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破壊の御子  作者: 無銘工房
建国の章
275/533

第9話 ふたつの難題-悪女

 ヴリタス・サドマ・ホルメアニスは、先の「ホルメア戦役」においてロマニア国軍に討ち取られたホルメア国王ワリウスの実の弟である。

 兄であるワリウス王は癇癪(かんしゃく)持ちで、その激情のままに振る舞い、結果としてホルメア国を滅亡へと追い込んだ愚王だった。

 しかし、その弟であるヴリタスは、その愚王ワリウスに輪をかけてひどい人物である。

 かねてより酒色にふけり、放蕩三昧(ほうとうざんまい)を尽くすのみならず、国を預かる王族の一員でありながら大事な国事すら遊興ですっぽかすこともしばしば。そして、それをまったく省みないという、呆れ果てた愚物であった。

 そんなヴリタスとは、蒼馬も浅からぬ縁を持つ。

 いまだわずかなゾアンしか従えていなかった蒼馬が、初めて攻め落としたボルニスの街。その街の領主をお飾りとはいえ務めていたのが、ヴリタスだ。

 その後、ヴリタスは多額の身代金が支払われたことで解放されたものの、兄のワリウスの勘気(かんき)に触れ、僻地(へきち)であるラップレーへと飛ばされてしまった。

 しかし、そこでヴリタスは、あろうことかバルジボアの密偵の甘言に乗せられて、我こそがホルメア国新王と名乗り、兄王ワリウスへ反旗を(ひるがえ)した。しかも、仇敵ロマニア国に内通し、ドルデア王とその軍を国内に導き入れるという愚行を働いたのだ。

 それがために兄のワリウス王は討ち取られ、多くのホルメア国の民がロマニア国の暴虐に晒されたのである。

 ホルメア国の民からしてみれば、まさに諸悪の根源と言っても過言ではない人物であった。

 そんなヴリタスであったが、ロマニア国軍が敗走したときにズーグによって捕縛され、今や蒼馬の虜囚(りょしゅう)となっていた。

 虜囚となったヴリタスが自分の前に引き出されたときのことを思い出し、蒼馬は苦笑いする。

 ズーグに手荒い歓迎を受けたのであろう。そのときのヴリタスの格好といったら、情けない事この上なかった。頬のたるんだ顔は、青い染料でも塗りたくったかのような蒼白になっており、本来は香油でしっかりと整えられていたであろう髪はボサボサ。豪奢(ごうしゃ)な衣服は泥にまみれて、履いていたであろう靴の片方はどこかへなくなっていたのである。

 しかも、蒼馬の前に突き出されるなり、突然ヴリタスは小さく悲鳴をあげた。そして、その醜く肥えた身体をプルプルと震わせたかと思うと、いきなりその場で卒倒したのである。

 これには多くの人々が「さすがは、破壊の御子。ひと(にら)みするだけで、人を昏倒させた」と言い、恐れおののいたという。

 しかし、これにはさすがの蒼馬も異論があった。

 確かに自分の前でヴリタスが卒倒したのは事実である。

 ただし、その直前にヴリタスが凝視していたのは、自分ではない。自分の後ろにいた、あの人なのだ。

 そう言いたかった蒼馬だった。だが、その人の見た目はいつもと変わらないのに、なぜか怖いその笑顔を思い浮かべれば、それを口にしなかったのは賢明であろう。

 そのような顛末(てんまつ)もあって虜囚としたヴリタスだったが、蒼馬はその扱いに困ってしまった。

 はっきり言ってしまえば、ヴリタスはホルメア王族の血筋としてしか価値がない。ところが、すでにホルメア国の移譲を受け入れた蒼馬からしてみれば、今さら王族の男子が出てこられてもかえって困ってしまう。有り体に言ってしまえば、戦死してもらった方が後腐れなくて良かったのだ。

 しかし、一度は虜囚としたのに、今さら要らないからと斬首するわけにもいかなかった。ましてやどこかに放逐でもすれば、よからぬことを考えている者たちにその血筋を利用されかねない。

 そこでヴリタスの身柄は、とりあえずは以前と同様にエラディアへ預け、その後も特に何をさせるわけでもなく放置していたのである。

 ちなみにその後ヴリタスからは、なぜか助命の嘆願がしばしば上げられてきていた。

 だが、蒼馬自身はヴリタスをどうこうするつもりは毛頭なく、またエラディアに確認しても「どうもあの方は被害妄想の気が激しいように見えます」と答えられたのである。

 そのため、特に問題はないだろうと放っておいたのだが、それにしてはヴリタスが日に日に目に見えてやつれていた。

 しかし、それについても蒼馬は深く考えないことにしている。

 そんなヴリタスであったが、最近になって彼のことである問題が浮上してきたのだ。

 それを説明しようと蒼馬が口を開きかけたとき、部屋の入り口から入室の許しを求める声がした。それに蒼馬が許可を与えると、入ってきたのは女官長の装いをしたエラディアである。

「ソーマ様、いつもの方々がお見えになっておられます。――いかがされますか?」

 優雅に一礼してから告げられたエラディアの言葉に、蒼馬は「ちょうど良かった」と声に喜びをにじませて言う。

 しかし、それとは対照的にソロンは渋いものでも口にしたような顔になった。

 実は、いったいどんな理由で自分を誘い出そうとしているのか好奇心にかられて王城へやってきたソロンであったのだが、蒼馬が今は重大な案件にかかずらわっているので少し待って欲しいと、エラディアにしばらく客室に留められていたのだ。

