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破壊の御子  作者: 無銘工房
龍驤の章
224/548

第90話 臣の責務

 ロマニアの外道らを討つべし。

 そのワリウス王の檄は、すぐさまホルメア全土へと伝えられた。

 しかし、それに対する諸侯の反応は歓喜でも期待でもなく、不安と諦念(ていねん)である。

 確かに、ロマニア国の侵略を放置するわけにはいかない。だが、ワリウス王に従って兵を起こしたからといって、ロマニア軍を撃退できるかと言えば、その可能性は低かった。

 何しろ、かき集められたホルメア国全軍を率いるのは、ワリウス王自身である。

 内政ではそれなりの実績があるワリウス王だが、これまで軍を率いて戦った経験は知られていない。また、その息子であるアレクシウスが反乱奴隷相手に大敗したばかりか、そのまま失踪したとの噂もあり、王家の威信は地に落ちていた。

 これでは勝利に期待しろというのが無理な話である。

 しかし、諸侯らには、選択肢はなかった。

 すでにロマニア国が東部の領主らの恭順を認めず、横暴の限りを尽くしているという噂が伝え聞かれている。このまま座していても、ロマニア軍に滅ぼされるだけとあっては、たとえ勝ち目が薄くてもワリウス王の檄に応じるしかなかったのだ。

 各地の領主らは悲壮な決意とともに兵を集めて王都ホルメニアに結集したのである。

 しかし、そうして集められたのは、八千ほどの兵でしかなかった。

 これでは二万を超えるというロマニア軍と戦っても、勝ち目などほとんどない。

 それでもワリウス王は自らも甲冑を身にまとうと、怨敵ロマニアを打ち払い、ヴリタスの首を挙げるまでは王都に戻らずと宣言し、盛大な出陣式を執り行ったのである。

 そうして出陣式を終えたワリウス王は、諸侯や国軍の将校らを引き連れて、鼻息も荒く王宮の通路を外に待機させていた軍と合流するべく歩いていた。

 そのワリウス王をひとりの男が通路の途中で待ち受けていた。その男を目にするなり、ワリウス王は怯えたように目を見張る。

「ダ、ダリウス……!」

 それは、ホルメア最高の将軍と呼ばれた老将ダリウスである。

 ダリウスはすでに戦装束に身を包み、その小脇には将軍位を示す紫色の房が切り取られた兜が抱えられていた。

 ワリウス王は震える声で言う。

「そなたには謹慎を申しつけておいたはず」

 ワリウス王とて、五年前にダリウスが命を賭した諫言を退けた結果が今日であることぐらいは承知している。

 そのため、ダリウスからいかなる恨み言や諫言が飛び出してくるかと身構えていた。

 ところが、ダリウスはその場に片膝を突くと、深々と頭を垂れる。

「謹慎を申しつけられた身なれど、この国の一大事に居ても立ってもいられず、軍の末席に加えていただきたく、こうして恥を承知でまかり越しました」

 深く頭を垂れたままのダリウスを前に、ワリウス王は周囲からの無言の圧力を感じていた。

 この亡国の危機に際し、ホルメア国最高の将軍と呼ばれたダリウスが参陣するというのだ。ダリウスはこれまで幾度もの国難を排し、数々の強敵を打ち破った実績を持つ元大将軍である。このダリウスに軍の指揮権を与えれば、この危難を乗り越えられるのではないかと、その場に居合わせた者は誰もがそう思ったのだ。

