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破壊の御子  作者: 無銘工房
建国の章
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第8話 ふたつの難題-項羽と劉邦

 蒼馬は帰郷令以外にもこの時代の常識からは考えられない新たな施策を打ち出していた。

 それは、戦死者遺族への生活保障である。

 今回のホルメア戦役では、多くのホルメア国の兵士が命を落としている。そうした戦死者の大半は徴用された農民であり、またそれは戦いに徴用されるだけに若くたくましい男たちばかりだった。

 現代より結婚適齢期が早い時代である。そうした戦死した若者たちの多くは妻帯しており、子供がいた者も決して少なくはなかった。

 そのため、このときホルメア国中には未亡人や戦災孤児であふれかえっていたのである。

 そこで蒼馬は、「戦没者遺族は名乗り出よ。当座の生活資金を与える」と発布したのだ。

 これは、いまだ基本的人権の考えすらない時代においては、まさに異例の施策であった。

 この時代における未亡人や孤児などの生活保護は、都市部では教会などの宗教団体や富裕層による社会奉仕が担っていたが、地方ではその土地の有力者や村などの自治体任せだったのである。

 しかし、そうした自治体などの生活保護とて、それは微々たるものでしかなかった。

 たとえば、麦などの収穫時にあえて畑の一角だけを収穫しなかったり、落ち穂を拾うのを禁止したりし、そうして残されたものを未亡人などの生活弱者に与えるといったものである。

 無論、これではとうてい十分な生活ができるはずがない。

 そのため未亡人や孤児らは農奴となって村の苦しい労働を肩代わりしたり、女性ならば村の売春婦となったりしなければ生きてはいけなかったのである。

 それに加え、蒼馬がホルメア国を支配したがために、さらなる問題が懸念された。

 それは、脱穀機である。

 ソルビアント平原の開拓において、農民らの重労働を少しでも解消できればと思って開発した手回し式脱穀機によって、生活が困窮(こんきゅう)して思い悩んだ挙げ句に脱穀機を壊してしまった未亡人を村人が私刑にしてしまったのは、蒼馬にとっても忘れがたい出来事であった。

 その手回し式脱穀機は、すでにソルビアント平原の開拓村に普及しており、遠からずそれはホルメア国全土へと広まるだろう。

 そうなれば、今度はホルメア国全土で同様の事件が起こりえるのだ。

 しかし、今さら脱穀機を禁止することはできなかった。

 すでにソルビアント平原では脱穀機の存在と価値は知れ渡り、それをもたらした蒼馬当人ですらもはや制御できなくなっている。また、蒼馬の農業改革によって急激に伸びる穀物の収穫量に人手が追いつかない現状では、脱穀機の力は必要不可欠だったのだ。

 そのため、たとえ当座の生活資金を与えても、脱穀という大きな収入源を失った未亡人らが遠からず困窮するであろうと予測できた蒼馬は、さらに今後の生活の糧となる仕事も用意したのである。

 だが、未亡人に仕事を与えると言っても、彼女らは力が弱く、知識や経験もない女性である。

 そのため、自然と習熟が早く負担が少ない分業制にせざるを得ず、また村々に作業場を建設するよりも各地の拠点となる街に未亡人らを集めて働いてもらうしかなかった。

 これが後に、作業の分業化と集約化による工場大量生産の(いしずえ)となるのだが、それはまた後の話である。

 いずれにしろ、蒼馬はホルメア国の戦災復興に莫大な投資を行ったのだ。

 そして、そのすべてが五年の間にボルニスの街で蓄えられた資金である。

 そのすべてを投じるかのような勢いでホルメア国の復興に充てる蒼馬の姿は、負ければすべてを掠奪される時代においては、まさに前代未聞のものであった。

「これではどちらが占領されたのかわからない」

 以前からの味方から、そんな不平が洩れたのも当然であろう。

 しかし、その中にあって、ただひとりだけ例外がいた。

「勝てば昨日の敵も、今日の臣民と言うが、小僧に取ってみれば臣民どころか我が子か想い人のようじゃな」

 ソロンである。

 蒼馬に仕えると言っておきながら、ホルメア国の新たな統治に大わらわの蒼馬のところへ今まで参内もしなかったこの老人は、ひょっこりと顔を出すなり上機嫌でそう言った。

「恐ろしい侵略者と思われたソーマ様の慈悲深き施政には、ホルメアの多くの民が驚き、そして深く感謝しております。その想いは、まさにこれから興るであろう国の(いしずえ)となりましょう」

