第30話 銅山(後)
「どうかなされましたか、《猛き牙》?」
マーベン銅山の居住区の制圧を指揮していたガラムが、ふと顔をしかめた。それに気づいたのは、ズーグの姪でもありガラムの副官を務める蜜柑色の毛の娘クラガ・ブヌカ・シシュルである。
この居住区には、ドワーフの男たちを鉱山などで強制労働させるために女子供たちが人質として囚われていた。それを救出するのが、ガラムの役目である。
そして、それはこの銅山から逃げ出してきたドワーフのナールからの情報と、それを基に作成された地図によって順調に進んでいた。不満などあるはずがない。なのに――。
「……少し腹が立っただけだ」
それは、不意に脳裏にニヤニヤと笑う赤毛の巨漢の顔が思い浮び上がったせいである。だが、さすがにそれをそいつの姪に向かって告げるわけにはいかない。するとシシュルは勝手に自分で納得してくれた。
「なるほど。――確かに、いくら敵とはいえこのホルメア国兵士の腑抜けっぷりは、勇者である《猛き牙》から見れば腹立たしいものでしょう」
このような連中に平原を追われていたかと思うと私も口惜しいと憤慨するシシュルに、ガラムは苦笑を向ける。
「あまり人間を侮るな。ソーマの予想が的中し、我らはそれに従い動いただけにすぎぬ」
このマーベン銅山をおそらくはホルメアでもっとも落としやすい街と評したのは蒼馬である。
ナールに同胞の解放を懇願されて以来、蒼馬はマーベン銅山を落とすべく様々な情報を集めて分析を行っていたのだ。
その成り立ちから街壁がなく、ホルメア国内部であるため敵国からの襲撃を想定していない。そのため駐屯する兵士の数は多くても五百程度で、その士気や練度は決して高くはない。さらには、そこにいるのはこちらの味方となる数千のドワーフの奴隷たち。
これならば奇襲をかければ落とすのは簡単だ。
これが蒼馬の弁である。
唯一の気がかりは、いかに迅速に人質となっている女子供らを救出できるかだ。
今はまだホルメアの兵士たちは、自分たちゾアンに対してドワーフの人質が有効かわからず、人質を盾にするようなことは起きていなかった。だが、解放した後のドワーフを味方に引き入れるためには、極力人質を無事に救出しなければならない。万が一、盾に取られた人質を見殺しにしたともなれば、後々にドワーフとの間にしこりを残してしまう。それだけは避けたい事態だ。
「ここでの結果が、後々のソーマの策の成否に関わるのだ。決して失敗は許されん」
わずかな気のゆるみが、重大な過失へとつながることもある。そうならないように強く戒める言葉を口にしたガラムに、シシュルはハッとした顔になった。次いで先程よりもさらに尊敬の輝きを顔に浮かべて、ずいっとガラムに迫る。
「さすがです、《猛き牙》! わかりました! このシシュル、一切の油断なく務めを果たしましょう!」
「……うむ。がんばってくれ」
シシュルのキラキラとした目に圧され、ガラムはそう答えるだけで精いっぱいであった。
大族長の補佐という名目でシシュルを身近に置くようになってから五年が経つ。だが、いまだに彼女から向けられるまっすぐな尊敬の念には対処に困るガラムだった。この時ばかりは、妹にじゃれつかれて困り顔になる蒼馬に強い共感を覚える。
そこへひとりの戦士が報告にやってきた。
「おい、《猛き牙》よ。ドワーフの女王がいる場所がわかったぞ」
救出対象の中で、もっとも重視されていたのがドワーフの女王だ。
ドワーフは、マーマンと同様に女性優位の種族である。財産や家名を受け継ぐのは女子であり、当然一族を率いているのは、王ではなく女王であった。それは、このマーベン銅山のドワーフも例外ではない。そして、ホルメア国が女王ひとりを居住区の奥にある駐屯部隊の指揮所となる建物に隔離していると事前に調べがついていた。
