第27話 ミルツァの戦い6-牙の内
駆ける馬上から曲刀を振り下ろすピアータ。
それを驚愕の表情を浮かべたまま凝視して固まる蒼馬。
両者が一瞬交差する。
耳障りな金属音が一際高く鳴り響く。
そして、馬蹄を轟かせながらピアータを乗せた馬が駆け抜けると、そこでは蒼馬が頭部から鮮血を散らしながら仰け反るようにして倒れようとしていた。
シェムルの口から絶叫がほとばしる。
「ソーマッ!!」
恐ろしいまでに間延びした時間の中で、ゆっくりと仰向けに倒れていく蒼馬に向けてシェムルは必死に腕を伸ばして駆け寄ろうとする。しかし、間延びした時間の中では、自分の身体はまるで水中にいるかのように思ったように動いてくれない。そのもどかしさに気が狂いそうになりながらも、少しでも早く、少しでも蒼馬の近くへ駆け寄ろうとシェムルは必死に身体を動かす。
シェムルが凝視する中で、ゆっくりと倒れる蒼馬の身体が背中から地面に落ちる。そして、その衝撃に一度地面から跳ね上がった蒼馬の身体が、今度こそ地面に横たわると、とたんにシェムルの時間が元に戻った。
「ソーマァァッ!!」
鉤爪の生えた足で地面を強く蹴ったシェムルは四つ足となって倒れた蒼馬へと駆け寄った。
仰向けに地面に横たわる蒼馬の額には裂傷が走り、心臓の鼓動と合わせるように大量の血が湧き出ている。
「大丈夫か、ソーマ?!」
しかし、蒼馬からの返事はない。
時折、閉ざされた瞼をピクピクと痙攣させるだけであった。
「ソーマ! ソーマッ!! ソーマァァッ!!」
シェムルの悲鳴のような声が戦場に響き渡った。
◆◇◆◇◆
シェムルの絶叫を背中で受けながら愛馬を駆けさせるピアータだったが、しかし彼女は馬上で舌打ちを洩らす。
「チッ! 浅かったか!」
確実に自分の剣は破壊の御子の頭部をとらえていた。ところが、曲刀から伝わってきたのは、肉を斬り、骨を断ったという感触ではない。それとは異なる固い金属を打ったときの手応えであった。破壊の御子は兜をかぶっているようには見えなかったが、それに代わる防具のようなものを身につけていたのだろう。手応えからして多少の傷を負わせられたが、致命傷までには至っていないはずだ。
せっかく破壊の御子を自ら討つ機会を逃したのは悔やまれる。
しかし――。
ピアータは馬を駆けさせながら馬上で後ろを振り返る。
地面に横たわったままの破壊の御子と、それを守ろうとするゾアンの女。
そして、そこへ向けて駆け寄せてくる金狼兵たち。
いまだ破壊の御子の命は、我が百狼隊の牙の内にあり。
ピアータは獰猛な笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆
「……う…ああ……」
蒼馬の唇からわずかに洩れた声に、シェムルは我に返った。
蒼馬は、まだ死んではいない。
不安と恐怖を胸の奥底に押し込めると、泣き叫ぶだけの乙女からゾアンの女戦士に戻ったシェムルは、すぐさま蒼馬の傷の具合を確認する。
額の傷は大きい。だが、決して深くはない。額の皮膚一枚を切り裂かれただけだ。出血こそ多いが、傷は骨まで至ってはいなかった。周囲の骨も骨折や陥没している様子はない。おそらくは斬撃の衝撃で一時的に昏倒しているだけだ。これならば命に別状はない。
馬の勢いが乗った斬撃を頭部に受けて、よく無事だったものだ。
そう思ったシェムルは蒼馬の傍らに落ちていた鉢金に気づいた。
地面に転がっていた鉢金は、蒼馬が身に着けていたものである。その鉢金は、額に当てる鉄板の部分が半ば断ち切られた無残な状態であった。おそらくはこの鉢金が敵の斬撃を受け止め、蒼馬の命を救ったのであろう。
シェムルはホッと胸を撫で下ろした。
しかし、それも束の間である。
急速に自分らへ接近してくる無数の馬蹄の轟きに、シェムルは振り返った。すると、そこにいたのはこちらに向けて突進してくる金狼兵たちである。金狼兵たちはすでに投擲用の短槍を手にし、蒼馬の命を確実に奪うべく、至近距離から投げようという構えだ。
ソーマを抱えて逃げられるか?!
