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破壊の御子  作者: 無銘工房
燎原の章
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第16話 夜襲

 夜の闇が下りた山の中を駆け抜ける集団があった。

 物音ひとつ立てずに移動する様は、まるで亡霊を思わせる。

 山の斜面に設けられた柵のところまでくると、先頭にいた影の手に、ぎらりと月光を反射する山刀が抜かれた。他の影たちが周囲を警戒する中で、音を立てないように、少しずつ少しずつ柵の支柱と横木を縛る縄を切っていく。

 ぶつりと縄が切れると、落ちそうになった横木を他の影たちが受け止め、ゆっくりと地面に下ろす。そして、同じように次の横木をはずし、影たちが通り抜けられるだけの隙間を作ると、そこを通り抜けてまた次の柵へと向かう。

 これを繰り返していき、ついにはすべての柵を抜けて宿営地の中に入って行った。

 月光に照らされ、青白く染まる宿営地の中は、しんと静まり返っていた。

 本来なら見張りをしている歩哨(ほしょう)たちも、昼間の戦闘の疲れからか、槍を抱えたまま座り込み、こっくりこっくりと船をこいでいる。

 影たちはその歩哨たちを取り囲むと、歩哨の口を手で覆ったのと同時に鎧の襟元から覗く首筋に山刀を当て、一気に掻き斬った。押さえられた口から、くぐもった悲鳴をわずかに洩らし、歩哨たちは息絶える。

 影たちは次から次へと獲物を求めて宿営地を駆け回った。暇つぶしに星を数えていた者、木に寄りかかって眠りこけていた者、眠気覚ましに柔軟体操をしていた者、ことごとく悲鳴を上げる間もなく咽喉を掻き斬られていった。

 影のひとりが、またひとりの歩哨の咽喉を掻き切ったとき、その正面に建つ家の扉が開いた。そこから、交代の時間なのか、単に小便に起きたのかはわからないが、大あくびをしながら中年の兵士が外に出ようとして、ぎょっと目を向いた。

「ゾ、ゾアン……?!」

 兵士の真正面にいたのは、口許を黒い布で覆ってはいるが、ツタを編んだ鎧とその下から覗く毛皮は間違いなくゾアンだ。月の青白い光に照らされ、そのゾアンは返り血で山刀と腕を黒く染めていた。

「敵襲ー!」

 そう叫ぼうとしたが、彼の咽喉から出たのは言葉ではなく大量の血液であった。一瞬にして三メートルほどの距離を跳んだゾアンの山刀が、正確に兵士の咽喉を切り裂いていたのだ。しかし、彼の身体がくずおれるときの音に、驚いて兵士たちが目を覚ます物音が家の中からする。

 兵士を始末したゾアンは周囲の仲間に、息を鋭く吐いて「シュッシュ!」という合図をすると、山刀を手に家の中に斬り込んでいった。合図を聞いた仲間たちも次々と家の中に突入し、中から複数のくぐもった悲鳴が立て続けに起きる。

 真っ先に入り口で倒された兵士は、仲間たちの悲鳴を聞きながら意識が闇に飲まれる中で、最後にひとつの疑問を思い浮かべていた。

「太鼓もなかったのに、なんでゾアンがこんなところに?」と。


              ◆◇◆◇◆


 凶行が繰り広げられている宿営地を見下ろす山の上に、ガラムはいた。

 そこで起きていることをひとつとして見逃さないとでもいうように、その視線は宿営地に向けられたまま微動だにしない。

 どれほどの時間が経った頃か、宿営地で変化が起きた。宿営地の山側のはずれに置かれたかがり火から、小さな火が分かれたかと思うと、その火が宙に円を描くように動いたのだ。

「族長! 合図だ!」

 隣にいたグルカカの言葉に、ガラムはうなずくと、

「行くぞ!」

 そう言って後ろに控えていた戦士たちを引き連れ、斜面を駆け下りて行った。穴のあけられた柵を潜り抜け、宿営地に入ったガラムを出迎えたのは、口を黒い布で覆った二〇名ほどのゾアンの戦士たちだった。