今後、マーベン銅山のドワーフらの協力を得るためにも、女王は無事に救出しなくてはならない。失敗は許されないのだ。
「建物はすぐに見つかったのだが、人間どもが一緒に立てこもっていて、制圧するのに手こずっている」
数に任せて力押しに制圧もできるのだが、それではこちらの犠牲が大きく、躊躇っているという。
とにかく現状を見るためにガラムは戦士に案内されて、その場へ向かった。
すると、確かに制圧するには難しそうな状況である。建物自体は一軒の平屋で大きくはないが、ドワーフたちが押し込められていた薄い板の住居とは異なり、石を積んで建てられたしっかりとしたものだ。
また、ドワーフの反乱を想定して建てられているのだろう。他の建物と離れた空き地のような場所のど真ん中にぽつんっと建てられている。そのため、忍び寄ろうにも身を隠すものがなく、近づけばすぐに見つかってしまう。現に建物の大きめの窓からは、ホルメアの兵士が顔を半分ほど覗かせて、こちらの様子をうかがっていた。
そして、人ひとりがくぐれるだけの大きさの入口は、太陽が照りつける外から眺めると闇がわだかまっているように中が見通せない。あそこに複数の兵を置かれていれば、突破するのは困難だ。
「どうする、《猛き牙》? すでに人質となっていたドワーフらは、ほとんど解放できている。鉱山と銅を作っているところも《怒れる爪》と蜂起したドワーフらによって片付いたそうだ。このまま周りを固めておけば、そのうち降参すると思うが」
ガラムは腕組みをし、しばし考え込んだ。
「いや。俺がやろう。――皆は俺が切り込んだ後に来い」
戦士の提案はもっともだが、今はわずかな時間も惜しい。それに、このままでは誰かに「大族長様は悠長だな。俺様の方は、とっくに片付いてしまったぞ」と得意満面の笑みを浮かべられるのも癪に障る。
まず、ガラムは足元に転がっていた手ごろな大きさの石を拾い上げた。その重さを確かめるように石を手の中で転がしてから、しっかりと握り込んだ。それから小さく息を吐いてから股を開くように左足を大きく前へと踏み出した。それとともに鋭く腰を回転させて、その力を上半身へ、さらに上半身から右腕へと伝わらせる。そして、高く振り上げた右腕を一気に振り下ろし、石を投擲した。
空気を引き裂いて飛んだ石は、狙いたがわず窓からわずかに顔を覗かせていたホルメア兵士の額に直撃する。石が砕ける音とともに、ゆで卵を叩き潰すような音が盛大に響いた。額をこぶし大にへこませた兵士は、そのままのけぞるように後ろに倒れ込んだ。
仰向けに倒れたその兵士を助け起こそうと、そのそばに膝をついた同僚の兵士の上に影が差す。顔をあげてみれば、そこには肩をすぼめるように窓から飛び込む黒いゾアンの姿があった。
それは石を投擲し終えるのと同時に四つ足となって一気に建物へと駆け寄り、兵士が覗いていた窓から室内へと頭から飛び込んだガラムである。
ゾアンの侵入を告げる声を上げようとした兵士だったが、空中で一閃された山刀の一撃で額を真横に割られて絶命した。
空中で巧みに身体をねじり、足から着地したガラムは、瞬時に建物の内部に視線を走らせる。
突如飛び込んできた自分に驚いた顔になる五人の兵士が部屋の中央で輪になっており、その中心には小さな人影が垣間見られた。そして、そこからわずかに離れた壁際には青色の房がついた兵士がひとりいる。
それだけ見て取ったガラムは、密林の中で獲物に忍び寄る猛獣のような動きで兵士らの輪の中に割り込むと、中心に居た人影を背にした。
「〈牙の氏族〉ガルグズの息子ガラム! ――参るっ!」
次の瞬間、部屋の中に黒い竜巻が吹き荒れた。それに触れた兵士は腕を切り飛ばされ、顔面を叩き割られ、咽喉笛を切り裂かれて次々と倒れ伏す。その場にいた五人の兵士がすべて斬り倒されるまで、十を数える間もなかった。
