第19話 南進
ピアータの言葉を受け、軍議が執り行われている部屋の入り口に待機していた副官デメトリアと従者たちが部屋の中央の床に大きな地図を広げた。そして、その上に軍勢を示す駒を手際よく並べていく。
おそらくはどこかの戦いを再現しているのだろう。
将軍諸侯らもそうとは理解できるのだが、それがどこなのかがわからなかった。自分らが戦史や兵法書などで学んだ過去の戦いのいずれでもなさそうだ。
デメトリアたちが駒を並べ終わると、ピアータは先がT字になっている長い棒を手に説明する。
「こちらの軍勢を甲とする。その総数は二万程度。甲の主力は重装槍歩兵とし、前面に弓兵、左右に戦車、後方に予備兵力を置く」
駒の数が多い側を棒で指し示して説明してから、次いでそれと向き合う駒を棒で指し示した。
「対する、こちらを乙とする。乙の兵数は、およそ一万。乙の主力は軽装歩兵とし、同じく前面に弓兵、左右に重装歩兵、後方にわずかな予備兵力が急造の砦にこもっている」
それからピアータは地図の上に棒で大きく丸を描く。
「戦場は、ほぼ平坦な土地。そして、乙の後方には河がある。乙は、すなわち背水の陣というわけだ」
ピアータは手にした棒をもてあそびながら挑発的な笑みを浮かべて居並ぶ将軍諸侯らを見やる。
「さて。武名誉れ高い諸卿らならば、甲の軍勢を使って乙の軍勢といかに戦われましょう?」
ピアータの意図がわからず将軍諸侯らは、しばしざわめいた。
しかし、提示された条件ならば、答えは簡単だ。気が短い将軍のひとりがぶっきらぼうに答える。
「そんなものは正面から叩き潰せばよろしかろう」
将軍の答えにピアータは満足げにうなずいた。それから、他に答えはないかと将軍諸侯らの顔を見回したが、誰からも意見は上がらなかった。
ピアータは我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべる。
「甲の指揮官もまた、諸卿らと同じ考えでした。戦の常道どおり矢の応酬の後に主力である重装歩兵を前進させたのです」
ピアータは棒を使って駒を地図の上で動かす。
「軽装歩兵が主力の乙は重装歩兵とまともにぶつかり合うのを避け、投石を行いながら後退。さらに圧迫を受けると、後方の砦を放棄するかのように左右に分かれて敗走しました」
ピアータは乙の主力をふたつにわけて後方へと押しやった。そして、空いたところに甲の主力を示す駒を押し進める。
「当然、甲はそのまま主力の重装歩兵を前進させて乙の指揮官がいる砦へと攻め寄せました。――ところが」
ピアータは乙の砦を棒で指し示す。
「敵の砦と思われていたものは、偽装であった。そこにあったのは三機の平衡錘投石機を含む無数の投石機と牛に曳かれた衝車。これらの一斉攻撃を受け甲の主力部隊は――」
ピアータは棒を振り上げる。
「――大打撃を被った!」
その声とともに振り下ろされた棒が、甲の主力部隊の駒を撥ね飛ばす。
「さらには敗走したと思われていた乙の主力部隊は転進すると、左右の重装歩兵部隊と合流し、その正面にいた甲の戦車部隊を撃破。その後、甲の主力の左右と後方を遮断した」
ピアータが描く戦場の様子をいつしか将軍諸侯の誰もが固唾を飲んで見守っていた。
「これに甲の指揮官は転進や後退は不可能だと判断し、乙の指揮官を討ち取るべくさらに前進。しかし、それすらも乙の読みの内でした。乙は速やかに橋を渡って後退。その結果が、これです」
地図の上では、数で劣っていた乙が地形を巧みに利用して多勢であった甲を見事に包囲している情景であった。
誰もが度肝を抜かれた顔で食い入るように地図の上を見つめる中で、ピアータは厳かな声で告げる。
「これが三年あまり前にコンテ河の近くで行われたホルメア国と今やエルドア国を名乗る破壊の御子の軍勢との戦いにございます」
天幕の中が、シンッと静まった。
いまだ情報の多くが人の伝聞に頼らざるを得ない世界である。破壊の御子がコンテ河の近くでホルメア最強軍団「黒壁」を打ち破ったのは知っていても、その詳細となるとほとんど伝わっていなかった。そのため、これほど戦いの詳細な様子を聞くのは将軍諸侯らも始めてである。
そして、その内容ときたら驚愕としか言い様がないものだ。
誰もが言うべき言葉をすぐには見つけられずにいた。
しかし、それでも気位の高い将軍諸侯らが、素直にそれを認められるわけがない。
そんなものはたいしたものではない。アレクシウスが間抜けであっただけだろう。我らならば、このようなことにはならない。
気を取り直した将軍諸侯らが、そう言い出すよりも先んじてピアータが言う。
「これを同じようにご覧になられた今は亡きダライオス大将軍閣下は、このようにおっしゃられました」
一拍の間を置いてから、ピアータは力強く言い放つ。
「これは私でもハメ殺されていたやもしれん、と」
ロマニア国軍の将兵らには、今もなおダライオス大将軍の偉大さは刻み込まれている。そのダライオス大将軍の言葉とあっては、誰もが異論を挟めなかった。
