第36話 ミルツァの戦い14-恩顧
「大丈夫だからね。お姉ちゃんが、守ってあげるからね」
幼かったララ・クク・ドドは翼となった自分の両腕の中で小さく震える妹のルルに向けて、そうささやいた。
そこは鉄の檻の中である。
故郷の森が焼かれたあの日、一族の住処としていた岩山に押し寄せてきた帝国を名乗る人間たちにララは妹とともに捕まってしまったのだ。
帝国と名乗る人間たちの目的は、ハーピュアンの美しい羽根であった。普通の染料では決して出せない美しい色のハーピュアンの羽根は、帝国では装飾品として珍重されていたのである。
その中でも特に王族のみが使える紫色をしたハーピュアンの羽根は最高級のものと、帝国の皇帝がことのほか喜んだという。そのため、皇帝の歓心を買おうとする帝国の諸侯たちは目の色を変えてハーピュアンたちを狩り出すようになっていたのである。
しかし、幸か不幸かララとルルの姉妹の羽根の色は、エメラルドグリーンであった。この色はハーピュアンの中では、良く見受けられる色である。
そのためふたりは羽根をむしり取られることなく、代わりに愛玩用の珍獣として売りに出されたのだ。
そんなララとルルの姉妹を買ったのは、とある交易商であった。
西域で新たに交易を始めようとしていたその交易商は、ロマニア国王ドルデアが溺愛する末姫のために珍しい動物を買い集めていると聞き、交易の便宜を図ってもらうためにふたりを献上品として購入したのである。
そうして鉄の檻に入れられたララとルルが、交易商の船に乗せられ、海を越えて連れてこられたのがロマニア国の王宮だった。
人間種の文化にはうといララでもわかる贅をこらした部屋。そこに檻ごと運び込まれたララとルルの前に、美しい金髪をふわりと広げた可愛らしい少女が現れる。
「鳥さん、鳥さん! あたしと遊びましょ!」
それがふたりとピアータ・デア・ロマニアニスとの出会いであった。
◆◇◆◇◆
「貴様、やめろぉ!!」
吊り橋の綱を切り落とそうとするララに向け、怒声を上げながらピピは鳥のものと良く似た足で握り締めた槍を構えて上空から急降下していった。
しかし、そこへ同様に槍を構えたルルが横から突っ込んでくる。ピピはたまらず旋回して、ルルの槍を回避した。ピピは翼を打ち振るって上空に舞い戻ると、そこから再度攻撃する機会を窺う。だが、姉を守るルルは一瞬たりとも油断はしないとばかりに、そんなピピを睨みつけていた。
先程から、これの繰り返しであった。何度、吊り橋の綱を切り落とすのをやめさせようとしても、必ずルルがそれを阻止してくる。ならばルルの方を先に排除しようとすれば、今度はルルが逃げに徹して、それもままならない。
「貴様らっ! ソーマ様の恩顧を裏切りで返すつもりかっ?!」
ピピにとっては、ハーピュアンがエルドア国――何よりも蒼馬に敵対するなど考えられないことだった。
珍獣として飼われ、美しい羽根を取るための家畜のような扱いを受けてきた自分らを解放してくれ、こうして再び空を飛ぶ自由を与えてくれたのみならず、すべての種族が平等に暮らせる国という止まり木さえ作ってくれたのだ。
もはや恩と言うだけでは物足りない。それだけのものを蒼馬から与えられているのだ。
それはピピだけの想いでははない。エルドア国のハーピュアンたち全員に共通する想いであった。
「それなのに、なぜっ?! なぜだ! 裏切り者め!」
ピピは激しい怒りを込めて叫んだ。
それに吊り橋の綱を切り落とすため刃物をこすりつけていたララが怒鳴り返す。
「うるさい、黙れ!」
ララとて、この遠い異境の地で巡り会った同胞への絆を感じないわけではない。ピピの言葉は、ララの胸にも深く突き刺さり、彼女の良心を責め苛んでいたのである。
しかし、それでも彼女には譲れないものがあった。
「私たちは破壊の御子なんて知らない! 私たちが恩を覚えるのは、ピアータ姫殿下ただおひとりだっ!」
ララとルルにとって、ピアータこそが恩人だった。
出会ったときからピアータは、自分たちを決して奴隷として扱わなかった。それどころか、ピアータは自分らをお友達と言ってくれたのだ。
