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破壊の御子  作者: 無銘工房
興亡の章
360/533

第38話 ミルツァの戦い16-空城計

「無防備なエルドア国南部を劫掠(ごうりゃく)すると見せかけて、逃げ場のないミルツァの地へ破壊の御子を誘い込む。そして、我らロマニア国軍全軍をもって、エルドア国軍を押しつぶします!」

 ミルツァの戦いに先立ち、ロマニア国軍本陣で開かれた軍議においてピアータはパルティス王子らを前に、そう言い切った。

 感嘆の声を洩らす将軍諸侯らに、さらにピアータは言う。

「しかし、それだけでは不十分。破壊の御子はわずかなゾアンだけを率い、ついには大国ホルメアをも滅ぼした男。こやつを逃がせば、今度は何をしでかすかわかりません。そこで――」

 ピアータは地図上のマサルカ関門砦に小さな駒を置くと、それに指を乗せる。

「敵の目を本隊に向けさせておき、別働隊を密かに進軍させておきます。そして、エルドア国軍がミルツァに進軍するのに合わせ、ガラ空きとなった後方の城館を攻め落とします!」

 ピアータは地図上を滑らせるように動かした駒をエルドア国の城館へと動かした。

「仮にミルツァで我らの軍から逃れて後方の山へと撤退できたとしても、この城館を攻め落とせばエルドア国軍はそれ以上逃げる場を失い、山に押し込められます」 

 奇襲をかけようとするエルドア国軍が、わざわざ大量の糧食を運んでくるはずがない。せいぜい兵ごとに一食か二食分の糧食を持たせるだけだろう。そんな数千の軍勢が補給もままならず、水場もどこにあるともわからない山に押し込められればどうなるか?

 わずか数日で兵たちは飢えと渇きに苦しめられる。そして、それに耐えかねた兵たちの中からは脱走者が続出し、さらには内紛まで引き起こされるだろう。そうなれば、そう時を置かずにエルドア国軍は崩壊する。

 そうなる前に待ち構えるロマニア国軍を強行突破しようにも、そのためにはまず残存兵力をまとめなければならない。

 だが、見通しも利かず、また集結するだけの空間がない山の中だ。残存兵力をまとめることすらままならない。それでも無理に打って出れば、それこそ各個撃破の良い的である。

 ピアータは万全の自負とともに告げる。

「すなわち、この一戦によって我らはエルドア国軍と破壊の御子を完膚(かんぷ)なきまでに撃滅し、殲滅(せんめつ)する! これが、私の策にございます!」

 これこそ破壊の御子である蒼馬を打倒するために、ピアータが数年を掛けて練りに練った秘策であった。

 そして、その必殺の策の最後の一手として、ロマニア国軍の別働隊五百が今まさに城館へと攻め寄せようとしていたのである。

 しかし、ピアータとて完璧ではない。

 このとき、彼女が想定していなかった状況が起きていたのである。

 それは、城館が攻め落とされる前に蒼馬がそこへたどり着いていたことだ。

 ピアータの想定では、蒼馬はミルツァの地でいまだグズグズと撤退できずに兄王子パルティスの軍勢に押しつぶされているか、もしくは撤退に踏み切っていたとしてもいまだ山中をさまよっている頃だった。

 そのピアータの読みを外した理由は、ふたつ。

 まずひとつ目は、シェムルの存在であった。自分の失策で味方を窮地に陥れたのを苦にし、自身が退却するのを踏み切れずにいた蒼馬をシェムルが叱咤し、決断を促したがために、蒼馬は想定したよりも早く城館へと逃げたのである。

 そして、もうひとつはピアータ自身の誤算にあった。

 セルデアス大陸西域では初となる重装槍騎兵――銀狼兵は、ピアータにとっても初の実戦投入であった。この銀狼兵の威力が想定よりもはるかに高く、(またた)く間にドワーフ重装歩兵隊を粉砕し、蒼馬がいる本陣まで(おびや)かした。それがために、蒼馬の退却をも早めてしまったのだ。

