第45話 ガッツェン攻防戦4-憤怒
「出て行ってやるものかっ!」
蒼馬がそう叫んだとき、その後ろではシェムルがわずかに目を丸くし、ガラムも驚きを顔に浮かべた。
そして、ロマニアの将軍のはるか後方でことの成り行きを見守っていたピアータは、小さく「ほう」と感嘆の声を洩らした。
その場にいるすべての人たちの視線を集めながら、蒼馬はギリリッと奥歯を噛み締める。
この世界に蒼馬が落ちてきてから、早十年近くが経過していた。もはや蒼馬も平和のありがたみも知らない平和ボケした日本人の少年ではない。戦争の悲惨さも、そこで剥き出しにされる人間の醜さもすでに承知のものである。
しかし、これは何だ?
蒼馬は、そう思った。
糧食を奪うために村を襲うのでもない。金品を得るために家屋を荒らすのでもない。一時の肉欲を満たすために女を犯すわけでもない。奴隷を得るために人を捕らえるのでもない。
ただ街に立て籠もっている自分を引きずり出すためだけに、戦う力も何の罪もない無辜な民を見せしめに殺したのだ。
この時代では、これもまた立派な戦術なのかも知れない。
しかし、蒼馬の中にある現代日本の知識に従えば、こんなものは戦術ではなかった。
これは、テロリズムである。
一般市民や非戦闘員への殺傷により、国や組織に対して要求を突きつけるテロリズムそのものではないか。
それでは、なおさら出て行けるわけがない!
テロリズムが有効だと明らかになれば、敵は要求を吊り上げ、そのためにより凄惨なテロ行為を行うのは明らかだ。
今回は自分たちを街の外に出させるだけだが、次はガッツェンの無血開城を要求されるかも知れない。その次は領土割譲かも知れない。さらにはエルドア国の降伏かも知れない。
そうして要求が吊り上がれば、当然そのために取られる人質の数は増えて行き、その中から出る犠牲者の数もまた増えるだろう。
そうさせないためにも、決してテロリズムによる要求は受け入れることはできないのだ!
そう頭では理解していても民を切り捨てたことに懊悩する蒼馬に、ロマニアの将軍は脅迫を続ける。
「破壊の御子め! 本当にこやつらがどうなってもかまわないのかっ?!」
かまわないわけないだろうが!
蒼馬は、反射的に叫びそうになったその言葉を強引に飲み込んだ。そして、絶望に満ちた顔でこちらを見上げる農民らに声をかける。
「すまない! あなたたちを助けようとすれば、私や兵だけではなく、この街の多くの住民らにまで危険が及んでしまう! それは許されないことなんだ!」
そう叫んでから蒼馬は自分へ、それは違うだろうと内心で罵声を投げかける。
そのような言い訳めいたことを言って自分を誤魔化すな。
蒼馬は、いったん口を閉ざす。そして、再び口を開いたとき、そこから飛び出したのは血を吐くような声だった。
「私は、あなたたちを助けない! 私は、あなたたちを見捨てる! 私はあなたたちが殺されようとも決して打って出るようなまねはしない! それを怨んでも構わない!」
蒼馬は自らが切り捨てると宣言した民たちから視線を切ると、怒りに燃え上がる目を将軍へと向けた。
「だが、パルティスに伝えろ! 破壊の御子は、おまえを許さない! 絶対に、絶対に許さない、とな!」
蒼馬は両腕を大きく開き、その場にいるすべての者へと声を張り上げる。
「今、この場にいるすべての者の前で誓おう! この『破壊の御子』木崎蒼馬は、パルティスを絶対に許さない! 必ずその首を刎ねて晒し、その肉体は野に放置して獣どもの餌にしてやる!」
この時代、刎ねた首を腐敗するまで晒し、その身体を荒野に放置して野犬などの動物の餌にするのは、その者の死すらも冒涜する罰だ。
この処罰を受けたのは蒼馬の治政においては、元ホルメア国宰相だったメンダックスと息子のパダックスだけである。仕えるべき王族のワリナ王女の殺害とホルメア国乗っ取りを企んだ大逆者でもなければ適用されなかった処罰なのだ。
敵国とはいえ王子のパルティスへそれを下すというのは、異例と言っても過言ではない。それだけに蒼馬の怒りの大きさの程が知れた。
しかし、それだけで蒼馬の怒りは収まらない。
「このような非道な真似に加担した貴様らも同様だ!」
蒼馬は、将軍とそれに引き連れられてきた兵たちを指差した。
「たとえどこへ逃げようとも、たとえどこへ隠れようと必ず見つけ出し、この蛮行の報いをくれてやる! 必ずだっ!!」
現代日本の知識と常識を除けば、特技らしい特技を持たない蒼馬である。
しかし、たったひとつだけ誇れるものを蒼馬は持っていた。