さらにピアータはダメ押しとばかりに、パルティスへ尋ねる。
「パルティス兄上は、いかがお思いでしょう?」
これにパルティスは素直にうなずいた。
「うむ。まことに見事な用兵である! 歴史に名を残す名将の戦振りを見た思いである!」
ダライオス大将軍に続いて自分らが擁立するパルティスのお墨付きまで得られては、将軍諸侯らはこれを否定できなくなってしまう。
反論の言葉を失う将軍諸侯らに、ピアータは畳みかける。
「こればかりではございません! 破壊の御子は、かつて我らロマニアの怨敵とも呼ばれたダリウスめを相手にわずかな兵だけで勝利しております! そして、今ご覧いただいたコンテ河での戦い。さらには我らが勝利を確信さえしていた王都ホルメニアでの戦い。いずれを取ってみても、凡夫がなせるものでございましょうか?」
ピアータは大げさな身振りで首を左右に振る。
「否! 断じて否! これはまさに後の世に英雄や英傑と呼ばれる類いの者の所業にございます!」
ピアータは鋭い眼差しを将軍諸侯らへ向ける。
「破壊の御子をただのツキに恵まれただけの成り上がり者や凶猛なだけの亜人類の頭目と思っているのならば、その考えを改めていただかなければなりません。同じように破壊の御子を侮ったホルメアの者どもは、コンテ河の河岸に骸を晒し、国を滅ぼされる結果となったのです!」
ピアータの鋭い声が、天幕の中の空気を打ち振るわせた。
将軍諸侯らが唖然とする中で、パルティスが椅子から立ち上がる。
「わかった、ピアータよ!」
パルティスは剣を抜くと、その切っ先を地面へと突き立てる。
「私は、これより破壊の御子を亜人類の頭目とは思わぬ。あの怨敵ダリウスを打ち破り、偉大なるダライオス大将軍に認められた強敵と思おう。これより奴を亜人類の頭目と見下す者があれば、それを私は許さぬと思え!」
将軍諸侯らはしばらく戸惑っていたが、セルティウスが「殿下の御意に従います」と恭順を示すと、次々とそれに続く。
その光景に、ピアータはひそかに唇を笑みに吊り上げた。
かつてダリウス将軍は、破壊の御子を知らぬが故に敗北した。
ホルメアの王子アレクシウスは、破壊の御子を侮ったがために敗北した。
そして、ロマニア国は破壊の御子を知らず、また侮っていたがために敗北した。
だが、私はおまえを知っている。私はおまえを決して侮らない。一片の慢心も油断もなく、全身全霊をもって必ずやおまえを打ち倒してみせよう!
そんな闘志にピアータの目はギラギラと燃えていた。
しかし、この破壊の御子を侮る将軍諸侯らを諫めんがためのピアータの行動。これが後にかえって裏目に出ることになろうとは、このときのピアータは思いもしなかったのである。
「恐れながら、ピアータ姫殿下にお尋ねいたします」
そうピアータに疑問の声を上げたのはセルティウスだった。
「破壊の御子の脅威は良くわかりました。しかし、進軍を禁じられたのは、それと何か関係がありますでしょうか?」
ピアータは当然とばかりに大きくうなずいた。それから手振りでデメトリアに地図と駒を片付けるのを命じながらピアータは言う。
「インクディアスの書にも『攻兵は速さを尊び、守兵は慎重さを求む』とある。諸卿らの多くが、なぜガッツェンの街へ急ぎ兵を進めないかと疑問に思うのも当然でしょう」
そう言っている間にデメトリアが新たに広げたエルドア国の地図に描かれたマサルカ関門砦から王都ホルメニアへと通じる街道をピアータは棒でなぞる。
「王都ホルメニアまで進軍するのならば、この主要街道を押さえて補給路を確保せねばなりますまい」
如何な大軍とはいえ――いや、大軍だからこそ補給がなければ勝つどころか戦うことすら覚束なくなってしまう。攻め込んだ土地の現地収奪で糧食を補うことはあっても、すべてをそれだけに託して攻め入るのは危うい。
破壊の御子がこの段階で自国領土を傷物にする焦土作戦を決行する気は毛頭ないとピアータは睨んでいるが、仮にそうなった場合に収奪のみを当てにしていれば、瞬く間に軍が立ちゆかなくなってしまうだろう。
「そうならないためにも大事な補給線となる主要街道を確保しつつ王都ホルメニアに向かおうと思えば、ガッツェンの街を攻略するのが戦の常道でございましょう。されど――」
ピアータは地図上のガッツェンの街を棒で叩く。
「それ故に、破壊の御子はガッツェンの街を守る策を用意していると私は見ます!」
それに将軍のひとりが恐る恐る質問を挟む。
「恐れながら姫殿下。敵に猶予を与えれば守りは固くなるもの。また、ガッツェンの街には何らかの策があると思われる。そして、進軍をお許しいただいていないということは、つまり……」
ピアータは「左様」とうなずいて見せた。
「我らが向かうのは西のガッツェンの街ではございません」
驚愕に目を見開く将軍諸侯らを前に、ピアータは地図に描かれたエルドア国南部を手にした棒で叩きつけるようにして示す。
「我らが向かうのは、南でございます!」




