第14話 ふたつの難題-信教
「せいぜい宗教の保護か助命の嘆願。厚かましければ布教の許可ぐらいは予想していたけど、まさかそんなことを言われるなんてね」
蒼馬は下らない喜劇でも見せられたような呆れた笑みを浮かべ、再び小さく笑い声を上げる。
「僕がみんなを率いて戦えたのも、ホルメア国に勝利したのも、すべて人間の神のおかげだって?」
次の瞬間、蒼馬の顔から笑みが消え失せ、戦いに際したような鋭さを秘めた顔つきになる。
「シェムル! ファグル・ガルグズ・シェムル!」
ミケイロスを睨みつけながら椅子から立ち上がった蒼馬は、自分がもっとも信頼する者の名を呼んだ。突然名を呼ばれて驚きにわずかに目を見張る彼女へ向けて、蒼馬は声を張り上げる。
「《気高き牙》よ! 僕が知るもっとも気高き者よ! 僕に絶対の忠誠を誓う無二の忠臣よ! 僕が半身とも認めたる者よ! 君に問おう!」
反射的に背筋を伸ばして自分の言葉を待つシェムルに蒼馬は問う。
「君は、僕が人間だから忠誠を誓うのか?!」
何たる愚問。
それ故にシェムルは即答する。
「否! 断じて、否!」
重ねて蒼馬は問う。
「君は、人間の神に言われて僕に従うのか?」
「否、否! 断じて、否!」
これまたシェムルは即答した。
気高きゾアンの娘は自ら心臓の上に右手を当て、高らかに謳う。
「我が君よ! 我が『臍下の君』よ! 我は、あなただからこそ従う! 我は、あなただからこそ忠誠を誓う! 我、ゾアン十二氏族がひとつ〈牙の氏族〉、ガルグズの娘シェムルは、誰から言われたのでもなく、ただ我が意志をもってキサキ・ソーマにこそ、この命と魂を捧げるのだ!」
シェムルの答えに、蒼馬は満足げにひとつうなずいてから、そのやりとりを唖然とした顔で見つめる者たちへ向けて声を張り上げた。
「平原の戦士たちよ! 山の匠たちよ! 森の射手たちよ! 熱砂の猛者たちよ! 大空を翔る者たちよ! 僕に付き従い、苦しい戦いを戦い抜いた君ら勇士たちに問おう!」
蒼馬とシェムルのやりとりを呆気に取られて見ていた者たちは、蒼馬の呼びかけにとっさに背筋を伸ばした。そんな彼らに向けて蒼馬は問いを投げかける。
「僕は戦いにおいて、一度でも人間の神に頼ったことはあるか?!」
またもや愚問であった。
みんなはいっせいに答える。
「「否! 断じて、否!」」
さらに蒼馬は問う。
「一度でも人間の神が、僕に助力したことはあるか?!」
「「否、否! 断じて、否!」」
再びみんなは唱和した。
「ならば、今ここに僕が立つのは、君らの力によるものだ! そして、この場にいない者たちの犠牲があればこそだ!」
この蒼馬の答えに、皆は熱を込めて唱和を返す。
「「然り! 然りっ! 然りっ!!」」
蒼馬が自分らを見捨てて聖教におもねるなどとは、とんでもない勘違いであった。それどころか今があるのは神意などではなく、みんなの力によるものであり、さらには戦場で命を落とした多くの戦友らの犠牲の上であることを忘れてはいなかったのだ。
もはや蒼馬に対する疑念は払拭された。
多くの者たちの信頼の眼差しを受け、蒼馬は誇らしげに胸を張る。
「どう? わかった? 僕がこの場にいるのは、ここにいるみんなの助力があればこそだ。僕がこうしていられるのは、ここにいられなかったみんなの犠牲があればこそだ!」
そして、怒りもあらわに蒼馬は言う。
「それを何もせずに傍観するだけの人間の神のおかげだなんて、僕のみならずここにいる者たち、そしてここにいられなかったすべての者たちに対する許しがたい侮辱だ!」
蒼馬の言葉に触発され、謁見の間に居合わせた者たちが、いっせいにミケイロスへ向けて殺気を放った。
それにミケイロスは死を直感する。
おそらく数瞬の後に、自分は血まみれの肉塊となるだろう。