それは声質である。
蒼馬の声はその声量よりも、はるか遠くまで届き、また良く聞き取りやすい声質だったのだ。
そのため、燃えるような怒りを乗せた蒼馬の声は、ロマニア国の将軍やその兵たちに、あたかも目の前で怒声を上げられたかのような衝撃を与えた。
それにロマニアの将軍も思わず怯んでしまう。だが、すぐに我に返ると、自分の失態に頭へ血を上らせる。
「虚勢を張りおって! ――やってしまえっ!!」
将軍の命令で、ロマニア兵たちはいっせいに農民たちへ剣や槍を突き立てた。次々と悲鳴と血飛沫を上げながら農民たちは殺されていく。それだけに飽き足らないロマニア兵たちは、さらに殺した農民たちの首を切り落とすと、それを街壁へと投げつける蛮行まで始める。
そして、その一部始終を蒼馬は燃えるような怒りをたたえた目で凝視し続けた。
「良いかっ! 破壊の御子め! 貴様が街に引きこもり続ける限り、毎日こうしておまえの民が犠牲になると知れ!」
ロマニアの将軍は、そう捨て台詞を残すと兵たちを連れてそそくさと自陣へと戻っていったのである。
ロマニアの将軍たちが立ち去ってからも、しばらくガッツェンの街壁は静寂に支配されていた。
その場にいる誰もが、これからいったい何が起こるのかと息を殺して蒼馬の一挙手一投足を見守っていたのだ。
ややあってから蒼馬はセティウスの名を呼ぶ。
「セティウス」
「は…はっ! ここに!」
いつものしかめ面はどこへやら。緊張に顔をこわばらせたセティウスは、蒼馬へと頭を垂れる。
「あの者たちの遺体を回収してくれ。せめて丁重に葬ってやって欲しい」
蒼馬の声は決して大きかったり、語調を荒げたりしたものではなかった。むしろ気落ちしたような暗さすら感じさせるものである。
「りょ、了解いたしました……!」
ところが、セティウスの声は恐怖にわずかに震えていた。
得体の知れない恐怖に顔も上げられずにいるセティウスの横を蒼馬がゆっくりと歩き過ぎていく。
「ガラム。私は戻る。後は任せた」
陰鬱な声でボソッと命じられたガラムは反射的に背筋を正す。
「承知した」
そう答えるガラムの声もまた、緊張に震えていた。
誰なんだ、これは?
わずかに全身の毛が逆立つのを感じながら、ガラムは胸の内で自問していた。
ガラムが知る蒼馬は、みんなについて行きたいと思わせたり、引っ張り上げたりするような強い人間ではない。
むしろ頼りない人間である。それも、どこか遠くを見ていて、足許がまったく見えていない。気づけば、そこらで転んで大怪我をしてしまう。そんな自分たちが助けてやらなければ、どうにもならないような弱い人間である。
ところが、今は違う。
歴戦の勇士を自認するガラムですら圧倒する威圧を蒼馬は全身から放っていたのである。
一切の反抗を許さない――いや、反抗することすら考えさせなくしてしまう蒼馬の威圧を前に、ガラムは我知らず蒼馬が脇を通り過ぎるまで息を止めてしまっていた。
蒼馬が街壁から階段で下りると、そこには騒ぎを聞きつけて多くの街の住民たちが集まっていた。
街の復興に尽力してきた蒼馬は、住民からは決して身分をかさにかからない、民にも気さくな王様と知られていた。そのため、蒼馬が街を歩けば街の住民の方から声をかけられ、冗談を交わし、笑い合う。そんな友好的な関係を築いていたのである。
ところが、階段から下りてきた蒼馬の姿に、住民らは息を呑んだ。
いつもは頼りない少年のような笑みを浮かべていた顔には憤怒の形相が張りつき、その背後に燃えさかる赤黒い炎を幻視させるほどの怒りを全身で示していたのである。
その姿を前に、あたかも伝説の預言者を前に海が道を開いたが如く、駆けつけてきていた住民らの人垣が割れた。
その間を蒼馬は無言で歩いて行く。
「あれが、ソーマ様なのですか……?」
遅ればせながら駆けつけていたエラディアが、そんな蒼馬の姿に震える声を洩らした。
すぐさま駆け寄り、何か声をかけねばならない。
そう思うのだが、その一歩が、その一声が出せなかった。
もはや誰もが何と声をかければ良いかわからず、ただ怒り狂う蒼馬を傍観することだけしかできなかった。
ただひとりを除いて――。
「落ち着け、ソーマ。そんなに怒っても仕方ないだろう」
それはシェムルである。
それに誰もがホッとした。
王佐であり、自らの半身とすら認める彼女が諫めたのだ。きっとその怒りも収まるだろう。
誰もがそう思った。
ところが、である。
「これが落ち着いていられるかっ!」
しかし、蒼馬の怒りはおさまらなかった。




