第37話 ミルツァの戦い15-死兵
ピアータは狭隘となった山道を塞いで陣取る黒エルフ弓箭兵たちに気づいた。
エルフたちは自分らを足止めしようと、即席の障壁を盾にし、隊列を作って待ち構えている。
しかし、それをピアータは歯牙にもかけなかった。
エルフたちが盾にしているのは、障壁と言ってもそこらの斜面から拾ってきた倒木を道に転がしただけのものだ。隙間だらけである上に、厚さもなければ高さもせいぜい人の膝辺りしかない。また、エルフたちの数も十数人程度。隊列と言っても、わずか数列のみ。
それでは、山道は塞がれているとはいえ大した問題ではない。自慢の重装槍騎兵の前では、あの程度の障害など薄紙にも劣る。さしたる抵抗もなく、易々と突破できるであろう。
そう判断していたピアータだったが、エルフ弓騎兵たちの顔が判別できるほどの距離に達したところで声を上げる。
「全隊停止っ!」
そして、ピアータ自身も手綱を引いて愛馬の脚を止める。百狼隊の馬たちは不満げないななきを上げながら、土埃を蹴立てながら脚を止めた。
「……あの者たちは?」
ピアータの勘が、ピリピリと危険を訴えていた。
どう見ても大した障害ではないというのに、ピアータはなぜか背筋に冷たい汗が流れるのを感じる。
「姫殿下! 破壊の御子を討ち取る絶好の機ですぞ! それを逃してはなりませぬ!」
血気に逸った重装騎兵――銀狼兵のひとりが、ピアータを押しのけるようにして自分が乗る馬を前へと出した。
「あのような連中は、私が蹴散らしてご覧に入れる!」
そう言うなり、ピアータが止める間もなくエルフに向かって突撃していった。
その騎士へ黒エルフ弓箭兵たちの矢が殺到する。
さすがは黒エルフ弓箭兵たちだった。重装備の騎馬が突撃してくるというのに、怯むことなく矢を射続ける。そして、その矢は一本たりとも外れることはなかった
だが、その矢も銀狼兵が前面に構えた大きな凧状の盾にほとんど阻まれてしまう。また、盾の防御を抜けた矢も前面を特に厚くした重装騎兵の鎧にことごとく弾かれた。
距離が詰まってくると、さすがに弾かれずに鎧を貫く矢も出るが、それでも銀狼兵の突進を止めるほどの傷には至らない。
エルフたちに押し迫った銀狼兵は、槍を構える腕に力を込め、衝撃に備えて全身を固める。
「死ね、売女めっ!!」
突き出された銀狼兵の槍が、先頭に立っていたエルフの腹部を貫き、馬の蹄がさらに他のエルフの頭部を踏み砕いた。
腹部を貫かれたエルフは、鮮血を撒き散らしながら跳ね上がる槍によって身体が宙に浮かされる。
しかし、次の瞬間であった。
そのエルフは身体を丸めるようにして、自分の腹部を貫いた槍を抱え込んだのだ。さすがの銀狼兵といえど、片腕一本で人ひとりの体重を支えられるはずがない。たまらず槍を落としてしまう。
さらに、それだけに終わらない。
ピアータご自慢の軍馬といえど、人が密集したところに突っ込めば、さすがに脚が鈍る。そこを狙ってエルフのひとりが銀狼兵に飛びついてきた。馬がエルフを踏みしだいて足場が不安定だったこともあり、銀狼兵はたまらず地面に引きずり下ろされてしまう。
エルフたちは短刀や矢を握り締めて銀狼兵へと群がった。
「は、離せ! この売女ども!!」
わずかな鎧の隙間に刃先をねじ込み、矢を突き立てようと群がるエルフたちに銀狼兵は恐慌状態に陥った。手足を押さえつけようとするエルフたちを力任せに振りほどく。そして、何とか抜き放った剣で目の前のエルフを突き刺した。
やったぞ、と銀狼兵が思ったのも束の間であった。
突き刺されたエルフが銀狼兵の腕を掴み取る。
「今っ!!」
剣で突き刺されたエルフの声を合図に、いっせいにエルフたちが襲いかかった。
