第42話 ガッツェン攻防戦1-防衛
「ミルツァの戦いで惨敗した破壊の御子ソーマ・キサキは、残存戦力を集めてガッツェンの街に退却しました。そして、それをパルティス率いるロマニア国軍も追い、街を包囲したのです。これが今日において『ガッツェン攻防戦』と呼ばれる戦いのはじまりでした」
そう語るのは、破壊の御子研究の第一人者マーチン・S・アッカーソン教授である。
「大陸西域でも有数の大都市である、このギルテンの街。古代西域の読みではガッツェン。ここが、戦史にも名高い『ガッツェンの戦い』の場でした」
マーチン教授は両腕を開いて、多くの人々が行き交う古い煉瓦造りの街並みを示した。
「古代エルドア国において、ガッツェンの街は東のマサルカ関門砦から王都ホルメニアを経由して西のルオマの街へ通じる主要街道において、東の最初の街でした。また、近くを流れるベルテ川は主要街道に沿ってラビアン河へと流れ込む支流であり、ガッツェンの街は陸運と水運が交差する要所でもあったのです。
そのため、エルドア国制圧を狙うロマニア国軍にとっては必ず最初に落とさねばならない要所でありました。それだけに破壊の御子もガッツェンの街には万全の備えをしていたのです」
古い街並みを歩きながら解説するマーチン教授は街の外れにある開けた場所へ出た。
「そうした破壊の御子の街への備えは、現代にも痕跡として残されています」
そう言ってマーチン教授が指し示したのは、柵で囲まれた剥き出しの地面とそこに残された古い建造物の基礎と思われる跡である。
「これは、食料庫の跡地です。破壊の御子はこのような食料庫を街の中にいくつも造り、塩漬けにした肉や野菜、大豆のミトゥなどを大量に備蓄させたと言われております」
そこでマーチン教授はかすかに微笑む。
「ちなみに、この地域の郷土料理であるベーコンと塩漬け野菜の大豆のミトゥ煮込みは、そうした保存食を利用するために生まれた料理です。やや塩味が強いスープで、一般的には粉砕したナッツを練り込んで焼かれた堅焼きパンを浸して食べられます。すると、スープの塩味とパンの甘味が素晴らしいハーモニーを奏でます。もし、ギルテンの街を訪れることがあったときは、是非ご賞味ください」
場面が変わり、マーチン教授は古い街壁の上に出る。
「破壊の御子の備えは、もちろん糧食だけではありませんでした。この古い街壁は、いわゆる破壊の御子の七腕将のひとりと呼ばれる《暴食》のドヴァーリンが建造したものと言い伝えられているものです。
石を積んだものをドワーフのコンクリートで補強したこの街壁は、高さ六メルト(一メルトはおよそ一メートル)、幅四メルトにもなる強固なものです。二千年近い年月を経てもなお形を留めているところからも、当時のドワーフたちの高い建築技術がうかがえます」
マーチン教授はその場に片膝を突くと、街壁の上に掘られた溝に手を当てる。
「壁の上には、このような溝が何本も掘られています。これは投石機やそれに石を運搬する手押し車の車輪のための溝です。
ドワーフたちは、この溝を使って投石機や手押し車を素早く移動させることで、それらを最大限に活用させていたのでしょう。また、使われる石も大きさや形状を整えられており、事前の試射によって正確な射程距離も測量されていたと思われます。
こうした備えを前に、ロマニア国軍は圧倒的な兵力を投入しながらもガッツェンの街を攻め落とせず、街を巡る攻防戦は一ヶ月にも及ぶことになったのです」
マーチン教授は手に着いた土埃を叩きながら立ち上がる。
「そうした膠着状態を打開すべく、側近の将軍がパルティス王子へある献策をすることになります。
ですが、それは結果として失敗に終わりました。
