第24話 ミルツァの戦い3-死地
今まさに太陽が顔を覗かせたばかりの丘を背に設営されたロマニア国軍の野営地。ほんの寸前までは、大半の篝火も燃え尽き、多くの将兵らが深い眠りに落ちていると思われていた。
ところが、敵の襲来を告げる大太鼓の音が轟くや否や、天幕や密かに掘られた塹壕の中から完全武装の兵士たちが次々と現れたのである。しかも、早朝の奇襲だというのにロマニア国軍の兵士たちに混乱する様子はなく、事前に打ち合わせられたように着々と隊列を組んでいく。
その光景に蒼馬は愕然と声を洩らす。
「待ち伏せされていた……!」
状況は明白である。自分らの奇襲が完全に読まれていたのだ。
その衝撃から我に返った蒼馬は、慌てて後ろを振り返った。
そこにあるのは今し方自分らが越えてきたばかりの山である。いまだその情景が記憶に真新しい山道は細く曲がりくねった難道だ。少人数ならばともかく、そこへ数千もの人が殺到すれば味方同士が押し合いへし合い身動きが取れなくなってしまう。そんなところへロマニア国軍が突っ込んでくれば、大惨事である。とうてい後方へ退却などできはしない。
続いて蒼馬は味方の軍勢を見やる。
すると、明らかに兵たちの動きは精彩を欠いており、そればかりか中には早くも浮き足立っている様子の者もさえいた。それは奇襲を仕掛けようとした出鼻を大太鼓の音でくじかれたせいだけではない。不眠不休で山越えをしてきたばかりである。やはり兵たちの疲労は大きく、それが待ち伏せられたという事実を前に浮き出てしまったのだろう。
さらに蒼馬は正面へと目を向ける。
程なくして組み終えるであろうロマニア国軍の陣形は、兵を左右に広く展開させてこちらを包み込もうという所謂鶴翼の陣。兵の多さを活かして、敵を殲滅するための陣だ。
山に阻まれ、退路を閉ざされた後方。
早くも疲労の色が濃い、味方の軍勢。
そして、正面には自軍の三倍にも達しようかという敵の大軍。
蒼馬は後悔とともにギリッと奥歯を噛み締めた。
これは待ち伏せなんてものではない。こちらの行動を読まれていた程度のものでもない。
自分は誘導されていたのだ。
この地そのものが自分たちを殲滅する罠だったのだ!
蒼馬は落雷を受けたような衝撃を覚えた。
いったい誰だ? パルティスではない。彼の周りの将軍でもない。いったい誰が、この策を考えた? 誰がこんな策を考えた?!
蒼馬は頭を振って、その考えをいったん振り捨てる。
今は名も知れぬ敵の正体を考えるときではない。
とにかく今はこの死地を脱しなければならなかった。
陣形を整え終わる前に突撃をかけるべきか?
しかし、蒼馬はすぐにその考えを否定した。
すでにロマニア国軍は陣形を整え終えようとしている。もはや突撃している猶予はない。それに敵の野営地を囲んでいる柵は、簡易のものとはいえゾアンの脚を殺すに十分なものだ。柵の突破に手間取れば、脚が止まったところにロマニア国軍に襲いかかられてしまう。
味方の一部を殿軍として切り捨て、後方の山へと強引に退却するべきか?