「降伏しろ。そうすれば命までは取らぬ」
入口からも突入した戦士たちと兵士らが争う音を聞きながら、ガラムは最後に残った兜に青色の房をつけた、ここの隊長と思しき男に降伏を呼びかけた。
しかし、その男は怒りと屈辱に顔を赤くする。
「ふ、ふざけるなぁ! 下等な獣がぁ!」
続けて意味不明の奇声を上げながら、男は剣を抜き放って斬りかかって来た。
だが、そのような破れかぶれの攻撃など、ガラムには通じない。山刀の横なぎの一閃で剣の柄を握る両手首をまとめて斬り飛ばすと、返す刀で兜ごと脳天を叩き割る。
それからも油断なく山刀を構えたまま室内をうかがい、他に敵がいないのを確認してから、後ろを振り返る。それからわずかに鼻にしわを寄せた。
「……おまえが、ここのドワーフの女王なのか?」
それは、こくりと小さくうなずいた。
◆◇◆◇◆
この街の指揮所である建物を制圧し終えたガラムが外に出ると、そこにちょうどズーグが駆けつけてきた。ガラムを見かけるなり、ズーグは眉を寄せて指を差す。
「おい。その肩のは何だ?」
ズーグが指差しているのは、ガラムの肩にちょこんと腰かけて首にしがみついている少女である。ドワーフの容姿はよくわからないが、真ん丸の目にちょっと大き目な鼻が愛らしい少女なのだろうとズーグが思っていると、その横で声が上がった。
「おお! 女王様、よくぞご無事で」
それはズーグに続いてやってきたマーベン銅山の戦士長ノルズリである。女王と呼ばれた少女は「父様!」と一声上げると、ガラムの肩から飛び降りてトテトテとノルズリに駆け寄った。
ひっしと抱き合うふたりの姿を横目に、ズーグは問うような視線をガラムに向ける。
「どうやら、あの子が女王だそうだ」
ズーグにそう説明したガラムだったが、彼もまたにわかに信じがたいといった顔をしていた。人間やドワーフの外見から年齢を推し量るのはゾアンであるガラムには難しい。だが、それでも女王と呼ばれた少女は十歳にも満たない年齢のように見えた。
少女を抱きしめていたノルズリが顔を上げて説明する。
「先代の女王はホルメアに殺されたわ。奴らにとって女王が子供の方が扱いやすかったのだろう」
それにガラムとズーグは納得するのと同時に、無遠慮な質問だったと謝罪する。それにいらぬ謝罪だとノルズリは答えた。
ともかく、急ぎその場でガラムらは話し合いの場を設けた。
その辺りに転がっていた木箱を玉座代わりにして女王が座らされ、その対面にガラムやズーグが胡坐をかくように座る。
本来ならばドワーフの女性は家族以外に素顔を晒すのは恥とされているので、できればあまり顔を見つめないで欲しいと言われ、ズーグなどは「俺たちが助けたのに、しちめんどくさい」とぼやいた。だが、ガラムに無言で脇腹に肘を入れられ、渋々と頭を下げる。
「あたしたちを解放してくれたことを感謝いたします、獣の輩よ」
やや舌足らずな口調で感謝の言葉を述べる少女の肩には、一緒に救出されたドワーフの女性らがどこからか持ってきた色とりどりの刺繍が施された布がかけられている。このような状況にあっても、わずかなりとも女王の威厳を示そうというものだ。
女王の感謝の言葉に、ガラムは首を横に振る。
「我らに礼はいらぬ。我らは、ゾアンの族王であり、ボルニスの主であるソーマの命に従ったまでだ。そして、ソーマからの言葉を伝える。『命の借りを返させてもらう』と」
そこでガラムがドヴァーリンに目配せをした。すると、ドヴァーリンは腰につけていた木製の筒を女王に献上する。「これは?」と目で問うノルズリに、ガラムはおごそかに告げた。
「我らにマーベン解放を懇願しにきたドワーフのナール。彼は、川に転落して命を落としかけたソーマをその身命を賭して助けたのだ」
