第23話 ミルツァの戦い2-狩場
「偵察に出したふたりが戻ってきていない?」
日が落ち、いよいよエルドア国軍が夜の山越えのために動き始めた矢先に、蒼馬はピピよりその報告を受けた。
敵にやられたか?
まず、真っ先に蒼馬はそう考えた。
しかし、すぐにそれを否定する。
ハーピュアンは空の支配者なのだ。大地に縛られた他種族では、空を翔るハーピュアンに指先ひとつ触れることはできない。空こそがハーピュアンの世界なのだ。
その空にいるハーピュアンを落とすのは弓矢をもってしなければ不可能である。しかも、それは低空を飛行していたり、こちらに向かって来たりするなどの条件の上でのことだ。
さらに蒼馬はエルフの弓兵たちの協力を得て、ハーピュアンたちに弓矢の狙撃に対する訓練を実施していた。そのときエルフの弓兵たちは、矢が届かない高さに上がられればどうにもできないと言っていたぐらいである。とうていロマニア国軍の弓兵にハーピュアンが打ち落とせるとは思えなかった。
それでは何らかの事故や災害に巻き込まれたか?
しかし、それも考えられない。空を翔るハーピュアンが、いったいどのような事故に巻き込まれるというのだ?
しかも蒼馬は不測の事態に備えてハーピュアンの偵察は必ずふたり一組で行わせている。そのふたりが同時に事故に遭ったり、災害に巻き込まれたりする可能性など、打ち落とされるよりも低いだろう。
蒼馬は難しい顔を作ったまま、ぽつりと洩らす。
「やっぱり、やられたと思うべきなんだろうな……」
偵察に出したふたりが戻ってこないのは動かしようがない事実である。ならば、最悪を想定すべきだ。彼女たちはロマニア国軍の何らかの手段によって落とされたのだろう。
その手段を考えていた蒼馬は、ふと自分の額に巻かれた鉢金に手を当てる。
「まさか……?」
鉢金の下にある額にあるのは、死と破壊の女神アウラの刻印である。
この世界には、ライトノベルのファンタジー世界のような誰でも使える便利な魔法はない。しかし、神が自分の御子と見初めた人に与える人ならざる力――恩寵がある。
ある御子は恩寵によって千里の先を見通せたという。また、ある御子は水の中で魚のように呼吸できたという。そして、今を生きる御子のひとり帝国のバグルダッカ大公は、投じた槍は狙った的を外さないという恩寵を得ていると聞く。
そんな恩寵があるのだ。空を飛ぶハーピュアンを射落とせる恩寵があってもおかしくはない。
だが、すぐにそれも蒼馬は否定する。
「もし、ロマニア国軍に御子がいたなら、それを大々的に喧伝しないのはおかしい」
現実に神々が存在する世界において、その御子に選ばれた人の影響力は計り知れないものがある。仮に人間の神の御子がロマニア国軍にいたとすれば、それはエルドア国征服を人間の神が承認したと捉えられかねない。それを大きく喧伝されれば、ロマニア国軍の士気は天を衝くばかりに上がり、逆にエルドア国の人間種の民は大きく動揺して士気を落としただろう。最悪、不安に駆られた民衆がその矛先を蒼馬へと向ける事態ともなりかねない。
隠しておくよりおおっぴらにした方がはるかに利点は大きいのに、今なおロマニア国軍が御子の存在を明らかにしていない点から、御子は存在していないと蒼馬は考えた。
「じゃあ、誰がどうやってハーピュアンを落とせる?」
そう考えた蒼馬は、ふと思いつく。
「ガウ族の狩人……!」
蒼馬はすでにエラディアから、アレクシウス王子との戦いのときにホルメア国側にいたガウ族の狩人の脅威について教えられていた。この西域最強とも呼ばれるガウ族の狩人たちの故郷は、ロマニア国のさらに東にあるウワラルプス山脈だと聞いている。それをホルメア国が傭兵として雇えたのだから、ロマニア国が雇い入れていたとしてもおかしな話ではない。
そして、ガウの狩人たちはウワラルプス山脈の厳しい環境の中で狩猟生活をしている優秀な狩人だという。その狩猟の腕をもってすれば、ハーピュアンを射落とせたとしても決して不思議ではない。
そう判断した蒼馬は叫ぶ。
「ピピ! ハーピュアンのみんなに注意を呼びかけて! もしかしたら敵にガウ族の狩人がいるかも知れない。地上に降りるときは、これまで以上に周囲に伏兵がいないか確認してから降りるように厳命して!」
それから蒼馬は近くに控えていたエルフの弓兵に向けて言う。
「至急、大盾を用意して! 各将が狙撃されるかも知れない。それに備えて大盾を持った人を各将の近くに配置するんだ!」
ピピとエルフの弓兵が出て行った後、将に対する狙撃を懸念した蒼馬の言葉に不安げな顔を作るシェムルが言う。
「なあ、ソーマ。おまえは軍に同行せず、ここにいた方が良いんじゃないか?」
「いや。ロマニア国の動きが、どうも変なんだ。直接、この目で敵を見たい。そうすれば、何かわかるかも知れない」
蒼馬は務めて明るい口調で言う。
「大丈夫。前には出ないさ。後ろでおとなしくしているよ。私だって、自分の恩寵ぐらいは理解しているさ」
「本当に理解しているのだろうな? おまえは恩寵の有無とは関係なく、戦いでは足手まといなのだぞ。いつかのように敵へ突撃するなど、もっての外だからな」
ガラムやズーグが最前線で兵を率いているように、もともと氏族の中でもっとも優れた戦士が族長となり、氏族すべての戦士を率いて戦うのが当たり前のゾアンの娘シェムルである。蒼馬がメルツァへ向かうこと自体は、それ以上は反対しなかった。
その代わりに、これまで如何に蒼馬が無謀で無茶なことばかりをやり、それで自分がどれだけ苦労しているのかと事細かにあげつらい始める。
そんな彼女のお小言を苦笑を浮かべて受け流していた蒼馬だったが、このとき彼は背筋に不快なものを感じていた。
何だろう、この悪寒は……?
