第44話 ガッツェン攻防戦3-見せしめ
翌朝、ロマニア国軍の本陣で出陣の準備をしているピアータに、副官のデメトリアが声をかけた。
「任務とは言え、あまり愉快なものではございませんね」
そう言うデメトリアの視線の先には、昨日の軍議においてパルティスへ良策があると進言した、あの将軍が同じように出陣の準備をしていた。
「口を慎め。パルティス兄上のご決断だ」
デメトリアの批判的な発言をピアータはたしなめた。
昨日の軍議で、パルティスはあの将軍の献策を受け入たのである。そして、その策のために出陣する将軍をズーグの襲撃から警護するため、ピアータたち百狼隊もまたともに出陣することになったのだ。
それがよほど気乗りしないのか表情を曇らせている副官に、ピアータは重ねて言う。
「それに成功すれば、攻壁のために失うはずだった我が国の兵たちの命が助かる。失敗しても、我らに損失はない。試して損はない良策ではないか」
しかし、デメトリアの顔は晴れない。むしろさらに気遣わしい顔で言う。
「そうおっしゃるのは、姫殿下も眉間のシワをどうにかされてからがよろしいかと」
デメトリアの指摘に、ピアータは「むぅ」とうなる。シワの寄った自分の眉間を指でもみほぐすピアータを前に、デメトリアはぼやく。
「不本意ですが、あの赤毛が妨害に来てくれるのを期待してしまいます」
「それは無理だろうな」
ピアータはデメトリアの期待を否定した。
「あの赤毛は勇猛だが、同時に驚くほど用心深い。こちらの動きに気づいたとしても、それが自分らに対する誘いなのか判断がつくまでは遠くからの観察だけに留めるだろう」
ピアータは肩をすくめると嘆息を洩らす。
「だが、この策は好き嫌いはともかくとして、破壊の御子にとって効果的であるのは間違いないぞ」
それにデメトリアはさらに尋ねる。
「では、破壊の御子は策に乗って街から出てくるでしょうか?」
「さあな」
ピアータは投げ槍に答えた。
「これで出てくるようならば、その程度の男ということだ」
◆◇◆◇◆
街壁の方で叩かれたゾアンの太鼓に、シェムルはふと顔を上げた。
そのときシェムルは、蒼馬とともに街を巡察しているところだった。
いつもならロマニア国軍が攻めてくるのと同時に蒼馬を貴賓室に押し込めるのだが、今日に限って昼を過ぎてもロマニア国軍が攻めてこない。そこで奮戦してくれている兵や街の住民らを鼓舞するため、蒼馬とともに街を巡り歩いているところだったのである。
「どうかした、シェムル?」
太鼓の音に耳を澄ませているシェムルに気づき、蒼馬が尋ねた。シェムルは今し方聞いた太鼓の音の意味を蒼馬へ伝える。
「ああ。――《猛き牙》が、おまえに急いで来いと伝えてきている」
最近ではロマニア国軍が攻めてくると引っ込んでいろと言われているのに珍しいこともあるものだ。
ふたりしてそんなことを考えていると、さらに太鼓が打ち鳴らされた。シェムルはピクリと耳を動かす。
「急げ、だと? 何だかずいぶんと焦っているようだな」
「何だろうね? とにかく、急ごう」
そう言うと蒼馬はシェムルをともなってガラムがいるであろう街壁へ向けて駆けていった。
階段を駆け上がり、街壁の上へと出る。すると、そこにはガラムだけではなく、ドヴァーリンやセティウスや他の多くの兵たちも何事かと集まってきていた。
「何かあったの、ガラム?」
蒼馬がそう問いかけると、ガラムは目で街の外を示す。
「あいつが陛下に伝えることがあると、先程から呼びかけてくるのだ」
ガラムの視線を追って街の外を見やると、そこには五十人ほどの人間の姿が見受けられた。
何らかの交渉に訪れた使者かな。
