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破壊の御子  作者: 無銘工房
龍驤の章
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第127話 未練(前)

 使者とも思えぬ無礼な物言いとその姿に、多くの将軍や諸侯が呆気に取られる中で、ゴルディア王子の側近であったひとりの将軍が椅子を蹴立てて立ち上がる。

「き、貴様は! まさか、アウレリウス・エルバジゾかっ?!」

 その姿は記憶の中のものより年老い、みすぼらしい格好であったが、その物言いと良い、悪戯小僧めいた眼差しと良い、今そこにいる老人はその将軍が知るアウレリウス・エルバジゾに違いなかった。

「おや? おぬしもまだ生きておったか。久しいのぉ」

 このソロンの発言は自身がアウレリウスとは明言せずとも、明らかな肯定である。 

 そして、その言葉はロマニア国の人の間に、不可視の爆弾となって炸裂した。ある者は瞠目し、ある者は衝撃によろめき、そしてある者は惚けたように口を開く。

 若き日のドルデア王が無二の親友と公言した寵臣。またその父であるロマニア国の先王が深く愛したという奇才の持ち主。性格に難はあれど、誰もがその才覚を認めざるを得ず、必ずやロマニア国の宰相となってその名を残すと思われた傑物。そして、ドルデア王の無謀な征西を痛烈に批難したがために国を追われた不遇の天才。

 国を出奔して以降は、まったく音沙汰もなく、とっくにどこかで野垂れ死んでいると誰もが思っていた。

 ところが、それがこうして反乱奴隷の使者として姿を現したのだ。かつてのアウレリウスを知る者の衝撃は、それだけに計り知れない。

「アウレリウスだとっ?!」

 そして、ゴルディア王子も驚いた。

 当然だが、ゴルディアもまた父王と無二の親友とまで呼ばれたアウレリウスとは面識がある。それどころか、当時はまだ王子だったドルデアに些細な失敗を激しく叱責されていると、どこからともなくやってきて取りなしてくれたのがアウレリウス・エルバジゾだったのだ。

「おいおい、我が(きみ)よ。おまえもガキの頃は、ああだったじゃないか」

 アウレリウスがそう言えば鬼のような形相でゴルディアを叱責していたドルデアも、「それを言われたら何も言えないではないか」と怒りの矛を収めたものである。

 そればかりか剣や乗馬が思うように上達せず、父の期待に応えられないのに苦悩しているゴルディアのところへひょっこりと姿を現すと、「剣や馬ができなくとも、大したことではありません。私などは、この良く回る舌だけで陛下やドルデア殿下から重宝がられております」と慰めてくれさえした。

 そして、それがきっかけとなりゴルディアは剣ではなく政務の道を志したのである。今日(こんにち)の自分があるのはアウレリウスがいたからに他ならないとすら、ゴルディアは断言できた。

 それだけに、ゴルディアの動揺は大きい。

 衝撃のあまりゴルディアが何も言えずにいる間にも、将軍はソロンを糾弾する。

「王都ホルメニアにおいて、陛下が何者かの呼びかけに応じて単身で出向いたという話は聞いている。いったい何者が、と思っていたが。そうか! 貴様だったのだなっ!」

 激高した将軍は剣の柄に手をかける。

「かつてはロマニアの(ろく)()んでいたというのに、この卑劣な裏切り者め! 陛下に成り代わり、その首を叩き落としてくれるっ!」

 まさに火を吐くような苛烈な糾弾に、しかしソロンは呵々(かか)と笑った。

「そりゃ、面白いわ!」

 そう言うなりソロンはヒョコヒョコと歩き、自らその将軍の前に立った。そして、その両腕を大きく開いて見せる。

「さあ! 首と言わず、どことなりと好きなように斬ってもらおうかい。こっちはとうに死ぬ覚悟はできておる。何しろ――」

 そこでソロンの目がギラッと輝いた。

「無二の親友と思うていた男に、我が息子を無駄に死なせられた! 嫁もまたその悲嘆から、その腹の中の初孫とともに亡くなったわ!

 それは我が家のみにあらず! あのとき、国中が子を親を夫を兄弟を失い悲嘆に暮れていた。だというのに、あやつは自らの面子を守るため、それを勝利と言い放ち、あまつさえその祝宴まで催した。

 ふざけるな! 息子の髑髏(どくろ)を杯とし、嫁と孫の屍肉を(さかな)にして祝えとでもぬかすのか?! わしを無二の親友とぬかす、その同じ口でっ!