背骨に氷柱でも突っ込まれたような悪寒。
そして、それとともに浮かび上がるのは強烈な既視感である。
それはいったい何なのかと考えた蒼馬は、すぐに思い出す。
それはボルニスの街を落としたばかりのときである。自分たちを討伐しようと送られたホルメア国軍に対して――。
「奇襲をかけようとして逆に罠を……」
蒼馬は自分の独白に、カッと目を見開いた。この突然の反応に驚くシェムルを無視して、蒼馬は近くの机の上に広げていた地図を食い入るように見つめる。
ロマニア国軍は、罠を仕掛けて待っている?
その可能性に蒼馬はブルッと身体を震わせた。
しかし、すぐにそんなことはあり得ないと頭を横に振るう。
このロマニア国軍の南進は、守りの固いガッツェンの街から自分たちを誘い出すために違いない。おそらくロマニア国軍は、いつ後方から襲撃されても良いように万全の警戒態勢を取っていることだろう。
だが、自分たちはその警戒の裏を掻き、地図には載っていない山道を使っての側面からの奇襲である。エルドア国の地勢に詳しくないロマニア国軍の将軍たちには防ぎようもないはずだ。
そう思っていても、心の奥からジワジワと冷たいものが込み上げてくるのを蒼馬は押しとどめられなかった。
ダメだ。ここで奇襲を仕掛けてロマニア国軍に痛手を負わせないと、南部がひどい目に遭ってしまう。
さらに強く自分へ言い聞かせ、蒼馬は込み上げてくる冷たいものを何とか飲み込む。
それに敵の総大将はパルティス王子だ。蒼馬が調べた限りでは、パルティス王子は決断力と行動力で敵を打ち倒す将である。決して知略をもって戦う人間ではない。それはまたロマニア国の主立った将軍たちにも言える傾向であった。
そうだ。あの人ではない。あの人ではないのだ。
蒼馬は自身が思い浮かべた人の名前に慄然とする。
あの人……?
しかし、蒼馬は小さく頭を振って、それを振り払う。
そんなことあるはずがない。敵はロマニア国なのだ。あの人がいるはずがないのだ。
そう強く自分へ言い聞かせる。
だが、いくら振り払おうとも、いくら否定しようとも、その名前が脳裏にこびりついて剥がれない。
それは、自分がもっとも恐れた強敵の名前。かつて自分の奇襲を見抜き、逆に罠を仕掛けてきた知将。謹慎の身でありながら、計略をもって自分らを弱めんとした策謀家。そして、ホルメア最高の将軍と呼ばれた男。
ダリウス・ブルトゥス将軍。
なぜ、その名前をここで思い出す?
