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破壊の御子  作者: 無銘工房
龍驤の章
207/548

第73話 スノムタの屈辱13-熟練兵隊

 ヒュアキスは、恐怖した。

 しかし、それは自分らが今まさに包囲されんとしているからではない。

 この包囲が、単独の策によるものではなく、壮大な策略の最終局面であると理解したからだ。

 ホルメア最強の軍団である「黒壁」を翻弄(ほんろう)する策士ならば、自分らに先駆けて討伐に向けられた諸侯軍など苦も無くひねりつぶせたことだろう。

 しかし、破壊の御子はそれをしなかった。

 それは最初から破壊の御子が狙っていたのは、自分ら「黒壁」だったからに他ならない。

 つまりは、これまでの策略のすべてが、この包囲のためだったのだ。

 マーベン銅山陥落から始まる、ホルメア国とロマニア国という西域の両雄と並び称せられた大国ですら手玉に取ったほどの策略の数々。

 それすらも、計り知れないほどの壮大な策略の一端に過ぎなかったのだ。そして、今まさにその策略が「黒壁」の包囲殲滅という形をもって最終局面を迎えようとしている。

 それは、すべてが怒涛の流れとなって、自分らを破滅へと押し流そうとしているかのような恐怖と絶望をヒュアキスにもたらしたのだ。

「破壊の御子ソーマ・キサキの悪魔的な軍才の結晶」

 そう「スノムタの戦い」を評するのは、軍事史研究家ベックマン教授である。

「とかく人は『スノムタの戦い』における破壊の御子が行った包囲殲滅戦術を自軍より数で上回る敵への対抗手段と(とら)えがちだ。

 しかし、それは大きな過ちである。

 その過ちに気づかず、自軍を上回る敵へ包囲殲滅を仕掛けて自滅した将軍たちは数多い。

 だが、本当に称賛すべきは、破壊の御子が寡兵(かへい)をもって大軍を包囲する戦況を作ったことにある。

 それ故に、『スノムタの戦い』を破壊の御子ソーマ・キサキの悪魔的な軍才の結晶と評するのだ」と。

 このように後世の研究家ですら称賛する蒼馬の策によって、完全に心を叩き折られるかに見えたヒュアキスは、だが自らの下唇を噛み千切らんばかりに噛み締めた。

 これしきのことで折れてたまるか!

 ヒュアキスは自分を叱咤(しった)する。

 ダリウス将軍とて、無敗ではありえなかった。時には将軍とともに泥濘(でいねい)の中を逃げ回ったことすらあるのだ。それをこの程度で心を折られてなるものか!

 ヒュアキスは馬上で背を伸ばすと、戦場を見回した。

 すでに左右ばかりか後方でも激しく打ち合わされる剣戟(けんげき)の音と怒号、そしてゾアンたちの太鼓の音が聞こえてきていた。

 包囲殲滅戦術の神髄は、恐怖である。

 人とは不器用なものだ。何かひとつに集中すれば十の力を発揮できる人も、他に気を取られてしまえば、その力の半分も発揮できはしない。

 ましてやそれが自分の生命にかかわる戦いの恐怖ならば、なおさらだ。

 そうして恐怖した兵士たちは、もはや兵ではありえない。

 それはただの群衆だ。

 ただの群衆が数千数万と集まろうが、それは敵ではない。

 忌々(いまいま)しいことに、それを敵は熟知している。包囲したゾアンたちが雄叫びを上げ、激しく太鼓を打ち鳴らしているのも、こちらの兵を恐怖させるためなのだ。

 そして、それは確実に効果を上げていた。精鋭である「黒壁」の中にすら隊列の乱れが見て取れた。これでは後方の第一軍やヌミトス将軍が率いる国軍の重装槍歩兵は統率を失ったと見るべきだろう。

