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破壊の御子  作者: 無銘工房
興亡の章
370/533

第48話 ガッツェン攻防戦7-援軍

 ロマニア国軍の野営地の中をデメトリアひとりだけを従えて歩いていたピアータは苛立たしげに洩らす。

「まったく、辛気(しんき)くさくてかなわないな」

 ピアータが言うとおり、ロマニア国軍の陣地はどこか陰鬱な雰囲気に包まれていた。まるで何か恐ろしいものから逃れるように、ジッと息を殺して身を潜めている。そんな暗く張り詰めた空気に支配されていた。

 ピアータの独り言に、デメトリアが返す。

「それも無理もないかと」

 そこでデメトリアは周囲をはばかるように声をひそめて言う。

「今や我が軍の誰も彼もが破壊の御子の呪いを恐れております」

「おまえまで、そんなことを言うのか?」

 ピアータは鼻で笑い飛ばすが、デメトリアの顔は晴れない。

「ですが、奴は死と破壊の女神アウラの御子です。他人を呪い殺すような恩寵を持っていたとしても不思議ではございません」

「あり得んな」

 デメトリアの懸念をピアータは一蹴(いっしゅう)する。

「神官どもが言うには、神々は人の世界に介入するのを(つつし)まれているそうだ。如何(いか)に愛しい御子にとはいえ、あまり過剰な力の恩寵を与えることはないと聞くぞ」

 そこでピアータは過去の記憶を探るように視線を宙にさまよわせる。

「覚えているか? もう十年以上も前だが、我が国に聖乙女様がいらっしゃったことがあるだろう」

 デメトリアは一拍の間を置いて思い出す。

「シュパムール王国のパルフェナ殿下のことでしょうか?」

 西域においても最西端の王国シュパムールの王女であるパルフェナ。

 しかし、彼女はシュパムール王国の王女というよりも、別の理由からその名を知られている。

 すなわち、今の時代を生きる三人の人間の神の御子のひとり。西域の御子「聖乙女」パルフェナとして――。

 パルフェナが御子として選ばれたとき、人間の神の慈愛を伝える巡幸(じゅんこう)と称して少女だったパルフェナが西域諸国を巡ったことがある。

 実際にはシュパムール王国が、自国の王族が人間の神の御子となったのを知らしめるためのものだったが、その途中でロマニア国の王宮にも表敬訪問として訪れていた。

「あの方の恩寵の力は、まさに奇跡の(たぐ)いだ」

 幼い頃に、実際に目の前で恩寵の力を披露されたときの光景を思い浮かべ、ピアータは感嘆の吐息を洩らした。しかし、すぐに皮肉げに唇の片端を吊り上げる。

「だが、ご当人もおっしゃっていたように、決して万能の力ではない。そのことは、いかなる結果になろうとも責任を問わないという誓紙を取ってからではないと、聖乙女様は恩寵の力を行使されようとはしないことからも明らかだ」

 ピアータは小さく鼻を鳴らしてからデメトリアへ振り返る。

「お偉い神官の言葉だが、恩寵とはあくまで御子への恵み。それだけをもって人の世を変えるのは神々も望まぬ、らしい。――まあ、それも当然だな」

 ピアータはひょいっと肩をすくめた。

「私は自分で考え、行動する一個の人間だ。私は、私であることに誇りを持っている。それが神の気まぐれで与えられた恩寵の力だけで蹴飛ばされ、踏みにじられるだと? 私たちは練兵所にある剣の打ち込み台の案山子(かかし)か?」

