第18話 雌狼の才
シェムルをともなって蒼馬が向かったのは、王宮の一角にある化学実験室である。蒼馬がやってきたときには、ちょうど実験が一段落して休憩していたところだろうか。ソロンは実験室の外に置かれた椅子の上でちびりちびりと酒を舐めているところだった。
最初はへらへらとした軽薄な笑みを浮かべていたソロンであったが、ロマニア国侵攻の話を聞いて行くにつれ、その顔が鋭いものとなっていく。
そして、一通り蒼馬から状況を説明されたソロンは椅子から立ち上がると、近くに立てかけてあった杖を手に取る。
「ちょいと考えをまとめたい。少し散策でもしようかい」
そういうとソロンはゆっくりとした足取りで歩き出した。
苛立つシェムルをなだめながら蒼馬が後について歩くと、しばらくしてソロンは唐突に言う。
「ゴルディアとパルティスのふたりが共謀し、王位継承争いに見せかけ兵を集めて軍備を整え、この国に奇襲を仕掛けてきたと見て間違いあるまい」
ソロンに答えに、やっぱりそうだったのかと蒼馬は思った。同時に、それに対しての疑問をぶつけてみる。
「ですが、調べた限りではふたりが王位継承を巡って対立していたのは事実のようです。ふたりは協力できたとしても、果たしてそれぞれの派閥が納得するでしょうか?」
すると、ソロンは顔をしかめた。
「それを可能とする切り札をゴルディアはひとつだけ持っておる」
わずかに言い澱んでからソロンは言う。
「ゴルディアが王位継承権を放棄し、パルティスに玉座を譲るのを条件にパルティス派を懐柔したのであろう」
「そんなことをすれば、自分を支持してくれた人たちが納得できるとはとうてい思えませんけど?」
蒼馬の疑問をソロンも肯定する。
「納得できるものかい。むしろ、怨まれ、蔑まれるに決まっておる。じゃが、ゴルディアは国のためならばそれすらも飲み込もう」
ソロンはどこか不機嫌そうに「あやつは、そういう奴よ」と口の中で小さく呟いた。
「とはいえ、第一王位継承者として育ったゴルディアにとっては、継承権放棄は自らを否定するに等しい。あくまでそれは最後に残されたまさに切り札。ここで切ってくるとは、わしも想定しておらなんだ」
ソロンは、ゴルディアの内政と外交の手腕を高く評価していた。
そのゴルディアならば、他にもエルドア国の勢いを弱める手はいくつもあったはずだ。王位継承権の放棄は、そうした手段をすべて使い切った上で最後の最後にようやく出すであろう切り札である。ソロンの目算では、使ったとしても今より数年の後の話。それをよもやこの段階で切ってくるのは想定外であった。
「わしが調べた以上にパルティス派に追い詰められていたのか、それとも他に何か要因があったのか。いずれにしろ、ゴルディアはわしが思った以上に、この国を危険視しておったのじゃろう」
ゴルディアの心底を読み切れずに困惑するソロンであった。
自己を客観的に評価する。
それは後に大賢とも呼ばれるソロンをしても難しいものであった。ゴルディアがもっとも危険視し、王位継承権を放棄させるまで彼を追い詰めたのが、まさか自分自身であったとは、このときソロンは夢にも思わなかったのである。
ソロンは杖を鳴らして立ち止まると、蒼馬を振り返った。
「また、わしが当面はゴルディアが決断せぬと思ったのは、もうひとつ理由がある」
蒼馬が「それは?」と話を促すと、ソロンは言葉を続ける。
「ゴルディアは内政においては卓越した才能を持っておる。じゃが、ことが軍事に関わるものとなると、とたんに決断が鈍くなる。そのゴルディアが征西という勝負に打って出たのじゃ。おそらく何かがゴルディアの背を押したのであろう」
そこでソロンは眉間にシワを寄せた。
「ところが、その何かがわからん。それがわしには気になる」
確かに、蒼馬もそれは気になった。
たとえ追い詰められていたとしても、ゴルディアは堅実な手を選ぶ人間である。そのゴルディアが戦へ舵を切ったということは、そこに何らかの理由があるはずだ。
蒼馬が頭をひねっていると、思い当たることがひとつあった。