 だが、それでもヒュアキスは(あきら)めなかった。

 いまだ兵数では、こちらが勝っているのだ。敵の包囲網のどこかを破れば、そこから敵背後に回り込み、逆に挟み撃ちにできるはずなのである。

 しかし、包囲を突破させるために、どこかに兵力を集中させるのも難しい状況だ。

 敵が前方に限られていれば、敵へ向かって進めと指示すればそれだけですむ。

 だが、現在のように敵に包囲された状況では、兵たちにどちらへ向かえば良いのか明確な指示を出さねばならない。

 ところが、この時代の軍の伝達は、まるで伝言ゲームのように人から人へと指示を伝えていくものである。それだと、こう混乱している状況下では正しく命令が伝達されないとも限らなかった。

 そんなことになれば、命令に正しく従った者、命令が聞こえなかった者、命令を取り違えた者と、それぞれがてんでんばらばらに動いてしまい、集中させるはずの戦力をかえって分散させかねない。

 そんなことになれば、突出した部隊から各個撃破されてしまうだろう。

 それに戦力を集中させる場所も問題だ。

 まず、まだ遮断されきっていないとはいえ、後方はあり得なかった。

 今、第二軍の最後方にいるのは前列だったヌミトス将軍が率いる国軍の重装槍歩兵たちである。この混乱した状況下で、彼らに速やかな転進を期待するほどヒュアキスは楽天家ではない。ヌミトス将軍らが転進に手間取れば、今も攻城兵器の攻撃にさらされている「黒壁」が敵に背を向けたまま足止めを喰らう恐れが高かった。

 ならば左右はというと、それも困難だ。

 すでに第二軍の側面では激しい戦いとなっている。密集陣形の弱点ともいうべき側面を強襲されただけではなく、得意な槍を捨てての白兵戦とはいえ、精鋭ぞろいの「黒壁」ですら押されているのだから、強襲してきたゾアンたちも敵の最精鋭なのだろう。これを今から打ち破って包囲網を突破するのは難しい。

 いずれにしろ、このような混乱した状況では下手に転進の命令を出すのも危険である。

 ならば、選択肢はない。

「真正面に全兵力を向けよ! 狙うは、敵の指揮官がいる本陣だ!」

 ヒュアキスが命じたのは、正面突破である。

 敵は本来ならば寡兵(かへい)に対して多勢の軍が行う包囲を逆に寡兵で仕掛けているのだ。必ずや、どこかに無理が生じているはずである。

 そして、それは間違いなく正面である敵本陣だった。

 砦だと思われていた敵本陣は、ハリボテだと明らかになり、もはやそこを守るものはない。また、そこにいるのは撤退したエルフ弓兵を合わせても、わずか五百人ばかりである。

 どこの大要塞を陥落させようかというほどの大量の攻城兵器による攻撃も、そうした無理を隠すためのものに違いなかった。

 つまり、あそこがもっとも包囲網が薄い場所なのだ。

 そして、何よりもあそこには「破壊の御子」がいる!

 奴さえ倒せば、この戦いは勝利できるのだ。

 しかし、今なお敵本陣からは投石機と衝車による激しい攻撃が行われている。

 そんなところへ真正面から突っ込めば、その被害は計り知れない。そればかりか、そのような死地に突っ込んで、敵本陣までたどり着けるかどうかも怪しい。

 だからこそ、ヒュアキスはとっておきの切り札を切る。

「『黒壁』熟練兵隊を前へっ!」

 熟練兵隊とは、その名のとおり「黒壁」に二十年以上所属する熟練の兵たちからなる部隊である。

 実力だけが評価され、厳しい訓練が徹底される「黒壁」に二十年以上も身を置いているのだ。熟練兵たちの練度とその強さは、もはや言うまでもない。

 まさに、精鋭中の精鋭からなる部隊である。

 そして、特筆すべきは熟練兵たちの「黒壁」への帰属意識の強さだ。

 その人生の大半を捧げてきた「黒壁」に対する熟練兵たちの愛着は強い。

 彼らは自分らの名誉よりも「黒壁」の名誉を重んじる。自らの命よりも「黒壁」の勝利を選ぶ。彼らは激戦を終えた後に、互いの生存を喜ぶよりも、「黒壁」のために死ねなかったのを悔しがる。仲間の戦死を悔いるのではなく、「黒壁」のために死ねた戦友を(うらや)む。