しかし、そのときララは表面には出さなかったが、内心ではこう思っていた。
ふざけるなよ、と。
何が友達だ。自分たちは故郷を焼かれ、親を殺され、自由に翔る空すら奪われて、こうして檻の中に囚われているのだ。その自分たちを友達などと、どの面下げて言えるのだ。
少女だったララは我が儘なお姫様の従順な遊び相手を演じつつも、いつかは妹のルルとともに故郷の空へ逃げ帰ってやろうと心に誓っていたのだ。
しかし、そんなある日、大事件が起きてしまう。
いつものようにピアータとじゃれて遊んでいた妹のルルが、誤ってピアータの頬を足の爪でひっかいてしまったのだ。
ピアータの傷は、それほど深いものではなかった。治れば痕も残らない程度の傷である。
しかし、王族――しかも王女の顔に傷をつけてしまった罪は重い。
何しろ、王族の女性にとってその容姿は武器であり、財産である。万が一にも痕が残るような傷ならば、国内外の王国貴族へ嫁がせるときに支障が出る恐れがあるのだ。
一方で、そんな大事なピアータの顔に傷をつけてしまったララとルルは、自分らの羽毛よりも命が軽い愛玩動物であった。
ふたりは飼い主に噛みついた犬同様に処分されることになったのも当然である。
しかし、それに反対したのは、当のピアータだった。
「この傷は、あたしが自分でつけちゃったの! だから、ララとルルをいじめちゃダメ!」
ピアータは自分の身長よりも大きな剣を抱き締めて、ララとルルを処分しようとする侍従たちの前に立ったのだ。そればかりか、ふたりが許されるまでご飯を食べないと宣言して、ララとルルの閉じ込められた檻の中に自らも入って籠城し始めたのである。
当初、侍従たちは甘やかされて育てられたピアータならば、半日もすれば音を上げるだろうと思っていた。
ところが、半日、一日、二日と経ってもピアータは諦めない。それどころか、強引に檻から引き離そうとしようものなら、本気で剣を振り回して抵抗したのだ。
これには侍従たちも大いに困り果ててしまった。
「ピアータが、そう申すのだから、そうなのであろう」
ついには事態を見逃せなくなったドルデア王の鶴の一声もあり、その騒動は終わり、ララとルルは命を救われたのである。
それ以降も、ピアータはララとルルに友達として接してくれた。
さすがに人前では大国の姫君とその奴隷という立場をわきまえた言動を求められた。しかし、それ以外の場所ではピアータは変わらずふたりを友と呼んでくれたのである。
そればかりか破壊の御子が台頭してくるようになると、ピアータはふたりへ事細かにボルニスの街について話すようになった。
当初、ララはピアータが自分と同じ亜人贔屓の破壊の御子に興味を持ったか、もしくは自分たちに街を偵察してもらいたくて街の様子を説明してくれているとばかり思っていた。
ところが、ある日に遠乗りに出ると連れ出された先でピアータは言ったのだ。
「仲間たちのところへ行っていいよ」
そして、当座の生活費に困らないようにと、自らの身につけていた高価な装飾品を押しつけ、強引にふたりを見送ってくれたのだ。
もし、そのときボルニスという街に向かっていれば、ララとルルは多くの同胞たちに迎え入れられたことだろう。そして、彼女たちとともに破壊の御子に仕えていたことだろう。
しかし、ララとルルはふたりで話し合った結果、ピアータのところへ戻ることを決断したのである。
翌日、戻ってきた自分たちをピアータはうっすらと涙を浮かべながら迎え入れてくれた。
「お金を押しつけて追い払おうとは、姫殿下は私たちを友達と言っていたのは嘘なのですか?」
そのとき、ちょっと拗ねたようにララが言うと、ピアータは慌てふためきながら「そんなつもりではない」と必死になって釈明したものだ。
そんなピアータを前に、ララとルルは誓ったのである。
たとえいかなることがあろうとも、たとえ世界のすべてから裏切り者と罵られようとも、たとえすべてを敵に回すことになろうとも、ピアータに尽くそうと。
その誓いは今も変わらない。
ララの目の前で、半ばまで切断された綱がその自重によって自らを構成する繊維を引き千切るブチブチという音を立て始めた。
