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破壊の御子  作者: 無銘工房
興亡の章
431/534

第109話 動静

 癒やしの恩寵と西域屈指の医術を修めたパルフェナが治療を引き受けてくれたことで、蒼馬の容態は急速に快方(かいほう)へと向かっていった――というわけにはいかなかった。

 初日は与えられた薬湯と多量出血の影響もあってか、蒼馬は丸一日も昏々(こんこん)と眠り続けていたのである。

 ようやく目を覚ましたのは、二日目であった。

 しかし、それも腹部の激痛によるものである。焦点の定まらない虚ろな目のまま、まるでうわごとのように腹部の苦痛を訴え、もだえ続けたのだ。そのあまりの苦しみように、シェムルたちは再び薬湯を与えて蒼馬を眠らせるしかなかった。

 そして、迎えた三日目。

 今度は発熱が始まった。

 それは微熱といっても良い程度のものだった。しかし、大量の出血と手術によって著しく体力を損なっている蒼馬にとっては、それは長期に続けば命に関わる危険なものとなってしまう。

 蒼馬を救うべくパルフェナとその従者たちの献身的な看護は続けられていたが、それでも誰もが最悪を思い浮かべずにはいられなかった。

 そして、シェムルたちはそれをただ指をくわえて見ていることしかできず、そんな自分らの非力さを恨み、ただ蒼馬の快癒を神に祈ることしかできなかったのである。

 しかし、そうしている間にも時間は止まることはなかった。

 エルドア国を取り巻く状況は、刻一刻と変化していたのである。


                  ◆◇◆◇◆


「どうだった、ララ?!」

 帰還したばかりのララの顔を見るなり、ピアータは開口一番にそう言った。

 そこはマサルカ関門砦の一角である。エルドア国内を神出鬼没に荒らし回っていたピアータだったが、エルドア国の混乱を目にし、本国と連携を取るためにマサルカ関門砦に帰還していたのである。

「はい。それが殿下。何度、提言を上げられても今はエルドア国へ侵攻はできない、とのモンティウス宰相様の御言葉です」

「何だとっ?!」

 ピアータは、またかと失望してしまう。

 今やエルドア国は混乱の坩堝(るつぼ)である。

 北は元ホルメア国の第一王子アレクシウスが祖国奪還の兵を挙げ、盤石と思われていた西のソルビアント平原でもゾアンの反乱が起きていた。その上、未確認の情報ながら王都で破壊の御子が怪我か病気で倒れたという噂すらあるのだ。

 エルドア国を攻めるならば、このときをおいて他はない。

 そう確信すらしたピアータは、本国ロマニアの王都ロマルニアへ再度の征西を提言したのである。

 ところが、王都からの返事は、再度の征西はできないというものだった。それ以降もピアータは繰り返し提言を上げているのだが、モンティウス宰相の返事は変わることはなかったのである。

「このような好機をみすみす見逃すとは、モンティウス宰相閣下は何を考えておられるのだ?! 兄上は――パルティス兄上は何とおっしゃっているのだっ?!」

 モンティウス宰相では(らち)が明かない。

 そう考えたピアータは、今回も断られた場合は兄王子のパルティスへ直訴するようにララへ言いつけていたのである。

 自分と同じく破壊の御子を脅威と認めるパルティスならば、必ずや自分に賛同してくれるという確信をもってのピアータの指示であった。

 ところが、ララは申し訳なさそうに顔を伏せる。

「パルティス殿下へのお目通りはかないませんでした。私では、その、殿下への非礼に当たると言われまして……」

 それだけ言われればピアータも察しがつく。おそらくはララがかつて自分の愛玩奴隷であったのを理由に手ひどく拒絶されたのだろう。

 信頼する部下への冷たい仕打ちへの義憤もあって、ピアータは決断する。

「このままでは機を(いつ)してしまう! 私自らが本国へ戻り、パルティス兄上へ直談判してくれる! ――デメトリア! 急ぎ王都へ帰還する手配を!」

 銀髪の乳姉妹に準備を命じたピアータだったが、ララが慌てて制止する。

「お待ちください、姫殿下。――モンティウス宰相様より、かかる大事にこそ姫殿下にはマサルカ関門砦に留まり、エルドア国の動向を監視し、変事に備えていただきたい、と強く言われております」