 いかにも謹厳実直な忠臣のような顔でそう言ってから、ソロンはニヤリと人を食ったような笑みになる。

「――で、こうしようと思ったのは、どういう理由じゃ?」

 ソロンの問いに、蒼馬は恥ずかしそうに自分の頬を掻きながら答える。

「えっと……『項羽(こうう)劉邦(りゅうほう)』からです」

 正しくは漫画「項羽と劉邦」の中で、李左車(りさしゃ)という人物が韓信(かんしん)に提言したものであった。

 国士無双で知られる韓信が(ちょう)を攻めたときである。趙の李左車は韓信が狭い難道を通過すると知り、難道の出口を固める一方で軍を分けて後方から韓信を攻めれば勝利は堅いと献策した。

 ところが、陳余(ちんよ)という将軍は大軍である自分らがそのような策で勝利しても諸国の笑いものになると取り合わず、陣を敷いて韓信を待ち構えたのである。

 当然、陳余は大敗し、李左車は生け捕りにされて韓信の前に引き出されてしまう。

 敗軍の将として死を覚悟した李左車であった。ところが、韓信は「あなたの策が用いられたのならば、敗北したのは私の方でした」と言い、さらには李左車を先生と呼び敬ったのである。

 その上で韓信は、これより(えん)(せい)の二国を攻めるには、どうすれば良いかと李左車に尋ねた。

 当初は固辞していた李左車だったが、韓信のたっての願いとあって次のような提言をしたという。

 漢軍は()を滅ぼし、趙の大軍にも大勝利したため、今は斉も燕も驚き恐れている。しかし、漢軍は遠征に疲れており、このまま燕に攻め入っても容易には勝てず、戦いが長引けば兵の疲弊(ひへい)露呈(ろてい)し、両国は守りを固めてしまうだろう。

 そこで、まずは趙の人々を慰撫して、その心を掴まなくてはならない。特に戦いで夫や親や子供を失った者たちへ施しを与える。そうすれば趙の人々は大いに感謝し、遠くの漢軍のところへまで感謝の品を届けにくるだろう。それらを兵に与えれば、趙の人から奪わなくても兵を慰労できる。

 そして、その間に燕へ軍使を使わして威をもって説けば、漢軍を恐れている燕は降伏し、そうすれば斉もまた単独では抵抗できなくなるだろう、と。

 その提言に韓信は、まさにそのとおりと深く感心し、李左車の言うとおりにした。それによって韓信は、斉と燕の両国を征服したのである。

 それを知っていた蒼馬は、自分らの置かれた状況もまさにそれに近いと思った。

 後世では「スノムタの戦い」と呼ばれる戦いに始まり、王都ホルメニアでの防衛戦から敗走するロマニア国軍への追撃戦と、そのいずれにおいても蒼馬は圧勝と言っても過言ではない勝利を収めている。

 しかし、戦いに次ぐ戦いの連続で、気づけば戦いながらホルメア国を東西に横断である。やむを得ないとはいえ、ずいぶんと兵を酷使してしまっていた。

 このまま勢いに任せてロマニア国に攻め入っても、李左車が指摘したように疲弊した兵では容易には勝てないだろう。

 それよりも、今は韓信が趙の人の心を掴もうとしたように、制圧したばかりのホルメア国をしっかりと掌握し、足許を固める方が大事である。

 特に蒼馬の場合は韓信のときよりも種族間の確執という問題を抱えているので、なおさらであった。

 いまだに蒼馬はホルメア国の民からは反乱を起こした亜人類奴隷とその頭目という印象が拭い切れていない。

 それは蒼馬の陣営にとっても似たようなことが言える。

 人間種によって国を滅ぼされ、奴隷に落とされた者たちからすれば、それを簡単に忘れられるわけがない。特にソルビアント平原のゾアンたちは、ホルメア国に侵略され、一時は滅亡寸前まで追いやられていた当事者だ。そのホルメア国への遺恨の深さは想像してあまりある。