まず、蒼馬はそう思った。しかし、それにしては少しおかしな気がする。一番前に立つ、立派な鎧兜を着て馬に乗った将軍職らしい男はともかくとして、その後ろにいる人間の半数ほどは武器どころか鎧すら着けていない。そればかりか、よく見れば老人や女子供らしい姿まである。
そして、怯えたように身を寄せ合うそんな人たちを武装したロマニア国軍の兵士が取り囲んでいるようだった。
嫌な予感を覚えた蒼馬だったが、このまま眺めていても仕方ない。とりあえず、将軍らしい男へ名乗りを上げてみる。
「私がエルドア国の王、木崎蒼馬だ! 何か、私に用があるのか?!」
蒼馬の名乗りに、その将軍は声にたっぷりと悪意と侮蔑を乗せて返してきた。
「貴様が、友邦国ホルメアを侵略し、王を僭称する破壊の御子か!」
いまだ公式にはエルドア国建国を認めておらず、亡命してきたヴリタスこそホルメア国王と認めるロマニア国からすれば、蒼馬はホルメア国の領土を無法に奪いし、王を僭称する大罪人である。
しかし、その友邦国とやらを四年前に散々蹂躙し、無法の限りを尽くしたのだからお笑いぐさだ。それに、僭王呼ばわりもロマニア国の常套文句にすらなっている侮辱なので、蒼馬は気にも留めない。代わりに、後ろで「あいつを射殺しましょうか?」と物騒なことを洩らすシャハタと、それを「良いぞ、やってしまえ!」とけしかけるシェムルを手振りで押さえた。
いくら無礼とはいえまがりなりにも使者を射殺すわけにもいかないし、あちらも矢を警戒して必要以上には近づいていない。さすがに射殺すのは難しいだろう。
それに、蒼馬も王になってから三年が経過している。この程度の挑発をあしらうぐらいは簡単なものだ。
「それはもう聞き飽きた。他に言うことがなければ、私は戻らせてもらうぞ」
まるで芸を磨いてから出なおせと言わんばかりの蒼馬の口調に、将軍は怒りを浮かべる。
「この亜人奴隷どもの頭目が! 貴様など我らと戦おうと出てきた癖に、我が軍を前にするや否や逃げ出した臆病者ではないか!」
将軍はミルツァでの蒼馬の敗走をそう皮肉った。
「臆病者ではないというのならば、門を開いて打って出て来るが良い! それができぬほど我らロマニア国軍の恐ろしさは骨身に染みているのならば、もはや無駄な抵抗はやめ、門を開いて我らに降伏することだな!」
それからその将軍は遠目でもそれとわかるぐらいの侮蔑を顔に浮かべた。
「素直に降伏すれば、決して粗略には扱わぬので安心するが良い! そうだな! おまえが大好きな獣どもと一緒に、首に縄をつけ王宮の庭で飼ってやってもよいぞ! 面白い芸を見せれば、残飯ぐらいはくれてやろう!」
そう言うと、これ見よがしに胸を反らして大きな笑い声を上げ始めた。
これにエルドア国の誰もが憤慨する中で、蒼馬はひとつ笑い声を上げてから答える。
「悪いが、門を開くことはできない。なぜなら――」
蒼馬はひょいと肩をすくめると、戯けた調子で言う。
「私は幼い頃に両親から『変なおじさんが家を訪ねてきても、決して家の扉を開けてはいけません』と良く言い聞かされているからね!」
一国の将軍を変なおじさん――変質者扱いである。
一拍の間の後、ガッツェンの街から爆笑が湧き上がった。
それとは対照的に、変質者扱いされた将軍は顔を真っ赤にして激怒する。
「おのれ! 無礼な亜人奴隷の頭目が!」
その将軍は手振りで後ろにいる兵士たちに合図を送る。すると、兵士たちは連れてきた非武装の人たちを十名ばかり前へと押し出してきた。兵士たちはその人たちを剣や槍で小突いて横一列に並ばせると、その場にひざまづかせる。
「破壊の御子め! こやつらが何者かわかるかっ?!」
将軍の問いに、蒼馬は困惑する。
最初にミルツァの敗走時に自分らとはぐれてロマニア国軍に捕まった捕虜の兵かと思った。しかし、遠目でも兵にはなれそうもない老人も含まれている。
いったい彼らは何者だろう?
