第34話 ミルツァの戦い12-奮戦(後)
敗走するエルドア国軍の中で、もっとも過酷な状況にあったのは、間違いなくドヴァーリンたちドワーフ重装歩兵たちであろう。
もはや指揮系統は失われ、組織的な撤退もできない。誰も彼もが自分が助かることだけ考え、時には仲間を突き飛ばし、時には転倒した仲間に目もくれず、さらにはその仲間を踏みしだき、ひたすら短い足を動かして逃げていたのである。
そんなドワーフたちは、手柄を上げようと思うロマニア国軍の兵から見れば格好の獲物であった。
「手柄を挙げろ! 奴らを皆殺しにしろ!」
隊長の上げる声に欲望を煽られた多くのロマニア国兵たちは、目の色を変えて槍や剣を手に、逃げるドワーフたちを追いかけていた。
見通しの良い平地での逃走は不利である。そこで遮蔽物や障害物が多い山へとドヴァーリンたちは逃げ込もうとしていた。
しかし、手足が短いドワーフたちである。走って逃げるのは不得意とするところだ。
次々とロマニア兵に追いつかれ、討ち取られていく。
自分らの首が金塊にでも見えるのか。目を欲望にぎらつかせて襲いかかってくるロマニア兵たちをドヴァーリンは斧槍を振り回して追い払いながら小さく舌打ちを洩らす。
「クソがっ! キリがない!」
ドヴァーリンもまた、すでに多くの手傷を負い、返り血ばかりか自身の血でも自慢の髭を赤く染めていた。斧槍を握る手にも疲労の痺れを感じ、足は今にもくずおれそうだ。
「しつこいわっ!」
ドヴァーリンは自分を奮い立たせるために気合いを上げて斧槍をロマニア兵に叩きつけた。ところが、思ったより力が入りすぎ、肩口から入った斧槍の斧の部分が胸部まで食い込んでしまう。さらにそのロマニア兵が反射的に斧槍の柄を掴んだまま絶命したため、斧槍が抜けなくなってしまった。
それを好機と見たロマニア兵が、ドヴァーリンに殺到する。
自分に突き出されるいくつもの槍の穂先を前に、ドヴァーリンは死を覚悟した。
鉄の切っ先が肉を穿つ音が立て続けに鳴り響く。
そして、鮮血を撒き散らして仰け反るように倒れた。
「矢だと?! いったい誰じゃい?」
自分を突き殺そうとしていたロマニア兵が矢を受けて倒れる姿に、ドヴァーリンは目を見開いて驚いた。
しかも、それだけにとどまらない。逃げ込もうとしていた目の前の山の木々の間から無数の矢が飛び出した。そして、ドワーフを追撃していたロマニア兵へ雨のように降りそそいだのである。この思わぬ攻撃に、油断していたロマニア兵はバタバタと倒れた。
「弓兵だ! 敵の弓兵だぞっ!!」
弓兵への警戒を叫びながら、隊長は素早く木々の間を見回して敵の姿を捜した。ところが、いくら捜しても敵兵の姿がない。しかし、相変わらず矢は飛んでくるのだ。
ドヴァーリンも誰かまではわからないが、それが味方の援護だということぐらいはわかる。
「今のうちじゃ! 早く山へ逃げ込めぇー!」
ドヴァーリンと、彼に従って殿軍を務めていたドワーフたちが、ワタワタと足を動かして山へ逃げ込み始めた。逃がしてなるものかと追いかけようとしたロマニア兵だが、それを降りそそぐ矢が許さない。
それでも盾をかざし、ジリジリと距離を詰めたロマニア兵は、ようやく敵弓兵の姿を認める。
「上だ! 木の上だ! 木の上にいるぞっ!」
その声にロマニア国の弓兵が木の上に向けて矢を次々と放った。
すると、ちょうど木の下を駆け抜けようとしていたドヴァーリンの脇に何かが大きな物音を立てて落ちてくる。
「エルフか?!」
ドヴァーリンの脇に落ちたのは、胸に矢を受けて絶命していたエルフ――それも口許を黒い布で隠した黒エルフ弓箭兵であった。
驚いて足を止めたドヴァーリンへ樹上から声が降ってくる。
「弓将様よりの伝言にございます。『お助けして差し上げますから、その短い足を必死に動かしあそばせ』と」