「そういえばピアータ姫が征西を訴えて、それでパルティス派が勢いづいたという話を聞きましたが、それでは?」
ソロンは難しい顔を作ると自分の髭を撫でさする。
「パルティスではあるまいし、歳の離れた可愛い妹姫に懇願されたからといって、あのゴルディアが勝機も定かではない戦いに踏み切るじゃろうか……」
その意見には蒼馬も同意だった。
蒼馬が知るゴルディアは決して非情ではないが、かといって情で国政を左右するような男ではない。そのゴルディアが、妹姫に涙ながらに懇願されたからといって戦に踏み切るとはとうてい思えなかった。
しかし、そうなると他にゴルディアが決断した理由が思い当たらない。
しばらく蒼馬とソロンはふたりであれやこれやと議論を交わしていたが、結局答えは見つからなかった。
そうこうしているうちに、女官長のエラディアが蒼馬自身の出陣の準備をするために呼びにやって来た。やむなく蒼馬は答えが得られぬまま準備のために戻ろうとする。
「おい、小僧」
その蒼馬の背中に、ソロンが声をかけてきた。
蒼馬が「何か?」と振り返ると、ソロンはこれまで見たこともない険しい顔で言う。
「わしは、どうにも嫌な予感がしてならんわ。十分に気をつけよ」
これに蒼馬は「ご忠言痛み入ります」と軽く頭を下げてから、シェムルとエラディアをともなってその場を立ち去ったのである。
そうしてひとり残されたソロンは、その目を空へと向けた。
「ゴルディアめ。いったい何があやつの背を押したのか……」
ぽつりと呟くソロンの脳裏に、やけに引っかかる名がひとつあった。
ピアータ・デア・ロマニアニス。
親友ドルデアが溺愛したという末の姫。我がまま放題のじゃじゃ馬姫。若い将兵を引き連れて将軍のまねごとをするお転婆娘。
そのピアータが泣いて懇願したのが、ゴルディアを征西に踏み切らせた要因のひとつとなったのは間違いない。
しかし、すぐにソロンは「まさか、な」と苦笑いした。
ピアータの懇願が多少影響したのは否めないだろう。だが、それだけをもって決定打となったとは、とうてい考えられないものである。
そのため、ソロンはピアータの名を脳裏から振り払う。
「はてさて、いったいゴルディアに何があったのか……」
そう呟くソロンは知らなかった。
ゴルディアの背を押したのはピアータへの情ではなく、その才であったことを。
◆◇◆◇◆
エルドア国の東にあるラビアン河。そのエルドア国側の岸に程近い場所に、マサルカ関門砦があった。
マサルカ関門砦は、その名のとおりかつてはホルメア国の国境を守る関門の役割を果たしていた砦である。長らくホルメア国の安寧のために貢献してきた砦であったが、先のホルメア戦役の際にロマニア国軍の撤退の条件としてロマニア国へと割譲されてしまっていた。そうしてエルドア国への橋頭堡となったマサルカ関門砦であったが、大河を挟んだ敵地のど真ん中にある飛び地である。下手にエルドア国を刺激して奪還の兵を挙げられでもすれば、簡単に取り返されてしまう。そのため、あえてロマニア国は砦の防備の強化などは行われず、置かれた兵も最低限のものとしていた。
ところが、今やそのマサルカ関門砦には溢れんばかりのロマニア国軍が集っていた。
それは亡き父の仇を討つと旗を揚げたパルティス王子が率いるロマニア国軍である。
その兵数は、公称では三万。実数では二万に及ぼうかという大軍であった。しかも将兵たちの士気は高い。亡君の恨みを晴らし、昨日の大敗の意趣を晴らさんと、その勢いは天を衝かんばかりである。
しかし、それとは対照的にマサルカ関門砦の中にある一番広い部屋に軍議のために集められた将軍諸侯らの顔は渋かった。
「パルティス殿下は、いったい何を考えておられるのだ?」
将軍のひとりがそう洩らせば、それに他の将軍も応じる。
「左様。速やかに進軍し、村や街を制圧すべきではないだろうか?」
「いかにも。こうしている間にもエルドアは着々とその防備を固めよう」
将軍諸侯らの不満は、進軍を差し止められていたことであった。
