第68話 ベルテ川の戦い15-斜め(後)
2021年初投稿。
あけましておめでとうございます。
本年も拙作「破壊の御子」をよろしくお願いいたします。
「子馬殿め、諦めたのか……? ――いや」
ピアータを示す狼に百合をあしらった意匠の旗が後方へと移動するのを見て取ったアドミウスは小さく舌打ちを洩らした。
「――さては、ソーマ陛下の策に気づいたか?」
事前に策を聞かされていたアドミウスだが、こうして実際の戦場に立てば理解できるのはせいぜい目の前の戦いのみである。戦場の中にあっては、とうてい策の全容をつかめるものではない。
しかし、たまにいるのだ。
わずかな違和感。ささいな変化。ちょっとした異常。
そうしたものから本来ならばわかるはずがないものを見抜いてしまう人間が。
「子馬殿め、勘が良いにもほどがあるぞ」
それからアドミウスは、ふうっとため息をもらす。
「まあ、閣下の弟子を自称するぐらいなのだから、それぐらいやってもらわねば、閣下の名誉に傷がつくというものだ。いたしかたあるまい」
そうぼやいてからアドミウスは、こちらに向かって前進してくる敵歩兵部隊を見やった。
百狼隊の金狼兵と銀狼兵を退けたとはいえ、いまだ敵はこちらよりも多勢。しかも、その先頭に立つのは蒼狼兵。噂に聞く、ロマニア国の大将軍ダライオスが、自分ら「黒壁」を打破するために編成したという蒼騎兵を前身とする部隊だ。
アドミウスは隣にいるドヴァーリンに声をかける。
「地将殿。申し訳ないが、私は自分の部隊に戻らせていただきたい」
「なんじゃい。おぬしは、どうするんじゃ?」
ドヴァーリンは訝しげに目をすがめて尋ねた。
「今、こちらに向かってくる敵は、どうやら我ら『黒壁』と因縁のある相手。それならば、こちらも全力をもって叩き潰すのが礼儀でございましょう」
そこでアドミウスは照れくさそうに頭を掻いて言う。
「というのは建前で、こうして後ろでふんぞり返って指揮だけするのは飽きてきました。幸いなことに私より上役の地将殿がおられるので、指揮を押しつけて遊びに行こうかと」
これにドヴァーリンは髭を揺らして笑った。
どうやらこの人間も、どうにもならないくらい戦士であるようだ。
「こりゃ、参ったわ。地将などというものを拝命しては仕方あるまい。わしの分まで楽しんでこい」
「では、後はお頼みいたします。――誰か、俺の盾を持ってこい!」
ドヴァーリンの了承を得られたアドミウスが大声を張り上げると、しばらくして従者のひとりが盾を持ってきた。
一見すると他の「黒壁」の盾と変わらぬように見えるそれだが、よく見ると盾の中央には魔物の顔を象った鉄製の飾りがつけられている。
馬から下りて、受け取った盾を軽々と左手で持ち上げるアドミウスに、近くにいた兵が声をかける。
「隊長殿がお出になられるということは、敵はそれほどの相手でございますか?」
「ああ。ダライオスの残兵どもだ」
その答えに「それは楽しくなりそうですな」と言う部下に、アドミウスはニイッと不敵に笑って見せた。
そんな持ち主に呼応するように、盾につけられた魔物の顔飾りの額から突き出た角を模したスパイク状の突起がギラリと輝いた。
◆◇◆◇◆
「蒼狼兵! 総員、下馬!」
アンガスの号令とともに、蒼狼兵はいっせいに下馬した。そして、馬の手綱を従者に預けると、代わりに愛用の盾や武器を受け取る。
「盾兵、前へ! 密集隊形のまま、前進!」
盾を持った巨漢の兵を前列に並べて盾の壁を作ると、それを押し立てて前進を開始した。
これに対し、ドワーフ弩兵を率いるノルズリが声を張り上げる。
「よぉっく狙え! ――放てぇー!」
ノルズリの号令とともに、ドワーフの弩がいっせいに矢を放つ。ドワーフ謹製の弩から放たれた矢は、風を引き裂き、うなりを上げながら蒼狼兵へと飛んだ。
しかし、いくら弩とはいえ、盾を貫通して、さらにその向こうにいる鎧を着た人間まで殺傷することはできない。ほとんどの矢は蒼狼兵の盾に阻まれてしまった。
ドワーフの弩の大半が矢を放ったのを見届けたアンガスが怒号のような号令を飛ばす。