 あのときから、この世に未練などなくなっておるわっ!」

 それはロマニア国の要人アウレリウスが、ボルニスの街の飲んだくれソロンになるきっかけとなった出来事のことである。その出来事の経緯を知るだけに、将軍はうっと息を詰まらせた。

 さらにソロンはたたみかける。

「おまえの方こそ、それ相応の覚悟をもって剣に手をかけたかっ?! こちらにおる多くのホルメアの者たちは、おまえらを皆殺しにしろと息巻いておるわ。どんな犠牲を払おうとも、おまえらを八つ裂きにするとな! それを民にはお優しいソーマ様が、押さえ込んでおる。だが、わしを斬れば、それももはや押さえ切れんぞ」

 そこでソロンは、自分の首筋をぴしゃりと叩いた。

「このジジイの首ひとつに、この街にいる数千のロマニア国の将兵ばかりか、そこにおわすゴルディア王子の首を加えて交換とは、ずいぶんと気前が良いではないか」

 ニイッと笑うソロンに気圧された将軍は、まるで剣の柄が火傷するほど熱くなったかのように、あわてて手を離した。その醜態に、ソロンは嘲笑を浮かべる。

「ホルメア国の民草に流させた血の美酒はうまかったか? されど、次に酒杯に血を注ぐのは、おまえらの番よ!」

 その言葉に、その将軍の耳の中に過去の声が甦る。

『血の美酒に酔う者は、必ずや自らもその酒杯に己が血を注ぐでしょう』

 それは、三十有余年前に「怨敵ホルメア国を討つべし」と息巻き、征西軍を起こそうとする若きドルデア王と、それに追随する自分ら将軍諸侯らに対し、アウレリウスが発した言葉であった。

 顔を蒼白にして後じさる将軍を擁護するように、諸侯のひとりが声をあげる。

「アウレリウス! 貴様は、我らを愚弄(ぐろう)しにきたのかっ?!」

「そのとおりよ!」

 ソロンは酷薄な笑みとともに即答した。

「お人好しなソーマ様は、わしの過去を知らんでな。おまえらに因縁があるとは知らずに送り出しおった。まあ、おかげでわしは今までの鬱憤をこうして晴らせるのじゃから、もっけの幸いじゃて」

 そう言うとケラケラと笑い出したソロンを前に、ロマニア国の将軍や諸侯らは顔色を赤くしたり青くしたりして黙り込むしかなかったのである。

 しかし、その中にあってゴルディアだけは違っていた。

「アウレリウス。(たわむ)れは、その程度にしてもらおう」

 落ち着いた気品のあるゴルディアの声に、ロマニア国の将軍や諸侯は驚きに目を見張る。背筋を伸ばし、凜とした姿勢となったゴルディアからは、先程までの動揺は微塵も見えなかった。

 軍事ならばいざしらず、交渉事ならばゴルディアの得意とするところである。恩師ともいうべきアウレリウスの登場に一時は混乱していたが、それも過ぎれば普段の冷静沈着な政務家に返っていたのだ。

「破壊の御子に講和を求めたい。そちらも、そのつもりであろう?」

 一方的な降伏勧告ならば、こちらを威圧するような武将を送り込めば良い。そうではなく弁舌に優れたアウレリウスを使者として送り込んだのならば、破壊の御子が求めているのは戦いではなく話し合いである。

 それがゴルディアの読みであった。

 そして、それに対してソロンは否定せずに応じる。

「はて? もはやあなた方は、火にかけられる寸前の鍋の中で泳ぐ魚のようなもの。何をもって講和の材料となされるのですかな?」

 侮蔑まじりのソロンの物言いに、しかしゴルディアは自分の読みに確信を深めた。

 アウレリウスの言動に惑わされてはいけない。交渉の場では表に出す感情は相手を惑わす武器である。ましてやアウレリウスは怒るべきときに笑い、笑うべきときに怒り、相手を翻弄するのを得意としていた。また、ゴルディアの知るアウレリウスは、三十有余年前の遺恨を今さら持ち出して鬱憤を晴らすような小人ではない。

 では、破壊の御子とアウレリウスは講和に何を求めているか?