 ピアータは吐き捨てるように言う。

「冗談ではない。そんなの糞食らえだ」

 デメトリアは「『糞食らえ』などと口にするのは、王女としていかがなものかと」と注意してから、不安げに眉をひそめて言う。

「ですが、夜の見張りに立っていた兵士が、不審な音を確かめに行ったまま戻ってこなくなったと聞きます」

 しかし、それをピアータは鼻で笑う。

「それは私も聞いている。だが、私が調べたところ消え失せた兵士の荷物がなくなっていた。つまりは計画的な敵前逃亡だ」

 ピアータにそう断じられたデメトリアだったが、さらに言う。

「斥候に出た小隊ひとつが丸々消え失せたそうです」

 だが、それもまたピアータは即答する。

「すぐ戻るにしては過分な糧食をもって斥候に出たそうだ。これも計画的な敵前逃亡だな」

「では、身体が重く感じられると不調を訴えていた兵士が朝いつまで経っても起きてこないのに心配して見に行くと、寝床で石に変わっていたそうですが」

「寝床に自分の身代わりに石を置いて、その上に布をかけていたのだ。逃亡の発覚を遅らせるための小細工だ」

「突如、意味不明なことを叫び、暴れたかと思うと、そのままひっくり返り息絶えた兵士がいたとか」

 それならば、これはどうだとばかりに言うデメトリアだったが、それすらもピアータは笑い飛ばした。

「それも、ただの噂だ。かなりの数の兵士に聞いたが、誰もが伝聞であり、実際に見たわけではなかった。どうも真相は、酒に酔って暴れた兵士が勝手にひっくり返った話が、誇張や誤解されてそうなったようだ。もちろん、そいつは酔いつぶれただけで死んではいない」

 ピアータとて神官の言葉だけで破壊の御子の恩寵の力を測ってはいない。破壊の御子の呪いと言われる出来事を逐一調べ上げた上で、ピアータはそんなものはないと確信していた。

 しかし、それをきちんと説明しても、今のデメトリアのように多くの者たちは破壊の御子の呪いに怯えてしまう。

「まるで誰も彼もが、破壊の御子の呪いを信じたがっているようだ」

 ピアータは、苦いものを吐き出すように言い捨てる。

 しかし、そうピアータが感じたのも無理はない。

 人は良い未来の情報よりも、悪い未来の情報の方に惹かれるという傾向がある。これは最悪の未来の状況を想定しておき、それが実際に起きたときに受ける精神的負担を軽減しようという心理的防衛機制と呼ばれるものだ。新興宗教の終末論や災害の預言を多くの人々が信じてしまうのも、この心理的働きのせいである。

 破壊の御子の呪いもまた、それと同様のことがおきていたのだ。

 そうした悪い噂を払拭するには、正しい情報を明確に力強く打ち出す必要がある。

 そして、それができるのはこのロマニア国軍の総大将であるパルティスに他ならない。

「本来ならば、総大将であるパルティス兄上が呪いなどないとガツンッと言い切れば良いのだが――」

 そこでピアータは頭痛でも覚えたかのように自分の額に手を当てた。

「パルティス兄上は、こういう話に弱いからな……」

 戦場では豪胆無比なパルティスだったが、実は超常現象――いわゆる魔術や呪いや幽霊といったものに、からっきし弱かったのだ。

 今は総大将としての矜持(きょうじ)()(どころ)に平静を装っているが、内心の不安を隠し切れてはいなかった。そのようなパルティスが呪いを否定しても、かえって逆効果となりかねない。

 ピアータは深いため息を洩らした。

「まったく、大した奴だ。あの珍妙な踊りひとつで、こうまで我らロマニア国軍の士気をボロボロに打ちのめすとはな」

 そこへデメトリアが声をかける。彼女が言う方へ目を向けたピアータは、これからガッツェンの街へ見せしめのために向かう将軍の姿が見えた。

 とっくに破壊の御子が出てこないとわかっているだろうに、それでも虚勢を張って見せしめを続ける将軍の姿は哀れであった。

 だが、それにも増して彼に率いられる兵士たちの姿と言ったらなかった。誰もが顔を青くし、中には悄然(しょうぜん)とうなだれている者までいる。これではこれから殺されるために連行されている農民の方が、まだしも元気であろう。

