第47話 ガッツェン攻防戦6-呪い
ロマニア国の将軍による見せしめでの農民の虐殺は宣言どおり翌日以降も続けられた。それにともない蒼馬による不気味な呪いの踊りも続けられたのである。
当初、破壊の御子の呪いを恐れる者は、一部の迷信深い身分の低い兵士たちだけであった。多少なりとも考える力がある者たちは、破壊の御子が本当にそのような敵を呪い殺せるような力を持っていれば、とっくに自分たちは殺されていただろうという、いたって論理的な思考をもって破壊の御子の呪いを信じなかったのである。
しかし、そこは現実に神がおり、その恩寵と呼ばれる不思議な力を行使する御子が存在する世界だ。
そうした者たちも、心の奥底にある「もしかしたら」という暗い影を拭いきることはできなかったのである。
そして、状況も悪かった。
ロマニア国軍にとっては隣国への遠征である。将兵にとっては馴染みのない土地で、娯楽も少なく緊張の続く環境だ。そこに血気盛んな若い男たちがひしめき合っている状況ともなれば、ちょっとした事故や騒動など日常茶飯事である。
例えば、転んで怪我をする。刃物で指先を切ってしまう。水運びのとき小さな石につまづき、水瓶を割ってしまう。生水で腹を下す。おまえの目つきが気に入らないと喧嘩になる。そして、それに巻き込まれてしまう。
いずれも普段なら気にも留めはしない些細な出来事である。それを見かければ「ドジな奴だ」と言い、それを聞けば「運が悪い奴だ」軽く笑って終える程度のものに過ぎない。
当の本人ですら、数日もすれば忘れてしまうようなことだろう。
ところが、誰彼ともなく、そうしたことが起きる度に、こう言うようになっていた。
「破壊の御子の呪い」と。
それは、ただの軽口に過ぎなかった。ちょっとした冗談だったのである。
しかし、それはまるで病魔のように、じわりじわりとロマニア国軍の人々の心を蝕んでいった。そして、今やその病巣は針でつついただけで血の混じった膿をどろりと溢れ出す大きな腫瘍となっていたのである。
◆◇◆◇◆
ロマニア国軍に、ひとりの兵士がいた。
今回の征西のために徴兵された農家のしがない四男坊である。特に秀でた能力があるわけでもなく、兵士としての階級も低く、特筆されるべき人間ではない。名前もあるがここでは特に重要ではないため、便宜上その特徴的な大きな鼻から彼をデカ鼻と呼ぶことにする。
その日、デカ鼻は朝から機嫌が悪かった。
配給された朝食の堅焼きパンのカビ臭さに舌打ちを洩らし、皿に盛り付けられたスープの具の少なさに心がささくれ立つ。
それほどデカ鼻が不機嫌なのは、昨夜の賭け事のせいであった。
敵が街に引きこもり、打って出てこないとはいえ、そこは敵地である。娯楽らしきものは数少なく、せいぜい身内同士の賭け事ぐらいしかやることがない。デカ鼻のような下級兵士の間では、小遣い程度に出される俸給を賭け金とし、毎晩のように賽子博打が行われていたのである。
そして、昨夜の賽子博打で、デカ鼻は大負けしたのだった。
どうにも賽の出目が悪い。とにかく裏目、裏目に出る。これはツキが落ちているようだと感じたときにやめておけば良かった。しかし、もしかしたら次は勝てるかも知れない。これだけ負けたのだから、次こそは大穴が来るだろう。そんなことを思いつつ賭けを続けたのが失敗だった。気づけば手持ちの金ばかりかこの先の俸給まで取られていたのである。
程々にしておけよという賭け仲間からの忠告を無視して賭け続けた結果なのだから、誰を怨むわけにもいかない。だが、そう思ってみても、苛立ちは消えてくれなかった。
そんなイライラする気持ちを抱えたまま、デカ鼻が石のように固い堅焼きパンをスープに浸して食べていたときである。
そこへ同じ部隊の仲間がやってきた。
「おいおい。どうした、顔色が悪いな?」
へらりと軽薄な笑みを浮かべると、デカ鼻の仲間は続けて言う。
「破壊の御子の呪いにかかったか?」
それは、デカ鼻の仲間内では挨拶代わりの言葉である。
デカ鼻の所属する部隊は、あの破壊の御子への見せしめを行っている将軍の配下であった。多くの仲間が破壊の御子の呪いを恐れて嫌がる中で、肝が太かったデカ鼻は銅貨一枚の褒賞もあって最初から昨日に至るまで、毎回見せしめに参加していたのだ。
それを知る仲間からは、毎日のように心配と好奇から「破壊の御子の呪いはかかったか?」と声をかけられており、もはやそれが挨拶代わりにすらなっていたのである。
これまでならデカ鼻も仲間の言葉に「実はそうなんだ」と冗談で返せた。
ところが、このときはばかりはそのような心の余裕がデカ鼻にはなかった。ましてやそれが昨夜、賭けで大勝ちされた相手ともなればなおさらである。
