第28話 ミルツァの戦い7-激怒
ピアータたち百狼隊が本陣に突進してきたとき、すぐさまジャハーンギルたちディノサウリアンに本陣へ戻るようにゾアンの太鼓が叩かれていた。
それを聞いたのは、ジャハーンギルたちがようやく本陣から離れた頃であった。敵が目の前にいるのならばともかく、ディノサウリアンは動き出しが遅い種族である。とっくに前線へ出るように言われていたのだが、彼らの歩みは遅々として進んでおらず、結果としてさほど本陣から移動しないうちに太鼓の音が届いたのだ。
同行していたゾアンの戦士から、その太鼓の拍子の意味を伝えられたジャハーンギルは、まず不満げにブフッと鼻をひとつ鳴らした。
何しろ、久しぶりの戦いなのだ。しかも、いつもは本陣近くでお預けを食らうのに、今回は最初から前線へ向かって敵の大軍を迎え撃つように言われたのである。
ジャハーンギルは、素晴らしいと思った。
ディノサウリアンの戦士種にとって、戦いこそ本分である。戦いこそが存在意義そのものなのだ。その戦いを最初から思う存分堪能できるのである。しかも、敵はこちらの数倍もの人数というではないか。戦う相手に困ることはなさそうである。ああ、何と素晴らしいのだろう。
そう思ってジャハーンギルは太い尻尾をゆっくりと左右に振り、ご機嫌で前線へ向かっていたのだ。
ところが、まだ敵の姿も見ていないというのに戻れの指示である。
これにジャハーンギルは憤慨した。
まったくもって、ひどい話である。せっかく食べようとしていた肉竜の尻尾の根元――大好物の肉を横からかっさらわれた気分だった。
そんなことは許されない。
ジャハーンギルは聞こえなかったふりをして、そのまま前線へ向かおうとした。ところが、三人の息子――主にパールシャーに強く引き留められてしまっては仕方ない。先程までご機嫌で左右に振られていた尻尾も、心なしかしょんぼりとうなだれさせ、やむなくジャハーンギルは足を止めて渋々と踵を返したのである。
「何だ?! 本陣に敵がっ!」
ところが、自分より少し前に本陣の方を向いていたパールシャーが、そう声を上げた。
そんな馬鹿な、とジャハーンギルは思った。
自分たちは山を越えて、ここに来たばかりである。後ろにいるのは味方であり、あるのは越えてきた山だけのはずだ。
それでもジャハーンギルは縦長の瞳孔を細めて、本陣を見やった。
すると、その目に飛び込んできたのは、見慣れぬ敵の騎兵たち。それに蹴散らされ、蹂躙されていくゾアンや人間の兵士たち。
そして、騎兵の斬撃を受け、今まさに倒れる蒼馬の姿であった。
次の瞬間、ジャハーンギルは地面を爆砕するように蹴って走り出していた。
誤解されがちだが、ジャハーンギルは決して怪力だけの戦士ではない。
確かにジャハーンギルはディノサウリアンのティラノ種の中では怪力の持ち主である。しかし、単純に力だけを比べるならば、カマラ種のモラードの方がはるかに勝っている。また、エルドア国のディノサウリアンの中にいる奴隷種と呼ばれる種族の者ならば、ジャハーンギルよりも力が強い者は多い。
しかし、そうした怪力の持ち主たちを圧倒して、ジャハーンギルは最強と呼ばれているのだ。
それは、ジャハーンギルの持って生まれた闘争を好む気質のせいもある。だが、それ以上に、そのずば抜けた戦いのセンスにあった。
ジャハーンギルの愛用の武器は、鉄鎖のついた鉄球である。それは、本来はつないだ囚人を拘束するためのものだ。手に持って使うものではない。その用途から、決して扱いやすいものでもなかった。
ところが、ジャハーンギルは長くつながれて手になじんだという理由だけで、それを強力な武器として使いこなしている。使いこなせてしまえるのだ。