 いずれも体格と言い面構えと言い、見るからに選りすぐりの精鋭たちである。

「族長! すべての人間どもは片付きました!」

「被害は……?」

「何人かが軽い手傷を負ったのみです」

 言っている本人も半信半疑というような口調であった。

 しかし、これは当然と言うべき結果だった。

 もともとゾアンは人間と比べて身体能力が高い。野生の動物と組み合えるほどの筋力とタフネスに加え、特筆すべきはその瞬発力だ。素手で川魚を掴む反射神経に、走れば全身の筋肉を躍動させて行う加速は爆発的と表現してもいいだろう。

 そんなゾアンと隊伍を組まずに正面から白兵戦を行うことは、自殺行為に等しい。

 さらに生粋の狩人であるゾアンにとっては、闇夜はその行動に支障を及ぼすものではない。まさに獣並の聴覚と嗅覚で正確に敵の位置を掴み、逆に相手に悟られることなく接近することができるのだ。

 ゾアンたちの夜襲を警戒しているならばともかく、そうした備えもなく、昼間の勝利で気を緩めていたのでは、夜襲を仕掛けられた時点で負けていたと言ってもいいだろう。

「族長! 隠れ家にこのことを伝えて、ソーマの監視を解いてもかまわないだろうか?」

 振り返らずとも、その弾むような声だけでシェムルの喜びが伝わってくる。それとは対照的に、困惑が抜けきらぬガラムはただ短く了承を伝えることしかできなかった。

「……ああ」

「では、失礼する」

 足取りも軽く隠れ家に向けて走り去るシェムルの後姿を見送っていたガラムは、その姿が見えなくなってから、ようやく言葉を絞り出した。

「なあ、グルカカよ」

「なんだ、族長?」

「俺たちは、いったいこれまで何をしていたのだ?」

 あれだけ悲壮な決意を持って戦おうとしていたのに、この結果にガラムは気持ちがついていかなかった。張りつめていた緊張がいきなり途切れた反動で、心が虚脱してしまい、どうすればいいのか分からなくなっていたのだ。

「俺にもわからん。聞かんでくれ、族長」


              ◆◇◆◇◆


「ソーマ! おまえの言うとおり、村を制圧できたぞ!」

 シェムルは蒼馬の両脇に立っていた若い戦士たちを手振りで遠ざける。

「驚いた。本当に驚いた。こんなに簡単にいけるとは!」

 シェムルは驚いているが、蒼馬からしてみれば、これまで夜襲を思いつかなかったゾアンの方が驚きであった。

「夜襲をかければ簡単に落ちる。おまえが言った通りだった!」

 蒼馬がゾアンたちに提案したのは、「夜襲」をしかけろ。

 ただそれだけであった。

 今日、ガジェタの暴走を見たとき、まるで「バンザイ突撃」のようだと蒼馬は思った。

 「バンザイ突撃」とは太平洋戦争において、補給線を絶たれて食料弾薬が不足した旧日本軍が、「生きて虜囚(りょしゅう)(はずかしめ)を受けず」の一節で有名な戦陣訓による無降伏主義が浸透していたことで、進退窮まってもアメリカ軍に降伏しようとはせず、「天皇陛下、万歳!」の掛け声とともに行った突撃のことである。

 ここ数年、太平洋戦争に関係する映画がいくつか上映されていたため、蒼馬も旧日本軍の行った「バンザイ突撃」を知っていた。父親と一緒に映画で観た当初は「あんな銃弾の中を突撃していたなんて、すごいな」という感想だった。

 ところが、そのことを学校の教室で話すと軍事マニアな友達に「あんなの戦術じゃなく、単なる玉砕。つまり自殺行為だ」と言い切られたのである。

 実際に武器弾薬が欠乏していた旧日本軍の突撃は、自動火器や火砲が充実していたアメリカ軍にとっては、格好の標的でしかなかった。逆に自殺的突撃が戒められていたペリリューの戦いや硫黄島の戦いにおいては、米軍は多大な犠牲者を出し、むしろ「バンザイ突撃」を期待していたという。

 昼間見たガジェタの突撃は、自殺行為と言うより自分らの力への過信と人間への過小評価から引き起こされたものだが、結果は似たようなものだった。

 山の斜面を切り開いたのは、家を建てるための木材を得るためもあっただろうが、本当の目的はゾアンの襲撃に備えたものだと蒼馬は考えていた。俊敏なゾアンは接近を許せば、その強靭な肉体もあり、恐るべき敵である。

