第46話 ガッツェン攻防戦5-半身
あの蒼馬が誰よりも信頼し、自身の半身とすら呼ぶシェムルへ怒声を浴びせたのに、誰もが我が目と耳を疑った。
しかも、それだけに終わらない。
蒼馬は何と自分をたしなめたシェムルに食ってかかったのである。
「あんなひどいことを見せつけられたんだぞ! 怒りで頭がどうにかなりそうだ! シェムルこそ、あんなものを見せられ、よく我慢できるな!」
蒼馬の怒りの咆吼に、その場に居合わせた者たちは思わず悲鳴を上げそうになった。
蒼馬にとってシェムルの存在の大きさは、誰もが知るところだ。
これまで蒼馬がどのように怒ることがあっても――たいていはミトゥのスープが三日飲めなかったのでふてくされる程度のものではあったが――シェムルがたしなめれば、すぐに行いを改めるのが常であった。
それが怒りを抑えるどころか、たしなめたシェムルに食ってかかるなど、ふたりを知る者にとっては、まさに驚天動地の出来事である。
これは、何が起こるかわからない。
誰もがそのような恐怖を覚えた。
またもや、ただひとりを除いて――。
「私が落ち着いているのは、当然ではないか」
蒼馬の怒りの矛先を前にして、シェムルはむしろ誇らしげに言った。
思わぬ反応に面食らう蒼馬へシェムルは得々と語る。
「いいか? 私は、この魂と命のすべてを捧げた『臍下の君』であるおまえに信頼されたばかりか、何と半身とすら認められたのだ。ゾアンではないおまえにはわからないだろうが、これほど誇らしく喜ばしいことはないのだぞ」
シェムルは「どうだ!」と言わんばかりに、その豊かな胸を張ってから言葉を続ける。
「ならば、わたしはこの全身全霊をもって、おまえの半身とならねばならん」
そこでシェムルは小さく首をかしげた。
「では、半身の役割とは何だ? おまえが怒るときにともに怒り、嘆くときにともに嘆くのが半身の役割か?」
シェムルは首を横に振った。
「いや。私は、それは違うと思う。
例えば歩くときだ。右足が前へ出ようとするとき、左足もともに前へ出るか?
いや、違う。左足はその場に留まり、前へ出ようとする右足を支えるではないか。右足とともに左足も前へ出ようとすれば、歩くことすらままならないだろう。
例えば右手でものを投げるときだ。上半身が右腕を大きく後ろに振りかぶるとき、下半身も右足を下げるか?
いや、違う。下半身は左足を前へと出して後から来る右腕を引き出すではないか。下半身もともに下がっていては、まともに前へすら投げられないだろう」
シェムルは一切の迷いもない目で、蒼馬をひたりと見据える。
「ならば、おまえの半身たらんとする私のやるべき事は決まっている。おまえが前へ進もうと言うのならば、私は踏み止まっておまえを支えねばならん。おまえが思い悩み踏み止まるというのならば、私は前へ出ておまえに行動に移せとうながさねばならん。そして、おまえが怒り狂うのならば、私は冷静でなければならんのだ。
そして、そこで私の感情など、二の次、三の次だ。なぜならば――」
シェムルは自分の胸に手を当てると、揺るぎない決意と自負を込めて言う。
「おまえの半身たらんとすることこそが、私の使命であり誇りなのだからな」
その瞬間、爽やかな一陣の風が吹き抜けた。
その風は周囲の人々の不安と恐怖を吹き飛ばしたばかりか、蒼馬の背負う赤黒い怒りの炎すら吹き消した。
蒼馬は自分の右手の平で顔を覆うと、天を仰いで深い吐息を洩らす。
「まいったな。本当にシェムルにはかなわないや……」
蒼馬はしばし天を仰いだまま身動きひとつしなかった。
ややあってから、シェムルはそんな蒼馬に問いかける。
「どうだ? 私はおまえの半身の役割を果たせているか?」