 そして、いつものように街壁の上から破壊の御子が見ている前で、農民を殺すように将軍が命じたとき、それは起きた。

「いやだぁぁー!!」

 兵士のひとりが絶叫を上げて拒否したのである。

 その声はロマニア国軍の陣営にも届き、何事が起きたのかと、あちらこちらから人が集まってきた。

「この不届き者めがっ! 私の命令が聞けないと言うのならば死罪にするぞ! それが嫌ならば、さっさとそいつらを殺すのだっ!」

 雑兵ごときに抗命された将軍が顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。

 相手は、たかが一兵卒である。何千もの兵を率いる将軍の不興を買ったと思えば、それだけで震え上がり、見栄も外聞もなく平伏して服従を示すものだ。

 ところが、このときは違った。

「嫌だ! 俺はごめんだ!」

 恐怖に顔を引きつらせ、涙を流し、鼻水すら垂らしながらも、その兵士は逆らったのである。

「貴様っ! 死罪になりたいのかっ?!」

 虫けらのような一兵卒の思わぬ抗命に鼻白んだ将軍だったが、すぐさま先程以上の怒りを浮かべて怒声を上げた。

「こいつらを殺せば、俺が破壊の御子に呪われるんだ! どうせ呪われて殺されるんだ! 変わりゃしない!」

 しかし、その兵士はそれでも逆らった。

 その光景にピアータはギリッと奥歯を噛んだ。

「……まずいな」

 部隊を率いる将軍や諸侯らは、兵士たちからすれば生殺与奪の権を握る絶対権力者である。その権力へ反抗する恐怖よりも破壊の御子の呪いの恐怖が上回ったのだ。

 予想以上に破壊の御子の呪いへの恐怖がロマニア国軍の陣営全体に蔓延(まんえん)している。このままでは破壊の御子がひとりでやってきただけでも末端の兵たちは恐怖に駆られて逃げ出しかねない。

 ピアータがそんな焦燥(しょうそう)を覚える中で、さらに将軍は激しく怒りを浮かべて兵士を怒鳴りつける。

「いいからやれ! この私がやれというのに、言うことが聞けんのかっ!!」

「そんなに言うなら、あんたがやれよ! あんたが破壊の御子に呪い殺されれば良いんだっ!!」

 そう言うなり、兵士は手にしていた剣を将軍が乗る馬の足許に叩きつけた。

 そのとたん、激しい金属音が鳴り響く。

 それはたまたま地面に転がっていた石ころに、叩きつけた剣がぶつかって出た音と言うだけに過ぎない。ところが、いきなりそれを間近で聞かされた将軍の馬が驚いた。突如前脚を振り上げて後脚だけで立ち上がったのである。

 これには乗っていた将軍もたまらない。馬の背から転げ落ちて地面に落ちてしまったのである。

 落ちる直前で受け身が取れたのか、幸いにも将軍は多少の打撲は負ったものの大きな怪我はなかった。

 ところが、それを目撃した多くのロマニア国の兵士たちからどよめきが上がる。

「まさか、呪いか……?!」

「やっぱり呪いだったんだ……!」

「呪いだ。破壊の御子の呪いだ!」

 周囲の兵士たちがざわめく中で、ピアータは鋭く舌打ちを洩らした。

 次の瞬間、ピアータは野営地を飛び出した。自分を呼び止めるデメトリアの声を振り切って将軍たちのところへ駆けつけたピアータは、腰に()いた剣を一呼吸で抜き放つ。

 そして、その剣の一振りで捕らえられていた農民の首を叩き落とした。

 しんっと周囲が静まり返る。

 その中を叩き落とされたばかりの生首がごろりと地面を転がった。

 肩で荒い息をつきながら、それをしばし見下ろしていたピアータはその顔を上げ様に声を張り上げる。

「破壊の御子ぉーっ!!」

 ピアータは街壁の上からこちらを見下ろしている蒼馬へ向けて血に濡れた剣を突きつけた。

「我が名は、ピアータ! ロマニア国の王女、ピアータ・デア・ロマニアニスだ!」

 そう高らかに名乗りを上げると、血に濡れた剣の切っ先を今し方自分が手に掛けた農民の遺体へ突きつける。

「どうだ?! 見たか、破壊の御子! 貴様の民を殺したのは、このピアータだ! このピアータが、おまえの民を殺した! さあ! おまえの呪いとやらを見せて見ろ! 私を呪い殺せるものならば、呪い殺してみせるがいいっ!」