 つまりは帰ってくるな、ということだ。

「宰相閣下は、私に何もするなとおっしゃるのかっ!」

 しかし、いくらピアータが納得できなくとも宰相の命令には逆らえない。あくまでピアータは王女もしくは一部隊の隊長に過ぎなかった。敬意を払われるべき血筋ではあっても、一部隊の隊長以上の権限などありはしないのだ。これでは国政を預かる宰相の意向に逆らうわけには行かなかった。

 口をへの字に結び、「ぐぬぬぬ」と悔しげな声を洩らしていたピアータだったが、不意に悪戯(いたずら)を思いついた悪ガキのような笑顔になる。

「よし! 私は、それを聞いていなかった! ララとは行き違いになったことにしよう!」

 妙案を思いついたと得意げな顔になるピアータだったが、ララが申し訳なさそうに告げる。

「私が王都を()つのと同時に、モルカフへ姫殿下と協力してエルドア国に備えるよう早馬にて命令を出すと、モンティウス宰相様がおっしゃっておりました」

 モルカフとはラビアン河を挟んでマサルカ関門砦の対岸にある河港の街のことだ。ホルメア国側との貿易港の街として栄えているロマニア国の玄関口ともなる街である。

 ロマニアへ帰国しようとすれば必ず通らねばならないモルカフへピアータと協力して変事に備えるように早馬を出すということは、ピアータが無断で帰還しようとするのを防ぎ止める命令に他ならない。

「な、何だとっ?!」

 これにはピアータも愕然としてしまった。

「さすが宰相閣下。姫殿下のご気性を良くご理解なさっていらっしゃる」

 そうデメトリアに茶化されたピアータは、悔しそうにその場で地団駄を踏み始めた。

 その姿を微笑ましく見つめていたデメトリアだったが、その眉をひそめる。

「モンティウス宰相閣下は、何故(なにゆえ)の心変わりなのかが気になる」

 デメトリアは言葉にはせず、胸の内で呟いた。

 モンティウス宰相は、以前より王女であるピアータが兵を率いて将軍の真似事をするのにいい顔はしていなかった保守的な考えの持ち主である。そのため、モンティウス宰相がピアータの提唱する再度の征西に反対すること自体は理解できた。

 だが、ピアータの帰国まで許さないのはおかしい。デメトリアが知るモンティウス宰相ならば、むしろピアータを前線から王都へ呼び戻そうとするはずである。

 何か善からぬことが起きているのかも知れない。

 デメトリアは敬愛する主君の前途へ垂れ込めようとする暗雲を予感せずにはいられなかった。


                  ◆◇◆◇◆


 現在、王都ロマルニアでもっとも多忙なのは誰かと問われれば、それはモンティウス宰相であろう。

 新王が決まっていない現状にあっては国政のすべてを取り仕切らねばならないのは無論だが、今は通常の政務以外にも先の征西における恩賞の配分、それによる各派閥への配慮、征西の損害に対する補償、そうした国庫の損失をどのように補填するかなど、征西の後始末もしなくてはならなかった。そのどれひとつ取ってみてもおろそかにできるものではない。

 そうした片づけねばならない政務の質と量ともに、とうていモンティウス宰相ひとりでは(さば)ききれるものではなくなっていた。

 しかし、他の人の手を借りたくとも、その借りる手がない。武勇のみが重要視されがちなロマニア国にあっては、そうした政務の処理を行える能力を持つ者自体が少なかった。そのため、モンティウス宰相はたとえ無理と承知していてもやらざるを得ない状況だったのである。

 そうは言っても、モンティウス宰相にとっても自業自得の面もあった。

 それはゴルディア王子を政務から遠ざけたせいである。

 ゴルディア王子は軍事の能力についてはからっきしだが、こと政務においてはモンティウスも(うな)らざるを得ないほどの能力の持ち主だ。

 そんなゴルディア王子がいたからこそ、ドルデア王が崩御した直後でさえ大した混乱もなく乗り切り、あまつさえ征西へと打って出られたのである。

 このような状況になって、改めてモンティウス宰相はゴルディア王子のすごさを感じずにはいられなかった。

 しかし、それだけにまずかったのだ。

 征西を決行するためとはいえ、自らの王位継承権放棄にまで言及したことで玉座から大きく後退したゴルディア王子だが、それと同時にモンティウス宰相が推すパルティス王子としても破壊の御子を討ち取れずに約束を果たしていないという負い目がある。