 今のところは蒼馬が厳しい軍令としてホルメア国の民への危害を禁じているのに加え、彼らが崇拝する獣の神の御子であるシェムルの蒼馬への篤い支持と、平原の両雄と呼ばれたガラムとズーグが睨みを利かせているため、表だっての騒動にはなってはいない。

 だが、やはり内心は穏やかではないだろう。

 そんな者たちでも、おいしい食べ物や酒を振る舞われ、それがホルメア国の民の感謝の品だと聞かされれば、決して悪い気はしないはずだ。

 もちろん、それで劇的に何かが変わるとは蒼馬も期待していない。ここよりはるかに人権や差別に敏感だったアメリカ合衆国ですら、人種差別問題は根強く、解決の糸口すら見つけられていなかったのだ。現代ですら果たせなかった難題を自分ごときが一気に解決できるとは、蒼馬もとうてい思っていなかった。

 しかし、だからといって諦めるわけにはいかない。

 わずかな一歩に過ぎなくとも、前へと進むのだ。たとえそれが蟻の一歩のような微々たるものであろうとも、それが数千、数万と積み重なれば、いつしか自分が理想とする国へと到達できる。

 そんな考えからの施策であったのだ。

 また、これと平行してロマニア国のゴルディア王子へと使者を送り、講和の道も模索していた。

 韓信のときとは違い、蒼馬はあえてロマニア国と戦う必要はない。ロマニア国軍追撃戦におけるガッツェンの街での出来事から、ゴルディア王子ならば西域統一の野望を持つドルデア王とは違い、対話による解決が図れる可能性を蒼馬は見出していたのである。

 それを聞かされたソロンは、二度三度と深くうなずいて感心した。

「なるほど、なるほど! コーウとリュウホなる人物の教えか。よほどの人徳と見識のある方々と見える」

 漫画を愛読していた蒼馬も、さすがに主要ではない登場人物の名前までは記憶していなかった。そのため、本の題名ともなっている「項羽と劉邦」のふたりの主人公の名を上げたのだが、まさかふたりとも異世界で人徳と見識の士と思われるとは想像もしなかっただろう。

 ひとしきり感心し終えたソロンは、ニカッと笑ってみせる。

「――で、わしを呼び出したのは、どういう理由かな?」

 ソロンに図星を突かれた蒼馬は笑って小さく頭を下げた。

 実は、蒼馬はソロンに相談したいことがあり、彼を探していたのだ。ところが、どこに雲隠れしたのか、いっこうに見つからない。そこで新国家建設の祝典に向けて秘蔵のウイスキーの樽ひとつを近々に開封すると噂を流したのである。

 五年前に仕込んだウイスキーは貴重品だ。それは、数が少ないという希少性ばかりではない。ウイスキーは西域中の王侯貴族や富豪などの好事家の間では黄金酒という名で呼ばれ、まさに黄金を山と積んでも譲って欲しいという者が後を絶たない話題の品である。売れば莫大な資金が手に入るだけではなく、贈答品として使えばただ金貨を積むよりも絶大な効果が得られるだろう。

 それだけに、その価値は計り知れない。

 しかし、このとき蒼馬は、そのウイスキーを浪費しても解決したいふたつの難題を抱えていたのである。

 しかも、それは対処を誤れば、これから建てるであろう国を揺るがしかねない大きな難題であった。

 それだけに、何としてでもソロンの知恵を借りたかったのだ。

 ウイスキーの噂が自分を呼び出すためものだとソロンに気づかれていなければしらばっくれる手もあったのだが、完全に見透かされていては、それもできない。

 これは後でウイスキーを管理しているドヴァーリンに嫌な顔をされるなと苦笑いしてから蒼馬は言った。

「実は、相談したいことがあるんです」

 蒼馬は、そこで一拍の間を置いて続けた。

「――捕縛したホルメア国の王弟ヴリタスの処遇です」

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