 そう言うとピアータは、またひとり農民を斬殺する。

「どうした、破壊の御子っ?! おまえの呪いとやらは、どうした?! 女ひとり殺すことができないのかっ?!」

 そして、またひとりを斬り殺す。

「どうした?! 私を止めてみろ、破壊の御子っ!!」

 そう叫びながら捕らえられていたすべての農民たちを斬り殺したピアータは剣を地面に突き立てると、街壁の上に立つ蒼馬に向けて両腕を開いて見せた。

「さあ! 私を呪い殺して見せよ! どうした?! か弱い女の私すら呪い殺すことができないのかっ?!」

 そのピアータの声は、蒼馬へ向けられたもののようであって、そうではなかった。

 それは今まさに後方の野営地からことの成り行きを見守るロマニア国軍の全将兵に向けられたものだったのだ。

 自分の背中にロマニア国軍の将兵らの無数の視線を背負いながら、ピアータは街壁の上に立つ蒼馬を睨みつける。

 そして、蒼馬もまた険しい表情のままピアータを見下ろす。

 ふたりは無言で激しく視線をぶつけ合わせた。

 しばらくして、ピアータは大きく鼻を鳴らして地面に突き立ててあった剣を引き抜くと、それを再び蒼馬へ突きつける。

「このロマニア国王女ピアータは、決しておまえの呪いなど恐れはしない! 決して、だ!」

 そう言うとピアータはその場で踵を返すと、ゆっくりと歩き出した。

 野営地に戻る途中、いまだに地面に尻餅をついた格好で茫然とする将軍の脇を通り抜けるとき、ピアータは侮蔑を視線に乗せた目だけを向ける。

「無様な格好だな。すみやかに兵をまとめて野営地に戻れ」

 自分の気迫に圧倒され、茫然としたまま小さくうなずくだけの将軍に、ピアータは吐き捨てるように言う。

「それと、無意味な見せしめもやめることだ。パルティス兄上には、私から申し上げておく」

 そう言い残してピアータが野営地に戻ると、そこにはいつの間にか数え切れないほどの将兵たちが集まり人垣を作っていた。そのすべての人の注視を押しのけるようにピアータが近づくと、ざっと音を立てて人垣が割れる。残ったのは副官のデメトリアひとりだけであった。

「姫殿下、無茶をなさいますな」

 慈愛の込められた副官の諫言に、ピアータはつっけんどんに言葉を返す。

「返り血を浴びた。悪いが私の天幕にまで水を持ってきてくれ」

 それだけ言い残すと、ピアータはズカズカと足音を立てて自分の天幕へと向かっていった。

 その背中を見守っていたデメトリアだったが、自分の背後に人の気配が近づいたのに気づき後ろを振り返る。すると、そこにいたのは百狼隊の蒼狼兵の猛者たちと、彼らを率いるアンガスであった。

「さすがはピアータ姫殿下ですな。感服いたしました」

 感嘆に堪えないというアンガスの口振りに、デメトリアはわずかに眉根を寄せる。

「言っておくが、姫殿下はいかに敵国とはいえ捕らえた無辜(むこ)の民を手にかけて良しとするような非情な方ではないぞ」

 アンガスは「勘違いなされますな」と前置いてから、(なつ)かしげな表情を浮かべて言う。

「かつてダライオス大将軍閣下は、おっしゃられました。我ら騎士が戦場の(いさお)や騎士の誇りなどと申しても、やっていることはしょせんは人殺し。クソのような行いだと」