 だが、走りにくい斜面に加え、彼らの動きを封じる柵の存在。あそこはゾアンたちを効率よく殺すための、キルゾーンに他ならなかったのだ。

 そこに無策で突っ込めば、ゾアンの戦士たちは一方的に殺されるのは当然である。

 それはまるで、ろくな弾薬もないまま雄叫びをあげて、米軍のマシンガンなどの火砲の前に飛び出す旧日本軍兵士と同じだった。

 それを見ていた蒼馬はシェムルに「なんで、あんな無謀なことを」と言った。

 蒼馬からしてみれば、柵を破りたいなら斜面から岩なり丸太なりを落とせばいいし、そうでなくともあれほど兵士たちが油断していたなら、わざわざ太鼓を叩いて事前に攻めることを教えてやらずに奇襲すれば、もっと簡単に攻められるように見えた。それなのに、なぜあんな馬鹿正直に特攻するのか、という意味で言ったのだ。

 しかし、シェムルの答えは、あくまでガジェタの独断専行や未熟さを指摘するだけで、ガジェタの無謀な特攻自体の批判ではなかったのである。

 それが、蒼馬が感じた自分とシェムルとのズレの正体だ。

 こうしたズレが生じた原因は、もともとゾアンたちは平原で生活していた種族であるせいだ。遮るものがほとんどない平原では兵を潜ませておくこともできず、どうしても正面からのぶつかり合いとなってしまう。人間と戦うはるか昔から部族間で行われてきた戦いにおいて、そのようなやり方を続けてきたゾアンたちにとって、戦いとは正面から名乗りを上げてぶつかり合うものという固定観念が生じていたのである。

 さらに、肉体的には人間よりはるかに優れているゾアンたちにとってみれば、人間相手にこすっからい戦いができるものか、という妙な意識があったのも原因だろう。

 また、実際に柵さえ破ってしまえば、ゾアンたちにも勝機はあった。まだゾアンの勢力が強かったときは、そうした数と力押しだけで柵を破り、何度か勝利を手にできたのだ。そうした経験が、さらにゾアンたちに自分らの戦い方を省みることをやめさせてしまっていたのである。

 そして、この夜襲の成功は、人間側にも敗因があった。

 百年ほど前にいた、亜人類たちとの戦争で名を馳せた帝国の名将インクディアスが部下に優れた将の条件を問われ、こう答えている。

「軽装にて弓矢や投石、投槍でディノサウリアンやドワーフと戦う勇気。陸上にマーマンを誘き出す智謀。エルフの弓矢に向かって強固な盾を並べて一糸乱れぬ進軍を行なえる統率力。陣に頼り、弓矢と槍でゾアンと戦う慎重さ。ハーピュアンの投石や弓矢が尽きるまで耐え忍ぶことができる忍耐力」

 これは将の条件としてだけではなく、今なお各国の兵士たちに亜人類たちとの戦いにおける基本戦術として教えられるものである。

 ここで書かれているように、四つ足で大地を俊敏に駆け回るゾアンと戦うときは、彼らの接近を許さず、弓矢や槍で戦うことが基本となっている。そして、それはガジェタの暴走のときまで、確実に成果を上げていた。

 つまり百年近くかけて人間たちも、ゾアンの戦い方になれてしまっていたのである。

 いわば蒼馬の提案した夜襲は、百年かけて用意された夜襲だったのだ。

 そんなこととは知らない蒼馬は「この世界の人間は、いくらなんでもたるみすぎじゃないのか?」と思っていた。

 昼間の様子ではまず失敗はないだろうとは思っていたが、それでも不安はあった。それを何とか乗り切れたことに、内心でほっと安堵のため息をつく。

 あれだけ大見得を切ったのだ。成功して当たり前という顔でいなければならない。

 その代りに蒼馬の提案した夜襲が成功したことに、シェムルは我がことのように大喜びしている。

 その姿に、これでゾアンたちも自分らの戦い方に拘泥してはいけないと思い直してくれるきっかけになればいいと思った。そうでなくては、次が困る。今度は、さらにゾアンたちの戦い方からかけ離れたものになるのだから。