「再装填する間を与えるなっ! 突撃ぃ!!」
その号令とともに、盾兵の間から斧や剣や槍などを持った蒼狼兵が雄叫びを上げながら突進を開始した。
弩は、その威力に比例するように再装填に時間を要する武器である。矢数にものを言わせて相手を押しとどめるという弓矢のような使い方はできない。ドワーフ弩兵たちが再装填に手間取っている間に、蒼狼兵たちは押し寄せる。
「敵が来るぞ! 槍、構えぇー!」
その前に立ち塞がったのは、「黒壁」であった。
対騎兵用に地面へ置いていた槍を素早く拾い上げると、突進してくる蒼狼兵に向けてその穂先を揃えて迎撃の態勢を整える。
一分の隙もなく並べられた盾の壁と、そこから突き出される無数の槍の穂先。その光景は、それだけで敵兵を恐れさせ、二の足を踏ませるに十分なものだった。
ところが、蒼狼兵は止まらない。
蒼狼兵の前身である蒼騎隊は、ダライオス大将軍が「黒壁」を粉砕するために編成したものである。しかし、蒼騎隊が編成された後はホルメア国とロマニア国との大規模な衝突がなくなり、その活躍の場を得られずにいた。さらに、破壊の御子に破れてダリウス将軍が失脚したこともあり、蒼騎隊は「黒壁」と戦う機会を永遠に失ってしまったと考えられていた。
ところが、いかなる神の采配なのか、こうして念願の宿敵と戦場に見える機会が得られたのである。
蒼狼兵たちは、むしろ嬉々として「黒壁」の槍へと突っ込んだ。
「吶喊ッ!!」
血しぶきと刃が交差し、怒号と断末魔の叫びが入り乱れる。
多くの蒼狼兵たちが「黒壁」の槍の前に倒れ伏す。
しかし、それ以上の蒼狼兵たちが槍をかいくぐって「黒壁」へと肉薄した。
先頭に立って突撃した蒼狼兵たちが持っているのは、盾と片手斧だ。盾で槍の穂先を受け流して槍の間合いの内側に入り込むと、普通の斧の倍の厚みはあろうという片手斧を力任せに振り回す。これを受ければ鉄パイプ製の柄を持つ「黒壁」の槍もひしゃげて曲がり、「黒壁」自慢の盾ですら何度となく叩きつけられれば砕かれてしまう。
「押せ、押せ、押せぇー!!」
怒号を挙げながら押し寄せる蒼狼兵の勢いはすさまじく、何人もの「黒壁」の兵たちがその兜ごと脳天をカチ割られ、身体を叩き切られ、その黒い鎧を鮮血で赤黒く濡れさせられてしまう。
そして、ついに「黒壁」は盾の壁も崩され、押し切られようとした。
そのときである。
「うおおおおおぉぉぉー!」
今まさに「黒壁」の隊列を割って突破しようとした蒼狼兵に向かって、中央に角を生やした魔物の顔を象った飾りのついた黒い盾が突っ込んできた。避ける間もなく突進してきた盾をまともに食らった蒼狼兵は、後ろによろめいてしまう。
しかし、盾はそれだけでは止まらない。よろめいた蒼狼兵だけではなく、さらにその後ろにいた蒼狼兵ふたりもまとめて押し返した。
「な、なんだ、こいつ……?!」
最初に盾の突進を受けた蒼狼兵は驚愕の声を上げるが、その直後に脇腹に焼きゴテを当てられたような激痛に声を詰まらせる。
激痛に震えながら自身の脇腹に視線を落とせば、そこには黒い盾の脇から突き出された幅広の直剣の切っ先が鎧の隙間に刺し込まれていた。
悲鳴を挙げようとしたのか、それとも怒声を上げようとしたのかはわからないが、口を開いて何かを言おうとした蒼狼兵だったが、それよりも早く直剣の切っ先が内臓を引っかき回すようにねじり込まれ、断末魔の叫びも上げられぬまま絶命する。
息絶えてくずおれる仲間の姿に、左右にいた蒼狼兵が怒声を上げて片手斧を振り下ろした。
黒い盾が翻ったかと思うと、左から来る片手斧を受け流しながら、そのまま蒼狼兵の顔面に叩き込まれる。そして、右から来る片手斧は血に濡れた直剣が受け止めた。
まさかロマニア国軍屈指の強兵である蒼狼兵の自分の一撃を片手で受け止められるとは思わなかった男は思わず動きを止めてしまう。
それは一瞬でしかなかった。
しかし、同時にそれは致命的でもあった。
横殴りに振るわれた黒い盾の縁が蒼狼兵の側頭部に叩き込まれる。頭蓋骨ごと命を粉砕された蒼狼兵は、糸が切れた操り人形のように、その場にくずおれた。