 そんな「黒壁」のためならば命を惜しまない猛者たちばかりなのだ。

 しかし、そんな彼らを死地へ送るのはヒュアキスにとっても苦渋の決断であった。

 ヒュアキスにとって熟練兵隊の者たちは、苦楽を分かち合った戦友である。立場は違えど、いずれもダリウス将軍の旗の下で、ともにあまたの戦場で戦い、死線を潜り抜けた同志なのだ。中には命を助けられた恩人さえいる。

 ヒュアキスは熟練兵隊のひとりひとりの顔と名前を一致できる。彼らの好きな酒、好みの食べ物、酔うと決まって口にする歌、口癖、その家族構成すら知っていた。

 ヒュアキスにとっても「黒壁」は家族であり、熟練兵たちは血を分けた兄弟なのだ。

 そんな者たちを死地へ追いやるのは、まさに断腸の想いである。

 しかし、もはや彼ら以外にヒュアキスに頼れる者はいない。この窮地を打開するには、もはや熟練兵隊に頼るしかなかったのだ。

 だが、相手を知っているのは熟練兵隊も同様である。

 ヒュアキスがどのような想いで自分らを送り込もうとしているかなど、当然言わずとも察せられた。

 だからこそ、熟練兵隊を率いる連隊長は自分らへの前進の命令を聞いた時、まず大きな声で笑ったのだ。

「何と! ヒュアキス副軍団長殿は、お堅いだけが取り柄の堅物と思っていたが、とんでもない! 我らに、このような最高の舞台を用意してくださるとは、(いき)なはからいをなされるではないか!」

 熟練兵隊の連隊長は、部隊に向けて声を張り上げる。

「さあ、『黒壁』の新たな武勇伝を作りに行くぞ! 運悪く生き延びた者は、せいぜい自腹を切って、我らの武勇伝をホルメア国中の酒場で語り継ぐことだな!」

 それに熟練兵隊の者たちからも笑い声が上がる。

「熟練兵隊! 総員、槍を捨てて抜剣!」

 投石機と衝車による攻撃の前では、密集した状態はかえって不利だ。そう判断した連隊長は、密集陣形用の長い槍を捨てさせて、剣を抜かせる。

「熟練兵隊、前へっ!!」

 連隊長が剣で敵本陣を指し示すと、熟練兵隊はいっせいに前進を始めた。

「「前へっ! 前へっ!!」」

 そう声を張り上げながら、味方を掻き分け、時には押し倒してまで強引に最前線に出た熟練兵隊。

 そんな熟練兵隊に向けて、蒼馬たちは投石機による投石と荒れ狂う牛に曳かれた衝車による容赦ない攻撃を加えた。

 いかな熟練兵隊といえど、彼らもまた人間だ。

 投石が直撃すれば吹き飛ばされ、牛や衝車が突っ込めば撥ね飛ばされる。

 (またた)く間に多数の死傷者を出した。

 しかし、それに(ひる)む者は誰ひとりとしていない。

 むしろ、彼らは率先して自らの身体をぶつけるようにして、牛や衝車を止めたのだ。そのため壁となった者の損傷はひどくなるが、牛や衝車による部隊の被害は最小に抑えられた。

 今もまた数人の兵士が突っ込んできた衝車を止めんと身体を張り、撥ね飛ばされる。衝車は食い止められたが、それを成し遂げた兵は地面に倒れたままピクリとも動かない。よく見ればその兵の首は真横に曲がり、誰が見ても絶命しているのは明らかだった。

