第74話 ベルテ川の戦い21-最強対英雄
密集陣形を組む中央本隊の中を強引に通り抜けたパルティスは、ちらりと肩越しに後ろを振り返る。
すると、中央本隊の向こう側で後方へと動く将気を捉えた。
「おお! あれはピアータであるな!」
パルティスは、ニカッと笑った。
ピアータが後方に回ったのならば、ロマニア国軍の後方を焼き尽くそうとしていた大炎もしばらく食い止められるだろう。
「うむ! ピアータは、愛い妹である! 後で人形のひとつも買ってやらねばなるまい!」
それから正面へと向き直ったパルティスは手綱を握る手に力を込めた。
「妹に頼ってばかりでは兄としての面目が立たん。これは何としてでも破壊の御子の手をすり抜けて、奴の首を刈りに行かねばならんぞ」
そう洩らすとパルティスは馬の脇腹に小さく蹴りを入れ、さらに馬を速く走らせた。
今やパルティスの前には、無人の野が広がっている。もはやパルティスの行く手を阻む障害はなかった。遅ればせながら右手から敵の部隊が進路を塞ごうと向かってきているが、とうてい間に合うものではない。
後から続く味方を導くために、一際大きく旗を掲げながらパルティスは包囲の外へと駆け抜けようとした。
ところが、その行く手に大きな影が割り込んでくる。
地面を削るように横滑りしながらパルティスの行く手に立ちはだかったのは、愛用の鉄鎖つきの鉄球を担いだディノサウリアン――ジャハーンギルであった。
「我は偉大なる竜の末裔にして、竜将たるジャハーンギル・ヘサーム・ジャルージなり!」
堂々と名乗るジャハーンギルに、パルティスは「ほう」と感嘆の声を洩らした。
その巨体からの怪力で恐れられてはいるが、鈍重とも言われるディノサウリアンである。ところが、進路に駆け込んできたときの俊敏さは、鈍重どころか野生の獣のそれであった。
まさに驚嘆すべき相手と言えよう。
しかし、それでも相手はわずかひとり。決して恐れるものではない。
鎧袖一触に蹴散らしてくれる。
そう思ったパルティスだったが、すぐに眉根を寄せる。
「何だ、こやつは?」
将気とは非凡なる将が、あまたの兵を己が手足の如く扱い、戦場の流れを左右せんとし、その人の内より外へ向けて放たれる気のことである。そのため、それが大きければ大きいほど、非凡であれば非凡であるほど遠くからでも容易に見分けられるものだ。
そして、目の前に立ち塞がるディノサウリアンからは、そうした将気というものがまったく感じられない。
「……何と!」
だが、パルティスは感嘆の声を上げた。
ディノサウリアンから将気に代わって感じられるのは、自身の内側に向けられた強固な自負。
我こそが最強である。
ただその一念をもって、これまでパルティスが知る誰よりも大きな気をその身のうちに凝り固めていたのだ。
あたかも莫大な熱と圧力によって地中に生み出される金剛石を思わせるその純粋な気の輝きに一瞬我を忘れて魅入ってしまっていたパルティスだったが、ジャハーンギルが鉄球を握り締めた右手を振りかぶったのに我へ返る。
「これはいかん」
そう言うとパルティスは、手綱を放り出して空いた右手で自分がまたがる鞍を力強く突いた。そうして鞍から尻をわずかに浮かせると、それとともに引き上げた両足を尻と鞍のわずかな隙間にねじ込ませる。それからパルティスは渾身の力をもって自身の身体を後方へと蹴り出した。
手にした旗をはためかせながら宙を舞ったパルティスは、見事な平衡感覚を披露して地面に激突することなく両足から降り立った。それでも馬に乗っていた勢いに背中を押されるまま、前へ二歩三歩とたたらを踏んでしまう。だが、手にした旗竿を杖代わりにして何とか転倒することなく踏みとどまった。
その間にも背中に乗せる主人を失った馬は走り続け、ジャハーンギルへと突っ込んだ。
馬と激突する。
そう思われた寸前、ジャハーンギルは握り締めた鉄球を全身全霊の力を込めて、突っ込んでくる馬の頭へ振り下ろす。
爆弾が炸裂したような衝撃音が轟いた。