その問いに、天を振り仰いでいた蒼馬はシェムルへ顔を向けた。そして、気恥ずかしげな表情を明るく輝かせながら断言する。
「ああ、もう! そんなわかりきったことを言わせないでくれ! 君こそが、私の半身だ。誰が何と言おうと、君こそが私の半身だ!」
蒼馬の言葉に、シェムルはニッコリと笑う。
「ふむ。どうやら落ち着いたようだな」
「うん。落ち着いた」
いまだ怒りが消えたわけではない。しかし、脳裏を焼き尽くさんばかりに燃えさかっていた怒りは鎮まり、今は胸の奥底に重くわだかまっているだけだ。これならば怒りは感じていても冷静でいられる。
蒼馬の答えにシェムルは、うんうんと何度もうなずいて見せる。
「そうか、そうか。落ち着いたか」
そう言うとシェムルは、すうっと息を大きく吸った。それからキッとまなじりを吊り上げると、吸い込んだ息を咆吼として放つ。
「何なんだ、あの外道はっ!」
そのあまりの怒声の大きさに、蒼馬はたまらず両耳を塞いだ。そんな蒼馬の前で、シェムルは牙を剥いて吠える。
「戦えぬ無辜な民を捕まえて、見せしめに殺すだとっ?! ふざけるな! ソーマ! 今すぐ私に命じろ! あの外道の首を取ってこいとな!」
今にも山刀を抜き放って街の外へと飛び出していきそうなシェムルを蒼馬は慌てて後ろから羽交い締めにして押さえる。
「ダメだよ! 敵は罠を張って待ち構えているんだから、ダメだって!」
「そんなの関係ない! あの外道がこのときも息をしていると言うだけで、私は怒りで全身から火が出そうだ!」
シェムルは言葉どおり全身が燃え上がったかのように全身の毛を逆立てて、その場で地団駄を踏み始める。
「ちょっと! 落ち着いて、シェムル! ねえ、落ち着いてって!」
「落ち着けだと?! これが落ち着いていられるかぁ!」
自分を羽交い締めにする蒼馬の身体を振り回しながら、シェムルは吠えた。
「……おまえは何を騒いでいるのだ、《気高き牙》よ」
そこへやってきたのはガラムであった。兄の姿にシェムルは食いつくように声をかける。
「おお! おい、《猛き牙》。今から私と一緒にあの外道の首を取りに行くぞっ! さあ、私に続け!」
ガラムは大きくため息をついた。
「なぜ、俺がおまえの自殺に付き合わねばならんのだ。あいにくと俺は息子の成長を楽しみにしているので、おまえの自殺に付き合う気はないぞ」
シェムルは自分を羽交い締めにする蒼馬の腕を振りほどくと、ガラムに詰め寄る。
「貴様っ! それでも誇り高きゾアンの戦士か?! 見損なったぞ!」
「うるさい。黙れ、馬鹿」
ガラムはシェムルの言い分を容赦なく打ち落とした。
「王の半身たる王佐が敵に突撃してどうする? 王佐であるのがおまえの使命ではなかったのか?」
正論である。
言い返せなくなったシェムルは、その場で「うがー!」と叫びながらさらに激しく地団駄を踏み始めた。
そんなシェムルの姿を乾いた笑いを浮かべながら見守っていた蒼馬は、ふと視線を感じる。
「どうかした、ガラム?」
自分を見下ろしていたガラムに、蒼馬は尋ねた。ガラムはしばし蒼馬を見つめてから、小さく安堵の吐息を洩らす。
「いや。何でもない。――ただ、馬鹿も役に立つものだと思っていただけだ」
親しみのこもった微苦笑を浮かべてからガラムは蒼馬に言う。
「それと、陛下が怒り狂うと、こちらの兵まで動揺するので程々にしておいてくれ」
ガラムの言葉に、蒼馬はきょとんとした。
どうもこの王は、自分がどれほど周囲へ大きな影響を与えているか理解していないようだ。
そう思ったガラムは嘆息する。
「陛下は、この世でたったひとりの死と破壊の女神アウラの御子なのだぞ。下手に怒らせれば、その恩寵の力でどんな災いをもたらされるかと恐れられても無理はなかろう」
