第32話 ミルツァの戦い11-転進
パルティスがいる本陣に前線より伝令兵を乗せた馬が駆け込んできた。
「伝令! 伝令! 赤毛のゾアンによってトゥリウス殿、討ち死に! トゥリウス隊は壊走いたしました!」
思わぬ報せに驚く将軍諸侯へ伝令兵はさらに続けて言う。
「現在、ゾアンは後方のディモン殿の部隊と交戦中。しかし、ディモン隊もまた後退を余儀なくされております。ディモン殿は、応援を求めております!」
予想外の戦況に、これにどう対処すべきかとっさに判断がつかない将軍諸侯の中にあって、パルティスだけは即座に行動へ移った。
「うむ! すぐにディモン隊へ救援に向かうぞ! 私の槍を持てっ!」
そう言うなり、自身が兵を率いて前線へ向かおうとしたのだ。これに将軍諸侯らは慌てる。
「お待ちください、殿下! 軍の総指揮官であらせられる殿下が前線へと赴くなど、あってはならないことにございます!」
「左様! 万々が一にも殿下の御身に何事かあれば、それこそ一大事!」
将軍諸侯らが慌てるのも当然である。死地に追い込まれたエルドア国軍がこの劣勢を覆す方策は、ただひとつ。ロマニア国軍の総大将であるパルティスを討ち取ることだ。それだというのに、そのパルティスが自ら敵の前へ出るなど、愚の骨頂である。
今にも乱戦の中に飛び込んでいこうとするパルティスを将軍諸侯らは前に立ち塞がって、そう口々に諫めた。
しかし、当のパルティスは不思議そうな顔をして言う。
「何を言う? あのすさまじき猛気の矛先は、こちらには向いておらぬぞ」
パルティスは手にした指揮杖で、ディモン隊とゾアンが激しく戦うところを指し示す。
「我らの兵をもってディモン隊の後方を支えれば、それを突破せんとするゾアンにとって蓋をする形となる。今や我が軍に包囲されたゾアンどもは、火にかけられた鍋の中の魚同然。魚が鍋の中から飛び出そうとするならば、これに蓋をするのは当然であろう?」
パルティスが言わんとしていることはわかる。
だが、そのために軍の総大将であるパルティスを敵の矛先に晒すわけにはいかない。それこそ敵の狙いを手助けするようなものだ。
それに、ゾアンたちも重装歩兵の横陣を強引に突破しては無傷であるはずがない。こちらが守りに徹すれば、いかに敵が精強であっても十分に食い止められる。また、突破されたとはいえディモン隊も全滅したわけではなく、さらに後方からは中央のオクタヴィアス将軍が追撃してきているはずだ。彼らが追いつけば、本陣との挟撃となり、今度こそゾアンたちを全滅できる。
そう説き伏せようとする重臣諸侯らに、パルティスが困惑を浮かべて言う。
「だから、言っておろう。あの猛気の矛先は私に向けられておらぬ、と」
パルティスの言葉に将軍諸侯らがきょとんとした表情を浮かべていると、そこに再び伝令兵が飛び込んできた。
「伝令、伝令! ディモン殿より急報! 赤毛のゾアンの猛攻すさまじく、もはや防ぎきれぬと仰せであります!」
その言葉を待っていたかのように、ディモン隊が崩壊し、そこから遠目でも鮮やかな赤毛のゾアンを先頭とするゾアンの戦士たちがわっと飛び出してきた。
これにパルティスは称賛の声を上げる。
「おお! 守りをかなぐり捨てて、捨て身の一点突破! 敵将ながら、天晴れ! さぞや名のある将であろう!」
◆◇◆◇◆
勝利の雄叫びを上げたズーグは、戦士らに命じる。
「さあ、最後の頑張りどころだ! 戦士たちに太鼓で号令をかけよ! 一気に駆け抜けるぞ!」
そして、ズーグは四つ足になると叩かれる太鼓の音を背に一気に駆け出したのである。
その太鼓の拍子は、ゾアンたちの最後尾にいるガラムのところへも届いていた。
その内容を秘匿できないのはゾアンの太鼓の欠点だ。だが、このときばかりはそれは利点となった。ズーグが敵を突破したのが即座に知れ渡り、もはや死を覚悟していたゾアンの戦士たちに会心の笑みが浮かんだのだ。
それはまたガラムも同様である。
「やったな、ズーグ!」
ガラムは二本の山刀でロマニア兵を斬り伏せると、すぐ傍にいるシシュルへ小声で命じる。
「同胞たちに太鼓で命じろ。拍子を合わせて吠えるぞ」
すぐさまシシュルはガラムの命令を太鼓の拍子に変えて打った。
シシュルがドンッとひとつ太鼓を叩くと、戦士らはいっせいに息を吸い込んだ。
シシュルが、さらにどんっと太鼓をさらに叩くと、戦士らは吸い込んだ息を肺に溜める。
そして、シシュルが三度太鼓を叩いたとき、戦士らはため込んだ息を咆吼に変え、轟っと吠えた。
それはすさまじい大音声だった。
ゾアンの戦士たちが手を止めたのに好機とばかりに攻め寄せようとしていたロマニア兵は、それをまともに受けて度肝を抜かれる。ある者は槍を捨てて耳を塞ぎ、ある者はその場にへたり込み、またある者は逃げようとして後ろにいた仲間にぶつかって転倒した。