ジャハーンギルの鉄球は一撃で馬の頭部を粉砕した。そればかりか馬の頭蓋骨を粉砕しただけでは飽き足らず、勢いあまって鉄球を地面へと叩きつけてしまう。そして、頭部を粉砕された馬の身体もまた、鉄球に引きずり下ろされるように地面へくずおれていく。馬の巨体が地面に触れた次の瞬間、それまで駆けていた勢いが逃げ場を求めて馬の巨体を宙へと跳ね上がらせる。馬の巨体が宙を舞い、大きな弧を描きながらジャハーンギルを飛び越えていった。
そして、地響きを立てて落ちた馬の巨体を背に、ジャハーンギルは鼻から勢いよく息を吹き出して両腕を大きく広げる。
「我は強い! 我、最強!」
得意げに言い放つジャハーンギルであったが、ちょうど体勢を立て直したばかりのパルティスと目が合う。
ジャハーンギルは、目をぱちくりとさせる。
それからジャハーンギルは、くるりと後ろを振り返った。そして、横たわる馬の死骸の周りを見回し、さらにわざわざ馬の死骸を持ち上げてまで騎手の死体がないのを確認する。当然、騎手だったパルティスの死体など見つかるはずがない。ジャハーンギルは気分を害されたとばかりに荒い鼻息をついた。
それからジャハーンギルは仕留め損なった獲物を逃がしてなるものかと、突進すべく前傾姿勢となる。
それに対してパルティスは手にしていた旗を地面に突き立てると、仁王立ちになった。それから音を立てて息を吸い込むと、それを声として放つ。
「貴公! ――」
突進しかけたジャハーンギルは間を外されてたたらを踏む。
そんなジャハーンギルに、パルティスはいきなり兜を脱ぎ捨てると、ニカッと笑って見せた。
「――私に仕えよ!」
思わぬ言葉に、ジャハーンギルは目をぱちくりとさせた。
「気に入った! 一目惚れである! 是非とも我が幕下に、そなたが欲しい! どうだ! 私に仕えぬか?!」
パルティスの提案に、ジャハーンギルはその太い両腕を胸の前で組むと、身体が横に傾くぐらい首をかしげた。その体勢のままうなっていたジャハーンギルだったが、しばらくしてから身体をまっすぐに戻すといきなり両腕を広げて空に向かって吠える。
「我、ばんぷふとー!」
これにパルティスは大きく目を見張った。
それからパルティスは苦渋に顔をゆがめる。
「むむむ。そうか。残念だ。――しかし、惜しい。どうだ、考え直さぬか? そなたが望むだけの地位、領地、俸禄を約束しようではないか!」
パルティスの誘いに、ジャハーンギルは牙を剥いてぐわっと短く吠えた。
「いやいや。そういうつもりで言ったのではない」
慌てて謝罪してからパルティスは手で顔を覆うと空を仰いで嘆く。
「ああ! 何と妬ましいことか! あの赤毛といい、先程の将気の持ち主といい、こやつといい、なぜ凡人たるあやつのところに、これほどの英雄が集うのか? いや。むしろ凡人たるが故なのか? うむ、それもまた興味深いことである!」
これにジャハーンギルは、なぜか自慢げに胸を反らして、ぶふーっと大きな鼻息を洩らした。これにパルティスは深くうなずく。
「そうか、そうか! それでは仕方ないな!」
そして、ふたりは大きな口を開けて、わははと笑い合った。
すると、そこへようやくパルティスの槍持ちの従者が追いついてくる。従者は笑い合うパルティスとジャハーンギルを交互に見やってから、恐る恐るパルティスに尋ねた。
「殿下。あれとはお知り合いでいらっしゃられるのですか?」
これにパルティスは即答する。
「いや。まったく知らん!」
目を白黒とさせる従者へ手にしていた旗を押しつけると、パルティスは代わりに槍を受け取った。
「まことに残念であるが致し方ない。杯を交わせぬとあらば、後は刃を交わすのみである。――我はロマニア国が第二王子、パルティス・ドルデア・ロマニアニス! 推して参る!」
そう言うなりパルティスは槍を腰だめに構えたままジャハーンギルへと突っ込んでいった。
これにジャハーンギルは鉄球の一投をもって応じる。
しかし、それをただの投擲と侮るなかれ。怪力を誇るディノサウリアンの中でも卓越した身体能力を持つジャハーンギルの渾身の投擲ともなれば、投じられた鉄球はまさに大砲の砲弾に等しい。命中すれば、重甲冑を着込んだ騎士ですら屑鉄まじりの肉塊に変えてしまう一撃だ。
ところが、その鉄球がジャハーンギルの指先から離れる寸前、突進するパルティスが右へ一歩だけずれた。
その直後、ジャハーンギルの鉄球が空気をぶち抜きながらパルティスの左脇をかすめて飛ぶ。
当たらなかった?