腕を掴まれた銀狼兵は引き倒され、四方八方から突き出された刃によって全身を蜂の巣のようにされて絶命した。
僚友を無残に殺される光景を目の当たりにした銀狼兵たちは激昂する。
「おのれ、売女どもがっ!!」
「ま、待てっ! 早まるなっ!」
ピアータの制止を振り切って、二騎の銀狼兵がエルフたちに突っ込んだ。
しかし、彼らもまた先の仲間と同じ目に遭わされてしまう。
これにはさしもの百狼隊の猛者たちも固唾を呑む。
「何なのだ、あいつら? 狂っているのか?」
百狼隊の誰かが洩らした言葉は、その場にいる皆が共通する思いであった。
もはや道を塞ぐエルフの誰ひとりとして無傷な者はいない。ある者は頭から血を流し、ある者は腕が折れ、またある者は腰骨が砕かれてへたり込んでいた。
しかし、彼女たちは這いずって戦列に加わり、折れた腕の代わりに口で矢を咥えて弓につがえ、事切れた仲間の遺体を前に押し出して防壁として積み上げ、誰ひとりとしてこの場を通さぬ気構えだ。
それにピアータは吐き捨てる。
「おのれ! 死に損ないの死兵どもか……!」
あのエルフたちは、死を決した死兵である。
その四肢が砕けても、目が潰れても、その心の臓の鼓動が止まるまで、あのエルフたちは戦うのをやめないだろう。
しかし、いかに死兵といえど、相手は小勢に過ぎない。銀狼兵たちを順次突っ込ませれば、必ずや突破できるだろう。
だが、そのときこちらにどれだけの被害が出るかを考えると、ピアータはゾッとした。
この百狼隊は自分が手塩にかけて作った大事な部隊である。それをあのような死に損ないのために失うかもしれない可能性にピアータは恐怖を覚えたのだ。
「姫殿下! ご命令を!」
迷うピアータの背中を百狼隊の勇士たちがの声が押す。
「姫殿下、何を迷われます! ただ我らにご命じください!」
百狼隊の騎士たちの顔を見れば、もはや彼らもまた目の前のエルフを強敵と見据えていた。
「姫殿下とデメトリア殿は、お下がりを!」
「相手がエルフの女となれば、その相手をするのは我ら男と相場が決まっております!」
「我らの逸物で、すぐに突き破ってご覧にいれましょうぞ!」
冗談めかして言ってはいるが彼らの顔は、多くの仲間、そして自らも犠牲となるのを承知しつつ、敬愛する姫のために道を切り開かんとする覚悟を決めた男の顔だった。
それにピアータは決断する。
ならば、もはや迷うことなし!
ピアータは、その右手を挙げた。そして、号令のかけ声とともに、それを振り下ろす。
その直前であった。
はるか彼方から、太鼓の音が鳴り響いたのである。高く低く、何かを伝えるように抑揚をもって叩かれる太鼓の音が聞こえてきたとたん、エルフたちがバタバタと倒れた。
それにデメトリアが声を上げる。
「……! 姫殿下! 敵が崩れました! 好機ですぞ!」
しかし、ピアータはギリッと歯を噛み締めた。そして、上げていた手をゆっくりと下ろすと、愛馬の手綱を取る。
「全隊、転進! パルティス兄上の本隊と合流する!」
ピアータの号令に、デメトリアが異を唱える。
「姫殿下! 敵は崩れたのです! この好機を逃してはなりません!」
しかし、ピアータは愛馬の馬首を翻してしまう。
「もはや好機は逸した」
ピアータの言葉の意味がわからず、デメトリアは困惑する。ピアータは肩越しにエルフたちを見やってから悔しげに言う。
「死兵だったあやつらが、この聞こえてくる太鼓の音とともに崩れたのだ。この太鼓の音が、何を意味するかは言わずともわかろう」
「……もしや?!」
デメトリアも、ようやく気づいた。
ピアータは吐き捨てるように告げる。
「破壊の御子が城館にたどり着いたに違いない」
この太鼓は、それを報せるものなのだ。
だからこそ、死兵であったエルフたちは自分らの役割を終えたと安堵し、倒れたのだ。