 これがピアータに取って、思わぬ結果を引き起こすことになってしまう。


                  ◆◇◆◇◆


「敵襲! 敵襲ぅー!!」

 やにわに城館の中が慌ただしくなった。攻め寄せてくる敵を迎え撃ち、城館を守り抜くために兵たちは急いで防備を固め始める。

 その中で、蒼馬は必死になって考えていた。

 今回の作戦は、自軍の三倍に達するロマニア国軍への奇襲である。一兵でも多くの戦力が必要だったため、ほぼすべての戦力を奇襲に投入してしまっていた。

 そのため、今この城館に残っているのは、わずか二十名にも満たない――しかも年老いたり若すぎたりした弱兵ばかりである。

 その上、この城館はもともと戦闘を想定した造りではない。山賊や野盗など少人数の襲撃は防げても、数百人からの敵軍が攻め寄せれば、とうてい守り切れるものではなかった。

「現状はっ?! 敵の誘いに乗っての大敗! 逃げ込んだ小さな城館。戦える兵はわずか! そこに攻め寄せる敵! どうすればいい?! どうすればいいっ!?」

 必死になって打開策を考える蒼馬の脳裏に、そのとき天啓が舞い降りた。

 それは既視感である。

「何だ?! 私はどこかで知っているぞ。これと良く似た状況を知っているぞ! 何だ、それは何だっ?!」

 眼球が飛び出るほど目を見開いて考えていた蒼馬の脳髄を電撃が走る。

「そうだ! 三方ヶ原(みかたがはら)の戦い。浜松城……!」

 ドラマや漫画や小説でも有名な徳川家康が武田信玄に大敗した、あの戦いだ。

 そのとき城館に残っていた兵の隊長が大きな声を張り上げる。

「急いで門を閉めろ! 敵襲だっ! 門を閉めろぉー!!」

「ダメだっ!!」

 蒼馬はとっさに叫んだ。

「門を閉めるな! 開放したままにしろっ!」

 門を閉めようとしていた兵たちは唖然としてしまう。これから敵が押し寄せてくるというのに、門を開けたままどうやって戦うというのだ。開け放たれた門から侵入され、ひとり残らず鏖殺(おうさつ)されるだけだ。

 しかし、蒼馬の考えは違っていた。

 こちらを圧倒する敵が目前まで迫ってきている今、これから慌てて門を閉めて籠城しても無駄である。敵の大軍を防ぎ止められる堅固な砦ならばまだしも、この城館ではわずかな抵抗にすらならない。そこで城館の門を閉めるのは、こちらがまともに敵を撃退できないということを相手に教えることになりかねなかった。それでは、かえって敵の攻撃を誘ってしまう。

 さらに蒼馬は矢継ぎ早に命を飛ばす。

「旗を全部伏せろ! 槍もだ! 全員、外から姿が見えないように隠れるんだっ! 声を上げるな! 馬もいななかせるな!」

 思いもしない命令に戸惑い、動こうとしない兵たちへシェムルが怒鳴りつける。

「何をしているっ! ソーマの言うとおりにするんだっ!!」

 常日頃から蒼馬を怒鳴りつけて鍛えてきたシェムルの大声に、我に返った兵士たちがワタワタと動き始めた。

「大太鼓っ!」

 蒼馬は太鼓の鼓手へ命じる。

「とにかく思いっきり太鼓を叩き続けろ! 味方がここへ戻ってこられるように、ひたすら大きく太鼓を叩き続けるんだ!」


                  ◆◇◆◇◆


 五百の兵を率いて城館を制圧するように命じられたロマニア国軍の将校のひとりは、目的の城館を目にするなり片手を挙げて全軍停止を命じた。

 軍馬や歩兵が土煙を蹴立てて足を止める中で、城館を見つめる将校は(いぶか)しげな声を洩らす。

「これは、どういうことだ……?」

 そこへ部隊の後方を指揮する将校が馬に乗ってやってくる。

「どうした? 城館は目の前だ。こんなところで止まらずに、早く攻めようではないか」

 攻撃を催促された将校はそれには答えず、前方の城館を指し示す。

「あれを見ろ」

 僚友(りょうゆう)に言われて城館を眺めたその将校は、しばし眉根を寄せていたが、すぐにその目を見開いて驚いた。

「どういうことだ? なぜ門が開け放たれている? それに敵兵の姿が見えないぞ」 

 その将校が言うとおり、固く閉ざされているはずの城館の門が大きく開け放たれていた。それどころか、ここから見る限りでは城館には敵兵らしき姿がひとつとして見えない。また、同じように旗ひとつ槍一本として立てられてはいなかったのだ。

 すでにエルドア国の兵が逃げ去った後なのか?

 しかし、それにしては今なお大きな太鼓が打ち鳴らされ続けている。少なくとも、太鼓を打つ誰かが城館の中に残っているのは間違いない。それなのに、なぜ門を閉めない? なぜ、敵兵ひとり姿を現さないのだ?