 その姿を近くにいた中隊長が大きな声で笑う。

「先走りすぎだ、馬鹿たれめ! 俺の手柄を取るんじゃない!」

 しかし、そう笑う中隊長の頬は涙で濡れていた。

 それをなぜだと思う兵士はいない。家族のように親しい中隊の仲間ならば、その死んだ兵が中隊長の弟であることぐらい知っているからだ。

 だから、彼らも笑う。

「はははっ! 先を越されましたな、中隊長殿!」

「兄としての威厳が損なわれたのでは?」

「これで負けたら怒られてしまいますな!」

 部下たちの言葉に再び笑い声を上げた中隊長が、投石の直撃を受けて吹き飛んだ。

 まるで血を(ぬぐ)ったボロ雑巾のような有様となった中隊長だったが、それでも身体を起こすと震える指を敵本陣へと向ける。そして、絞り出すような声で「前へ」と言うと、そのまま弟の後を追うようにこと切れた。

 そうしたことが、いたるところで起きていたのである。

 しかし、それでもなお「黒壁」の熟練兵たちに足を止める者はいない。ただひたすらに前へと足を動かし続ける。身体を使って衝車を止め、牛に角で突かれながらも剣を突き立て、ただひたすらに前へ前へと突き進む。

「「前へっ! 前へっ!!」」

 熟練兵の誰もが自らの命を犠牲にして「黒壁」に勝利をもたらそうとしていた。


                  ◆◇◆◇◆


 その「黒壁」熟練兵隊の気迫は、蒼馬がいる本陣にも届いていた。

「何なのだ、あいつらは……!」

 勝気なシェムルですら、その気迫に圧倒され全身の毛が逆立つのを感じずにはいられない。

 そればかりか、それまで(せわ)しなく投石機を動かしていたドワーフや人間たちの間にも動揺が見て取れた。

 妄執とも呼んでも良い熟練兵隊が「黒壁」へ勝利をもたらさんとする想いは、シェムルのみならず本陣にいた誰をもたじろがせていたのである。

 これには、シェムルもまずいと思った。

 敵の気迫もさることながら、自分らが予想していたよりも敵の侵攻が速い。

 このままでは大変なことになると思ったシェムルは、迫りくる熟練兵隊を見やりながら、蒼馬に声をかける。

「ソーマッ! 次の指示を!」

 しかし、蒼馬からの返事がない。

 いったい何をまごついているのだと、シェムルは振り返る。

「ソーマ! 次の指示を! ソーマ……? ソーマ?!」

 シェムルは、ぎょっと目を見開いた。

 そこにあったのは、顔を蒼白にさせ小刻みに身体を震わせている蒼馬の姿だったのである。


                  ◆◇◆◇◆


 熟練兵を送り出したヒュアキスは祈るような眼差しで敵本陣を見続けていた。

 すでに後方から聞こえてくるのは、ゾアンの打ち鳴らす太鼓の音と雄叫びが優勢を占めている。おそらくは第一軍は崩壊し、後方は遮断されたとみるべきだ。

 崩壊した第一軍の兵は助かろうとし、ヌミトス将軍が率いる第二軍の後方へ算を乱して逃げ込むだろう。そうなれば第二軍の後方の隊列は逃げ込む味方によってズタズタにされる。そこへゾアンたちが逃げる味方とともに雪崩れ込めば、一気に白兵戦へと持ち込まれてしまう。長柄の槍で距離を置いて戦うのならばともかく、ゾアンたちの山刀の距離での戦いとなれば、こちらの不利は否めない。ヌミトス将軍が率いる国軍の重装槍歩兵たちも長くは持たないだろう。

 ジリジリと火であぶられるような焦燥感に耐えながら、ジッと敵本陣を見続けていたヒュアキスの目が驚きに見開かれる。

「……! あれは?!」

 それは、白い煙であった。

 最初は一本だけだった煙も、見ている間に次々と上がり始め、ついには幾筋もの白い煙となって敵本陣から立ち上り始める。

 そして、ついには平衡錘投石機までもが真っ赤な炎に包まれるのが見えた。

「やった! やってくれたかっ!!」

 ヒュアキスは歓喜の声を上げた。


挿絵(By みてみん)

迫りくる熟練兵隊。そして、燃え上がる投石機。

ついに、破壊の御子と名将の兜持ちとの戦いに決着がつく。

次話「スノムタの屈辱-絶叫」

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