ジャハーンギルの一投は、まばたきするほどの間に目標をぶち抜いく必殺必中の攻撃だ。とうてい回避できるようなものではない。
これまでの経験から自分の投げた鉄球を避けられるとは思っていなかったジャハーンギルはわずかに驚いた。
しかし、その間にもジャハーンギルの身体は戦闘本能のまま次の攻撃へと移っていた。爆砕するように土砂を吹き飛ばして地面にめり込んだ鉄球とつながる鎖をジャハーンギルは横へと振るう。すると、鎖が大きく蛇行してパルティスの足へ襲いかかった。
ところが、またもやそれよりも一瞬早く、パルティスがひょいっと飛び上がる。
触れれば肉をえぐり、骨を打ち砕く太い鉄鎖が、あたかも縄跳びの縄のようにパルティスの足の下を通り抜けてしまう。
必殺の攻撃を二度も回避されるという未知の経験に戸惑いつつも、ジャハーンギルは腕に力こぶを作り、渾身の力で鎖をたぐり寄せた。
先程投じられたときを逆再生するかのような速度でジャハーンギルのところへとたぐり寄せられた鉄球は、ちょうどその途中にいたパルティスの後頭部へと襲いかかる。
ガンッと激しい音がした。
しかし、それは鉄球がパルティスの後頭部を砕いた音ではない。いつの間にか後ろ手に持たれて後頭部を守るように立てられたパルティスの槍の柄に鉄球が弾かれた音である。
槍の柄によってわずかに軌道を変えられた鉄球は、ほとんどその勢いを減じぬままにジャハーンギルの顔面へ向かって飛ぶ。
とっさにジャハーンギルは顔の前に左手をかざして鉄球を受け止めた。危うく自らの武器で顔面を砕いてしまうのをすんでのところで回避したジャハーンギルだが、それがために左手が作ってしまった視覚の陰から、今度はパルティスの鋭い刺突が襲ってくる。
死角から突き出される槍の穂先をジャハーンギルは本能に任せるままに左足を大きく引き、その太い尻尾をうねらせてバランスを取って身をのけぞらせながら何とかかわした。
しかし、さすがはジャハーンギルである。ただ避けるだけでは終わらない。
のけぞりつつも突き出された槍の柄をジャハーンギルは引っ掴んだ。そして、その槍を握るパルティスごと引き寄せてくれんと力任せに槍を引っ張った。
ところが、またもやそれよりも一瞬早くパルティスが槍から手を離してしまう。そのため、ジャハーンギルは勢い余って後方へ槍を放り投げるだけとなってしまった。
そうしてジャハーンギルの体勢が崩れている間に、パルティスは素早く後退して間合いを取る。
両者は、再び最初に向かい合った位置に戻っていた。
距離を置いてジャハーンギルと睨み合いながら、パルティスは底抜けに明るい笑みを浮かべる。
「貴公、驚くほどわかりやすいぞ!」
そう言うパルティスの右頬に、つうっと一筋の血が流れた。
弾いたはずのジャハーンギルの鉄球が、わずかにパルティスの側頭部をかすめていたのである。それによってできた傷からにじみ出て、頬へと伝う血をパルティスは乱雑に手の甲で拭う。
「それでもなおかわしきれぬとは、さすがである!」
パルティスの賞賛に、ジャハーンギルは無言でその長い舌で自分の左頬をべろりと舐めた。その舌先に感じるのは、パルティスの槍の穂先がかすめてできた傷から流れる血の味である。
パルティスは足下に転がっていた誰のものとも知れない槍を蹴り上げた。跳ね上がった槍を宙でつかみ取ったパルティスは、くるりと一回転させてから腰だめに構える。