シェムルがそう考えたのは一瞬だけだった。今さら意識のない蒼馬の身体を抱えて逃げても手遅れである。馬の脚と、それに乗った騎士たちが投げつける槍から逃れられるはずがない。
そう判断したシェムルは、一切の躊躇なく地面に両腕を突いて蒼馬に覆い被さる。それから全身に渾身の力を込めた。身体中の筋肉を固め、自身の肉体ですべての槍を受け止める覚悟である。
いよいよ間近に迫る馬蹄の轟き。
シェムルは小さく獣の神に加護を祈ると、ぎゅっと目をつぶった。
そのとき、である。
視界が閉ざされて鋭敏になったシェムルの耳に異音が届いた。それは大きな布を風にはためかせたようなバサバサという音だ。それとともに、大きな声が上がる。
「うおおぉぉぉー!」
それは、モラードであった。ソーマの黒旗の旗手であるモラードが、その手にしたソーマの黒旗をメチャクチャに振り回していたのである。
製作したドワーフが「でかく造りすぎた」と後悔したとも言われるソーマの黒旗だ。その大きさは、規格外である。それをディノサウリアンの中でも力においては随一とも呼ばれるカマラ種であるモラードが力任せに振るっているのだ。
これにはさしもの金狼兵も度肝を抜かれる。金狼兵たちは、慌てて手綱を引いてモラードを回避した。左右へ分かれて駆け抜ける金狼兵だったが、手綱を引くのが遅かった不運な数騎が人の腕程も太さがある旗竿で強打され、黒旗に身体を引っかけられて落馬する。
それでも一部の者が何とか投げつけた短槍も、はためく黒旗に巻き取られて蒼馬には届かなかった。
「助かったぞ、モラード!」
金狼兵が駆け去り、ようやく旗を振り回すのをやめたモラードに、シェムルが声をかける。
しかし、モラードは他種族には表情がわからないと言われるディノサウリアンの顔をそれとわかるぐらい今にも泣き出しそうに歪め、恐怖と興奮とに肩を大きく上下させて荒い息をつくだけであった。
そんなモラードの様子を、しかしシェムルは蔑むようなまねは決してしない。
もともと戦いには向いていない気性だからこそ黒旗の旗手に任じられていたモラードだ。それなのによくぞやってくれたと、シェムルには深い感謝の念しかなかった。
だが、それを言葉にする余裕はない。
さらに無数の馬蹄の轟きが自分らへ向けて接近してきた。
そちらに目を向けたシェムルは、先程よりも強く死を予感する。
そこにいたのは開戦前に自分が見つけ、そして蒼馬が強い警戒を示した、あの騎馬たち――重装槍突撃兵だ。
「いたぞっ! 破壊の御子は、あそこだぁ!!」
銀狼兵を率いて先頭を駆けるデメトリアが、その槍の穂先を蒼馬へと向けた。
◆◇◆◇◆
さすがはピアータ姫殿下。
蒼馬に向けて槍を構えながらデメトリアは、そう感嘆していた。
王侯貴族の子女の嗜みである刺繍や裁縫などは、布より自分の指に針を刺す方が多いという有様。運動神経は良いくせに、舞踊となると、途端にその神経も眠ってしまう。宮廷での礼儀作法もやればできるくせに、普段は面倒くさがって好き勝手に振る舞う。
そんな大国の姫君としていかがなものか、とデメトリアも思うピアータだったが、こと戦場においては信頼に値する将であった。
とにかく、勘が良いのだ。野生の勘と言っても良い。周囲の状況を素早く見定め、即座に判断し、最善の行動を瞬時に取れるのだ。