それに蒼馬は不思議そうに返す。
「でも、私はそんな恩寵なんて持ってないよ」
実際に蒼馬がアウラより与えられた恩寵は、他者を傷つけたり、ものを壊したりできなくなるという呪いのようなものである。また、別段それを隠すつもりもなく、問われれば誰にでも正直に話しており、それは周知のもののはずだった。
そう言う蒼馬に、ガラムは首を横に振るう。
「実際に、その目にでもしなければ、あのような恩寵を誰が信じるものか。ほとんどの者は、もっと恐ろしい恩寵を隠すための嘘だと思っているぞ」
ガラムは顎をしゃくって、今もまだ肩を怒らせてフーフーと荒い息をついているシェムルを示す。
「《気高き牙》はその恩寵で実際に人ひとりを殺しているからな。その《気高き牙》が仕える陛下ならば、もっと恐ろしい恩寵を持っていると思われても仕方あるまい」
言われてみれば、と蒼馬も思い出す。
かつてシェムルに不埒な真似をしようとした人間が、その恩寵に触れて絶命したと聞いたことがある。
しかし、それはよほどの条件が重ならなければ起きえないことだった。たとえ意図してそれを狙ったとしても、それこそが誇りにもとる行為とかえって自身へ災いが降りかかって来かねないシェムルの恩寵だからこそのものである。
だが、噂とは一人歩きするものだ。
そうした不利益は伝わらず、ただ人ひとりを呪い殺した事実だけが噂として広まっているという。
そんなシェムルの臍下の君である蒼馬が、それよりも恐ろしい恩寵を持っていると思われても仕方がなかった。
確かにそんな恩寵を持っていると思われる自分が怒り狂っていたら、兵たちが怯えるのも無理はない。
そんなことを考えていた蒼馬は、不意に目を見開いた。
「そうだ! ――ねえ、シェムル!」
足許の地面が陥没するほど地団駄を踏みまくり、ようやく気がすんだシェムルが「何だ?」と答えた。
「良いこと思いついたんだ。それで教えて欲しいことがある」
蒼馬はニヤッと人の悪い笑みを浮かべて見せた。
◆◇◆◇◆
夜の静寂の中に、太鼓の音が鳴り響いた。
一定の拍子を繰り返して叩かれる太鼓の音は、いつものゾアンたちが連絡に使っている太鼓の音とは何かが違う。それは、どこか厳かな雰囲気を漂わせる楽曲の拍子であった。
この聞き慣れない太鼓の音に、ガッツェンの街を遠巻きに陣を張っていたロマニア国の兵士たちは何事かと天幕の外に出た。耳を傾けて音の出所を探れば、どうやらガッツェンの街の方から聞こえてくるようである。
そうして目をそちらへ転じれば、天空に輝く白々とした月の光に照らし出され、ほの青白く浮かび上がるガッツェンの街壁の上にひとつの大きな炎が上がっているのが見て取れた。
篝火にしては大きすぎ、また出火にしてはおかしな場所である。
好奇心にかられたロマニア国の兵士たちは、陣を抜け出してガッツェンの街へと恐る恐る近づいていった。
「……おい! あれは、何だ?!」
ガッツェンの街に近づいたロマニア国の兵士たちが見たのは、街壁の上で炎の前に立つふたつの人影である。
ひとつは、その影形からゾアンとおぼしき人だ。そのゾアンは太鼓を抱え、先程から聞こえてくる拍子を打ち鳴らしていた。
もうひとつは人間らしい人影である。らしい、と曖昧な表現となるのも無理はない。それは全身を毛皮や鳥の羽根なので飾り立て、見るからに怪しい格好をしていたのである。
そして、そいつは炎を前に、ゾアンの叩く太鼓の拍子に合わせて踊っていたのだ。
それは不気味な踊りであった。
手足をカクカクと動かし、酩酊しているかのようにフラフラと重心を揺らす。時折、つまずいたようにガクッと態勢を崩したかと思えば、手を振り回して態勢を立て直すような仕草。