 これまでは即座に案内されていたのだが、さすがに一国を手に入れたばかりでは多忙なのだろう。

 そう思って気にも留めていなかったのだが、しかし蒼馬に会ってみれば、むしろ一刻も早く会いたかった口ぶりである。

 どうにもおかしいと思っていたのだが、どうやらその「いつもの方々」がやってくるのに時間を調整されていたらしい。

 それを目論んだであろうエルフの美女を半目で睨んでやると、何も知らない無邪気な少女のような笑みを返された。

 ソロンは、胸のうちで悪態をつく。

「まったく、この悪女め……」

 エラディアが大陸の中央でいくつもの国を傾けさせたという噂は、ソロンも聞き及んでいる。

 その美貌に加えて、この聡明さを鑑みれば、それぐらいはやってのけられるだろう。これは敵に回しては絶対にいけない類いの者だ。

 ソロンは、そう思う。

 だが、同時に味方であっても恐ろしいと思っていた。

 いったん尽くすと決めたら、とことん尽くす性格なのだろう。何も言われなくとも、エラディアは尽くす相手の状況や心情を察し、徹底的に尽くそうとする。尽くす相手が求めるものを求めたときには用意しておき、不快に思われるものは事前に排除しておく。尽くされる相手としては、これほど快適なものはないだろう。

 しかし、時として、それは人を腐らせてしまう。

 何の不平不満もなく、苦痛も苦悩もない。ただただ快適なだけの環境になれてしまえば、そこから抜けられなくなってしまう。

 たとえ目の前に困難があるとわかっていても、それから目を背ける。たとえ、その先に待ち構えるのが、破滅であるとわかっていてもだ。

 そして、問題なのが、エラディアは尽くす相手がゲノバンダの汚物の沼に堕ちて腐ろうものならば、自らもともにそこで腐り果てるのに喜びを見出しかねないところだった。

 まったく悪女の極みである。

 ソロンは「やれやれ」と嘆息をひとつ洩らすと、その目を転じた。

「……なんだ、クソジジイ。こっち見るな」

 ソロンに目を向けられたのに気づいたシェムルが、いかにも不愉快だと言わんばかりの態度で、つっけんどんに言った。

 しかし、その態度にソロンは機嫌を損ねるどころか、好意を含んだ苦笑を浮かべる。

 シェムルも尽くすと決めた相手には、とことん尽くす性格の女だが、エラディアとはだいぶ違う。

 エラディアが尽くす相手の苦を取り除き、楽を与えるのを無上の喜びとする女のならば、シェムルは尽くす相手と共に苦楽を分かち合おうという女である。

 そんな彼女ならば、仮に蒼馬がゲノバンダの沼に堕ちたときには、汚物を(いと)わずに沼へ踏み入って、その首根っこを捕まえて引きずり上げ、しこたまぶん殴ってから「とっとと立ち上がれ!」と怒鳴りつけるに決まっている。

 それでは、とうてい腐る暇すらないだろう。

 その光景を想像したソロンは、くつくつと忍び笑いを洩らした。

 突然忍び笑いを洩らした自分へ驚いた目を向ける蒼馬に気づいたソロンは、しみじみと言う。

「いや。小僧はめぐまれておるの、と……」

 蒼馬は意味がわからず、きょとんとした。


          ◆◇◆◇◆


 蒼馬の執務室にやってきたのは、ホルメア国の諸侯や旧臣であったものたち数名だった。

 彼らはまず、エラディアが持ってきた酒をチビチビと舐めるように飲んでいるソロンの姿に顔をしかめる。

 蒼馬が使っている執務室は、かつては王や宰相などが政務を取り仕切るときに使っていた部屋だ。そんな大事な部屋に、このようなみすぼらしい老人がなぜいるのだ、と表情が語っていた。

 しかし、現在の部屋の主である蒼馬がそれを(とが)めていないのに、すぐにしかめた顔を愛想笑いで覆い隠した。それから代表者である男が、蒼馬に向けて挨拶の口上を述べる。

「七柱神より偉大なる大神である秘されていた女神。彼の女神が、この地上に唯一お認めになられた御子であらせられますソーマ・キサキ様に謹んで申し上げます――」

 異常なまでに自分を持ち上げる内容の口上に、蒼馬は辟易(へきえき)した顔で片手をわずかに上げて制止する。

「何度も言ったように、そのような挨拶は不要です」

 せっかく考えた口上を途中で遮られ、代表の男はかすかに口許を引きつらせる。しかし、すぐにまた愛想笑いを浮かべて言う。

「おお! 何と寛大(かんだい)でいらっしゃるのか。ホルメア宮廷では、このような口上を述べねば、激しい叱責を受け、いかなる罰を下されたかわかりません。あの狭量(きょうりょう)なワリウスに比べ、ソーマ様の寛大さには胸を打たれます!」

 さらに代表の男が追従(ついしょう)の言葉を続けるのに、さすがの蒼馬も呆れるしかなかった。やむなく、しばらく聞き流していた蒼馬だったが、男の言葉が一区切りついたところで、すかさず割って入る。

「それで、今日もいつもの要望でしょうか?」

 まだまだ言い足りなかったのか、男は蒼馬の問いに即答せず、しばらく無意味に口を開閉していた。それから空咳をして気を取り直すと、はっきりとうなずいてみせる。

「おっしゃるとおりでございます。私と、この場にいる一同の総意をもってソーマ様へ請願いたします」

 男は断固とした口調で言った。

「裏切り者ヴリタスを即刻死罪にしていただきたい!」

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