第59話 ベルテ川の戦い6-生粋
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でも、エタじゃないよ!ヽ(`д´)ノ
「たとえいかなる感情が発端であろうと、原動力であろうと、ただの凡人が英雄ならんとするのは苦難の道だぞ。
英雄とは、人であって人ならざる者である。その英雄と同じ道をただの人が歩むということは、耐え難き艱難辛苦の中へ常に身を浸すのと同じことなのだ。とうてい凡人に踏破できるものではない。いつかは足を踏み外して堕ちる。必ずだ」
そこでパルティスは、ふうっと嘆息を洩らした。
「だが、それで終われば良い。それで終われば、まだマシである。途上までとはいえ、人であって人ならざる英雄の道をたどった者は往々にして力を得る。英雄の如き力をだ。それは人を動かす力である。そして、この世を変え得る強い力である。
しかし、英雄の如き力を持ちながら英雄ではない。人ならざる者の力を持ちながら、英雄ですらいられなくなったものは、人でも英雄でもないおぞましい何かに成り果てるぞ」
蒼馬の脳裏に、あの狂笑を浮かべる白衣の少女の言葉が思い浮かんだ。
そうとは知らずに、パルティスは顔に強い嫌悪を浮かべると言葉を続ける。
「私は、そうなった男を知っている。そやつは人に絶望し、この世に絶望した挙げ句、すべてを諦め、今や絶望と諦念の汚泥の中で腐り続けている。そして、人が、この世が、己が絶望したように残酷で冷酷で醜悪で愚かなものであると証明し、自らが腐り落ちる絶望と諦念の沼地へすべての人を引きずり込もうとしているのだ。
そんなものは、もはや生者の思考ではない。
それは死者の思考である。生者を嫉み、この世を怨む亡霊の思考である」
そこでパルティスは忌々しげに舌打ちを洩らした。
「それだけに、あやつは厄介である。あやつには義理や人情もない。道理も損得も通じぬ。あるのは束の間の享楽のみ。ただこの世すべてを巻き込み、自らを破滅させんとするだけの大たわけ者なのだからな」
パルティスは蒼馬へと視線を向けた。
「貴公は今なお道を踏み外さずに、あやつよりも高く、その先へと英雄の道を進んでいる。それだけに、これまでに得た力はあやつの比ではあるまい。貴公は、あやつ以上の何かとなる可能性がある」
言葉を失う蒼馬へパルティスは驚くほど穏やかな面持ちで諭すように告げる。
「貴公にとっても、周囲にとっても、ここで終わるのが幸いやも知れんぞ?」
しばし沈黙が下りた。
ようやくして蒼馬は乾いた唇を舌で湿らせてから言う。
「……それは勝ちを譲って下さいってこと?」
もちろん、そんな意図はパルティスにはないと承知しつつ蒼馬は尋ねた。すると、パルティスは虚を突かれたような顔になる。
「そんなつもりではなかったが、気を害したのならば許せ。私は、ただ思いついたまま口にしているだけだ。深く考えて言ったわけではない。まあ、思いつきという奴だ。思いついたまま適当に言ってみたのだが、なかなかに鋭いことを言ったのではないか?」
パルティスは悪びれた様子もなく、からからと笑い声を上げた。
「臣下からも、私は唐突にわけのわからぬことを言うと、よく窘められている。兄上にも、少し自分の中で留めてから口にしろと注意されているのだが、ついつい思ったままを口にしてしまう。私の悪い癖だな。今のは聞かなかったことにしてくれ」
パルティスが意外にもあっさりと非を認めて引き下がったのに、いくぶん余裕を取り戻した蒼馬はひとつ咳払いしてから言う。
「だいたい、勝手に道を踏み外すとか、堕ちるとか決めつけないで欲しいな。あいにくと私には道を踏み外す前に首根っこを掴んで無理矢理引き戻してくれる人がいる。たとえ堕ちても尻を蹴り飛ばして這い上がれと言ってくれる人がいるんだからね」
蒼馬は絶大な信頼と、幾分かの自慢をもって言い切った。
これにはパルティスの目が、まん丸に見開かれる。
「なんと! それはうらやましい!」
パルティスは感嘆の声を上げた。そして、丸くした目を細めると、心底からうらやましげに言う。
「うらやましい。うらやましい限りである。そのような者は、またと得られぬ至宝であろう! うむ。気になる! 是非とも会いたい! どうだろう? 会わせてもらえぬか?」