 今は亡き祖父の言葉に、デメトリアは目を小さく見開いた。そんなデメトリアにアンガスは言葉を続ける。

「そして、いざというときに、そのクソの中に手を突っ込めぬような意志の弱さを清廉潔白(せいれんけっぱく)と履き違えているような者では頼りにならん、と」

 それからアンガスは、野営地のいたるところで先程の出来事を興奮した顔つきで口々に語り合うロマニア国の兵士たちを見回した。

「先程は、まさに落とした玉が北へ転げ落ちるか、それとも南へ転げ落ちるかの境ともなる山の頂。ピアータ姫殿下がおらねば、間違いなく玉は敵へと転がり落ちていたことでしょう」

 そう言うとアンガスはデメトリアへ向けて頭を垂れる。

「改めて我ら一同、ピアータ姫殿下こそ我らが従うに値するお方と確信いたしました」

 そして、蒼狼兵たちはいっせいに頭を垂れた。

 それにデメトリアは「姫殿下に代わり感謝する」と言い残すと、ピアータの天幕へと足を運んだ。途中でもらった水の入った桶を手にデメトリアが天幕の中に入ると、そこではピアータが身につけた鎧の紐をほどけずに四苦八苦していた。

 不器用な主人に苦笑しながらデメトリアは、鎧の紐をほどくのを代わる。そんなデメトリアへピアータはばつが悪そうな顔で言う。

「その、なんだ。私に何も言わないのか?」

「すでに先程申しました。あれ以上は申すまでもないと存じ上げます」

 鎧を脱がすのを手伝いながらデメトリアは答えた。お小言のひとつもないのがかえって居心地の悪いピアータは顔に散った返り血をデメトリアに水で濡らした布で拭ってもらいながら言う。

「すまん、デメトリア。おまえがいつも私の周囲に心を砕いているのは承知しているが、これよりはさらに注意を払って欲しい」

「当然でございます。これで姫殿下が怪我でもされれば、我が軍全軍の士気に関わりましょう」

 打てば響くようなデメトリアの言葉に、ピアータはうなずいた。

「そういうことだ」

 王女である自分が身をもって破壊の御子の呪いなど恐れるものではないと示して全軍の崩壊を未然に防いだのである。ここで万が一にも自分の身に何かあれば、それはこれまで以上の恐怖となってロマニア国軍を襲うのは明白だ。

 デメトリアは水に浸した布を絞りながら言う。

「では、百狼隊の訓練への参加はおやめください。怪我でもされては一大事。後、乗馬も当面はお控えいただきましょう」

 すると、ピアータは大事なおもちゃを取り上げられた子供のような情けない顔になる。

「え? いや、乗馬ぐらいは……」

「もし、エルドアの間者が陣地に忍び込んでいたら、いかがいたします? (くら)の下に棘のついた枝でも仕込まれれば、それに(また)がったとたんに馬が暴れて姫殿下が振り落とされてしまいます。そんな仕込みをしなくとも、乗られた馬の鼻面に小石でも投げつけるだけで十分です」

 一々もっともな意見である。ピアータはぐうの音も出ない様子で黙り込んでしまった。

 そんなピアータの返り血のついた手を拭っていたデメトリアは、その手が小刻みに震えていることに気づく。

「……姫殿下?」

 ピアータはただ後方に収まっているだけの指揮官ではない。これまでにもロマニア国各地の山賊討伐や反乱鎮圧で何人もの敵を討ち取ってきている。それが今さら数人の農民を手に掛けただけで震えるとは異常であった。

 デメトリアの不安げなかけ声に、ピアータは小さく拳を握る。

「……ふふ。今頃、震えが来たぞ」

 そのときピアータが思い浮かべたのは、先程自分を見下ろしていた黒い瞳の目である。

「これまでうまく奴の死角に潜んでいたというのに、これで奴は私を認めたぞ。怖いな。ああ、怖いな」


                  ◆◇◆◇◆


「あれが、ピアータ。ピアータ・デア・ロマニアニスか……」

 ピアータがロマニア国軍の野営地に戻り、その姿が見えなくなってからも蒼馬は街壁の上にたたずみ続けていた。その顔は真っ直ぐにロマニア国軍の野営地へと向けられ、その目はもはや見えるはずもないピアータへと注がれていた。