そんなミケイロスの直感を現実のものにしようと、ゾアンがエルフがドワーフがディノサウリアンがハーピュアンが飛びかかろうとする。
「みんな、やめて」
しかし、それを蒼馬が制止した。
「彼に危害を加えることを堅く禁じる」
襲いかかろうとした者たちのみならず、ミケイロスまでもが「なぜ?」という目を向けるのに、蒼馬は椅子に尻を落とすようにして座った。
「どうやら誤解されていたようだから、ここではっきりさせておくけど、僕は聖教なんて嫌いだ。人間種が優性種で他の種族は劣等種だなんて教義も、馬鹿げていると思っている。それに――」
そこで蒼馬はマルクロニスへと目を向ける。
「僕は意識が朦朧としていてよく覚えてないけど、聖教の神官に僕は殺されかかったんだよね?」
「左様ですな」マルクロニスはうなずいて見せる。「ミルダスという神官は、ソーマ様を地下の穴蔵に放り込み、飢えさせ、そこにいるシェムル様と共倒れにしようとしておりましたな」
蒼馬は「ほらね」とでも言うように、ひょいと肩をすくめて見せた。
「今聞いたように、僕も聖教にはろくな目に遭わされてない。これで、どうして聖教に好感を覚えろっていうんだ」
そこで蒼馬は、あっと何かに気づいた顔になる。
「シェムルに引き合わせてくれたことだけは感謝しても良いかな」
おどけたような蒼馬の言葉に、シェムルは自慢げに鼻を小さく鳴らした。そんな彼女を好意的な目で見やってから蒼馬はミケイロスに向きなおる。
「もう一度言おう。僕は聖教が大嫌いだ」
当の聖教の神官を前にして聖教への嫌悪をあらわにした蒼馬に、謁見の間に集っていた人間種以外の種族の者たちは安堵した。
しかし、それと同時に疑問も湧く。
「……では、なぜ教会と私どもを保護せよと命じたのです?」
その疑問を言葉にしたのはミケイロスだった。
これに蒼馬がいかに返すのかと、その場に居合わせた者たちの意識が蒼馬へと向けられる。
みんなの意識が自分に集中するのを感じながら、蒼馬は一音一音を噛み砕くようにゆっくりと、そして明確に告げる。
「それが僕の定めた法だからだ」
蒼馬の言葉に、謁見の間は呆気に取られた。
誰もが蒼馬の言葉を理解できなかったからだ。
それに蒼馬はため息をひとつついてから、朗々と歌うように自らが定めた法を諳んじる。
「いかなる信仰であろうと、それが他者を害さぬ限りは法の下にそれを認める。いかなる発言であろうと、それが治安を乱さぬ限りは法の下にそれを認める」
これにボルニスの街以前より蒼馬に仕えていた者たちは、あっと気づいた。
それは領民主権とすべての種族の平等な権利とともに、蒼馬が法で真っ先に挙げていたものであった。
すなわち、信教と言論の自由である。
ソロンの献策による褒賞目当てに法を諳んじていた彼らは、当然それらを一度は読み上げたことがあるので、存在自体は知っていた。だが、その意味までは理解していなかったのである。
みんなの反応に、蒼馬は小さくため息をつく。
「たとえ僕がどんなに聖教を嫌っていても、聖教が僕の定めた法を犯さない限りは決して罰することはできない。それどころか、それが不当な暴力や迫害であるならば、それらから聖教を守らなくてはいけない」
蒼馬は力を溜めるように、いったん句切ってから次の言葉を告げた。
「それが、法による統治だからだ」
何か、とてつもなく重大なことを言っている。
その場に居合わせた者たちは誰もがそう思いつつも、やはりそう簡単には理解できずにいた。
その反応をある程度は予想していた蒼馬は、小さく苦笑いする。
「たぶん、こんなことをいきなり言っても、みんなは理解できないと思う。だから、僕は自らが範を示して見せなくっちゃいけない」
蒼馬は謁見の間に集った人たちに向けて声を張り上げる。