せっかくエルドア国の不意を突き、ラビアン河の渡河に成功したのである。いまだエルドア国が防備を固めぬうちに、速やかに進軍して途中にある村や街を制圧し、そこから糧食などを掠奪しながら、さらに王都ホルメニアへと兵を進めるのが上策のはずだ。
ところが、パルティスは「進軍はまかりならん」と兵を止め、すべての兵が渡河を終えて全軍がそろうまで待機を命じていたのである。
いったいどういうわけかと将軍らが調べたところ、それがパルティス自身の発案ではないとわかっていた。
将軍のひとりが苦々しげに言う。
「ピアータ姫殿下も要らぬことを進言してくれたものだ」
パルティスに進軍を留めさせたのは、ピアータであったのだ。
他の将軍らも同調してピアータへの批難の声をあげる。
「やはり、所詮は女子。戦の機微がお分かりにならないのであろう」
「だが、それで割りを食うのは我々ですぞ。これは我らからパルティス殿下に強く進言せねばなりますまい」
「左様、左様」
それをただ黙って聞いていたゴルディア派筆頭であり、今は征西軍副将となったセルティウスだったが、将軍諸侯らの意見が一致したところで部屋の入り口の向こうから聞こえてくるいくつもの足音に気づいた。
「諸卿ら、殿下のお成りである。口を慎め」
将軍諸侯らは口を閉ざし、直立不動の姿勢で待ち受ける。
「長らく待たせてしまってすまん!」
間もなく朗らかな笑みを浮かべながら入ってきたのは、今回の征西軍の総大将であるパルティスだった。
将軍諸侯らは、いっせいに頭を下げて敬意を示す。その将軍諸侯らの間を通り抜けたパルティスは、セルティウスが立つ隣に置かれた椅子に腰を下ろした。
「許す。顔を上げよ」
パルティスの言葉に顔を上げた将軍諸侯たちだったが、その唇がわずかに歪む。
椅子に座るパルティスの隣に立つ副将のセルティウスとは反対側に、さも当然と言った顔でピアータが立っていたからだ。それはとりもなおさずピアータを副将と同格に扱うというパルティスの姿勢を示すものである。
ゴルディアからの推挙があったとは聞いていた。だが、如何に王族の姫君とはいえ女ごときが戦に足を踏み入れるなど言語道断である。
将軍諸侯らは苦々しく思っていた。
「さて、憎きエルドアを打ち倒すための軍議を始めよう」
そうパルティスが切り出すと、すぐさま将軍のひとりが「恐れながら」と発言の許しを求めた。パルティスがそれを許すと、その将軍はちらりとセルティウスを見やって言う。
「いかに殿下のご命令とはいえ進軍のお許しが得られぬことに、我らばかりか将兵すべてが困惑しております。――そうですな、セルティウス卿」
これにセルティウスは内心で舌打ちを洩らす。
何のことはない。自身らが直接にパルティスへ諫言するのが嫌なので、自分を盾に押し立てようという算段だ。
しかし、セルティウスもまた進軍を差し止められているのに疑念を抱いていたため、あえて盾とされるのを承知でパルティスに尋ねる。
「パルティス殿下に言上いたします。両殿下のお力をもって、我らは妨害されることなく渡河に成功いたしました。されど、ここ数日ひっきりなしに頭上をハーピュアンらしき影が飛び回るのを見れば、我らの渡河が破壊の御子に知られたのは確実。ならばこそ、奴が迎撃の準備を整えぬうちに一気に攻め上がるのが上策と存じ上げます」
これにパルティスは大きくうなずいた。
「諸卿らの不安は、もっともである!」
それからパルティスは隣に立つピアータへと目を向ける。
「それについては、ここにいる我が妹ピアータに説明させよう」
この重要な軍議の場で女であるピアータに説明させるのに、将軍諸侯らは訝しげに、また不快そうに顔をしかめてざわめいた。
そうした将軍諸侯らの不審と疑念の視線を集めながら、ピアータは恐れ入るどころか堂々たる声を張り上げる。
「兄上の許しを得て、このピアータが諸卿らにご説明いたしましょう。――されど、まずはこれをご覧いただきたい!」
並み居る将軍諸侯らを前に、ロマニアの金の雌狼は傲然と笑みを浮かべて見せた。