 そんなところへゴルディア王子の政務における有能さを示されては、せっかく立てた優位を失ってしまう恐れがあった。

 そのためモンティウス宰相は自分の手には余るとは承知しつつも、文句ひとつ言えずに政務を処理し続けるしかなかったのである。

「モンティウス宰相はいるかっ!」

 そんな多忙なモンティウス宰相の執務室の扉をノックもなく乱暴に開いて入ってきたのは、パルティス王子であった。

「これはこれは、パルティス殿下。――いかがされましたでしょうか?」

 目の下に色濃いくまをつけたモンティウス宰相は、それでも無理矢理に笑顔を作ってパルティス王子を迎えた。

「うむ! 忙しいとは承知していたが、妹からの伝令が来たと聞いてやってきた! ピアータからは、何か言ってきたか?!」

「はて? いつもの定期連絡のみでございましたが、殿下におかれましては何か気にかかることでも?」

 モンティウス宰相はピアータからの征西の提言を握りつぶしているのをおくびにも出さず、逆に聞き返した。

 すると、パルティスは眉根を寄せて腕組みをする。

「妙なのである!」

 それにモンティウス宰相がなぜかと問うと、パルティスは首をひねりながら答えた。

「西より感じる運気が荒れていた。さらにそれが先日からは嵐と例えるのも生ぬるいものとなっておるのだ。これは何かとてつもない変事が起きたに相違ない。それも国ひとつを覆わんばかりの巨大な運気となれば、きっと破壊の御子めに何かが起きたのであろう!」

 これにモンティウス宰相は、ぎょっとした。

 せっかく王位継承で優位に立ち、その地盤を固めるためにも今はパルティス王子に国内へ集中してもらいたいモンティウス宰相は、エルドア国で相次いで起きた反乱の報せを握りつぶしていたのだ。

 相変わらず勘の鋭いお方だ。

 モンティウス宰相は冷や汗を掻きながらも、空とぼける。

「はて。そういえばエルドア国の北部で小規模な反乱が起きたとは聞いておりますが、それやも知れませんな。ですが、ピアータ姫がおっしゃるには、程なく鎮圧されるぐらいのもの。殿下がお気にかけられるものではございません」

 根が素直なパルティスである。モンティウス宰相が、そう言うのならばそうなのだろうと納得した。

 しかし、またいつもの勘を働かせて不審がられては大変だ。モンティウス宰相はその余裕を与えないように続けて言う。

「さて、そろそろ評議の時間ですぞ」

「評議か。大事な話をしているのはわかるが、俺には国政とか難しくてわからん」

 王が群臣や諸将を集めて国政を(はか)る評議だが、どうにもパルティスは苦手だった。子供のようにすねた顔をするパルティスに、モンティウスは軽く笑ってからたしなめる。

「今のうちよりなれていただかなければ困りますぞ――」

 モンティウス宰相は、次の言葉をやや力を込めて言う。

「パルティス陛下」

 明らかな追従(ついしょう)の言葉に、しかしパルティスはきょとんとした顔をしてから、すぐに笑った。

「モンティウス宰相もボケたか? 私は王ではないぞ」

 それは謙遜でも不敬を恐れてでもなく、ただ本心からの言葉であった。

 何と真っ直ぐな方か。

 モンティウスは苦笑いを浮かべた。

 しかし、そこに(あなど)りや軽蔑の念が湧かないのはパルティス王子の人柄であろう。どういうわけか、このあまりに単純で愚直な王子を盛り立てていきたいと思ってしまう。そんな不思議な魅力がパルティス王子にはあった。