しかし、事態はそれだけに終わりません。その策は破壊の御子ソーマ・キサキを激しく怒らせる結果となってしまいました」
マーチン教授は、そこで一拍の間を置いてから、声を潜めて言う。
「そして、伝説に名高い『破壊の御子の呪い』がロマニア国軍を襲ったのです」
◆◇◆◇◆
「巻き上げ、よぉし! 方向修正、よぉし!」
街壁の上に置かれた投石機に群がっていたドワーフのひとりが、そう声を張り上げた。
「よしっ! 火壺の準備!」
ドヴァーリンの指示に、石炭を轟々と燃やす炉の脇にいたドワーフが「おう!」と応じる。
炉の上では人の頭ほどの大きさの壺がガンガンに加熱されていた。真っ赤に焼けた壺の口に蓋として詰められた布の隙間からは、熱せられた油がジュクジュクと音を立ててにじみ出ている。
それを分厚い皮の前掛けに手袋をつけたドワーフが金属製のやっとこばさみを使い、慎重に投石機の腕木の先についた匙のような部分に乗せる。
「火壺、よぉし!」
ドヴァーリンは遠眼鏡を覗き込みながら、その片手を上げた。その場にいるドワーフたちが固唾を呑んで見守る中、ドヴァーリンが勢いよくその手を振り下ろす。
「今じゃ! 発射せい!」
その声とともに、投石機の脇にいたドワーフが振り上げた金鎚で留め金をぶったたく。留め金がはずれた腕木が勢いよく跳ね上がり、その先端に乗せられていた火壺を宙へと投げ飛ばした。
布についた火が突風に煽られるボボボボッという音を上げながら宙を飛んだ火壺はきれいな放物線を描きながら、街へ押し寄せていた攻城兵器の周囲に次々と着弾する。着弾した衝撃で壺が砕けると、中に詰められていた油が勢いよく飛び散った。限界まで熱せられた油は、布の火が引火して瞬く間に大きな炎となって燃え上がる。
「ホッホッー! 直撃じゃ、直撃!」
火壺のひとつが直撃して火を上げ始めた攻城兵器に、ドヴァーリンは歓声を上げた。
「第二射用意! 準備でき次第、ぶっ放せ!」
続いて放たれた火壺もまた直撃し、攻城兵器が轟々と燃え上がった。必死に消火しようとしていたロマニア兵たちも、ついには諦めて待避していく。
そうして次々と攻城兵器が炎上していくのに、ついにロマニア国軍の本陣から大太鼓が大きく打ち鳴らされた。それとともに街を攻めていたロマニア国の軍勢の至るところから喇叭の音が鳴り響く。
それは、この一ヶ月の間でずいぶんと聞き慣れてしまったロマニア国軍の撤退の合図である。
潮が引くように退いていくロマニア国軍を観察していたドヴァーリンは、それが偽装ではないと判断するとようやく肩から力を抜いた。
「よし! 一番から五番までの投石機の分解点検を始めい。終わり次第、六番から十番もじゃ。へたった部品は遠慮なく交換しておけ。ここでケチって泣きを見るのは、明日の自分らじゃからな!」
ドワーフたちが投石機の点検をしているところへ、ガラムがシシュルをともなってやってきた。
「ドヴァーリン。こちらは問題ないか?」
そう尋ねるガラムにドヴァーリンは得意げに髭を撫でさすりながら答える。
「おう。大将軍閣下か。――ご覧の通りよ。わしらがいる限りは、ロマニアの玩具など一台とて街に近づかせるものではないわ」
それは決して大言壮語ではなかった。事実としてこの一ヶ月もの間、ロマニア国の攻城兵器はひとつとして街壁に近づくことすらできずにいた。そればかりか、街壁の前に幾重にも用意された数々の防御装置や罠によって歩兵すらまともに街壁までやってこられない状態であったのだ。
「おかげで助かっている。何しろ、俺はこういったところでの戦いは良くわからん」
ガラムは苦笑を浮かべる。
「あちらも、もっぱらセティウスとエラディア、それとシャハタに任せっきりだ」