 あとわずかだったのだ。

 自分が仕掛けた呪いのハッタリは予想以上の効果を上げ、日に日にロマニア国軍の士気が下がるのがここからでも見て取れるほどであった。

 これならば遠からずロマニア国軍は勝手に崩壊する。

 そう確信できるほど目に見えて効果が上がっていたのだ。

 ところが、その確信が今や指の間からこぼれ落ちる水のように、するりと自分の手から抜け落ちてしまっていた。

 それもすべては、あのロマニア国の姫ひとりのせいである。

 蒼馬はピピを呼びつけると、短く告げる。

「大至急、王都のソロンさんへ連絡して。わかる限りで良いから、ピアータ・デア・ロマニアニスについての情報をまとめて欲しいって」

 大きく翼を打ち鳴らしてピピが飛び立った後もなお蒼馬はひたすらロマニア国の野営地を凝視し続けた。

 目の前で、またもや民を惨殺されたというのに、このとき蒼馬は怒りや憎悪を感じてはいかなかった。

 それよりも感じるのは、強い敵意と戦慄である。

「ソーマ。あいつがおまえの言っていた奴か?」

 そんな蒼馬へシェムルが(けわ)しい顔で問うた。

 以前、蒼馬はミルツァの戦いはパルティス以外の正体不明の策略家によるものだと言っていた。そして、それこそがあのピアータなのかと尋ねるシェムルに蒼馬は重くうなずく。

「うん。たぶん。いや。間違いなく、あの人がそうだ。あの人が私の――」

 このとき蒼馬は言葉にはしなかった。

 だが、確信があった。

 あれこそが私の敵だ、と。


                  ◆◇◆◇◆


 その後、妹が呪われてしまったと顔色を青くして気遣う兄王子パルティスにピアータは「すべて私に任せて欲しい」と直訴した。妹を心配するパルティスであったが、ピアータの強い要望と意志を前に渋々とそれを認めざるを得なかったのである。

 そうして兄王子の正式な許しを得たピアータは、その日より蒼馬が街壁の上で踊りを始めると、それを(はや)し立てるようになった。

 時には酒杯を(あお)りながら鑑賞し、時には自身も太鼓を叩いて蒼馬の下手な踊りを盛り立て、時には自身も蒼馬の踊りを真似て笑いものにする。

 そして最後は決まって「おまえの呪いはどうした、破壊の御子! 私はこうしてピンピンとしているぞ!」とうそぶいたのである。

 これには、多くの将軍諸侯らは眉をひそめた。

 ピアータの行いは、とうてい大国の姫君らしからぬ下品な振る舞いだったからである。

 ところが、それとは反比例するように一般の兵士たちからはピアータへの信望が集まっていった。

 ピアータ付きの従者が横流しにするピアータの毛髪が呪い避けのお守りとして兵士たちの間では高値で売買され、ピアータの愛馬の糞すら取引されたというのだから、その狂騒ぶりがうかがい知れる。

 そして、それは時とともに大きくなっていった。

 ついにはピアータが陣中を歩けば、所属を問わず多くの兵士たちが拝跪(はいき)するようにまでなったのである。

 もはや一般の兵士たちからすれば、ピアータは恐ろしい破壊の御子の呪いから自分たちを守る聖女か女神そのものとなっていたのだ。

 呪いのハッタリが通じなくなっても、街から打って出るだけの兵力がない蒼馬。

 呪いのハッタリを撥ね除けられても、街の防備を前に正攻法では落とせないピアータ。

 刃を交えない蒼馬とピアータの戦いは膠着状態のまま時は経過していった。

 そして、戦場に新たな動きが生じたのは、ガッツェン攻防戦がはじまってからおよそ二ヶ月が経過したときである。

 その日、いまだ朝日が昇ったばかりの時分に寝台の中でまどろんでいた蒼馬は部屋に飛び込んできたシェムルに叩き起こされた。

「ソーマ! ロマニア国軍の野営地に動きがあったぞ!」

 飛び起きた蒼馬は急ぎ服を着替えると、シェムルをともなって街壁の上へと駆けつけたのである。

 すると、シェムルが告げたとおりロマニア国軍の野営地に動きが見られた。野営地に所狭しと立てられていた天幕がいくつも畳まれ、野営地全体を囲っていた柵もまた撤去されている。こちらを警戒して臨戦態勢を取って威嚇している部隊もあるが、ロマニア国軍の大半が野営地の撤収に従事しているようだった。