今、自軍の最前にいるのは先制攻撃を想定していたために、エラディアが率いる黒エルフ弓箭兵とガラムとズーグが率いるゾアンの戦士たちだ。
軽装歩兵であるゾアンはその脚を活かした突撃は得意とするが、その脚を止めての防戦は苦手である。とうていロマニア国軍の大軍を食い止められるとは思えなかった。ましてや黒エルフ弓箭兵では言わずもがなだ。
退却路に殺到して身動きが取れなくなったところへ、その背後からゾアンとエルフをぶち破った敵軍が襲撃してくれば、いったいどれほどの被害が出るか想像もしたくない。良くて半壊――いや、全滅する可能性が高かった。
最悪だ。
蒼馬の顔から血の気が音を立てて引く。
「どうするんだ、ソーマッ?!」
シェムルの焦燥もあらわな声に、蒼馬は我に返る。しかし、とっさには指示が思い浮かばない。
もし、冷酷な戦術家ならばゾアンが全滅しようとも殿軍を命じて退却しただろう。もし非情な王ならば全軍より先立って自分ひとりだけでも逃げただろう。
しかし、蒼馬にはそれができなかった。それは彼の人としての美点であったのだが、同時にそれは統治者としての欠点でもある。
そして、今まさにそれが致命的な欠点として現れてしまう。
しばし無意味に口を開閉させていた蒼馬だったが、ようやく決断する。
「全軍で守りを固めて!」
こうなればロマニア国軍の攻撃をしのぎつつ、戦いの趨勢を見ながら少しずつ軍を退くしかない。
そう蒼馬は判断した。
「エラディアに下がるように伝えて! 弓箭兵じゃ敵を防ぎ止められない! セティウスには、ゾアンが崩れかけたところを支えるように指示! ジャハーンギルは前線に行ってくれ!」
個々の戦力は高いが人数が少なくて部隊としての運用が難しく、普段は自分がいる本陣近くに置いていたジャハーンギルたちディノサウリアンまで最前線へ向かわせた。
自分の指示とともに慌ただしくハーピュアンの伝令が飛び交い、自軍の兵たちが陣形を変えていくのをジリジリとした焦燥とともに見つめていた蒼馬へシェムルが声を掛ける。
「おい、ソーマ。ロマニア国の兵の配分が、ずいぶんと偏ってないか?」
もはや欠片の余裕もなく、自軍と敵軍の動きを凝視しながら焼き切れるほど脳髄を酷使して打開策を考えていた蒼馬だが、それでも彼女だけは無視できない。蒼馬は「え?」と顔を上げた。
「左側だ。あそこだけ、やけに騎馬が多いぞ」
シェムルの言葉に釣られ、こちらからみてロマニア国軍の左手の部隊へと蒼馬は目を向けた。
すると、遠目にではあるが、確かに騎馬の姿がやけに多く見受けられる。いや、多いなんてものではない。この時代、騎馬隊といっても通常は騎馬一体に対してふたりから五人ぐらいの従兵が付き従う騎馬と歩兵の混合部隊である。それだというのに、そこには百や二百なんてものではない数の騎馬の姿があった。しかも、それに比して歩兵の数が明らかに少ない。
あそこが敵の本陣か?
蒼馬は、まずそう思った。
この時代、基本的に武具や騎乗用の馬などは個人の持ち込みである。徴兵された農民たちにならば武器や防具は支給されるが、それらは大量生産された安価なものに過ぎない。そのためしっかりとした武具を着けているのは貴族や裕福な商家の者だけである。ましてや貴重で高価な馬ともなれば、それはさらに限られてしまう。
エルドア国では軍馬を国が飼育することで、黒エルフ弓騎兵のような騎兵のみの部隊を編成できるが、他国では騎兵=高位の貴族――すなわち各部隊を率いる将校以上と思って間違いない。
そのため、数百もの騎兵が集まっているそこを本陣だと蒼馬が最初に思ったのも無理はなかった。
しかし、蒼馬が目を真正面へと転じれば、ロマニア国陣営の奥にはロマニア国の王国旗と、その横に狼の横顔と交差する槍と剣を意匠化したパルティス王子の旗が並んではためいている。総大将であるパルティス王子がそこにいるのだ。敵陣中央奥が本陣と見て間違いない。
では、あの騎馬が集まっているところは何なのか?