そう困惑する蒼馬に向けて、将軍はニヤリと笑う。
「こやつらは、この辺りの農民どもよ!」
街壁の上からどよめき声が上がり、蒼馬の顔色が変わった。
ガッツェンの街周辺の農民たちにも避難を呼びかけ、街に収容したんじゃないか。
蒼馬がそう目で問いかけると、セティウスは慌てて答える。
「おそらくは私たちの避難指示に従わなかった者たちだと思われます」
セティウスの推測は当たっていた。彼らは家や畑が心配だったり、慣れない街での避難生活が嫌だったりと、様々な理由から街へ避難していなかった近隣の農民たちだったのである。
いまだ四年前のロマニア国軍の蛮行も記憶に新しいこのときに、再びロマニア国軍が侵略してくると伝えて街への避難を呼びかけたというのに、それに従わなかった民がいることに蒼馬は驚いた。
しかし、現代日本でも、台風などの自然災害を前に同様の理由を挙げて避難所への避難を拒否して被災する人が後を絶たないのも現実である。
彼らはしばらく森や山に隠れて、ロマニア国軍をやり過ごそうとしていたのだが、そこを狩り出され、こうして連れてこられたのである。
その蒼馬の動揺にいやらしい笑みを満面に浮かべた将軍は見せつけるようにゆっくりと右手を上げた。
「……! まさか、おまえ?!」
これから何が行われるのか気づいた蒼馬の顔から血の気が、サッと音を立てて引いた。
「やれっ!!」
そして、将軍の右手が無慈悲に振り下ろされた。
それを合図にロマニア兵たちが並ばされた農民たちに向けて、いっせいに剣を振り下ろし、槍を突き出した。
鮮血が飛び交い、断末魔の悲鳴が幾重にも重なる。
街壁の上にいたエルドア国の兵や民衆の間からは、悲嘆と驚愕のどよめき声が湧き上がった。
おそらく家族ごと拉致されてきたのだろう。泣きじゃくりながら「お父さん」と連呼する小さな女の子の声が聞こえてくる。
しかし、そんな女の子の悲痛な叫びもロマニアの将軍には届かない。さらに蒼馬へ見せつけるため、兵に命じてすでに息絶えた遺体へ何度も剣や槍を突き立てさせた。
「どうだっ?! 見たか、破壊の御子め! 貴様が臆病にも街の中に引きこもっているせいで、こやつらは死んだのだ! 貴様のせいで、こやつらは死んだのだ!」
将軍の言葉に、蒼馬は顔を蒼白にし、身体をブルブルと小刻みに震わせていた。眼球が飛び出さんばかりに見開かれた目は、無残にも殺された民の遺体へと向けられたまま釘付けとなっている。今にも街壁の外へ転げ落ちそうなほど乗り出した身体を支える両手には、胸壁を握り潰そうとでも言うかのように力が込められている。よく見れば胸壁に突き立てられた指の爪からは血がにじんでいたが、蒼馬はその痛みすら気づいて居ない様子であった。
言葉もない蒼馬の様子に、将軍は得意げになって兵に命じる。
「残りの奴らも前へ並ばせよ!」
ロマニア兵たちは先程と同様に剣や槍で小突いて農民たちを並ばせた。そこには、父親を目の前で殺されて泣きじゃくる女の子とその子を抱き締める母親らしい女性の姿も含まれている。
「破壊の御子め! こやつらを助けたくば、街より出て、我らと正々堂々と戦え! 貴様には砂粒ほどの勇気もないのか?! この臆病者め!」
それから将軍は並ばせた農民たちに言い放つ。
「貴様らも命乞いをしろ! 助かりたくば、破壊の御子にすがるのだっ!!」
農民たちは避難の指示に従わなかったのに負い目を感じているのか、しばし躊躇った。しかし、それもロマニア兵に剣の切っ先や槍で小突かれると、引きつった声を上げ始める。
「助けてぇー! 助けてぇー!」
「死にたくない! 助けてくれー!」
「お助けください!」
農民たちが必死に上げる助けを求める声に、ガラムをはじめとした長らく蒼馬とともに戦ってきた者たちは焦燥を浮かべた。
彼らが知る蒼馬は、この時代の為政者としては珍しく民を大事にする人間だった。名君と呼ばれる君主の中にも民を大事にする者もいる。だが、蒼馬の場合はそれに輪を掛けて、たとえ自分の権益が脅かされることになろうとも、まずは民の権益を優先させるような人間なのだ。
そんな蒼馬に、この見せしめがどれほど効果があるかなど考えるまでもない。
それこそ彼らを助けるために街の外に打って出ると言いかねなかった。
ガラムは、そうなったときのことを思い浮かべる。
わずか二千の兵だけで、十倍に達しようと言うロマニア国軍の攻撃をしのいでこられたのも、万全の態勢を整えられていたガッツェンの街に立て籠もっていればこそだ。そこから打って出るなど、自殺行為に他ならない。
ガラムは大将軍として軍事に関しては王である蒼馬の命令を拒否できる権限を有する。いざとなれば打って出ようという蒼馬の命令を拒むこともできるのだが、こんなところで王と大将軍が意見を対立させる姿を兵士たちに見せるのはまずかった。
そして、何よりも問題なのは、蒼馬は自身が思っている以上に民衆や兵たちから慕われていることだ。
そんな蒼馬が激しい怒りと憎悪を示せば、それに同調する者が出てもおかしくはない。下手をすれば大将軍である自分ですら止められない暴発すら起きかねなかった。
これはまずい!
ガラムは蒼馬が何か言い出す前に押さえ込もうと手を伸ばした。
しかし、それよりも一瞬早く、蒼馬が吠える。
「出て行ってやるものかっ!」