「これは失礼いたしました、殿下。――ささ、評議の準備を」

「うむ。しかし、面倒である。こういうことは兄上に任せるのに限るのだがな」

 パルティスは、ふうっとため息をついた。

「父上も何か御遺志を残してくだされば良かったのに」

 モンティウス宰相は、ドキッとした。

 その動揺に気づいたパルティスが尋ねる。

「ん? どうかしたか、モンティウス宰相?」

「い、いえ。何でもございません。それよりも、さあお急ぎください。私も急ぎ準備をして参りますので」

 そう言ってパルティスを執務室から追い立てたモンティウス宰相は扉を閉めた。そして、その場に座り込んでしまう。

「大丈夫だ。何も問題はない。何も……」

 そう自分に言い聞かせるモンティウス宰相の脳裏には、暖炉の中でドルデア王の遺書が燃え上がる光景がこびりついて離れなかった。


                  ◆◇◆◇◆


「パルフェナめは、いまだ城より出てこないのか……」

 エルドア国の王都ホルメニアにあるバルジボア国の拠点となる屋敷の中で、セサル王は苛立(いらだ)たしげにそう洩らした。

 蒼馬襲撃の翌日に王城へ入ったパルフェナ王女の一行が、三日経った今になっても城から出てこないのだ。

「おかしい。これは一体どういうことだ……?」

 これまでのパルフェナの行動を鑑みれば、腹部を刺された相手の治療を引き受けるとは思えなかった。そして、治療を引き受けなければ城に長居はできないはずである。それが今なおも城に留まり続けているとなれば、治療の交渉のために拘束されているか、もしくは治療を引き受けたかのどちらかだ。

「拘束されているのならば良いが、まさか治療を引き受けたのか……」

 セサル王は即座に自分の言葉を否定する。

「あれほど深く腹を刺されたのだ。パルフェナが受けるとは思えぬ。受けたとしても、とうてい助かるわけがない」

 しかし、いくら否定してもセサル王の中から疑念が消えることはなかった。

忌々(いまいま)しい。凡人の分際で悪運だけは強いか……」

 セサル王は舌打ちを洩らした。

「ロマニアが動いたという報告はあるか?」

 いつでもセサル王の命令に応じられるように壁際でジッとたたずみ、控えていた王付の女官の姿をした「根」の女間者デリラが即座に答える。

「いえ。ございません、陛下」

 そうした動きがあれば、すぐさま報告が上がってくるようになっていたため、ないのを承知した上での確認だったのだが、それでもセサル王は落胆の吐息を洩らした。

「国崩しの猛毒が効き過ぎた……」

 それ自体はセサル王の狙いどおりだったのだが、まさか仕留められると思っていた破壊の御子が生き延びたとしたらロマニア国の国崩しの猛毒による弱体化は裏目となってしまう。

「急ぎ善後策を講じねばならん。国へ戻るぞ」

 帰国の支度を命じたセサル王に、デリラは素っ頓狂な声を上げる。

「帰国なされるのですか?」

 いつもは唯々諾々(いいだくだく)と従うデリラらしからぬ言葉に、セサル王は剣呑に目を細める。

「それがどうした?」

 セサル王の声にこもった険に、デリラは慌てて頭を下げて恭順の意を示す。

「いえ。何でもございません。失礼いたしました」

 帰国の準備のために退室したデリラは、セサル王が帰国する旨を屋敷の人間に伝えるべく廊下を歩きながら、その胸の内は不安に覆われていた。 

 何でもないと言ったのは、嘘である。

 デリラが知るセサル王は、自らの失敗すらも喜劇と笑い、他人の悲劇をもてあそぶ人間だ。そんなセサル王ならば、破壊の御子を殺し損なったかどうか、お見舞いがてら見に行こうと言い出しかねないと、デリラは警戒していたのである。

 それが善後策を練るために帰国を急ぐなど、あまりにもセサル王らしくなかった。

 破壊の御子にかかわると、陛下はおかしくなってしまう。

 これ以上、セサル王に破壊の御子に関わって欲しくなかったデリラであったが、女間者にしか過ぎない彼女にはそれを口にすることは決して許されないものだった。


                  ◆◇◆◇◆


 各国の勢力が動き出す中で、エルドア国においても新たな動きがあった。

 それは蒼馬が襲撃されたという急報を受け、次々と各将たちが王都へ帰還したのである。

 そして、その日もまた王城に二騎の騎馬が駆け込んできた。

 城門を守っていた兵は馬に(またが)っていた将の姿を見届けると、その帰還を報せるべく声を張り上げる。

「大将軍閣下! 獣将閣下! 御帰還なされましたぁ!」

 ガラムとズーグのソルビアント平原からの帰還であった。

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[良い点] 都合よくパッと治らない生生しさ。 [気になる点] 皆ちゃんと働いてる? セサルは相変わらずノーマークですけんど。 [一言] パルティスもセサルも形は違うけど情報チートよな。怖
[良い点] ロマニアブラザーズすき [一言] セサルくん渾身のラブレター(匿名)送ったのに返事どころか、かわいい転校生(聖女)にソーマくん持ってかれたみたいでかわいそう
[良い点] 将気! 猛気! 運気! なんだこいつ…… [一言] 結構前からセサルが言っているロマニアの猛毒というのは生き残るはずのソーマの利になりそう? しかしその猛毒が何なのかがわかりません 続きが…
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