「連隊長殿っ!!」
瞬く間に三人の蒼狼兵を仕留めたのは、アドミウスであった。
周囲の「黒壁」から歓声のような声が上がるのに、アドミウスは油断なく周囲を見やりながら声を張り上げる。
「我らは『黒壁』ぞ!」
それは叱責の声であった。
背筋に電撃が走ったかのように震え上がる「黒壁」の兵に向け、アドミウスはさらに吠える。
「傷つけられることもあろう! 揺らぐこともあろう! しかし、それでもなお崩れぬ! なお破れぬ! それが『黒壁』ぞ!」
その鼓舞に蒼狼兵に押され気味であった「黒壁」の勇士たちの目に闘争心が燃え上がる。
「「おおっ!」」
奮起した「黒壁」の兵たちは、崩れかかった隊列の穴を瞬く間に塞いだ。そればかりかアドミウスの後に続いてやってきた、見るからに歴戦の兵士というふてぶてしい面構えの男たちが蒼狼兵たちを押し返し始めた。
その光景に蒼狼兵を率いるアンガスは驚きの声を上げる。
「あやつは、まさか?!」
このとき、アンガスの脳裏にひとつの記憶が浮かび上がる。
「『黒壁』には注意すべき二人の男がいる」
その記憶の中で、今は亡きダライオス大将軍はアンガスに向けてそう言った。
「まず、一人目はヒュアキス。もっとも忠実にダリウスの求める戦いを実現し、また『黒壁』の中にあっても比類なきダリウスめへの忠誠心によって、他の僚友たちの信望も厚い。まさに『黒壁』の要とも言うべき男だ。こやつを討ち取れば、『黒壁』は瓦解するだろう」
記憶の情景の中で、アンガスは「二人目は?」と問うた。
するとダライオス大将軍は珍しく渋い表情を浮かべた。
「私は戦場でいかなる相手も一撃で葬り去ってきたと言われておる。だが、それは一騎打ちに限っての話だ。
あと少しで『黒壁』を突破できる。私がそう思ったとき、そやつは必ず熟練兵隊を引き連れて私の前に立ち塞がってくるのだ。
個の武力だけをもってみれば、奴は私よりもはるかに劣る。一騎打ちならば倒せぬ相手ではない。だが、そやつは守りに徹する。崩れかかった仲間が立ち直る時間を稼ぐために、私の前に立ち塞がるのだ。
そして、そのときの奴はしぶとい。
これまで私はそやつを倒しきれず、その間に立て直された『黒壁』の前に退却を余儀なくされてきたのだ。
おまえたち蒼騎隊は、私が奴を斬り伏せるときを稼ぐために作った部隊とも言える」
アンガスが「その者の名は?」と尋ねると、ダライオスはある名前を告げた。
部下を押しのけて前に飛び出たアンガスが、その名を叫ぶ。
「貴公! 倒した敵兵は、槍で突き殺したよりも盾で殴り殺した方が多いと言われた、『黒壁』の総隊長〈鬼盾〉のアドミウス殿とお見受けいたす! 如何に?!」
返り血に顔をまだらに染めたアドミウスは、ニカッと笑う。
「おお! 懐かしい呼び名だな! いかにも、私がアドミウスだ! ――そう言う貴公は?!」
やはり! と興奮とともに納得したアンガスは叫び返す。
「今は亡きダライオス大将軍が『蒼騎隊』にて隊長を務め、今はピアータ姫殿下の下で蒼狼兵を任されているアンガスと申す!」
アンガスは手にした片手斧をアドミウスに突きつけて声高らかに宣言する。
「アドミウス殿に一騎打ちを申し入れるっ!」
周囲にどよめきが湧き起こった。
一騎打ちは戦場の華である。
しかも、因縁のある「黒壁」と蒼騎隊の隊長同士の一騎打ちだ。いやが上にも周囲の期待が燃え上がった。
ところが、そんな空気をアドミウスは笑い飛ばす。
「断る!」
一騎打ちを申し込まれて断るなど、臆病者のそしりを受ける行為である。ところがアドミウスは自身に恥じることは一切なしと言わんばかりの態度で言う。
「私は『黒壁』を成す石のひとつにすぎん! たかが石ころひとつに、何の武名ぞ! 何の武功ぞ! 私には個の武名や武功など無用! 我は『黒壁』! 我らこそが『黒壁』! 我が勲は『黒壁』の勝利のみ!」
あまりに堂々たるアドミウスの言葉に、臆病者となじって挑発するはずの蒼狼兵たちも思わず息を飲んでしまった。
これぞまさに「黒壁」! 我らが宿敵!