「うるせえんだよ! てめえはっ!!」
デカ鼻は自分で思ったよりも大きな声が出たのに驚いた。しかし、いったん口から出た言葉は戻らない。
「何だよ。ただの冗談じゃねぇか。何を本気でブチ切れてんだよ」
娯楽のない生活である。少しでも笑いをと茶化してはいたが、本気ではなかった。そう言う仲間の気持ちは理解できるが、それを斟酌する余裕がデカ鼻にない。むしろ仲間のために自分がなぜ虚仮にされるのだという怒りすら覚える。
「てめえのは、冗談にもならないクソつまらねぇって言ってんだよ!」
怒声を上げながら、もう俺に構うなとばかりにデカ鼻は仲間を片手で突き飛ばした。
これに仲間の男はたまらずよろめいてしまう。さすがに倒れはしなかったが、男が手にしていたスープ皿が地面に落ちる。地面にまかれた具がほとんどないスープは、瞬く間に土へ染みこんでしまった。
これはさすがに悪いことをした。
デカ鼻は後悔する。
もし、ここでデカ鼻が一言「すまない」と謝れたのなら、この後の運命も変わったかもしれない。しかし、デカ鼻は悪かったとは思いつつも素直に謝罪できるだけの心の余裕がなかったのだ。むしろ俺は悪くないとばかりに、ざまあ見ろとでも言うように鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
これにはデカ鼻の仲間も、カッとなる。
死の危険と隣り合わせの戦場で気がささくれ立っていたのは、デカ鼻の仲間も同様だ。ましてやそうした過酷な環境の中にあって、食事はたとえどんな粗末なものであろうとも大事な大事な楽しみである。それを台無しにされて許せるものではない。
「てめえっ! いい加減にしろよ!」
そう言うなり仲間はデカ鼻へと殴りかかったのである。
もちろん、殴られたデカ鼻も黙ってやられはしない。お返しとばかりに仲間の腹を蹴り返す。そうして、ふたりは取っ組み合いの喧嘩を始めたのだった。
しかし、周囲の仲間たちは止めるどころか、それを囃し立てた。娯楽が少ない現状では、仲間の喧嘩すら楽しみのひとつに成り下がる。周囲の仲間たちは喧嘩を止めるどころか、どちらが勝つか金を賭け始めた。
仲間が囃し立てる中で、しだいに喧嘩はデカ鼻が押される展開になってきた。そして、ついには仰向けに倒れたデカ鼻の上にその仲間が馬乗りになり、一方的に殴打し始めるようになる。
その頃になって、ようやく兵長がやってきた。
「やめろ! 今すぐ喧嘩をやめるんだっ! おまえたちも、すぐに解散しろ!」
部隊長は叱責の声を上げると、連れてきた部下に命じて野次馬たちを追い散らし、いまだにデカ鼻を殴打し続けている男を引きはがさせた。
多少のいざこざならば大目に見るが、さすがにここまで騒ぎが大きくなれば兵長もふたりを無罪放免とはできない。兵長はデカ鼻とその仲間の男へ言う。
「おまえたちふたりは当面、雑役を命じる。反省しろ」
野営地の雑役は、柵の点検補修や毎朝の水汲み、便所の穴を掘るなど面倒な上に疲れる仕事で、下級の兵士たちが嫌がるものだった。
それを命じられたデカ鼻の仲間は、苛立ちとともに血の混じった唾を吐き捨てると、いまだ倒れたままのデカ鼻に向けて悪態をつく。
「てめえなんて、破壊の御子に呪い殺されちまえ!」
ところが、そのときおかしな空気に気づく。
仰向けになって倒れたデカ鼻を起こそうとしていた兵士が、顔に焦りを浮かべて慌てふためいていたのだ。
いったい何があったのかと人々が注視する中で、兵士たちは倒れたデカ鼻の首筋や口や鼻に手を当てたり、呼びかけながら頬を叩いたりする。そして、ついにはデカ鼻の胸元をはだけると、胸に耳を当てたのだ。
「おい! どうした?!」
嫌な予感を覚えつつも兵長が問いかけると、デカ鼻の胸に耳を当てていた兵士が引きつった顔を上げる。
「……死んでます」
ざわりと空気が揺れた。
「……何だと?」
兵長の問いに、その兵士は悲鳴のような声を上げる。
「息をしてない! 心臓も動いてない! こいつは死んでますっ!!」
兵士の叫びに、その場が凍り付いた。
いまだ明確な軍法もない時代である。気の荒い男たちが死を間近にする戦場という過酷な環境の中で、ちょっとした諍いから相手を殺してしまうのも、決して珍しくはなかった。良くある事故と言っても良い。
それが、たまたま破壊の御子が呪っていた相手だっただけだ。
良くある事故。
単なる偶然。
しかし、その場にいたロマニア国の将兵らは、そうは取らなかった。
「の、呪いだ! 破壊の御子の呪いだっ!」
爆発するような悲鳴が湧き上がった。
これをきっかけに、ロマニア国軍の中で破壊の御子の呪いへの恐怖が吹き荒れるのである。