ガラムの言葉に、ノルズリと女王は目を見張る。
「そして、その木筒はかねてよりナールが家族に飲ませたいと仕込んだボルニスの酒だ。死したナールに代わり、確かにお渡しした」
「これをナールが……!」
ノルズリは震える手で木筒の栓を抜く。すると、今まで嗅いだことがない芳香が鼻孔をくすぐった。そして、女王に渡す前に毒見として、まず自分が口をつける。
ところが、その木筒に入れられていたのは、ただの酒ではない。最近になってようやくボルニスでも流通し始めたばかりの蒸留酒である。当然、これまで飲んだことがない強い酒精にノルズリは激しく咳き込んだ。
「こ、これはずいぶんと強い酒じゃな。こりゃ、たまらぬ。目まで沁みるわい」
いまだ咳き込むノルズリの目には、じわりと涙が浮かんでいた。それを見た女王もその小さな手を伸ばして蒸留酒の入った木筒を受け取って一口、口をつけるとやはり同じようにむせる。
「本当に、目にまで沁みますね」
女王は、その小さな手で目尻を拭う。
ふたりの涙が本当に目に酒が沁みたせいなのかと野暮なことを訊くような者は、その場にはいなかった。
しばし沈痛な空気がその場に漂っていたが、それを断ち切るようにガラムは言う。
「失礼を承知で言わせてもらうが、今の我らには感傷に浸っている余裕はない」
冷たい言い方だが、事実である。自分らがマーベン銅山を落としたことは、すぐにホルメア王にも伝わるだろう。早ければ三日、遅くとも五日のうちに銅山を奪い返すために軍勢が送られてくるはずだ。その前にやらなければならないことが山のようにある。今は一瞬でも時間が惜しい。
「あなた方には、今すぐ決断して欲しいことがあるのだ」
そう前置きしてからガラムは、あることを告げた。
それにノルズリと女王は顔を曇らせ、周囲で話を聞いていたマーベン銅山のドワーフたちも小さくどよめく。
「もし、わしらがそれを受け入れられんと言ったらどうする?」
挑みかかるような口調で尋ねるノルズリに、ガラムは毅然と返す。
「見捨てる。――我らはホルメアを出し抜かねばならぬ。悪いが、あなた方の意地に付き合って死ぬまでの義理はない」
「救うと言っておきながら、従わねば見捨てるというわけかい」
ノルズリは鼻を鳴らして不満をあらわにした。周囲にいるドワーフたちも言葉にはしなかったが、ノルズリと同じ想いなのは明らかである。
その気持ちはわかるが、それでもそこは曲げてもらい、こちらにしたがってもらわなければならない。どうやって彼らを説得しようかと言葉を探すガラムより先に、女王が口を開いた。
「ノルズリ。ここはソーマという人に従いましょう」
「しかし、女王様……!」
翻意をうながそうとするノルズリに、女王ははっきりと言った。
「お兄ちゃん――いえ、ナールがその命を懸けて守ったソーマという方を信じましょう」
それにノルズリは、うっと言葉に詰まる。それでもしばらくためらっていたが、ノルズリの肩から力が抜けた。
「わかりました。女王様のお言葉に従いましょう」
女王とノルズリのやり取りを見守っていたガラムは、すっくと立ち上がる。
「くどいようだが、時間がない。あなた方は早急に準備を整えていただきたい」
それから後ろに顔を向ける。
「ズーグ、ドヴァーリン。ふたりは急いで街の周囲に防塞を築いてくれ。このままではすぐに敵の突入を許してしまう」
それにズーグとドヴァーリンは「承知した」と短く答えると、それぞれの部下を引き連れて行動を開始する。続いてガラムは、横に控えていたシシュルに言った。
「ソーマの許へハーピュアンの伝令を飛ばせ。それと策の成功を知らせる太鼓を叩くのだ」
「心得ました、《猛き牙》!」
それからしばらく後、マーベン銅山からハーピュアンがひとり飛び立ち、その後を追うように太鼓が鳴り響いたのである。




