第45話 策士
ラビアンの渡し場において、ロマニア軍を撃破。
久々に聞くその朗報に、ワリウス王は喝采を上げた。しかも、打ち負かした相手は積年の宿敵ロマニア国である。これほど痛快なことはない。
「見事であるぞ、アレクシウスよ! 我が王子がこれほどの大功を成し遂げるとは、父たる余も鼻が高い!」
まるで我がことのように鼻高々になったワリウス王の前には、わずかな供回りだけを連れて一足先に王都へ帰還していたアレクシウスが片膝をついて頭を下げていた。
「大したことはありませぬ、父上! しょせんドルデアめは、三十年前にも河ひとつ越えられなかった老いぼれ。このアレクシウスの敵ではございません!」
息子の威勢のいい口舌に、ワリウス王は相好を崩した。
そして、ご機嫌なまま今度はアレクシウスと並ぶようにして立つ小柄な老人に向けて、惜しみない称賛を与える。
「さすがは、ポンピウス卿! まさか、大宰相殿がこれほどの知恵者であるとは、余も知らなんだわ!」
ワリウス王の称賛に、子供のように背が小さな禿頭の老人――ポンピウスは深々と頭を下げて見せた。
「あくまで私は献策しただけ。それをお受けくださりましたワリウス王陛下のご賢察と、それを実行に移されたアレクシウス殿下の力があってこそにございます」
そう謙遜して見せたポンピウスこそが、今回のラビアン河での一連の策をワリウス王に献策した人物であったのだ。
「しかし、ドルデアめが、こうも簡単に策にはまるとはいまだに余も信じられん」
ワリウス王が疑問に思うのも無理はない。
三十年前の征西失敗以降は自らの増長を戒め、周辺の小国を平定していったドルデア王は、西域ではずる賢い老いた狼とも呼ばれている王である。そのドルデア王がこれほど見事に策にはまってしまうとは思いもしなかった。
「それは、ドルデア王の焦りにございます」
ワリウス王の疑問に、ポンピウスはそう語る。
「ドルデア王は、我が国がボルニスの反乱奴隷どもを叩かんがために東より国軍を動かすのを期待して征西の号令を発し、軍を動かしました。しかし、実際にラビアンの渡し場に来て見れば、我が国が万全の態勢にて待ち受けておりました」
ロイロップスの砦やマサルカ関門砦に、これでもかと立てられた旗や槍を見た時のドルデア王の心情をポンピウスは推測する。
「ドルデア王が自ら『最後の征西』と謳っての出征でございます。一度も矛を交えずして退くのは難しく、かといって攻めれば多くの兵を失ってしまうのは目に見えている。退くに退けず、攻めるに攻められず、ドルデア王は進退窮まりました。それはまさに無明の洞窟に墜ちた迷い人の如き心境だったことでしょう」
そこでポンピウスは、人の悪い笑みを浮かべて見せた。
「ところが、そこへ我が国の兵が策をもってその数を偽っているという可能性が見えてきたのです」
砦に立てられた旗や槍の周りに集まる鳥たちの姿を見て、偽兵の策と判断したドルデア王。しかし、それらはわざわざ兵士を遠ざけた上にパン屑を撒いて集められた鳥たちであった。
「それは無明の闇の中で、唯一見えた希望の光。闇の中をさまようドルデア王が、これを無視できましょうか? 必ずや光が幻ではないかと確かめようとしたはず」
そして、ドルデア王が半信半疑で伸ばした手に触れたのは、ロブナスによるロイロップス陥落の朗報という風の流れだった。
「見えた希望の光と、外界への風の流れ。それまでさんざん暗い洞窟の中でもがき苦しんだドルデア王のそこから抜け出さんとする焦りが、落ち着いていれば気づけたはずのわずかな違和感を見逃させてしまいました。――そして、哀れなドルデア王は」
ポンピウスは、自分の足元を指差す。
「足元に口を開けていた奈落への穴に気づかずに、落ちてしまったのでございます」
ポンピウスの語る内容に呑まれたかのように謁見の間は、しんと静まり返った。
その中でポンピウスは、まるで壮大なものを広げて見せようとするかのように、ゆっくりと両手を開きながら言う。
「相手の思惑に乗ると見せかけ、最後にそれをひっくり返す。これこそ、戦の妙計なのです」
謁見の間のいたるところから感嘆のため息が洩れ聞こえた。
それは、重臣ばかりではない。ワリウス王も何度も何度もうなずき、感心を示した。
「なるほど、なるほど。ポンピウス卿の外交や政治の手腕は存じていたが、まさかこのような優れた計略を考え出せるとは知らなかった。まさか、これほどの策士であったとは。ポンピウス卿こそホルメア随一の策士であるな!」
ワリウス王が称賛すると、居並ぶ臣下も追従して「まさに、陛下のおっしゃるとおり」と口々に言う。
謁見の間にいる者すべてがこぞって称賛したが、ポンピウスは得意げになるどころか、むしろ鬼気迫る表情でワリウス王に詰め寄る。