野戦ならば得意とするガラムだが、拠点防衛に関しては知識も経験も足りていない。ほとんど三人に任せっきりの状態であった。
自嘲気味に語るガラムに、ドヴァーリンはガハハッと笑う。
「わしらの言葉に『工匠は道具をうまく使い、工匠頭は工匠をうまく使う』というのがある。大将軍閣下は、それでええんじゃよ」
ドヴァーリンの言葉に、ガラムもひとつうなずいて見せる。
「俺も、そうありたいとは思っている」
しばしふたりは笑い合った。
それからドヴァーリンは周囲を気にする素振りを見せると、声をひそめて言う。
「んで、陛下はあれから大丈夫なのか?」
ドヴァーリンが心配するのは、蒼馬のことであった。
それはガッツェン攻防戦の三日目のことである。攻城兵器のための地ならしを終えたロマニア国軍が、組み上げたばかりの巨大な雲梯車五台を押し出してきたのだ。
これにドヴァーリンは待っていましたとばかりに、先程のように火壺を持ち出し、それを投石機で飛ばして焼き払おうとしたのである。
そのとき、兵や義勇兵となった街の住民らを鼓舞するために、蒼馬もまた街壁の上にいたのだが、ドワーフたちが火壺の準備を始めた途端に異常な反応を示した。
蒼馬は身体を小刻みに震わせ始めたのである。
これに気づいたシェムルが慌ててその場から遠ざけようとしたのだが、その彼女の声も耳に入らぬ様子で蒼馬は目を見開いてドワーフたちが火壺を準備しているのを凝視し続けていた。
そして、そんな蒼馬の前で次々と投石機から火壺が投じられ、それが命中した雲梯車が燃え上がり、乗っていたロマニア兵たちが火だるまになって転げ落ちる光景を目にした途端である。
蒼馬は突然激しく嘔吐したかと思うと、その場でひっくり返って気絶してしまったのだ。
これに、その場は一時騒然となってしまった。
その場の沈静化を兄のガラムに頼んだシェムルは、自身が吐瀉物で汚れるのも厭わず蒼馬を背負うと、蒼馬が宿舎としている街の代官の官邸へ飛んで戻ったのである。
攻め寄せてくるロマニア国軍を押し返した後、ガラムとドヴァーリンは慌てて官邸に駆け込んで唖然としてしまった。
「寝不足だったのかな? いつの間にか寝落ちしちゃったみたい」
あれほど異常を示した蒼馬が、けろりとした顔でふたりを出迎えたのである。
そればかりか不思議そうな顔で、次のようなことまで言い出したのだ。
「ところで、ロマニア国を撃退できたみたいだけど、雲梯車はどう追い払ったの?」
どうも火壺を準備した辺りから記憶が曖昧になっているらしい。
蒼馬が見えないところでシェムルが「何も言うな」とばかりに首を横に振るうのに、ガラムもその場は誤魔化すしかなかった。
その後、蒼馬が倒れたと話を聞いて駆け込んできたセティウスたちを交え、ガラムたちの間で話し合いが持たれたのである。
そこでシェムルから蒼馬の火に関わる心的外傷を教えられた者たちは、思いもしなかった蒼馬の問題に驚愕した。以前、それについてシェムルから話を聞いていたガラムですら、実際に目の当たりにして、これほどひどかったのかと驚いたぐらいである。
そうしてみんなが驚く中で、ひとり深刻な顔をしたのはドヴァーリンだった。
何しろ、押し寄せてくる攻城兵器を火壺や火矢で焼き払い、壁に群がる敵兵に熱した油をぶっかけるのは守城の常套手段である。
まさか、蒼馬が気絶するからといってやめるわけにはいかない。かといって、毎回気絶でもされれば、それこそ兵の士気に関わる。
そこで蒼馬には官邸に引っ込んでいてもらい、守城の総指揮は大将軍であるガラムに一任することとなっていたのだ。
ドヴァーリンの問いに、ガラムもまた声をひそめて答える。