それはエラディアの采配であった。ピアータによって崩壊したドワーフ重装歩兵たちが山へ逃げ込むのを予測し、ドワーフたちを追撃してくるロマニア国軍を食い止め、ドヴァーリンたちの敗走を手助けするために、後方に下げられていた黒エルフ弓箭兵をあらかじめそこへ配していたのである。
「エルフどもに助けられるとは……!」
ドヴァーリンは髭を振るわせてギリギリと歯ぎしりをした。
いくらすべての種族を平等とするエルドア国に所属していても、悠久の昔から続くドワーフとエルフの確執はそう簡単になくなるものではない。
悔しがるドヴァーリンに、頭上からコロコロと笑い声が落ちる。
「『お優しいソーマ様のためです。死ぬなら、どうぞ余所でお願いします』と弓将様の仰せです」
「あの、悪女めがぁ……!」
自分の髭を引き千切らんばかりの屈辱に身をもだえさせるドヴァーリンだが、同時にそんなことをしている場合ではないのも承知していた。
「おまえら! わしについて来いっ!」
八つ当たりのように怒鳴ったドヴァーリンに残っていたドワーフたちがワタワタと足を動かして続いた。
それを樹上から見下ろしていたエルフは、改めてドワーフたちを追撃してくるロマニア兵を見やると、再び矢を射始めた。
山とは言え、まだ裾のところ。樹上とはいえ、さほど高さがある樹ではない。それでも高所を取った黒エルフ弓箭兵の矢の威力はすさまじかった。
追撃してくるロマニア国兵を次々と射倒して行く。
だが、数が違いすぎた。
もともとドワーフの援護のために送られた黒エルフ弓箭兵は百名あまり。それに対して迫り来るロマニア国兵は千を超える。不意打ちという衝撃で足を止められたとしても、それも一時のものだ。すぐさまロマニア国兵は盾をかざして身を守り、エルフたちへと迫ってきた。
エルフたちは自分らを攻撃し得る弓兵を優先的に排除していたが、そのために重装歩兵を接近を許してしまう。ロマニア国の重装歩兵たちは盾で防御しつつ、槍を投げてエルフたちを攻撃し始めた。
重装歩兵の投槍は、エルフが隠れる枝葉の防壁を貫いて次々と彼女たちを殺していく。
重装歩兵を近づけすぎたのに気づいたエルフたちは弓兵から狙いを変える。だが、重装歩兵の盾の防御の前にはほとんど効果が上げられなかった。そして、ついには自分らが立つ樹の根元近くまで接近を許してしまう。
ロマニア兵を率いる隊長が声を上げる。
「売女どもを叩き落とせっ!」
ロマニア兵たちが樹上のエルフたちへ投げつけようと槍を振りかざした。そうさせてなるものかとエルフたちは矢を射るが、やはり大盾に阻まれてしまう。
「よし! やれぇー!」
隊長の号令とともにロマニア兵が槍を投げようとする。
「今じゃ、やれぇー!!」
そこに現れたのは、ドヴァーリンたちである。
ドワーフたちはその小柄な体型を活かし、近くの窪地や茂みに伏せて隠れていたのだ。樹上のエルフばかりに気を取られていたロマニア兵たちは、それを見落としてしまっていた。そして、その失敗の代償はドワーフの奇襲によって支払わされる。
樹上のエルフに備えて盾を掲げていたため、下から突き上げるようなドワーフたちの刺突を防げるはずもなく、次々とロマニア兵が倒された。
「おのれ、小癪な地虫どもがっ!」
それまで追い回されていただけのドワーフによる思わぬ反撃に、追撃部隊の隊長は激怒した。反撃してきたドワーフたちを迎え撃つべく兵に命じる。
しかし、そのため今度は頭上への警戒がおろそかになってしまった。怒声を上げていた隊長の額に、頭上から飛んできた矢が突き立つ。
「退け! いったん、退けぇー!!」
いるとは思わなかったエルフに続き、ドワーフにまで奇襲を受けたロマニア兵たちは混乱した。樹木が多く、見通しが利かないここでは、さらにどれだけの敵が潜んでいるかわからない。生き残ったロマニア兵は慌てて退いていく。
しかし、それは一時撤退に過ぎない。態勢を立て直してすぐに戻ってくるだろう。その前に逃げなくてはならない。
「ほれ! さっさと木から下りて逃げるぞ!」