身震いするほどの興奮を覚えたアンガスは獰猛な笑顔を浮かべる。
「ならば、その自慢の部隊ごと貫いてくれん!」
アンガスの挑戦に、アドミウスは受けて立つ。
「やって見せよ! ダライオスという無双の矛先を失った蒼騎隊など、ただの棒きれよ! 棒きれごときに壁が崩せるものか!」
「我らを棒きれだとっ?!」
アンガスは顔を真っ赤にして怒った。
「貴様らこそあれほどいた仲間はどこへ行ったっ! これでは黒壁ではなく、ペラペラの黒布か黒紙ではないか! ひと突きに打ち破ってくれるわっ!」
これにはアドミウスはもちろん、周囲の『黒壁』の者たちも激怒する。
「何だとっ?! やれるものなら、やってみろ、この棒きれがっ!!」
この罵倒に蒼狼兵たちも応戦する。
「おう! やってやるぞ、紙ぺらがっ!」
「また言いやがったな! 棒きれが、へし折って竈の焚きつけにしてやる!」
「ならば、鼻水をかんだ後に丸めて潰して捨ててくれるわ、この紙ぺら!」
双方とも頭に血が上るあまり、だんだん罵倒の語彙が減っていく。
「何だと、この棒きれ!」
「殺すぞ、この紙ぺら!」
「ああん?! やってみろ、こらぁ!」
「やってやらぁ! このボケが!」
「死ね死ね死ね!」
「ぶっ殺ーす!」
蒼狼兵と「黒壁」の男たちは互いに顔を真っ赤にして相手を罵りながらぶつかった。
「こりゃ、たまらんわ」
そんな乱戦に巻き込まれてはたまらないとばかりに、ノルズリたちドワーフ弩兵たちは弩を担いで慌てて逃げ出した。
◆◇◆◇◆
蒼狼兵と「黒壁」が激しく衝突していたとき、馬を替えたピアータは後方から左翼へ回らんと馬を駆っていた。
そんなピアータに続くデメトリアと、金狼兵と銀狼兵の騎士たちの顔は異様な緊張にこわばっていた。
それも当然である。
持ち場である右翼を放棄するという軍規違反の真っ最中である。
しかし、ピアータはそんなことお構いなしで馬を駆けさせていた。
そうなるとデメトリアたちもピアータを信じるしかない。
ピアータの背中だけを見つめて、その後ろに続くしかなかったのである。
「百狼隊! 剣を抜け! 槍を構えろ!」
それだけに、そうピアータが叫んだときには、誰もがまず我が耳を疑った。
戦場から離れて後方へ回ったのに、なぜ戦う準備をする?
それでも訓練で染みついた習慣に従い、デメトリアたちは武器を構えると、顔を上げて前へと目を向ける。
「……あれは?」
それを口にしたのは誰かはわからない。
しかし、そのようなことを気にかける者はひとりもいなかった。なぜなら、誰もが目の前の光景に目ばかりか気を奪われていたからだ。
「土煙?」
それは激しく立ち上る土煙だった。
しかし、歩兵が上げる土煙ではない。
それは戦車や騎兵などが上げる、まっすぐ立ち上る土煙である。
だが、立ち上る土煙の根元に見えるはずの戦車や騎兵の影が見えなかった。それどころか歩兵の影すらない。
では、いったい何だ? あの土煙を上げているのは何だ?!
「ハハハハッ! やはり、そうか! 破壊の御子め! やはり、貴様は仕掛けてきていたかっ!」
歓喜とも恐怖ともつかない感情に声を打ち震わせるピアータに、デメトリアたちは戸惑う。
いったい姫殿下は何を言っている?!
戸惑い、動きが鈍いデメトリアたちをピアータは叱責する。
「何を呆けている! 敵だっ!!」
デメトリアたちは、ハッと我に返った。
そうだ! 戦車や騎兵のような速さで駆ける敵がいるではないか!
立ち上る土煙の根元に、戦車や騎兵よりも、それどころか歩兵よりも低く、地を這うような高さにうごめくいくつもの影が見えるではないか!
皆を代表するかのように、デメトリアが叫ぶ。
「ゾアンだとぉ?!」
ピアータたちの前に現れたのは、四つ足となって疾走する赤毛のゾアン――ズーグに率いられたゾアンの戦士たちであった。