そして、ララは止めの刃を振るう。
「ピアータ様の敵は、私たちの敵だぁ!!」
ぶつんっと音を立てて綱が切れた。
◆◇◆◇◆
ぶおんっという音とともに、切断された太い綱が振り子のように大きく振れた。板をつないだだけの簡素な吊り橋の桁は、残されたもう一本の綱にカーテンか暖簾のようにして垂れ下がり、まるで鳴子のようにガラガラと音を立てる。
「ああ……っ!!」
その光景をピピは愕然と見守ることしかできなかった。
それでも、まだ綱は一本残っている。それにすがって谷を渡ることもできるかもしれない。しかし、そのような悠長なことをしている間に敵に追いつかれれば綱を切り落とされて吊り橋とともに谷底へ真っ逆さまに落ちるだけだ。
もはや吊り橋は使えなくなった。
その事実を前に我を失っていたピピに向けて槍を構えたルルが直滑降で下りてくる。あわやのところでそれに気づいたピピは身を翻して、それを何とかかわした。
吊り橋を落とされた怒りに駆られ、こちらに背を向けて飛ぶルルを殺そうと自身もまた急降下したピピだったが、不意に大きく翼を打ち振るわせて旋回する。
その直後に、ピピの真下を横から飛んできたララが駆け抜けた。
もしあのままルルを追いかけようとしていたら、真横からララの攻撃を受けていただろう。
ピピは苦渋に顔を歪める。
二対一では、こちらが不利だ。
幸いなことに敵は優れた戦士というわけではない。だが、それはピピとて同様だ。とうてい数による優劣の差を覆せるものではなかった。
ピピは力強く翼で空気を叩き、その小さな身体を加速させる。
「逃げるのかっ! 臆病者め!」
背を向けて飛んだピピに、ララの罵声が飛んだ。
そうだ。逃げてやる。逃げなくてはならない。
ララの挑発に、ピピはギリッと歯を噛み締めながら、そう自分に言い聞かせた。
今この時も吊り橋を落とされたのを知らずに蒼馬がこちらに向かってきているのだ。それを少しでも早く伝えなければならない。そのためには、今は逃げなくてはならなかった。
挑発に応じずひたすら逃げるピピを追いかけようとしたルルをララが引き留める。
「もう良い、ルル。姫殿下のところに戻りましょ」
その丸い目で「大丈夫なの?」と問いかける妹のルルにララは言う。
「吊り橋を落としたので、もう十分。それに破壊の御子の近くにはエルフがいる。下手に近づいたら射落とされてしまう」
そう言うとララはピピとともにピアータのところへ戻っていった。
◆◇◆◇◆
「ソーマ様、この先の橋は落とされております! どうか別の道をお行きください!」
逃げる蒼馬の前に舞い降りたピピは必死に声を張り上げた。
これに蒼馬は慌てて手綱を引いて馬を止めた。だが、とっさに次の行動へは移れない。ここまでひたすら吊り橋を目指してきたというのに、それがなくなり、次はどうすればいいのか判断がつかなかったのである。
そんな蒼馬にエラディアが言う。
「ソーマ様。迷っている時間はございません! すぐに引き返して、別の道へ参りましょう!」
「わ、わかった! すぐに戻ろう!」
すぐさま手綱を引いて馬首を巡らせた蒼馬は、今来たばかりの道を取って返した。
この辺りの山道を記憶しておいてくれたエラディアと、上空からのピピの誘導によって、すぐに蒼馬たちは城館へ続く新たな山道を駆けることができた。おかげで時間的な損失は、最小限に抑えられたのである。
しかし、現状においては、その最小限に抑えられたはずの時間的損失すら致命的であった。
「お姉様……!」
最後尾を駆けていた黒エルフ弓箭兵がエラディアへ声を上げた。彼女はそれ以上言葉を続けなかったが、言わずともエラディアにはわかっていた。
自分たちを追いかけてくる馬蹄の轟きが、もう間近に迫ってきているのだ。
先程から道は下り続け、幅も広くなってきている。間もなく山を抜けられると見て間違いない。また、昨夜見たこの辺りの地図の記憶と照らし合わせても、目指す城館まで後わずかだろう。
だが、下り坂は騎馬にとっては不利のはずだというのに、それでも後方から聞こえる馬蹄の轟きはじわじわと近づいてきているのだ。
このままでは間もなく追いつかれてしまう!