今ならば簡単に彼女たちを殲滅できるだろう。しかし、それでどうなるというのだ。如何に勇猛無双な百狼隊とはいえ、たったこれだけの人数では城館に入った破壊の御子を討ち取るのは不可能である。それでは、ここでエルフどもを殺しても単なる腹いせにしかならない。
ピアータは上空に待機していたララとルルを呼び寄せる。
「ララ、ルル! 山中で逃げてくるエルドア国の兵とかち合いたくない。うまく私たちを先導してくれ」
ララとルルが道を先導するために空へと舞い上がると、ピアータは愛馬の脇腹に小さく蹴りを入れて走らせる。
酷使した馬を気遣い、ゆっくりと走らせながらピアータは手綱を取る手を固く握り締めた。
「無念だ。この手で破壊の御子を討ち取りたかったのにな」
ピアータは悔しがる。
しかし、それは蒼馬を討ち洩らしたからではない。
自身の手で蒼馬の首級を挙げられなかったからだ。
「だが、おまえはすでにおしまいだ、破壊の御子よ」
ピアータは獰猛な狼の笑みを浮かべる。
「もう間もなく罠の袋が完全に閉じられるのだからな」
◆◇◆◇◆
蒼馬を乗せた馬が、開かれた城館の門の中へと転がり込んだ。
限界まで酷使された馬は土煙を上げて倒れたまま起き上がれない。その脇では振り落とされた蒼馬が同じように胸を激しく上下させて仰向けに倒れていた。
「大丈夫か、ソーマ?」
わずかに遅れて四つ足のまま駆け込んできたシェムルが、蒼馬を助け起こす。何とか上半身だけでも起こせた蒼馬は、いきなり飛び込んできた自分に驚く城館に残っていたわずかな兵に向けて命じる。
「太鼓だ! 太鼓を鳴らして! 逃げてくる味方全員に聞こえるように、とにかく大きく太鼓を打ち鳴らすんだ!」
今、味方はとにかく助かろうと闇雲になって逃げているはずだ。そんな味方に城館の場所を報せるために、蒼馬は太鼓を叩くように命令した。
城館に残されていた兵たちは、状況がわからなかった。しかし、王である蒼馬がシェムルだけしかともなわず、ボロボロになって駆け込んで来たのだ。それだけでも、ただならぬ事態が起きたことだけは察せられる。城館に残されていた兵を指揮する隊長は、急ぎ兵に太鼓を叩かせた。
その間にシェムルの肩を借りて立ち上がった蒼馬はピピを呼ぶ。
「ピピ! 急いでハーピュアンのみんなに逃げる味方の誘導と支援を行わせて! ひとりでも多く、この城館にたどり着かせるんだ!」
ピピは「御意!」と一言残して、ひらりと空へと舞い上がった。
それを見届けた蒼馬は、さらに何かみんなを救うための手が打てないかと必死に頭を動かす。しかし、気が急いてばかりで思考がうまくまとまらない。
そこへシェムルが兵に言って持ってこさせた水の入った木製のジョッキを差し出した。
「ソーマ。これを飲んで落ち着け」
落ち着いていられるかと言い返しかけたが、蒼馬はそれを飲み込む。確かに、こう焦ってばかりでは良い考えも出るはずもない。蒼馬はシェムルの手からジョッキを引ったくると、それを一気に呷った。
「ありがとう、シェムル。少し落ち着いたよ」
飲みこぼした水が伝う咽喉を拭いながら、蒼馬はそう言った。
「それは良かった」
そう返そうとしたシェムルであったが、彼女の口からその言葉が出るよりも一瞬早く、空から何かが舞い降りた。
「大変です、ソーマ様!」
それは、ピピであった。
先程飛び立ったばかりだというのに、血相を変えて戻ってきたピピに、蒼馬とシェムルはいったい何が起きたのかと驚いた。
そんなふたりにピピは言う。
「北の街道から、ロマニア国の旗を掲げた敵およそ五百が、この城館を目指してやってきます!」
蒼馬の手にしていた木製のジョッキが、大きな音を立てて地面に落ちた。