「もし僕が特定の信仰を排除しようとしたとき、真っ先に狙われるのは何だ?」
蒼馬はみんなが自分の言葉を理解できるよう一拍の間を置いて言う。
「――そうだ! それは聖教だ!」
蒼馬は唖然としているミケイロスに目をやった。
「だから、あえて僕は聖教をどうこうするつもりはない。あなたを罰することも追放することもない。布教をしたければ、それだって許してやる。僕に対する侮辱だって好きなだけ言え。そのすべてを法の下に認めよう」
蒼馬は堅い意志を込めて断言する。
「そして、それをもって僕はすべての種族が平等に暮らせる国を盤石にするための礎にしてやる!」
蒼馬の言葉に、謁見の間は水を打ったような静けさに包まれた。
このセルデアス大陸における信仰は、創造神より生まれた七柱の神々をともに崇拝しつつ、さらに種族ごとに自分らを創造した神に重きを置く七柱神信仰を主としている。その七柱神信仰においてですら、信仰に重きを置く神の違いによっては軋轢が生じてしまう。
ましてや他の神々を貶め、人間の神こそが至高であるとする聖教ならば、言わずもがなだ。
これまでは種族ごとに住み分けていたため大きな問題ではなかったのだが、これより蒼馬が興そうとしているのは多種族国家である。どうしても信仰の問題が起こるのは目に見えていた。
それに対して蒼馬は法を犯さない限りは、いかなる信仰も容認すると明言したのだ。
そして、さらに自らが大嫌いと公言する聖教までも容認したばかりか、実際に保護までして見せたのである。
これほど信教の自由を保証する明確な姿勢はないだろう。
しかし、これに対してミケイロスは憤怒で応じる。
「人間種でありながら、創造主であらせられる人間の神に対する暴言の数々。正気とは思われかねる!」
ミケイロスの怒りも当然であった。セルデアス大陸は、実際に神が存在する世界である。その神に向けて被造物であるはずの人間が、「おまえは関係ない」と言い放ったようなものだ。聖職者であるミケイロスには、とうてい容認できない発言だった。
これに蒼馬は、あっけらかんと返す。
「僕は人間の神なんて知らないからね。会ったこともなければ話したこともないよ。まあ、会いたいとも話したいとも思わないけど」
それから蒼馬は自分の前髪をかき上げ、額の刻印をあらわにする。
「できることなら、これもなくして欲しいぐらいだよ」
もともと、こことは違う世界から召喚された蒼馬である。この世界の人間が人間の神に創造されたとしても彼だけは無関係だった。それに事あるごとに自分を追い詰め、いじるのを生きがいにしているような女神から執拗につきまとわれていれば、神なんてものには関わってこないで欲しいというのが蒼馬の偽らざる気持ちだった。
蒼馬はそんな想いをありのまま口にしただけなのだが、それは聖職者であるミケイロスにはとうてい理解できない衝撃的な発言だった。
その衝撃のあまりミケイロスは目を限界まで見開き、顎が落ちたように口が開きっぱなしになる。
そして、ミケイロスに限らず謁見の間に居合わせた者たちは大なり小なり似たような衝撃を覚え、驚愕の眼差しで蒼馬を見つめた。
そんな視線を浴びつつ蒼馬はにこやかにミケイロスに問いかける。
「他に何か陳情したいことはあるかな?」
さすがのミケイロスも、頭が混乱していて言うべき言葉が出ない。それを陳情を終えたものと判断した蒼馬は皆に向けて言う。
「さあ、聖教の神官ミケイロス様のお帰りだ。みんな、粗相は許さないよ。彼に傷ひとつつけないでね。丁重にお帰り願おう」
いまだ呆然としているミケイロスに、蒼馬はにこやかに告げた。
「また陳情したいことがあればいつでも来て下さいね。ここはいつだって誰にでも門を開いていますから」