「やだ。それは断る」
蒼馬は即答した。
シェムルに会わせた途端、「彼女を私に譲ってくれ!」と言い出すパルティスが容易に想像できたからだ。
蒼馬に断られたパルティスは、盛大にすねる。
「ケチな奴め。少しぐらい良いではないか。王者の度量を見せよ」
「ダメ。凡人ってのは、ケチなんだよ」
「おのれ! さては先程の意趣返しだな! ケチな上に心まで狭いとは救いがたい奴め!」
蒼馬はそっぽを向く。
「何と言われても、ダメなものはダメ」
すると、その横顔をパルティスは睨みつけていたが、しばらくすると大きな口を開けて笑い声を上げた。
「貴公に心より感謝しよう。またとない大変有意義な対面であった。世辞ではないぞ。私とこれだけ腹を割って話せる者は限られておるからな。たいてい者は途中で困った顔をされる。ここまで腹を割って話せるのは、妹ぐらいなものだぞ」
ひとしきり笑い声を上げてからパルティスは真剣な面持ちになる。
「一応礼儀として問おう。――素直に負けを認め、降伏する気はあるか? あれば命ばかりは助けよう」
そのような提案を蒼馬が受け入れるはずもないといったパルティスの物言いだった。そして、蒼馬もまた首を横に振るう。
「ごめんだね。それに私はみんなと約束している。あなたには悪いが、その首を刎ねて晒し、身体は野に放置して獣どもの餌にしてやるってね」
それにパルティスは気にするなとばかりに笑う。
「私とて勝てば貴公の首を刎ねて父上の墓前に捧げるつもりだ。お互い様であろう!」
笑いを収めたパルティスは剣呑な表情を浮かべる。
「しかし、これでもはや互いに刃を交えずして剣は収められんな」
「後は兵馬にて決するのみ、だね」
蒼馬もまた、そう斬り返した。それから自分たちがいる場所を確認してからパルティスに尋ねる。
「舌戦は、ここでやる?」
そもそも開戦前の舌戦をするつもりで出てきたのだ。それが予期せぬ対談となってしまったため、今ふたりは普通の声量で十分会話できる距離である。
ここで互いの軍に聞こえるだけの大声を張り上げたら、うるさいだろうな。
そんなことを思いつつ尋ねた蒼馬に、パルティスは言いよどむ。
「うむ。それなのだが――」
パルティスは恥ずかしげに微苦笑した。
「私は舌戦が苦手なのだ」
蒼馬は驚いた。
パルティスはロマニア国の王子である。そんな立場で自ら軍を率いて戦うのを好むのならば、てっきり舌戦は慣れたものだろうと勝手に思い込んでいた。
その驚きが顔に出たのか、パルティスは照れくさそうに自らの頭を掻きむしる。
「嘘ではないぞ。――だいたい命を懸けて戦おうというのだ。お互いに譲れぬものがあるに決まっている。
たとえば、貴公にとって我らは侵略者だ。平穏に暮らしていたところに攻め込まれておいて、それを正義と言われて納得できようはずもない。
だが、我がロマニア国にとって西域統一は建国王よりの悲願だ。もはやそれは国是である。それを私の一存で変えるわけにもいかぬ。それに貴国にはロマニア国の威信を傷つけられた。王子として、これを放置するわけにはいかぬ。
また、結果として父を討たれたとあっては怒りを感じずにはいられん。たとえ、それがこちらにその非があろうともだ」
そう言うとパルティスは自分の悪戯を告白する子供のような表情で声を潜めて言う。
「それを今さら声高に主張し合っても時間と労力の無駄ではないか?」
「同感だね」
他人からは卓越した弁舌家と思われている蒼馬だが、いまだに人前で弁舌を振るうのには多大な勇気を必要としている。これまでもやむにやまれずやっていただけにすぎない。出来うることならば遠慮したいのが本音であった。
蒼馬の答えにパルティスは、パッと顔を輝かせる。
「おお! やはり貴公ならばわかってくれると思っておったぞ」
「じゃあ、舌戦はなしってことだね」
蒼馬の言葉にパルティスは大きくうなずいて見せる。
「助かる。――まあ、それでは格好がつかぬゆえに、自軍の鼓舞ぐらいはやっておこう」
「了解した」
そう言うと蒼馬は手綱を引いて馬首を返す。
「じゃあ、また機会があれば会おう。――もっとも、そのときはどちらかが首になっているだろうけどね」