 無論、ワリウス王とて同じことを考えた。

 そもそもダリウスが謹慎となったのは、破壊の御子の危険性を訴えたからだ。

 しかし、たかが反乱を起こした奴隷の頭目としか思っていなかった破壊の御子も、今やホルメア国を脅かす強大な敵となって、ダリウスの言葉が正しかったことを証明している。

 ワリウス王がその誤りを認めれば、ダリウスは謹慎を解かれ、再び将軍職に返り咲けるであろう。

 だが、自身の誤りを認めるにはワリウスは狭量すぎた。

「か、勝手にせよ!」

 参陣こそ認めはしたものの、ワリウス王はダリウスに指揮権を渡すどころか将軍職への復職にすら一切言及しなかったのである。

 その場に居合わせた者から湧き上がる失望の色に、いたたまれなくなったのか、ワリウス王はまるで逃げるような足早でダリウスの前を横切った。

 こうなったワリウス王に何を言っても無駄というのが、ホルメア王宮の常識である。

 諸侯や将軍らは苦渋に満ちた表情でワリウス王の後に続くしかなかった。

 そうして全員が通り過ぎた後、ようやく頭を上げたダリウスが、自身もまた後に続こうと足を動かしかけたとき、背中から声をかけられた。

「ダリウスよ……」

 振り向くと、そこにいたのは元大宰相のポンピウスである。

 ポンピウスは周囲に人が居ないのを確かめた上で、さらに声を潜めてダリウスに問いかけた。

「ダリウスよ。正直に話して欲しい。ロマニアに勝てるのか?」

 この問いに、ダリウスは小さくため息をつくと、こう答えた。

「臣下の身には口にできぬ答えだ」

 何よりも雄弁な答えである。

 臣下としては、王が率いる軍が負けるとは、とうてい口にできるものではない。

 ポンピウスの顔は、苦痛と落胆の色に満ちる。

 それからポンピウスは、何かをダリウスに言いかけては、それを思いとどまるといったのを何度か繰り返してから、ようやくひとつの喩えを口にした。

「ダリウスよ。嵐を前にしては獣ですら茂みに隠れ、大魚もまた岩場に身を潜めるという」

「……それはどういう意味だ?」

 そう問いただすダリウスの目をポンピウスはひたりと見据える。

「もうこの国は無理だ」

 宰相として生涯を捧げた国の終わりを告げるのは、ポンピウスとて痛恨事である。しかし、それでも言わなければならない。

「だが、まだ国の北部にはアッピウス侯爵を始め、有力諸侯も多い。そこへいったん逃れ、ワリナ様を女王に立ててホルメア国の再興を期するべきではなかろうか?」

 もはや王家を継げるのは、ワリナ王女しかいない。そのワリナ王女は、かねてよりダリウスを父のように慕っている。そのダリウスの頼みとあらば聞き届けてくれるだろう。そして、王女を旗印として元大宰相と元大将軍が動けば、これに同調する諸侯も必ずいるはずだ。

 そうポンピウスは言った。

「それも可能であろうな」

 ダリウスも、ひそかにそれを検討したことがあった。

 ホルメア国が滅びんとしている今や、ロマニア国にとって西域統一の障害となり得るのは破壊の御子だけである。また、破壊の御子にとっても脅威となるのは、ロマニア国だけだ。

 それならば、いっそのこと王都ホルメニアを放棄し、それを餌にロマニア国と破壊の御子を激しく噛み合わせてやれば良い。そして、その間に自分たちはワリナ王女とともに北部へ逃れて、そこで国を打ち立てて力を蓄え、国土奪還を期するのも手であろう。

 しかし、ダリウスはポンピウスの提案を退けた。

「だが、国は建てたからといって、それで終わるものではない。その基盤となる体制を作らねばならぬ。それには、いったいどれほどの時間がかかろうか……」

 何よりも新しい国の体制を作ろうと思えば、古くから国政に関与してきた旧臣とワリナ女王の新たな国で実権を握りたい北部諸侯の有力者との間で、権力争いが生じる。

 たとえ国難であろうと、目先に転がる利権を捨てられないのが人間なのだ。

 しかし、それも自分とポンピウスが目を光らせていれば、何とか抑え込めるだろうとダリウスは思う。

 だが――。

「ポンピウスよ。わしとおまえは、あとどれほど生きられる? 一年か、二年か? 五年は生きられたとしても、十年は無理だろう。それでは、無駄に国を苦しめて生きながらえさせるだけにすぎん」

 本来ならば、その後事を託せる後継者たちがいたのだ。

 自分の後継者と目して育てたマリウス。

 精鋭部隊「黒壁」の副軍団長として、次代の王であるアレクシウスの信頼を勝ち得たヒュアキス。

 このふたりとそれを支える者たちさえいれば、たとえ自分がいなくとも国の守りは問題ない。そう思えばこそ大将軍の職を辞し、後は時期を見計らって剣を置くつもりであったのだ。