そこではためいているのは、狼に白百合を意匠化した旗である。事前にロマニア国軍の有力武将の旗は記憶していた蒼馬だったが、それが誰の旗かはわからなかった。
今まさに戦いが始まろうとしているこのときに、わざわざ各部隊の指揮官たちを――ましてや本陣でもない場所に集めておくとは、とうてい考えられない事態だ。
蒼馬の背筋を氷の手が撫でる。
「シェムル! 遠眼鏡を!」
背筋に走る悪寒に駆り立てられ、蒼馬はシェムルへと手を伸ばして叫んだ。シェムルがすぐさま組み立てた遠眼鏡を手渡すと、蒼馬はそれを目に押し当てて敵を見やる。
「何だ、あれは……?!」
遠眼鏡を介して鮮明に見えた騎馬の集団に、蒼馬は驚きの声を上げた。
まず、前に立つのは軽装の騎馬である。馬に跨がる騎士の装いからしても、おそらくは速さを活かして敵の側面に回り込み、投げ槍で攻撃してくる軽騎兵であろう。
その数こそ多いが、兵種自体は驚きに値しない。
蒼馬が驚いたのは、その馬の大きさであった。
このセルデアス大陸の西域で一般的な馬は、現代日本では大きめのポニーといった大きさの品種である。ところが、今見ている馬は、それよりも一回りは確実に大きい。現代日本で見ていたサラブレッド並の大きさだ。そのため、いつも見ている人と馬の大きさの比が違いすぎて、当初は子供が馬に跨がっているのかと錯覚したぐらいである。
そして、それ以上に蒼馬が驚愕したのが、軽騎兵の後ろにいる騎馬たちだ。
一見すると、それは重装騎兵のように見えた。
人馬ともに、遠目でもわかる重厚な鎧を身につけている。いや、重厚なんてものではない。この時代の歩兵の鎧は重装といっても、リベットや鉄片で補強した革鎧か鱗状の鉄片を縫いつけた鱗鎧である。
しかし、今蒼馬が凝視している馬に跨がる騎士の胸部を覆うのは、明らかに板金だった。一枚の金属板を胸部の形状に打ったものを身につけている。さらに兜となると、目と口の部分を除いて完全に覆うものだった。
「あれは、本当に重騎兵なのか……?」
蒼馬は震える声を洩らした。
この時代の重騎兵とは、馬に乗った重装歩兵を指す。強固な鎧で身を固めた重装歩兵は、戦闘力こそ高いが機動力に劣る。また、強固な鎧はそれだけ重く、移動だけで体力を著しく奪ってしまう。その欠点を補うために、敵の目前まで馬に乗って移動する重装歩兵を重騎兵というのだ。
しかし、重騎兵には必ず従者が付き従うはずである。主人である重装歩兵が馬へ乗ったり降りたりするのを助け、戦う際には預かっていた武器や盾を渡し、代わりに馬を預かる従者が。
ところが、その従者が見当たらない。周囲には歩兵らしき姿も見えるが、とうてい今見ている重騎兵とは数が合わなかった。
そして、それよりも異常なのが、重騎兵が馬に乗ったまま人が取り回すにしては長大な槍を持っていることだ。
軽騎兵のように投げて使うにしては槍が大きすぎる。下馬してから使うのならば、随伴する従者にもたせておけばいい。馬に跨がっているときに、あのような長大な槍を持っていては邪魔でしかたないだろう。しかも、槍だけではない。手綱を取る左腕には凧型の大きめの盾さえ持っていた。おそらく盾を腕に固定する造りにはなっているのだろうが、そんなことをしなくとも槍と同様に従者に預けておいて下馬してから受け取ればいいはずだ。
それなのに、なぜ馬に跨がった今、それらを持っている?
困惑する蒼馬の脳裏で、現代日本にいたときの記憶がうずく。
「そんな……! この世界に、あんなのがいるはずが……?!」
蒼馬は否定した。
しかし、否定すればするほど、自分の中からそれは間違いないと肯定する声が上がる。
蒼馬が葛藤している間にも、ロマニア国軍の陣営から聞こえてくる大太鼓の音が高まり、いよいよロマニア国軍が動き始めた。もちろん、蒼馬が注視している敵の騎馬の集団もである。
「伝令! 大至急、左翼のドヴァーリンのところへ伝令!」
蒼馬はたまらず声を上げた。
「目の前の敵は突っ込んでくる、と!」
かつてホルメアの名将ダリウスは言った。
破壊の御子を打ち倒さんとすれば、破壊の御子を学べ、と。
そうすれば、時代の先駆者たるピアータならば、蒼馬の一歩前に出ることができる、と。
そして、それは現実のものとなる。
それは蒼馬が実現しようとしながらも諦めた可能性。踏み止まってしまった未来の形。
そこへピアータが一歩を踏み入れる!
次話「逆襲」
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作者も図にして初めてわかる圧倒的な差。やばい差をつけすぎたかも(; ゜Д゜)