まさに驚くべき戦いのセンスであった。
そして、それを体現できるのは、並外れた身体能力があればこそだ。
巨大な熊がそうであるように、たくましい虎がそうであるように、ジャハーンギルは皆が思うよりも機敏に、俊敏に動けるのである。
その優れた肉体を激しく躍動させてジャハーンギルは大地を駆けた。途中で長男のメフルザードを突き飛ばして転倒させてしまったが気にも掛けない。
そうして疾走したジャハーンギルは、今まさにモラードへ向けて突撃しようとしていた銀狼兵へ肩から体当たりを喰らわせた。
しかし、相手は重武装の騎兵だ。その重さと衝撃がジャハーンギルの肉体を逆に吹き飛ばそうとする。
だが、ジャハーンギルは知ったことかとばかりに吠えた。太い尻尾を巧みに動かして崩れかける態勢を立て直す。大地を踏み砕かんばかりに両足に力を込める。
そして、まるで滑稽劇の一幕のように、銀狼兵を馬ごと吹き飛ばしたのだ。
横転する馬体に潰された銀狼兵は無論のこと横腹を晒したままピクリッとも動かない馬を前に、ジャハーンギルは激しく肩を上下させて荒い息をつく。
さすがに無理が過ぎた。体当たりをした右肩からジクジクという痛みが伝わってくる。
しかし、今のジャハーンギルにとっては、どうでも良いことだ。どうでも良いことだった。
それよりも怒りで、どうにかなりそうだ。視界が真っ赤に染まるほどの怒り。血液が燃え上がるような怒り。胸が張り裂けそうな怒り。頭が沸騰しそうな程の怒り。
怒り、怒り、怒り、怒り。
激しい怒りがジャハーンギルを支配していた。
そのとき、ふと「我はこれほど何を怒っている?」という疑問が湧いた。
良くわからない。
だが、馬蹄の轟きに気づいて、そちらに目をやれば今し方自分が吹き飛ばしたのと同じ騎兵たちがこちらへ向かって駆けてくる。
ああ、こいつらか。
ジャハーンギルは、そう思った。
こいつらが、せっかく楽しみにしていた戦いを邪魔したのだ。こいつらが悪いのだ。こいつらが頭にくるのだ。
ジャハーンギルは大きく息を吸い込むと、咽喉を大きく反らし、天へ向けて咆吼する。
「殺す! 皆、殺す! 我が、皆殺しにしてやるっ!!」
◆◇◆◇◆
ジャハーンギルの咆吼は、まさに音の暴力だった。天敵ともなる狼を蹴殺し、噛み殺す馬ですら恐怖に前脚を振り上げ、乗っていた銀狼兵を振り落としてしまう。
「怯むなっ! 敵は、そいつひとり! そいつを倒し、破壊の御子を討ち取り名を上げよ!」
デメトリアは馬上で後ろを振り返り、後続の銀狼兵へ発破を掛ける。それに銀狼兵たちも槍を構えてジャハーンギルへと突っ込んだ。
「破壊の御子は、あいつの後ろだ! あいつ諸共、槍にかけろ!」
破壊の御子を討ち取る障害として立ちはだかったジャハーンギルに、銀狼兵が狙いを定めて突撃した。
何度も言おう。ジャハーンギルは、最強の戦士である。
それはエルドア国だけに限った話ではない。西域全体を見回してもジャハーンギルに並ぶどころか、その足許に及べる戦士もいないだろう。まさに万夫不当の呼び名に相応しい戦士である。
間違いなく、最強だ。
しかし、無敵ではない。
ジャハーンギルは、まず一騎目を鷲掴みにした鉄球で殴り飛ばした。そこへ突き出された二騎目の槍は、何とかかわした。しかし、さらに突き出された三騎目の槍をかわしきれずに右肩で受けてしまう。寸前で身をひねったために、何とか直撃は避けられた。
だが、槍はジャハーンギルの肩の肉を存分にえぐり取る。その衝撃と痛みに態勢を崩してよろけたところが不運にも四騎目の前であった。避ける間もなく銀狼兵と衝突したジャハーンギルの巨体は撥ね飛ばされる。山の斜面を転がり落ちる丸太のように転がされたジャハーンギルは、大地に両手を突いて身体を止めると、尻尾を大きく縦に振り、その反動をもって一気に立ち上がった。