「次こそ、貴公を我が勲に加えてやろう!」
槍を構えるパルティスに、ジャハーンギルも鉄鎖を胸の前で真一文字に張って迎え撃つ態勢を取った。
空気そのものがささくれ立つような緊張感の中で、ふたりは無言で睨み合う。
そして、ついにその緊張が限界に達しようかという寸前で、パルティスの後方から複数の馬蹄と足音が近づいてくるのに気づいた。
「パルティス殿下ぁー!!」
それはようやくパルティスに追いついてきた取り巻きの将軍たちであった。
槍を構えたまま、ちらりと肩越しに彼らを見やったパルティスは声を張り上げる。
「手出し無用! 貴公らでは、あれは手に余る! 私に任せるが良い!」
そう言い切ったパルティスだったが、その背中に騎士のひとりが跳びかかる。
「殿下! 御免!」
「お?」
いきなり後ろから羽交い締めにされたパルティスは、間の抜けた声を上げた。
「殿下! 失礼いたす!」
さらに別の騎士にパルティスは右腕を抱きかかえられてしまう。
「な、何を?!」
そう叫び返す間にもパルティスは左腕を掴まれる。
「殿下! お叱りは後で!」
「何をしておる? 私にかまわず前へ進め」
次々と自分を拘束しようとする騎士たちに、パルティスは困惑の声を上げた。しかし、騎士たちはそれにかまわずさらにパルティスの身体を拘束していく。
「危のうございます、殿下! 総大将たる御身が、名も知れぬ敵と一騎打ちなどとは!」
「いや。そんなことよりも、前へにだな――」
「危のうございます!」
有無を言わさぬとは、まさにこのことである。
その剣幕に、さしものパルティスも怯んでしまう。その隙に将軍が声を張り上げる。
「殿下にお下がりいただけっ!」
そして、その声を合図に騎士たちはパルティスを一気に後方へと引きずっていった。
「おおおおおぉぉぉっ?!」
パルティスはおかしな叫び声を残して後方へと引きずられていってしまった。
せっかくの歯ごたえのある敵との戦いに興奮していたジャハーンギルは、この思わぬ展開にしばしきょとんとしてしまう。
パルティスの姿が敵兵の中に埋もれてしまう頃、ようやく我に返ったジャハーンギルは逃がしてなるものかとばかりに飛び出した。
しかし、そのジャハーンギルの前に多数のロマニア国軍兵が割って入る。いずれも自国の王子を守らんと決死の覚悟を決めた兵たちだ。追撃しようとするジャハーンギルを迎え撃たんと長槍の穂先を揃えて立ち塞がる。
だが、ジャハーンギルにはパルティスしか目に入っていなかった。何の躊躇もなく、そのまま敵兵のまっただ中へ突っ込もうとする。
「親父! 深追いは危険だ」
それを後ろから飛びついて止めたのは、彼の長子メフルザードであった。続いて次男のニユーシャーも無言で加わり、父親を後ろへ下がらせようとする。
「ばんぷふとーだ、親父! ばんぷふとー! ばんぷふとーだぞ!」
それでも兄たちを引きずって前へ出ようとする父親を末子のパールシャーが何とかなだめつつ兄弟と力を合わせて後方へと引き下がらせる。
すると、そこへ兵を引き連れた蒼馬がやってきた。
「よくやった、ジャハーンギル!」
まず蒼馬はパルティスを食い止めたジャハーンギルの功績を讃えた。
その声に、息子たちを引きずったままパルティスを追いかけようとしていたジャハーンギルがぴたりと立ち止まる。
ようやく止まってくれた。