そして、それは今もまた遺憾なく発揮され、迷うことなく破壊の御子へと突き進んでいった。
しかし、ピアータは性急な性格もあって、おっちょこちょいな面がある。良いところまでいくのだが、最後の最後で失敗してしまうことが多いのだ。
今回もまた、あそこまで破壊の御子に迫っておきながら討ち洩らしてしまった。
しかし、それは大した問題ではない。
そうデメトリアは思う。
なぜならばピアータ姫殿下の失敗の尻拭いは、自分の役目である。
そして、今もまた後一歩のところで討ち洩らした破壊の御子に止めを刺し、ピアータ姫殿下へその首を捧げることが自分の役割であった。
だからこそ、デメトリアは興奮とともに声を上げる。
「あのディノサウリアンの旗手の後ろだ! 奴を蹴散らし、破壊の御子の首級を挙げよっ!」
「デメトリア殿はお下がりを。一番槍は、この私にお任せあれ!」
併走していた銀狼兵の一騎が、そう言うなり愛馬の脇腹に蹴りを入れて加速した。
彼の意図は明白だ。
破壊の御子を討たんとする自分らの進路に、今も立ち塞がるディノサウリアンへ突撃するつもりである。如何に巨漢のディノサウリアンとて、重い鎧を着けた人馬一体の突撃を受けて無事ですむはずがない。しかし、それは銀狼兵もまた同じ。その銀狼兵は、敵と相討つ覚悟で道を切り開こうとしているのだ。
だからこそデメトリアも笑う。
「よし、行け。逝くがいい! 姫殿下とともに貴様の名を高らかに謳って祝杯を上げてやろう!」
「それは光栄の至り!」
そう言い残して一気にモラードに向けて銀狼兵は突っ込んでいった。
あの騎士は命を懸け、自分らのために道を切り開くだろう。ならば、自分らはその道を抜け、確実に破壊の御子を討たねばならない。
そう決意を新たにデメトリアは槍を堅く握った。
しかし、その直後である。
デメトリアは、ゾッとした。
突然、デメトリアの本能が危険を訴えてきたのである。それも自身の死を告げる最大級の警告だ。
それはピアータに感化され目覚めた彼女の将としての本能だったかも知れない。あるいは祖父であるダライオス大将軍譲りの危険察知能力だったのかも知れない。
いずれにしろデメトリアは、とっさに手綱を引いて進路を変えた。
それがデメトリアの命を救った。
モラードへ突撃しようとしていた銀狼兵に、側面から巨大な影が飛び込んできた。
そう思った次の瞬間である。
銀狼兵が、真横へ吹き飛んだ。
それは、異様な光景であった。
あまりにも異様な光景であった。
人馬ともに重い鎧を身に着けた銀狼兵だ。その総重量は言うに及ばず、さらには突撃のために全速力で疾走していたのである。それが、前ではなく真横へ吹き飛んだのだ。
慣性の法則など知らぬ。
そう言わんばかりの圧倒的な暴力。
「何だ、あいつはっ?!」
大きく迂回させて馬を走らせながらデメトリアは驚愕の声を上げた。
そのデメトリアが凝視する中で、そいつは大きく胸を反らして息を吸い込む。
疾走する重騎兵を粉砕するような規格外の暴力を揮える者は、西域広しと言えども、その男しかいない。
「殺す! 皆、殺す! 我が、皆殺しにしてやるっ!!」
エルドア国最強の戦士ジャハーンギル・ヘサーム・ジャルージは、怒りの咆吼をほとばしらせた。