「陛下、これにてロマニアの脅威は減じました。今こそ西の反乱奴隷を打ち倒す好機でございます。なにとぞご英断を!」
間髪入れずに西の反乱奴隷を討伐するのを進言するポンピウスに、ワリウス王は面食らう。
「う、うむ。――しかし、東を手薄にしては、またロマニアが攻めてこないとも限らぬ」
実際に東を固めて西へ注力しようとしたところにロマニアが攻めてきたのである。ここで同じことをすれば、またもやロマニアが攻めてこないとも限らない。それを心配するワリウス王にポンピウスは言い募る。
「大きな痛手を受けたロマニアが軍を立て直すには時間がかかります。ましてやドルデア王による征西は、これで二度目の大敗。ドルデア王も再びの征西を命じづらく、諸侯らもまたそれに従うのを躊躇いましょう」
それでも迷うワリウス王に向けて、さらにポンピウスは語調を強めて言う。
「今、我がホルメア国は、東のロマニア国」と右手を上げ、「――西の反乱奴隷」と左手を上げる。
「このふたつの脅威に挟まれております。これを放置すれば、いつか我が国は東西から叩き潰されてしまいます!」
上げて両手を胸の前でパンッと音を立てて叩き合わせる。
「しかし、ロマニア国を叩いたこの今、全力をもって西の反乱奴隷を叩き潰す絶好の好機。これを逃してはなりませぬ!」
ポンピウスの気迫に圧されながらも、ワリウス王はそれでも不安要素を挙げる。
「それは承知しておる。だが、ロマニアに気づかれず国軍を西へ動かすのは難しいのでは?」
いまだにホルメア国内の諸侯らがマーベン銅山陥落の衝撃から領地に引きこもってしまっている今、西の反乱奴隷討伐を命じられるのは東の国境にいる国軍以外にはあり得ない。
しかし、反乱奴隷を一息に鎮圧するだけの兵力となると、ほとんど東の国境は空となってしまう。もし、それが洩れれば痛手を受けたロマニアとて再侵攻してくる可能性が捨てきれなかった。
ところが、ワリウス王の懸念をポンピウスは笑い飛ばした。
「むしろ、ロマニアに見せつけるように堂々と兵を動かしくだされ」
「それで、ロマニア国は攻めてこぬか?」
「来ませぬ」ポンピウスは断言した。「このたびの戦いにおいて、寡兵と偽り敵を誘い込む策によってロマニアは大敗しました。ここで兵を堂々と退いてみせれば、かえってロマニアはまた同じ策ではないかと疑心暗鬼となり攻めにくくなります」
それに多くの重臣や将軍たちは、なるほどと納得の声を洩らした。
それでも決断できずにいたワリウス王だったが、その背中を押す声が上がる。
「父上! 私もポンピウス卿の提言に賛同いたしまする!」
そう高らかに言ったのは、アレクシウス王子だった。
鎧の音を鳴らして立ち上がったアレクシウスは、ワリウス王のみならず謁見の間にいたすべての人に聞かせるように大きな声を張り上げる。
「今や、宿敵ロマニアを討ち倒した我が軍の意気たるや、天を衝くが如し! その威勢をもってすれば、反乱奴隷などひと呑みにできまする! なにとぞ、このアレクシウスに反乱奴隷討伐を御命じください!」
アレクシウスの気勢に面食らうワリウス王だったが、すぐに目を輝かせると、大きくうなずいて見せる。
「そうだな。おまえならば、きっと反乱奴隷など簡単に蹴散らしてくれよう」
そう言うとワリウス王は玉座から立ち上がって王錫を高々と振り上げた。
「ホルメア国の国王たる余、ワリウス・サドマ・ホルメアニスの名において、すべての諸侯並びに諸将らに、再び西の反乱奴隷の討伐を命じる!」
謁見の間にいたすべての者が「おおっ!」と興奮の声を上げる。
「そして、その討伐軍総大将は、我が王子アレクシウス!」
ワリウス王に王錫を向けられたアレクシウスは、その場に片膝をついて拝命する。
「御意! 必ずや父上の御前に、反乱奴隷の頭目『破壊の御子』の首を持ってまいりましょう!」
それに鷹揚にうなずいて応えたワリウス王は、大きく両腕を広げる。
「皆の者よ、此度こそアレクシウスとともに我がホルメアの威を示すのだ!」
◆◇◆◇◆
戦勝祝いの場から、一転して反乱奴隷討伐の軍議の場へと変わった謁見の間を辞したポンピウスは、ひとり王宮の通路を歩いていた。
その途中、王宮の中庭に面した通路に差し掛かった時、ふとポンピウスの足が止まる。立ち止まったポンピウスが中庭の方を見れば、そこからは雲ひとつない青い空が覗けた。
「ホルメア随一の策士、か……」
青空を見上げるポンピウスの唇から洩れたのは、先程自分に向けられたワリウス王の称賛の言葉である。
ポンピウスの口許に、かすかな笑みが浮かぶ。
「さすがはホルメア最高の将軍。その智謀、いささかの衰えもなし」