そう三兄弟が安堵して気を抜いてしまったのは失敗である。不意にジャハーンギルは身体を大きく震わせた。この不意打ちに、それまで必死に父親を拘束していた三兄弟もたまらず振り飛ばされてしまう。
息子たちを振るい落としたジャハーンギルは、のしのしと足音を立てて蒼馬の乗る馬の前へとやってきた。
そして、両腕を大きく広げて空に向かって吠える。
「我、ばんぷふとー!」
その咆吼に蒼馬を乗せていた馬が驚いて前脚を跳ね上げる。いきなり暴れた馬上から振り落とされまいと必死に鞍にしがみつく蒼馬と、「この馬鹿トカゲ!」と怒鳴りながら必死に馬を押さえ込もうとするシェムルの前で、ジャハーンギルは得意げに鼻を鳴らして見せた。
何とか振り落とされずにすんだ蒼馬は、ホッと胸を撫で下ろしながらジャハーンギルに言う。
「すぐにディノサウリアンのみんなを中心に横陣を敷くんだ! ロマニア国軍をここで食い止めるよ!」
これにジャハーンギルは興奮とともに熱のこもった鼻息を蒸気噴射のように鼻から噴き出した。それから踵を返すと、いまだに地面に転がる息子たちに牙を剥いて短く吠える。
「そりゃないぜ、親父……」
愚痴りながらも立ち上がった長男のメフルザードに、次男のニユーシャーは無言で首を横に振った。そして、その間にも末弟のパールシャーはディノサウリアンたちに指示を出す。
「親父を中心に壁を作れ! 急げ! 人間やエルフたちは、俺たちの後ろで援護に回れ!」
ジャハーンギルを中心に本陣の兵たちがディノサウリアンたちを前列とした横陣を敷いていく。
その中で馬の轡を取ったシェムルが蒼馬へ言う。
「ソーマ! ここでおまえが討ち取られては元も子もない! おまえは後ろに下がるぞ!」
パルティスが包囲から脱出するのを阻止するために本陣の兵をここへ連れてくるだけで、蒼馬の役割は終わっていた。このまま最前線に踏みとどまっても、かえって害が大きくなるだけだ。蒼馬もまたそれは理解しているため素直にシェムルの言葉に従い、シャハタやモラードなどの一部の護衛とともに後方へと移動する。
「見ろ! あれが破壊の御子だ! 破壊の御子が、あそこにいるぞ!」
当然、蒼馬の存在を敵味方に誇示する「ソーマの黒旗」をロマニア国軍が見逃すはずはなかった。後方へと下がる「ソーマの黒旗」を指さし声を張り上げる。
「破壊の御子を討ち取れ! 奴の首を取った者には、褒賞は思いのままだぞ! 武功を挙げよ!」
目の前に現れた蒼馬の存在にロマニア国軍が沸き立った。
褒賞と名誉欲に浮かされてロマニア国軍の兵たちが押し寄せてくる。
これをジャハーンギルたちディノサウリアンを中心としたエルドア国軍が迎え撃つ。
剣戟の音を伴奏にした、怒号と断末魔の不協和音の戦場曲が巻き起こった。
◆◇◆◇◆
「おまえらの大好きなダリウスのところへ送ってやるから、とっとと死にやがれ! この紙ぺら!」
力任せに片手斧を何度も盾に叩きつける蒼狼兵のアンガス。
「棒きれごときに殺されたとあっては閣下に顔向けできんわ! おまえこそくたばれ!」
負けじとやり返す「黒壁」のアドミウス。
「蒼狼兵どもは『黒壁』に任せろ! わしらは後続の敵兵どもを食い止めるんじゃい!」
ドワーフ重装歩兵を率いて斧槍を振り回して戦うドヴァーリンと、それに続きながらノルズリはアドミウスとアンガスの戦いを横目にぼやく。