しかし、その場でガクッと膝を突く。
重騎兵との衝突は、さしもの強靱な肉体を誇るジャハーンギルとて無事ではいられなかった。衝突の衝撃と痛みで、まるで膝から下が他人のものであるかのように力が思うように入らない。
そこへさらに五騎目の銀狼兵が突っ込んできた。
ジャハーンギルは片膝を突いたまま、苛立たしげに吠える。
「親父、大丈夫かっ?!」
そこへ飛び込んできたのは、メフルザードとニユーシャーとパールシャーの三人の息子たちである。メフルザードの曲刀が銀狼兵の首を刎ね飛ばし、ニユーシャーの鉄棍が馬の頭を砕き、パールシャーの長槍が馬の脚を切り飛ばした。
砂塵を巻き上げて横転する銀狼兵と馬を横目に、パールシャーは父親へ声をかける。
「どうした、親父?! らしくないぞ!」
戦場では常に父親の背を守ってきたパールシャーは、自分の父親の戦い方をよく知っていた。
親父は、もっと自由に、もっと柔軟に、もっと楽しげに戦うのだ。
だからこそ、速い。だからこそ、動きが読めない。だからこそ、最強なのだ。
決して先程のようなただ力任せに暴れるだけのような無様な戦い方ではない。
しかし、ジャハーンギルは息子の言葉が耳に入っていない様子であった。
そればかりか自分を守ろうとする息子たちへ邪魔だと言わんばかりに言葉にならない怒声すら上げている。
この父親らしからぬ態度に、パールシャーのみならず三人の息子たちは困惑した。
そんな息子たちを押しのけて震える膝で無理矢理立ち上がろうとしたジャハーンギルだったが、その背中に声が飛ぶ。
「ジャハーンギルッ!!」
ジャハーンギルは、とっさに後ろへ振り向いた。
細められた縦長の瞳孔が、音を立てて丸く開く。
そこにいたのは今なお額から血を流しながらも、シェムルに肩を借りて自分の足で立つ蒼馬の姿である。
ジャハーンギルは、しばし目をパチクリとさせて固まった。
それから、やにわに立ち上がるとジャハーンギルは大きく腕を開いて声を張り上げる。
「我は、強い! 我、最強! 我、ばんぷふとー!!」
そう言うなり、ジャハーンギルは鉄球をヒョイッと肩越しに投げる。
ジャラジャラと鉄鎖を引いて飛ぶ鉄球は、唖然とする息子たちの間を抜け、今まさにこちらへ突進してきていた銀狼兵の頭部を粉砕した。
蒼馬に背を向けて前へと向きなおったジャハーンギルは、「どうだ!」と言わんばかりに鼻を大きく鳴らす。
先程までの無駄な力みが消え、いつもの父親に戻ったのにパールシャーはホッと息を洩らす。
「親父。さっさとあいつらを叩きのめすか」
パールシャーの言葉に、ジャハーンギルは当然とばかりに胸を張った。
◆◇◆◇◆
ようやく馬首を返して破壊の御子へ追撃をかけようとしていたピアータは、思わず「ずるいぞ」と洩らした。
あとひと息でその首を挙げられたというのに、自分の百狼隊の前に立ち塞がった、あのディノサウリアンたち。中でも、あの鉄球を持ったディノサウリアンを目にしたときだ。
「これは無理だ」
ピアータは、そう直感した。
如何にディノサウリアンとて人である。自慢の銀狼兵を突っ込ませれば討ち取れるはずだ。頭ではそう思うのだが、ピアータの勘はあれはまともに戦ってはいけない奴だと訴えてきていた。少なくとも数に物を言わせて遠巻きに囲み、弓矢や長槍で弱らせてからではないと手が着けられそうもない。
こんなことを思い浮かべてしまうのは、今は亡きダライオス大将軍だけである。
「噂には聞いていたが、それ以上だぞ、あれは。破壊の御子め、良い将を持っている。それにあのたくましい身体にすべすべの鱗。妬ましい!」