蒼馬は冗談めかした別れの言葉を告げた。
そうすれば、パルティスも笑って冗談を返すものと思っていたのだ。ところが、パルティスは微苦笑を浮かべる。
「そうだな。また機会があると良いな」
冗談を返すどころか、どこか寂しげに別れの言葉を返したパルティスは、そのまま自らの馬首を返して自陣へと引き返していった。
思わぬパルティスの反応に、蒼馬はただ黙って見送るしかできなかった。
◆◇◆◇◆
「大丈夫だったか、ソーマ?!」
パルティスと別れて戻ってきた蒼馬に、シェムルは開口一番にそう尋ねた。
「怪我はしてないか? 何もされなかったか? 変なことは言われなかっただろうな?」
我が子を心配する過保護な母親さながらのシェムルに、蒼馬は「大丈夫だよ」と笑顔を向ける。すると、シェムルはホッと胸を撫で下ろした。
それからシェムルは蒼馬の乗る馬の轡を取って自陣へ戻りながら、蒼馬へ尋ねる。
「それでパルティスという奴はどうだった?」
しばし考えてから蒼馬は答える。
「変な人だったな」
これから互いの命ばかりか、多くの人たちの命をかけて戦おうというのに、まったく気負った様子がなかった。かといって、想像していたような血気盛んな武将や現状が理解できない世間知らずな王子様でもない。一言で言い表すとしたら、変な人という言葉しかなかった。
「変な奴? なんだ、それは?」
疑問符を浮かべるシェムルに、蒼馬はどう説明すれば良いのかわからず、とりあえずパルティスとの対談について語った。ただし、パルティスが言った凡人である自分を突き動かすものについては意図的にかくしてだが。
蒼馬の語るパルティスの話を興味深げに聞いていたシェムルだったが、聞き終えるなり奇妙な顔をする。
「どうかしたの、シェムル?」
蒼馬が尋ねるとシェムルは小首を傾げながら言う。
「ん~。それは何だか寂しそうだな」
思わぬシェムルの言葉に、蒼馬はおうむ返しに「寂しい?」と訊いた。すると、シェムルは鼻にシワを寄せる。
「いや。なぜと言われても困るんだが、何となくそう思っただけだ」
シェムルも自分の中に明確な答えが見いだせないのか、要領を得ない返答だった。
しかし、だからといって蒼馬はシェムルの感じたものを軽んじることはない。誰よりも真っ直ぐな彼女だからこそだろうか。時折、シェムルの直感は誰も気づけなかった物事の核心を突くことがある。きっとそこには何かがあるはずだ。
そういえば、と蒼馬は思い出す。
確かに対話を終えて自陣に戻るパルティスの後ろ姿が、どこか寂しげであった。また、自分と腹を割って話せる人は限られていると言っていた。たいていの人は途中で困り顔になってしまう、ともだ。
それは蒼馬にも、何となくわかる気がした。
ああして面と向かって対話していても、パルティス独自の価値観についていけず、時折パルティスが見えない壁の向こう側にいるように感じられるときがあった。
多種多様な思想や主張や価値観を認められる現代日本で育った自分ですら、そう感じるのだ。たいていの人ではパルティスの考えを理解することはできないだろう。
そんなことを考えていたとき、蒼馬はふと思い出した。
「凡人とは違うものが見えているようだ、か……」
それは以前、平原の砦でマルクロニスに言われた言葉である。
常人とは異なる視点に立ち、常人にはない視野を持ち、常人には理解できない思考を有する。それでいて、どこか惹きつけられる。
凡人とは異なる視野を持つ者。
それを英雄。もしくは破壊者だと呼ぶのだ、と。
蒼馬は肩越しに後ろを振り返って、ぽつりと洩らす。
「あれが英雄か」
自分のように育った環境や教育によるものではなく、他者と同じ環境でありながら、まったく異なった視点を有する生粋の英雄パルティス。
誰よりも英雄であるがために、誰にも理解されず、誰をも理解できない。誰もが仰ぎ見るが、誰も向かい合えない。誰もが付き従うが、誰も並び立てない。
パルティスは人の言に左右される悪癖があると聞いていた。
もしかしたら、それはパルティスが理解できないなりにも他人の言葉や意見に寄り添おうとした結果なのかも知れない。
蒼馬は、そう思った。
次回はたぶんパルティスと蒼馬の味方を鼓舞する演説合戦