              ◆◇◆◇◆


 翌朝、シェムルに連れられて宿営地を訪れると、すでにゾアンの戦士たちによって片付けが行われていた。

 誇りある戦士であるゾアンたちにとっては、たとえ憎むべき人間と言えども死んでしまえば、同じ骸である。近くの山肌に穴を掘って死体を埋葬していた。

 問題は、放置されていた同胞たちの亡骸の方だ。本来ならば、ゾアンの葬儀は神話に従って鳥葬にすることになっている。しかし、寒さのおかげで腐敗はしていないようだったが、長い間放置されていた亡骸に触れて死病が広がる懸念もあったため、テントの残骸と一緒に燃やすしかなかった。

 お婆様が死者の魂の安息を願う歌を歌う中で、ガラムが周りに積み上げた(たきぎ)に火をつける。乾いた薪は瞬く間に赤々とした炎を上げて燃え盛った。

 その場にいたゾアンたちは、身体を左右にゆすりながら、お婆様の歌に唱和する。

 それはゾアンたちの厳粛なる儀式である。加害者と同じ人間である蒼馬はそれに加わるわけにもいかず、遠くからそれを眺めているしかなかった。

 数時間後、ようやく荼毘の火も消えると、ゾアンたちは同胞の遺品を求めて灰の中を探し回った。

「ソーマといったな、人間の小僧」

 それを見ていた蒼馬に、ガラムが歩み寄ってきた。

 昨晩の脅しが効いていた蒼馬は、思わず跳び退いてしまうのに、ガラムは何もしないというように首を小さく振る。

「おまえのおかげで、私は同胞たちの亡骸を葬ることができた。また、先代の族長の山刀も取り戻すことができた」

 その山刀は、人間の兵士のひとりが戦利品として持っていたのを見つけたものだ。

 ゾアンの山刀は、ドワーフの手による逸品である。親から子へ、子から孫へと、戦士の誇りと魂とともに引き継がれていくものだ。ゾアンの戦士たちにとって、自らの誇りと魂を次代の戦士に引き継ぐことが、最期の務めである。

「これで、先代族長の…親父の魂が引き継がれていく」

 そう言ったガラムは、まなじりをあげてこちらに歩いてくるシェムルを見つけ、苦笑した。大方、父親の山刀を蒼馬に見せていたのを脅しているとでも思ったのだろう。

「《猛き牙》よ! いったい、なにを……」

 ガラムは、シェムルに父親の山刀を投げ渡した。シェムルは慌ててそれを受け止める。

「これは、先代族長の……?」

 シェムルにも見覚えがある山刀に、しばし言葉も忘れて見入ってしまう。

 この山刀を持った父親の手は、戦いに明け暮れたゴツゴツとした戦士の手であった。

 しかし、怪我をして泣いた幼いシェムルの頭を不器用に撫でたときの父親の手は、とても温かかったことを覚えている。シェムルは溢れそうになった涙をこらえる。

「それはおまえが預かっていろ。子供ができたときにでも渡すのだな」

 ガラムはすでに伯父と祖父から譲り受けた二本の山刀がある。それに、人前では族長としての仮面をかぶり、隠してはいたが、こんな時代に御子としての重責を負わされたシェムルのことを誰よりも父親が心配していたことをガラムは知っていた。父親の山刀をシェムルに渡したのは、父親が少しは安心してくれるだろうと言う想いからだった。

「これで思い残すことはない。あとは思う存分暴れるだけだ」

 人間たちがため込んでいた糧食があれば、老人や子供たちをこの地から逃がすこともできる。後顧の憂いさえなければ、あとは残った戦士たちとともに人間の軍勢を迎え撃つだけだ。

 そうガラムは考えていた。

 しかし、そんなこととは知らない蒼馬は平然と言った。

「それじゃあ、まずは見張りを立てて。砦から定期連絡や斥候兵がくるかもしれないから、その人たちにここを取り返したことを知られたくない」

 目を見開いたガラムとシェムルに見つめられ、蒼馬は慌てる。

「僕の指示に従うんだよね?」

 蒼馬は自分が提案した夜襲がうまくいったので、多少は自分に対する評価が上がっていると思っていた。それなのに、もう用済みと言われて追い払われてしまうのかと、焦ってしまう。

 そんな蒼馬の焦りに気づかず、ガラムは愕然とした様子で言った。

「まさか、これからやってくる軍勢も追い払うと言うのか?」

「そうだけど……?」

 当たり前のように言う蒼馬に、ガラムもシェムルも言葉を失った。

 後の世に『破壊の御子ソーマ・キサキ』の最初の戦いと記される、「ホグナレア丘陵の戦い」が始まろうとしていた。


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