権勢を誇っていたふたりの有力候が、その急先鋒であった。ふたりは公然とセサル王の執政を非難するばかりか、自らに利するような要求を突きつけていたという。
「相手は権力闘争を勝ち抜いてきた老獪な有力候。とうてい年若いセサル王の手に負える相手ではありませんでした。ついに追い詰められたセサル王は、ある日ふたりの有力候を招き、和解の宴――実質はセサル王の降伏の宴を開いたのです。そして、その宴の席で……」
トゥトゥの口ぶりに嫌な予感を覚えた蒼馬が頬を引きつらせる。
「まさか……?!」
「御意。またもや毒殺騒動が起きたのです。宴の料理に毒が盛られており、それを口にしたふたりの有力候は死に、セサル王だけが毒に中りつつも一命を取り留めたのでございます」
二度も毒殺されかかっておきながら生還し、その都度セサル王にとって都合が良い状況へ変わっている。
「うわぁ……」
蒼馬の口から驚きとも嘆きともつかない声が洩れた。
「ここまでが父王が崩御してから、わずか半年までの出来事。その間に兄弟七人すべてと、有力候ふたりが不慮の死を遂げたことになります。また、この政変に巻き込まれ、死亡ないし失脚した者は数え切れません。これが世に言う『バルジボアの悲劇』でございます」
それは悲劇と言いたくもなるだろう。
そして、その悲劇の渦中にあってなお生き延び、国を掌握したセサル王。
まさにトゥトゥが言うとおり、その人生が暗殺と謀略によって彩られているとしか言いようがない。
「念のために聞くけど、それらはすべてセサル王の仕業なんだね?」
風説を鵜呑みにするのは危険である。蒼馬はそれらが真実であるかどうかトゥトゥへ念を押す。
「さすがに確証はございません」
当時はトゥトゥの組織も弱く、とうてい「根」の本拠地であるバルジボア国まで調査することは不可能だったという。
「ですが、少なくともふたりの有力候を毒殺したのはセサル王に間違いないでしょう。何しろ、ふたりの有力候と対立しており、ふたりが死ぬことで利益を得たのはセサル王以外にはいないのですから」
暗殺を警戒していたであろう老獪な有力候ふたりを毒殺した手腕に加え、毒殺疑惑を避けるためとはいえ自身も毒を食らうという冷徹さ。
これにセサル王を侮っていた諸侯臣下たちは恐れをなし、もはや彼に逆らう者はいなくなったのである。
「それでセサル王自身も政に興味を失ったのでしょう。国政は臣下へ丸投げにし、自身は絵画――そして、国内外への謀略に執心するようになります」
国政を蔑ろにする暗君との評判の裏で、チェズ侯爵という架空の人物を作り上げたセサル王は、「根」の間者を使って次々と死と混乱を招くようになる。
例えば金より友愛が大事だと説いた商人を破産させ、親しかった人々から見放されていくのを観察する。生死を共にするのを誓った戦士たちを仲違いさせて殺し合わせる。領民を大事にしていた領主を領民たちの手で吊させる。
まったくバルジボア国に何ら利益をもたらさぬどころか、たとえそれがバルジボアの国益に反していようとも、セサル王には関係なかった。
「ただ自身の好奇心が赴くままに、『根』の間者たちを使い、謀略の限りを尽くす。それは、あたかも子供が新しく買い与えられた玩具を振り回すようだったと聞いております」
そして、トゥトゥは次の言葉で締めくくった。
「これが西域に潜む毒蛇――セサル王の経歴でございます」
反撃前の事前情報の説明終了。いよいよ反撃開始ヽ(`д´)ノ
でも、その前に次回蒼馬くん周辺で爆弾が破裂予定(´・ω・`)