ついつい鱗の手触りを想像してしまったピアータは、慌てて頭を降って脱線していた思考を振り払う。
「もはや、潮時だな」
時間を掛けすぎてしまっていた。
破壊の御子を討ち取ろうとする自分らと、それを阻止しようとする敵兵が続々と集まり、周囲は乱戦の様相を呈し始めている。
しかし、これでは百狼隊の最大の武器である騎馬の速さが活かせない。足が止まってしまえば巨漢のディノサウリアンが相手では高さの利も使えない。さらに囲まれでもすれば、自由が利かない馬上にある百狼隊の方が不利である。
ピアータは首から吊していた小さな喇叭を口に当てる。そして、胸いっぱいに吸った息を吹き込むと喇叭から甲高い音が飛び出した。
「撤退だ! 撤退するぞ!」
それよりわずかに遅れて、あちこちからいくつもの喇叭の音が上がり、それとともに百狼隊の騎兵たちは馬首を翻して撤退を始めた。
その中で副官のデメトリアと合流したピアータは、百狼隊の中から特に馬術に優れた騎士たちを選び出すように指示する。そして、ピアータは百狼隊本隊にはパルティス王子と連携して戦うように命じると、本人は選び出された少数の騎士だけを率いて別の方角へ馬首を変えた。
その途中、ピアータは馬上で敵本陣を振り返る。
そこではゾアンの女に肩を借りて立ち上がる破壊の御子の姿が小さく見えた。
「今は退くしかない。だが、いまだ奴の首は我が剣の届くところにある」
ピアータはその顔をロマニア国軍本陣のある方へと向けた。
そこからは先程から激しく打ち鳴らされる太鼓の音が聞こえてくる。
「もはやこの戦いは決したのだからな!」
◆◇◆◇◆
「好機であるっ!!」
ピアータが率いる百狼隊がドワーフ重装歩兵を粉砕し、破壊の御子がいる本陣に向けて突撃したのに、パルティスは声を張り上げた。
「今すぐ全軍を突撃させよっ!!」
これに周囲にいた将軍諸侯は戸惑った。
そもそもピアータの百狼隊を彼らは戦力とは見なしていなかったのだ。所詮はじゃじゃ馬姫の我が儘でできた部隊。姫の遊びに付き合わされる取り巻きたち。
それが彼らの中での百狼隊の評価であった。
開戦早々、その百狼隊が馬の脚を活かして突出したときも、戦の機微もわからぬ姫が暴走したとすら思っていた。
ところが、それがあれよあれよという内にエルドア国のドワーフ重装歩兵隊を粉砕。そればかりか、今ではガラ空きとなった側面から敵本陣へ突き進んでいるのだ。
しかし、それでもなお将軍諸侯は、姫の暴走を止めるべきかと悩んでいた。
そんな中にあって、唯一動いたのがパルティスである。
「急ぎ、全軍はピアータと連携を取って総攻撃に移れ。ピアータが敵本陣を側面から突けば、敵が混乱し、崩れるのは必定。この機を逃して何とする? 速やかに全軍に突撃させよ!」
しかし、将軍諸侯は困惑したまま動けない。
業を煮やしたパルティスは、直接に大太鼓の鼓手へ命令する。
「すぐさま全軍突撃の太鼓を打て!」
普段は近習の騎士らを介してしか声をかけられることがないパルティスからの命令に大太鼓の鼓手はびっくり仰天しながらも、慌てて太鼓を叩き始める。
その大太鼓の拍子が戦場に鳴り響いてしばらく経つと、それまでゾアンの戦士の突撃を警戒して大盾を押し立ててジリジリと攻め寄せていたロマニア国軍の間から、わあっと鬨の声が上がった。それとともに、ロマニア国軍の兵士は隊列を崩して突撃を開始する。
その光景にパルティスは満足げにうなずいた。
「よし! 敵は愚かにも山を背負い、逃げ場はない。これぞ、憎きエルドアを滅ぼす絶好の機である! これを逃してはならん! 諸卿らよ、思う存分に力を振るうが良い!」
パルティスが見つめる先では、混乱するエルドア国軍へロマニア国の大軍が津波のように押し寄せ始めていた。