そんな醜態を晒すロマニア兵を前に、ガラムは号令を発する。
「転進だ! 《怒れる爪》に続けっ!!」
ロマニア兵が怯んだ隙に、シシュルの太鼓の拍子とともにガラムたちは身を翻した。誰もが幼い頃から太鼓の拍子で伝えられる命令で身体を動かして遊んできたゾアンならではの一糸乱れぬ行動である。
それまでの激しい戦い振りから一転して背を向けて駆け出したゾアンに、ロマニア兵たちはとっさに対応できなかった。ある者は茫然と見送り、またある者は追いかけようとしながらも茫然とたたずむ仲間の姿にたたらを踏んで立ち止まってしまう。
そんな不甲斐ない兵たちをオクタヴィス将軍は怒鳴り声を上げる。
「何を不抜けておるっ! 速やかにゾアンどもを追撃せよ!」
オクタヴィス将軍の叱責に、兵士たちはおたおたと追撃を開始した。
◆◇◆◇◆
「これほどの猛気を放つ将は、初めて見たぞ! 是非、我が臣下に欲しいものだ!」
惚れ惚れとした声で言ったパルティスは、その手にした指揮杖で手の平をパシッと打った。
それは軍を指揮する者にとって、最大級の賛辞を示す行為である。
これに将軍諸侯らは、恥辱に顔を赤く染めた。
戦の最中にあって自分らの総大将であるパルティスが、臣下に欲しいとまで絶賛したのである。それはとりもなおさず総大将の前で自分らが失態を晒したということだ。
将軍諸侯らは怒号を上げる。
「おのれっ、獣どもがっ!」
「本陣を固めよ! 敵の最期の悪あがきぞ! パルティス殿下をお守りいたすのだ!」
将軍諸侯は突撃してくるゾアンに備えて守りを固めるように大声を張り上げて兵たちへ指示を飛ばした。
ところが、である。
四つ足となり、本陣へ突撃してくるかに見えたゾアンたちだったが、本陣とは異なる方へと駆け出したのだった。
「こ、これはいったい……?!」
突撃してくるものだとばかり思っていた将軍諸侯らに、その脇腹を見せつけるようにゾアンたちは横へと駆けて行く。
予想外の事態に唖然とゾアンが駆け抜けていく姿を見送っていた将軍たちは、その転進していく先を見て、アッと驚いた。
ゾアンたちが向かう先にあったのは、南へと真っ直ぐ続く街道だったのである。
「まさか、あやつら逃げるつもりかっ?!」
四つ足となれば馬のような速さで駆けられるゾアンである。起伏や障害物の多い地形ならばともかく、街道を全速力で駆けられれば人間種ではとうてい追いつくことすらできない。
しかし、逃げられる以上に将軍諸侯らにとって衝撃だったのは、それがこちらを正面突破しての上でのものだということだ。
「ふざけるなっ! 正面突破からの退却など聞いたことがないぞ!」
将軍諸侯は愕然とした。
これがただ敵に背を見せての退却ならば、たとえ逃げ切られたとしても「逃げ足は速い」などその逃げっぷりを嘲笑しただろう。ところが、正面突破という強烈な張り手を喰らわした上での退却である。これでは逃がしたロマニア国軍の間抜けさだけしか残らない。
ましてや敵陣を正面突破しての退却など、聞いたことがないことだ。すなわち、これは歴史に残るような戦いである。それを成して名を残すのではなく、成された方として名を残すなど恥辱の極みだ。名誉を重んじる将軍諸侯にとっては許されざるものだった。
「追撃だ! 決してゾアンどもを逃がすなっ!」
すでに追撃を始めたディモン隊とオクタヴィス将軍に続いて、本陣にいる将軍諸侯たちも兵を率いて追撃に打って出ようとした。
それをパルティスが止める。
「やめよ。相手は四つ足となって馬のような速さで駆けるゾアンである。とうてい追いつけるものではない。――ディモンとオクタヴィスにも追撃をやめるように伝令兵を出せ」
無駄な追撃に兵を費やすぐらいなら、いまだに山への退却に手間取っている正面の敵を叩いた方がマシである。ところが、頭に血が上ったディモンとオクタヴィスがゾアンを必死に追撃しているため、そちらに多くの兵が取られて正面が薄くなってしまっていた。
これではゾアンたちは自分らの退却路を確保したのみならず、友軍への追撃の手もまた防いだことになる。
「うむ。まんまとしてやられたぞ」
そう言ってからパルティスは、小首を傾げた。
「しかし、ピアータは何をしているのだ?」
百狼隊は状況がわかっていないのか、本陣の前方をゆっくりと移動していた。おそらくは敵本陣を強襲するために酷使した馬を休めているのだろう。
だが、パルティスが知るピアータならば、とっくに百狼隊をディモン隊の後ろに回して蓋の役割を果たし、あのような退却を許さなかったはずだ。
しばし百狼隊を見つめていたパルティスは、そのすがめていた目を丸くする。
「はて? ピアータの将気が感じられぬぞ。あやつめ、どこに行った?」