「まったく、敵が多くてたまらんわ。――まあ、あいつらの戦いに巻き込まれるよりマシかいのぉ」
◆◇◆◇◆
「デメトリア! 皆の者! 声を上げろ! 我ら百狼隊がここにありと、味方に示すのだ!」
ピアータの号令とともにデメトリアたち百狼隊が声を張り上げた。
「くそっ! あの金毛を射殺せないか?!」
周囲を百狼隊の騎士たちに囲まれたピアータを指さして吠えるズーグに、黒エルフ弓騎兵の隊長は焦燥もあらわに返す。
「先程から狙っております、獣将殿! ですが、近くにいる銀髪の重装騎兵がその身を壁にして邪魔をしているのです!」
そして、そこより少し離れたロマニア国軍最後方では、副将のセルティウスもまた必死に声を張り上げ、崩れかける兵たちを叱咤していた。
「見よ! 姫殿下が、ああして奮戦なされているのだぞ! それをここで我らが先に崩れれば、ロマニア国男子の名折れと知れ!」
◆◇◆◇◆
「今こそ、その牙を突き立てよ! その爪で切り裂け! そのたてがみで威を示せ! ゾアンの勇士たちよ! 敵を打ち倒せぇ!!」
ロマニア国軍本隊中央の側面を攻撃するガラムは、同胞の戦士たちを鼓舞すると、自らも二刀の山刀を手に敵へと斬り込んでいく。
「もうすぐ敵はガラム大将軍閣下によって側面から崩される! あと少しで我らの勝利だ! もう少し我慢するだけで、我らは勝利できるのだぞ!」
ロマニア国軍の圧力を正面から受け止めるセティウスは、兵たちに希望を示して踏みとどまらせるとともに、敵の動揺を誘うべく大声を張り上げていた。
◆◇◆◇◆
各所でエルドア国とロマニア国の将たちが、勝利の天秤を自軍へ傾けようと奮戦していた。大きく左右へと揺れていた勝利の天秤が、徐々に徐々に一方へと傾いていく。
そう。エルドア国軍側へと――。
これは、いける!
次々とやってくるハーピュアンたちが届ける各所の戦況報告を聞いた蒼馬はぐっと拳を握り締めた。
左翼では、いまだ「黒壁」と蒼狼兵が激しくぶつかり合っているものの何とか敵を食い止められている。そして、後方では予期せぬピアータの参戦によって期待していた効果は上げられていないものの、ズーグの奮闘によって膠着状態へと持ち込めていた。
そして、中央ではセティウスが寡兵ながらも多勢である敵本隊を見事に足止めしてくれているおかげで、ガラムたちの側面からの攻撃が効果を上げ始めている。いよいよ敵本隊の中から、混乱し、恐慌状態となる兵たちも出始めたようだ。
「このまま押し切れる!」
蒼馬が、そう確信した。
「これは、まずいな」
ほぼ同時にパルティスは渋い顔で洩らした。
そして、いよいよ「ベルテ川の戦い」に決着がつく。
そう思われた、そのときである。
突如、どおんっ、どおんっと大太鼓の音が戦場に轟いた。
「何だっ?!」
蒼馬は驚きの声を上げた。
「ソーマ! あれを見ろ! 後ろだ!」
シェムルが指し示す方を見た蒼馬は、大きく目を見張った。
そこにいたのは、およそ五百ばかりの軍勢の姿である。
中央には大きな旗が掲げられているが、この距離ではそこに描かれた意匠までは見て取れない。
「何だ?! 敵か? 味方かっ?!」
周囲の兵たちが動揺の声を上げる中で、蒼馬は素早く懐から遠眼鏡を取り出すと目に当てる。
「あの旗は、確か……」
蒼馬が目に当てた遠眼鏡の中に映るのは、酒杯に巻きつく蛇が描かれた旗――すなわち北の小国バルジボアの旗であった。