それは、あたかも不出来な操り人形を子供が糸を引いているかのような、そんな不気味な踊りである。
太鼓の音と踊る姿に惹かれ、しだいに多くのロマニア国の兵士たちが街壁の外に集まってきた。すると、やにわに踊っていた人影が彼らの方を振り返るなり声を張り上げる。
「我、破壊の御子たる木崎蒼馬が願い奉る!」
その一声に、集まってきていたロマニア国の兵士たちの間に恐怖が走った。
秘匿されていた大神――死と破壊の女神アウラが、この地上で唯一認めた御子。この西域に単身で現れるや否や、その恐ろしい力でゾアンを屈服させたばかりか、彼らを従えて西域の雄とも呼ばれた大国ホルメアすら滅ぼした邪悪な魔法の使い手。
噂でしか知らなかった破壊の御子が、まさに人々が語る邪悪な存在そのものという姿形を取って目の前に現れたのである。
気の弱い者の中には、その場で腰を抜かしてへたり込む者まで現れた。
そんな恐怖に怯えるロマニア国の兵士たちに向けて、蒼馬は叫ぶ。
「我が女神アウラよ! 偉大なる死と破壊の女神アウラよ! 我に賜りし死と破壊の恩寵の力をもって、我が民を不当に害した愚か者に災いをもたらし給え!」
シェムルがドドンッと太鼓を叩くと、さらに蒼馬は声を張り上げる。
「おお! アウラよ、アウラよ! 我が偉大なる女神よ! 我が民を不当に害した愚か者に災いをもたらし給え!」
そして、蒼馬は再びシェムルが叩き始めた太鼓の拍子に合わせて踊り始めたのである。
その姿に、ロマニア国の兵士たちは恐慌状態に陥った。
「ひいぃっ! の、呪われるぞ!」
「破壊の御子に呪われるぞぉ!」
口々にそう叫びながら、転ぶようにして陣地に逃げ帰っていくロマニア兵たちを見やりながら、蒼馬の脇で太鼓を叩いていたシェムルは、その顔に人間にもそれとわかるぐらい渋い表情を浮かべて言う。
「なあ、ソーマ」
「ん? どうしたの、シェムル?」
不気味な踊りを踊りながら答える蒼馬に、シェムルはわずかに言いよどんでから、こう言った。
「私の教えた踊りが、なぜそんな奇っ怪なものになるんだ? 頼むから、もう少しうまく踊ってくれ。見ている私の方が恥ずかしいぞ」
ピタリッと蒼馬の動きが止まる。
その不意の動作に、いまだ残っていたロマニア国の兵たちの間から恐怖のどよめきがあがった。そのどよめきの中で、蒼馬はギギギッと油の切れたロボットのような動きで首をシェムルへと向ける。
「ほっといてよ!」
蒼馬は顔を羞恥に染めて、そう言った。
期待されていた方には申し訳ありませんが、蒼馬の呪いとは毒ガスでも生物兵器でもなく不思議な踊りです(笑)。MPが減る代わりに恐怖状態になります。
なお、今回の話のメインは呪いよりも最近では腹黒女官長さんとばんぷふとーさんにメインヒロインの座を奪われそうになっているシェムルの活躍する回でした。
やはりシェムルは良い女なのです。そのあたりのなろうヒロインには負けてません!(確信)
ちなみに、俗説ですが毛深い女性ほど人情に厚いと言われています。
すなわち、ツルツルな人間やエルフはもとより、ケモミミや尻尾だけの何ちゃって獣人ヒロインより、はるかに毛深いガチ獣人ヒロインこそが至高というわけです(狂信)。
これだけ良い女のシェムルがいれば、どんなことがあろうとも蒼馬が「敵兵皆殺し! 敵国民は虐殺!」なんて闇落ちはしないでしょう。きっと。
~ネタ~
蒼馬「我が女神アウラよ! 偉大なる死と破壊の女神アウラよ!」
アウラ「(ひょっこり)なぁに? 私を呼んだ?」
蒼馬&シェムル「きゃぁ~~!!」
アウラ「人(?)を呼んでおいて、その態度は失礼じゃない?(ぷんぷん)」