エラディアは焦った。
敵に追いつかれれば、蒼馬が殺されてしまう。それは許されないことだ。たとえ自分らが命を落とそうとも、蒼馬だけは死なせるわけにはいかなかった。
しかし、それにはどうすればいいのか?
苦悩するエラディアは自分らが進む山道の行く手を見て、カッと目を見開いた。
そこは次第に広がっていた山道が、そこだけ道幅が極端に狭まり、その左手は急勾配の上り斜面に、右手は崖のようになっているところだった。
ここだ、とエラディアは決断する。
「シェムル様!」
呼びかけられたシェムルが振り向くと、エラディアがこれまで見たこともない険しい顔で告げる。
「何があろうとも立ち止まってはなりません。ひたすらに城館を目指して駆け続けてくださいませ。ただひたすらに!」
「おまえは何を言っているんだ?!」
シェムルの問いには答えず、エラディアは一方的に告げる。
「よろしいですか? これから何が起きようとも、陛下が何をおっしゃろうとも、駆け続けてくださいませ。お願いいたします!」
そう言うなりエラディアは、蒼馬が乗る馬の尻を力いっぱい叩いた。
いきなり尻を叩かれた馬は驚き、いななきをひとつ上げると、一気に加速した。それを見届けてからエラディアは土を蹴立てて踏み止まると、踵を返して後ろに続く黒エルフ弓箭兵たちに向けて叫ぶ。
「弓騎兵隊! ここで追撃してくる敵を阻止します!」
エラディアの号令とともに、黒エルフ弓箭兵たちはいっせいに足を止め、自分たちが駆けてきた道へと振り返った。
「なっ……!」
一拍遅れてエラディアたちの行動に気づいた蒼馬は、慌てて手綱を引こうとする。しかし、それよりも一瞬早くシェムルが怒声を上げた。
「止まるな、ソーマ!」
シェムルの叱責に、手綱を引きかけた蒼馬の手が止まった。
歯を食いしばり、胸の奥底から突き上げてくる感情を押し殺した蒼馬は首だけ後ろに巡らせて叫ぶ。
「エラディア! 先に行っている!」
そう言うなり、さらに馬の脇腹に蹴りを入れて速く走らせた。
蒼馬の声を背中に受けたエラディアは満足げに微笑んでから、黒エルフ弓箭兵たちに言う。
「さあ、お客様がいらっしゃいます。たとえ、それが招かざる客とはいえ、失礼があってはソーマ様の宮廷を預かる私たちの名折れ。丁重にもてなして差し上げましょう」
そう言うと当然の如く一番前に立とうとしたエラディアを黒エルフ弓箭兵のひとりが止める。
「ずるいですわ、お姉様。お姉様はいつもソーマ様の一番近くにいらっしゃるではありませんか。ここは私たちに譲られるべきではございませんか?」
それに他の黒エルフ弓箭兵も同調する。
「ええ。まったくです。お姉様は後ろに下がっていてくださいませ」
「良いところばかり取るのは、上に立つ者としていかがなものかと思いますわ」
楽しげにコロコロと笑う黒エルフ弓箭兵たちに向けて、エラディアは小さく嘆息を洩らした。
「もう、仕方ありませんね。あなたたちのお好きになさい」
そう言って最後尾についたエラディアの耳に、黒エルフ弓箭兵のひとりが小さく洩らした「来た」という声が届く。
自分たちがやってきたばかりの山道を振り返れば、そこには長い金髪をたなびかせて馬を駆る女騎士を先頭にした敵騎馬隊の姿があった。
それにエラディアは喜びに満ちた笑みを浮かべる。
「喜びましょう。私たちの満願成就のときが、ついにやってきたわ!」