「直接見たり、詳しく話を聞いたりしなければ大丈夫だそうだ。その辺りは《気高き牙》に任せれば問題ないだろう」
蒼馬のことに関しては妹に絶大な信頼を置くガラムは、そう断言した。それからガラムはわずかに眉根を寄せてドヴァーリンに尋ねる。
「こちらはソーマ陛下がいなくて大丈夫か?」
これにドヴァーリンは小さく鼻を鳴らす。
「むしろ、ソーマ陛下がいた方が面倒じゃわい。この前なぞ『門の内側に大きな落とし穴を掘っておき、わざと門を破られたふりをして敵を入れ、そこへ落とすっていうのはどうかな?』と抜かしおったんじゃぞ」
蒼馬の口調を真似て言ってからドヴァーリンは、盛大にため息をついた。
「街が落ちるかどうか、それとも一刻も早く敵を追い払わねばならんのならばともかく、十分に敵をしのいでいるときに何でそのような博打のような策を使わねばならんのじゃい」
そうドヴァーリンがぼやき、ガラムが蒼馬らしいと呆れていると、遠くからゾアンの太鼓の音が聞こえてきた。
ピクッと耳を動かして、しばし拍子の意味を聞き取っていたシシュルが申し訳なさそうにガラムに告げる。
「申し訳ありません、《猛き牙》。叔父上には、後できつく伝えておきます」
シシュルが恐縮するのも無理はない。
その太鼓は、街の外にいるズーグがガラムの安否を尋ねる拍子だった。しかし、それはただ安否を確認するものではない。その太鼓の拍子は軽薄な意図を込めた叩き方で、言葉にすれば「ガラムよ。おっ死んでないかぁ?」といったものだったのだ。
敵の大軍を相手取り、街へ籠城している最中に、このようなふざけた連絡をするなと怒ってもいいところをガラムは気を悪くした様子もなく言う。
「気にするな。――《怒れる爪》には、『おまえより長生きするから安心しろ』とでも伝えておいてくれ」
いかにも渋々と言った様子で返信の太鼓を叩く妻に、ガラムは苦笑した。
太鼓で「今日は傷が痛むので休むぞ」とか「これから敵本陣に後ろから突っ込むぜ」などと連絡しておいてからハーピュアンの伝令兵を使って「やっぱりやめる」などと伝えてきたり、「腹が減ったぞ」とか「今日は良い風が吹いている」などと愚にもつかない内容をわざわざ伝えたりと、このズーグのふざけた連絡はロマニア国軍が街に押し寄せてきた時から続けられていたものである。
当初、シシュルと同様に憤慨していたものだが、今ではガラムもズーグの意図に気づいていた。
ズーグはゾアンの太鼓の拍子からこちらの情報が洩れていないか探っているのである。
おそらくはピピからハーピュアンに裏切り者が出たと聞き、同様にゾアンの中からロマニア国へ加担している者が出ていないか警戒しているのであろう。
幸いなことにガラムが観察する限りでは、ロマニア国軍は太鼓が聞こえてくるのに驚く様子はあっても、その拍子の内容による動きの変化は見られなかった。
これならばゾアンの太鼓の拍子の意味を聞き取れる者がいないと見ても良いだろう。
同胞が敵側についているなどとは、とうてい自分には思いつけないことである。いち早くその可能性を考慮し、対策を打てるズーグをガラムは頼もしく思った。
「シシュル。ああ見えて《怒れる爪》は時と場所をわきまえる奴だ。大丈夫だ。何も心配することはない」
いまだ顔をしかめているシシュルをそう諭していたガラムの耳に、再びズーグからの太鼓の音が届いた。
その太鼓の拍子を言葉にすれば、こうなる。
『酒がなくなった。これから敵の酒をぶんどってくる。だが、おまえにはやらんぞ』
叔父の酒癖の悪さを良く知っているシシュルは、これに不安げな表情を浮かべた。
「大丈夫だ。何も心配することはない」
同じ言葉を口にするガラムだったが、その声は先程より心なしか弱かった。