 異常である。

 これは、明らかに異常な状況であった。

 ロマニア国のふたり将校は現状が理解できずに困惑してしまった。

 しかし、これはロマニア国の将校たちの考えすぎであった。

 蒼馬が思い出した現状と良く似た戦いとは、三方ヶ原(みかたがはら)の戦い――後に江戸幕府を開く徳川家康と、当時最強の武田騎馬軍団を率いていた武田信玄が遠江国敷知郡の三方ヶ原で繰り広げた戦いである。

 諸説あるが、この戦いにおいて武田信玄の策略によってまんまと三方ヶ原に誘い込まれた徳川家康は大敗し、命からがら浜松城へ逃げ込んだ。そこへ追撃してきた山県昌景に、徳川家康はすべての城門を開いて篝火(かがりび)を焚き、敵の警戒心を煽る計略――空城計を用いて、これを退けたという。

 良く似た状況に置かれた蒼馬はそのときの徳川家康に(なら)い、空城計にすべてを賭けたのである。

 しかし、それは危険な賭けであった。

 空城計は敵の警戒心を煽る策だけに、敵の罠を警戒しない猪武者のような相手には、かえって敵を城の内側に招き入れることになりかねない危険な行為である。

 そんな危険な策を城館に攻め寄せてきたロマニア国軍の将校の性格どころか名前すらわからない現状において用いるのは、まさに一か八かの賭けであったのだ。

 だが、その賭けに蒼馬は勝つ。

「もしやこれは――」

 その将校は、ゴクッと咽喉を鳴らして唾を飲んだ。

「――破壊の御子の罠ではないのか?」

 それに僚友もまた重苦しくうなずいて見せる。

「そうだな。これは、きっと破壊の御子の罠に違いない」

 彼らがそう考えたのは、実はピアータのせいである。

 今回のミルツァの戦いを前にしてピアータは、破壊の御子を亜人類どもの頭目と(あなど)る将軍諸侯らを(いまし)めるため、その恐ろしさを強く言い含めていた。

 そして、その際にダリウス将軍とダライオス大将軍のふたりの名を持ち出したのも、万が一にも破壊の御子を討ち洩らすことがないようにというピアータの用心であった。

 ところが、その用心が過ぎたのである。

 ホルメア国最高の将軍と呼ばれたダリウスは、ロマニア国の将軍諸侯ならば口では何と(ののし)ろうともその恐ろしさを知らぬ者はいない名将である。また、自分らロマニア国の大英雄ダライオス大将軍の偉大さともなれば、もはや言うに及ばない。

 その西域全土に名を轟かせたふたりの大英雄のうち、ダリウス将軍を翻弄(ほんろう)し、もうひとりのダライオス大将軍からも認められた希代(きたい)の策士、破壊の御子。

 それがこのように兵を率いて追撃してきた自分らを前に、城館の門を開いて待ち構えている。

 この状況にロマニア国の将校たちは、これはもはや罠であるとしか考えられないと思い込んでしまったのだ。

 そうなってしまったロマニア国軍の将校たちには、もはや開け放たれた門があたかも怪物の巨大な口のように感じられた。

 それは飛び込めば自身ばかりか率いた兵すべてを噛み砕き、飲み込む巨大な怪物の口である。

 とうてい攻められるものではない。

 もちろん、彼らも馬鹿ではなかった。破壊の御子が自分らの襲撃を予測し、そのときの対策をあらかじめ用意していたとは思えない。何の対策も、兵もいないからこそ、ああしてあえて門を開放し、兵の姿を見えないようにすることで、こちらの警戒心を煽り立てて攻められないようにしているのだ。

 そう頭では理解できる。

 だが、それと同時にどうしても万が一の可能性を考えてしまうのだ。

 もし、本当に罠があったのなら、と。

 そして、その万が一が当たったときに支払われる代償は、数百の兵と自分自身の命である。それを思えば、どうしても決断が鈍ってしまう。

「どうする……?」

 判断がつかずに問いかける僚友に、その将校もまた返す答えを持ち合わせていなかった。

「わからん。どうすればいい?」

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― 新着の感想 ―
[一言] ここで「勝ち過ぎた」を描写しましたか、納得です。
[良い点] 一世一代の大博打、空城計! とりあえず一息に潰されることは防いだが、ここからどうなるか。 負け方を知らないのは軍事としても王様としても致命的なんで、ここで上手く負けられればまた一つ破壊の御…
[一言] さて、どうなるでしょうか。 まぁ、なろう読者の少なくない方々が主人公の波乱万丈が見たいのではなく、水戸黄門の痛快活劇が見たい訳ですからね。 言うまでもないことですが、あまり気にせず作者様のお…
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