 しかし、それも自らの無能によって失われてしまっていた。

 ダリウスは沈痛な面持ちで、こう続ける。

「終わるべきときに終われねば、それは民にとっても国にとっても不幸というものではないか?」

 ふたりの間に、重苦しい沈黙が下りた。

 しばらくしてから、ダリウスはどこか遠くを見つめるような目になると、ポンピウスに語りかけた。 

「今思えば、わしらは判断を誤ったのかも知れぬ。おぬしが身を退いたとき、わしもまたともに身を退くべきだったのではないかと……」

 先代のホルメア王が崩御したとき、ダリウスとポンピウスのふたりは、ひそかに国の行く末を考えて自身の進退を図り合っていた。

 ふたりから見れば、王位継承者のワリウスは猜疑心が強く、いきなり国を任せるには頼りない。

 そこで、まずは政務を担うポンピウスが身を退き、ワリウス王に政務を任せて経験と実績を積ませる。それまでの間、ダリウスは大将軍に留まって国内外に睨みを利かせ、国の安定に尽くす。そして、ワリウス王の成長を見計らい、ダリウスもまた身を退くはずであった。

 ところが、ワリウス王は即位するなり、ポンピウスが育てた実務者たちを政務から遠ざけ始めたのだ。

 その原因は、先王の名声である。

 先代のホルメア王は、政のポンピウスと武のダリウスを従える名君であった。しかし、その大きすぎる名声が、後継者であるワリウスに重くのしかかったのである。

 何をやろうにも先王の業績と比較されてしまい、失敗すれば失望され、成功しても認められない。

 そうしたことが今のワリウス王の人格形成に暗い影を落としてしまったのだろう。

 そして、そんな先王の名声の象徴ともいうべきものが、ポンピウスとダリウスのふたりだったのだ。

「もしかしたら、わしもおまえともに退いていれば、陛下は落ち着かれたかもしれぬ。そして、名君とは言わずともそれなりの王になられたのではないだろうか?」

 自分らがいる限り、常に先王の威名がついて回る。それがワリウス王にとっては、何とも苛立たしかったのだろう。

 そう言うダリウスに、ポンピウスはため息を洩らす。

「それは仮定だ。あのときは、私たちはこれが最善と思って決めたではないか」

 それにダリウスは苦笑する。

「今さら悔いても詮無きことだったな。つまらぬ老人の愚痴であった」

 ダリウスは苦笑いを引っ込めると、真剣な面持ちになって言う。

「しかし、今の陛下を諫められなかったのは、わしの不徳。ならば、最期まで殉じ、付き従うのが臣下の責務というものだ」

「陛下とともにするというのか……」

 ダリウスはワリウス王とともに死ぬ覚悟なのだ。

 それを悟ったポンピウスは胸の奥底から突き上げる感情のままに言う。

「ならば、私も」

 ともに亡国の責を取って果てようというポンピウスに、ダリウスは首を横に振った。

「終わりには、必ず幕を引かねばならぬ。もし、その幕を引く者がいなければ、混乱は大きくなる。幕引き役をおぬしに頼みたい」

 それにポンピウスは苦い顔になる。

「嫌な役目を押しつける」

「わしより先に悠々と隠居を決め込んでいたのだ。これぐらいは苦労してもらおう」

 この冗談に、ふたりはしばし笑い合った。

 かつては、先王の下でホルメア国の未来を語り、笑い合ったというのに、今や過去のものとなろうとしているホルメア国を前に、自分らのふがいなさを笑い合う。何という皮肉であろうか。

 ひとしきり笑い終えたポンピウスは、最後に尋ねる。

「ダリウスよ。何か、私にできることはないのか?」

 それに何もないと答えようとしたダリウスだったが、ふとあることを思いついた。

「もし、おぬしの前にわしについて意外なことを申す者が現れた時は、その者への伝言を頼みたい」

 それは、おかしな願いであった。

 伝言を頼むのであれば、伝えるべき相手の名を告げれば良い。それだというのに、いったい誰に伝えれば良いのかとポンピウスが尋ねても、ダリウスは時が来れば必ずわかると言い張り、決して明かさなかった。

 いったいどういうことかはわからなかったが、古き友の最期の願いとあらば、ポンピウスは引き受けざるを得ない。

「わかった。――では、何と伝えれば良い?」

 そう尋ねるポンピウスに、ダリウスはある伝言を託す。

 それは、これまたおかしな伝言であった。

 てっきり誰かに後事を託すとばかり思っていたポンピウスは困惑する。そんなポンピウスに、ダリウスは「頼んだぞ」と一言だけ言い残すと、遅ればせながら自分もまた出陣するためにワリウス王の後を追ったのであった。

 そうしてダリウスが去ってから、しばらく経ってからである。

 ロマニアを撃退するために、諸侯と国軍を合わせた八千あまりの軍勢が気勢を上げて王都ホルメニアを発ったのだった。

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