 その答えとなる鍵は、アウレリウスが罵倒の中にある。

 ホルメア国の者たちが、自分らを八つ裂きにしろと息巻いているのは本当だろう。自分らは、それだけのことをしたとゴルディアも理解している。

 だが、「どんな犠牲を払おうとも」とは少しおかしな話だ。

 こちらは将兵ともに敗走の疲労と混乱している上に、頼るべき街壁もない。あの大軍ならば、苦もなく落とせるだろう。

 そして、それを抑えている破壊の御子が「民にはお優しい」という言葉が、犠牲となる者を暗示している。

「この街の元住民の命」

 ゴルディアは、確信を込めて言った。

「この街が戦場となれば、我らは当然だが、この街にいた元住民らも無事にはすまない。――いや、負けるとなれば我らは道連れとばかりに、住民を皆殺しにし、街に火をかけるぞ。それは、破壊の御子にとっても不本意であるはずだ。しかし、我らが街から退去するのを容認してもらえば、これ以上の犠牲者は出ない」

 ゴルディアの言葉をソロンは鼻で笑う。

「ずいぶんと虫の良い話じゃのう」

 さんざん住民らを苦しめておいて、自分らが危うくなればそれを人質に退去を容認させようとする。虫の良い話と言われて当然だ。

 ゴルディアもまた、そう思う。

「それは承知している。それゆえに――」

 だからこそ、ゴルディアはロマニア国軍の退去の容認させるための代価を上乗せする。

「この私の首もかけようではないか」

 ゴルディアの言葉に、その場に居合わせた将軍や諸侯らは「殿下!」と悲鳴のような声を上げた。彼らに取ってみれば、それはとうてい受け入れられない提案である。仕えるべき王子の命と引き替えにし、おめおめと帰国できるわけがなかった。

 しかし、そんな彼らを制するように、ゴルディアは右手を軽く挙げて言葉を続ける。

「かような事態となったのは、この私の不明である。ならば、この首ひとつをもって臣下を救うのは当然であろう」

 そう毅然と言い放つゴルディアだったが、本心では自分もそれはあり得ないと考えていた。それをあえて口にしたのは、これもまた交渉だからである。

「アウレリウスよ。幼き日の私に少しでも(よしみ)を感じてくれているのならば、これをもって講和をまとめて欲しい」

 ソロンはゴルディアを冷たい目で(にら)む。

「情をもって、わしを口説きなさるか……」

「無論だ」

 ゴルディアはほろ苦く笑った。

 ゴルディアは幼き日、父ドルデアから「己の力だけでは脱しがたき苦難に際してはアウレリウスを頼れ」と密かに言い含められていたのだ。

 さらにドルデアは、続けて言った。

「あの者は頼みとすれば(へそ)を曲げる生来のひねくれ者だが、同時に情を感じた者を見捨てられぬお人好しでもある。泣いてすがれば、口では悪態をつこうとも必ず助けてくれよう」

 そして、その言葉のとおり、何か事があるたびに「おお! 我が無二の親友よ!」と言って呼び出すドルデアに、「またかっ?! いい加減にしろ!」と文句を言いながら、結局は助けてやるアウレリウスの姿を幼いゴルディアは何度も目にしていた。

「アウレリウス。あなたを動かすには情をもってせよというのが父の教えだ」

 それに、ソロンは盛大に顔をしかめた。

 それがいつもの作った表情ではなく、素の表情であると感じたゴルディアは思わず小さく笑ってしまう。

「……ドルデアめ。よけいなことを教えおるわ」

 ソロンは、そうぼやいてから次のように言った。

「殿下の首はいりませぬ。――されど、ホルメアの民より奪った財貨、糧食、そして民自身。さらには剣や鎧などの武具や牛馬。そのすべてを置いて、ホルメア国から全面撤退していただきましょう。ああ、ただし途中で掠奪などされてはたまらんので、最低限の糧食だけは認めますぞ」

 それに将軍諸侯の間から、どよめきが上がった。

 ホルメアから掠奪した財貨などは仕方がない。だが、自分らがロマニアから持ってきた武具や牛馬となれば話は違う。この征西という晴れ舞台に、父祖伝来の家宝の武具を持ってきた者もあれば、友とも言うべき愛馬に乗ってきた者も多い。それらを奪われるというのに、寸土も得られずにホルメア国からの全面撤退などあり得ない話だった。

 しかし、話の流れから誰もが、ゴルディアはそれを受けるであろうと思っていた。

「それはできぬ」

 ところが、それをゴルディアは拒絶した。

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