「ついに諦めて撤退するつもりなのかな……?」

 そう洩らした蒼馬に答える声が上がる。

「いや。どうもそうではないようだ」

 それはガラムであった。ガラムもまた野営地を撤収するロマニア国軍を見やりながら言う。

「ハーピュアンに偵察を頼んだところ、野営地を今のところからより街から遠くへと移転しているようだ」

 侵略を諦めて撤退するのならば、わざわざ野営地を移転させる必要はないだろう。しかし、わざわざ手間暇掛けて野営地を移す意味がわからない。

 ロマニア国の意図を推し量っていた蒼馬の耳に、頭上から翼を打ち鳴らす音が降ってきた。その音とともに空より蒼馬の(そば)へ舞い降りたのはハーピュアンの伝令兵である。

「頭上より突然失礼いたします、陛下」

 無礼を詫びるハーピュアンに蒼馬はロマニア国軍の野営地を見つめながら「気にするな」と告げる。

「それよりも何かあったの?!」

 蒼馬の言葉にハーピュアンは大きく広げた翼を地に伏せる臣従の姿勢を取ってから顔を上げる。

「数日前にアドミウス様、グルカカ様、バヌカ様、ノルズリ様の四将が率いる援軍が王都を出立。明日には、このガッツェンの街に到着する予定です!」

 それに蒼馬が勢いよく振り向く。

「そうか! やっと来たか!」

 蒼馬はぐっと拳を握った。

 ロマニア戦役の第二局面「ガッツェン攻防戦」が膠着状態のまま終わりを迎え、そして第三局面「ベルテ川の戦い」が始まろうとしていた。

地味な籠城戦はこれでさくっと終わらせて、次は援軍を加えてもまだ自軍の2倍近い兵数を誇るロマニア国軍に対して蒼馬の軍略が冴えわたる第三局面「ベルテ川の戦い」だヽ(`д´)ノ オラァ!


~ネタ~

・パルティスがお化けを苦手な理由

パルティス「やや! あの森から感じる猛気は、敵の伏兵だな! あちらの谷の将気は、優秀な敵将が潜んでいるに違いない!」

側近「おお! すべて的中されたぞ! さすがはパルティス殿下!」

側近「うむ。パルティス殿下の勘は恐ろしい!」


パルティス「やや! あそこの井戸から感じる妄念は、主人の大事な皿を割った折檻(せっかん)で責め殺された侍女の怨霊! あちらの屋敷の瘴気は、夫に裏切られて首を吊った夫人の怨念!」

側近「おお! すべて的中されたぞ! さすがはパルティス殿下!」

側近「うむ。パルティス殿下の霊感は恐ろしい!」


・これを悪化させた張本人

ピアータ「兄上! あの屋敷に幽霊が出ると言うので、私と退治に行きましょ!(わくわく)」*霊感まったくなし!

パルティス「か、かわいい妹の頼みでは断れぬ」(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル


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― 新着の感想 ―
[一言] なんでソーマはこの時に「お前は神ではなく私が直々に殺す」とかって言わなかったんですか?
[良い点] や、やった! さすがピアちゃん様殿下! 並の雑兵には出来ないことを平然とやってのけるッ そこにシビれる!あこがれるゥ! [気になる点] しかしソーマの呪いになどビビっていないと示すなら人質…
[一言] ピアータの『糞喰らえ』ってゲノバンダの故事を踏まえると、現代日本人が同じ言葉を使うのとは比べ物にならないほどの強い感情が入ってそうだ これたぶんそういう意図の表現なんだろうなぁ この作者さん…
感想一覧
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