蒼馬は不安を噛み殺すように、自身の親指の爪をガリッと噛んだ。
「シェムル。少し早いが、私たちも移動を始めよう。――ロマニア国軍から南部を何としてでも守らないとね」
そう言うと蒼馬はシェムルをともなって自身もミルツァへと向かったのである。
このとき、蒼馬は気づいていなかった。
エルドア国南部を救わねばならないという想いは、自身の中でいつしか絶対のものへと昇華してしまっていたことに。そのため、それを達成するためのミルツァでの奇襲を盲目的に肯定してしまっていることに。そして、たとえ否定的要素があっても自身の中で様々な理由をつけて退け、それこそが正答だと思い込んでいることに。
すべては焦りと侮りが蒼馬の思考を狂わせていたのである。
雌狼が謀ったように、毒蛇が語ったように。
◆◇◆◇◆
もっとも広い道でも、馬車一台がやっと通れるような幅しかない。その他の道ともなれば、もはや獣道と見まがうばかりのものである。そんな山道を使って、夜の山を越えるという歴史に名を残す名将たちですら諸手を挙げて降参するであろう難事をエルドア国軍は粛々と進めていた。
それには幸運もあった。
夜空を見上げれば、そこは満天の星空であり、またその中央に鎮座する月が地上に惜しみなく皓々とした光を投げ落とし、道を照らしていたのだ。
しかし、それ以上にゾアンやハーピュアンの活躍が大きい。
もともとゾアンは広大な平原で獲物を追って放浪する狩猟種族である。その優れた方向感覚は、ここでも遺憾なく発揮され、一切の迷いなしに後続の人間種の兵たちをメルツァへと導いていた。また、空を舞うハーピュアンたちは各隊の隊長が握る小さな灯火を監視し、もし道から外れそうな部隊があれば素早く警告していたのである。
そうした万全の支援体制によって、いくつかの山道を分散して行軍したエルドア国軍の部隊はひとりとして脱落者を出すことなく、ミルツァに入ったのだ。
そして、ミルツァに入ったエルドア国軍は、事前の打ち合わせのとおり陣形を整え始めた。
何とか間に合った。
ほぼ陣形を整えつつある自軍の姿に、蒼馬はホッと胸を撫で下ろしていた。
はるか東へ目を向ければ、わずかに空が白み始めている。
間もなく払暁の刻となるだろう。
そして、日の出とともに、まずは最前列に置いた黒エルフ弓箭兵によってロマニア国軍の陣営へ先制攻撃の矢の雨を喰らわすのだ。その後、混乱するロマニア国軍の陣営にゾアンの戦士たちを突撃させて大打撃を与える。
自分らの襲撃を警戒しているであろうロマニア国軍の後方――蒼馬から見て左側への対処として、ドヴァーリンのドワーフ重装歩兵を置く。奇襲からもっとも早く立ち直るであろう敵の部隊をドワーフ重装歩兵によって拘束している間に、ゾアンの戦士たちで徹底的に本陣を引っかき回してやるのだ。
そう考えているうちにも、ロマニア国軍の陣営の向こうにある東の丘の上が明るくなってきた。いよいよ太陽が顔を覗かせようとしている。
その陽の光で、間もなく自分たちエルドア国軍の姿が照らし出されるだろう。寝ぼけ眼のロマニア国軍の将兵たちは度肝を抜かれるはずだ。それが攻撃を仕掛ける絶好の機である。
蒼馬は、ゆっくりと右腕を上げた。
それに合わせ、シェムルが総攻撃の拍子を打つため太鼓に手を添える。
「油断するな。気を引き締めろ」とガラムは四つ足で駆けるために手を地に着けた。
「鼻が妙にムズムズしやがる」とズーグは小さく舌打ちを洩らした。
「髭がピリピリとするわい」と、ドヴァーリンが自慢の髭を撫でさすった。
「槍で突き殺されていた?」と捜索に出していた部下から藍色の羽根の同胞の死を告げられたピピが顔を曇らせた。
「何で私が、こんなことに……」とセティウスはムスッとしかめっ面を作った。
「ムフゥーッ!」とジャハーンギルは鼻息を荒げた。
そして、ついに東の丘の上から太陽が顔を覗かせる。
それとともに太鼓の音が早朝の大気を震わせた。
一定の拍子とともに叩かれる大太鼓の音。
「……! ソーマ?!」
驚きに目を丸くしたシェムルが、蒼馬を見やる。そして、彼女以上に驚愕を顔に浮かべた蒼馬が呟く。
「なぜ? どういうこと……?」
蒼馬の右腕はいまだ振り下ろされていなかった。
◆◇◆◇◆
敵の襲来を告げる太鼓が打ち鳴らされるロマニア国軍の陣営。
それまでジッと息を潜めていた兵士たちが次々と立ち上がり、槍を手に鬨の声を上げた。
その中で、昇ったばかりの朝日を受け、燦然と輝く黄金の髪を風に波打たせながらピアータは会心の笑みを浮かべる。
「かかったっ!」
彼女が見つめるのは、朝日に照らされたエルドア国軍。
その中央の奥にわずかに見える大きな旗。この西域において、あれほど大きな旗はピアータが知る限り、ただひとつ。
悪名高き「ソーマの黒旗」だけである。
「来たな! やはり来たな! 破壊の御子!」
自分の狩場に飛び込んできた獲物を前に、ピアータは溢れんばかりの歓喜と燃え上がる闘志を込めて叫んだ。
「破壊の御子! ここが貴様の終焉の地だ!」