ドヴァーリンは樹上のエルフたちに向けて声を張り上げた。
しかし、返ってきたのは嘲笑混じりの声である。
「ご心配なく。私たちエルフは地面を転がるしか能がない酒樽ではございませんので」
エルフたちは自分たちが乗る枝を弾ませると、その反動を使って隣の木へと跳躍した。また、他のエルフは幹に絡みついていた太い蔓を掴んでターザンのように樹から樹へと移動し始める。
それを唖然と見上げていたドヴァーリンだったが、我に返ると地団駄を踏んだ。
「あの痩せ猿どもが。――わしらも急いで逃げるぞ!」
そう言うと同胞たちとともにドタドタと足音を立てて逃げ出したのである。
◆◇◆◇◆
こうして死地に誘い込まれるという絶望的な状況にありながらも、エルドア国は各将たちの奮戦によって何とか全滅の危機を脱しようとしていたのである。
しかし、エルドア国の危機は、まだ終わっていなかった。
むしろ最大の危機は、これからだったのである。
「ララ。あのハーピュアンは何と伝えている?」
枝葉の間からわずかに覗く空の中で身体をくねらせて翼をはためかせるピピを見上げながら、ピアータはララに尋ねた。馬に乗る騎士の後ろにちょこんと膝を抱えるような姿勢で器用に乗るララは、その丸く大きな目でジッとピピを見つめながら答える。
「王、生存。それと逃走。――破壊の御子が生きていて逃げているのを繰り返し伝えています」
これにピアータは獲物を前にした狼の笑みを浮かべる。
「ならば、破壊の御子はあの下か! よくやったぞ、ララ!」
そこでピアータはわずかに眉をひそめた。
「だが、思ったより決断が早いな。ようやく自身が王であるという自覚に目覚めたか? それとも奴を諭せるような者が身近にいたのかな?」
ピアータが知る破壊の御子の優柔不断な性格ならば、まだ決断には時間がかかると推測していた。
グズグズと決断できずに逃げる機も失い、多くの味方の兵とともにすりつぶされて終わる可能性が高いと思っていたのだが、思いのほか退却へ踏み切ったのが早い。
すると思い浮かぶのは即位式で王佐という役職につけられたゾアンの娘の姿である。
「建前ではなく、本当に王へ遠慮なく諫言できる忠臣に、それを受け入れられる度量の王か」
その光景を見せつけられれば、その他の臣下たちも活発に破壊の御子へ意見を奏上し、献策するだろう。そうすれば若く活気に溢れた新興国であるエルドアだ。その力を十全に発揮し、自分らが予想していたよりも急速に国を発展させるに違いない。
「ああ、怖い怖い。――だが、それも今ここで無駄になる」
ピアータは唇をニイッと吊り上げた。
迫り来る三倍もの敵の大軍を前に、悠長に護衛を引き連れているわけがない。おそらく、今破壊の御子の周りに居るのは足の速いごくわずかな兵――ゾアンか噂のエルフの弓騎兵ぐらいなものだろう。
これぞ、まさに絶好の機!
ピアータは拳を握り締めた。
いかにゾアンの戦士であろうとも、持久力では馬に敵わない。乗っている馬を比べれば、持久力と速力ともにこちらの馬が圧倒的に勝っている。ましてや起伏の激しい山道ならば、なおさらそれが明らかとなるだろう。
そして、戦いとなればエルフの弓兵はもとより、軽装歩兵であるゾアンにこちらの重騎兵が止められるはずもない。
事前に地形を案じ、道を記憶し、破壊の御子が逃げるであろう逃走経路を想定してはいたのだが、思ったよりも早く逃げ出されたことで自分たちは予定していた配置にも到着していなかった。だが、それも大きな誤差ではない。
ピアータの胸の奥底からフツフツと熱いものが込み上げてくる。
「さあ、行くぞ! 我らの手で、破壊の御子の首級を挙げるのだっ!」
それに後ろに控えていたデメトリアと百狼隊の中から選抜された精鋭たちが唱和で返す。
「「姫殿下の御為に!」」
エルドア国最大の危機――すなわち、ロマニア国の金の雌狼ピアータと彼女に率いられた百狼隊が、蒼馬の間近にまで迫っていたのである。




