第29話 銅山(前)
マーベン銅山は、ホルメアが誇る西域最大の銅山である。
この銅山は、もとはホルメア北部に住まうドワーフたちのものであった。彼らは銅山で採掘し製錬した良質の銅をホルメア国へ輸出するのを生業としていたのである。
ところが十年程前に、突如ホルメア国がマーベン銅山へ侵攻したのだ。ドワーフらが粗悪な銅を掴ませたというのがホルメア国の言い分である。
当然、銅山を手に入れんがための言いがかりであった。
これには当然ドワーフらは憤慨し、徹底抗戦の構えに出る。
この時、マーベン銅山へ差し向けられたホルメア国の軍勢は八千ほどであった。それに対してマーベン銅山に住んでいたドワーフの一族は総勢五千あまり。しかし、それは女子供老人を含めての数であり、実際に戦える屈強な若い男は一千もいれば良い程度であった。
簡単に制圧されると思われていたマーベン銅山のドワーフたちであったが、予想外の奮戦を見せる。彼らは銅山を中心に幾重にも張り巡らせた強固な堡塁によって、万に近い軍団を何度となく退けるなどホルメア国をさんざん苦しめたのだ。
しかし、その奮戦も長くは続かなかった。
ドワーフの反抗に業を煮やしたワリウス王は、ロマニアとの国境を固めていたダリウス大将軍を急遽呼び戻したのである。ホルメア最高の将軍と呼ばれるダリウスの参戦によって、マーベン銅山における形勢は一気に逆転した。それからわずかひと月足らずでマーベン銅山は陥落し、敗れたドワーフたちはことごとく囚われると奴隷にされて鉱山で酷使され続けてたのである。
そんな歴史があるマーベン銅山の街には壁がない。
それは銅の採掘と精錬のために多数のドワーフの奴隷を使っているためである。彼らが反乱を起こして鉱山を取り戻されたとしても、街壁がなければ簡単に奪い返せるからだ。
そのため、街の中と外を分けるのは背の低い柵だけしかなく、また街の数か所に建てられた物見櫓もすべて街の外ではなく、内側へと向けられたものだった。
そんな物見櫓で見張りに立っていたその兵士が、それを見つけたのは、たまたま暇を持て余し、街の外へと目を向けた時である。
「……なんだ、ありゃ?」
街から見て南西の方角に黄色い雲のようなものが見えた。目を凝らして見ると、どうやらそれは土煙らしい。その下を見れば、土煙を巻き上げて疾走する黒い点のような影がいくつも見て取れる。
本来ならば、この時点で兵士は警戒しなければならなかった。ところが、そもそも外部から攻められるとは思っても見ていない兵士は、ちょうど良い暇つぶしとばかりに暢気に土煙を眺めてしまったのである。
そんな兵士がようやく事態に気づいたのは、土煙を上げて大地を駆けてくるのが数百ものゾアンの集団だというのが彼の目にもはっきり見えるようになってからだった。
「ゾ、ゾアン?! 何で、あいつらがここに?!」
見張りの兵士は吊るされていたホルンに飛びつくと、力いっぱいそれを吹き鳴らす。ぶおおおーっというホルンの音が街中に数回鳴り響くと、それまで絶え間なく聞こえていた鉱石を金槌で粉砕する音がしだいに消えて行った。
それに代わり、この街に駐屯していたホルメア国軍の兵士らの立てるざわめきが聞こえ始める。
ようやく異常事態に気づけた兵士らだったが、しかし彼らのほとんどがゾアンの襲撃にそなえるのではなく、銅の精錬所や鉱山へと向かってしまった。
なぜなら彼らが想定していた異常事態とは、坑道か精錬所での事故か、そこに囚われているドワーフたちの反乱であったからだ。そのため、かえって街を囲う柵の守りから人を遠ざけてしまう結果となった。
そこに一気に突入してきたのは、〈牙の氏族〉の族長にして平原全氏族の大族長でもある黒毛の勇者ファグル・ガルグズ・ガラムである。
四つ足となって黒い疾風のように駆けたガラムは、その勢いのまま柵をひと跳びに跳び越えると、その場に居合わせた兵士を空中で引き抜いた山刀で問答無用に斬り捨てた。
「ズーグ! 俺は居住区に向かう! 銅山は任せたぞ!」
ガラムの声に、「おうよ!」と答えたのは平原最強の勇者ガラムと並び称せられる〈爪の氏族〉の族長クラガ・ビガナ・ズーグである。この赤毛の巨漢は、ホルメア国の兵士の血ですでに濡れた大きな山刀で山の方を指し示す。
「奴らに立ち直る隙を与えず、一気に制圧しろ! 太った兎のような奴は、この俺様が許さんぞ!」
それから後ろを振り返って怒鳴った。
「おい、とっとと来い!」
それが向けられたのは、ちょうど倒された柵を踏み越える馬の背中に乗ったドワーフの戦士ドヴァーリンである。だが、その姿は乗っているというより載せられていると言った方が正しいだろう。
ドワーフの足では、とうてい平原の覇者と呼ばれたゾアンの足に追いつけるわけがない。かといって手足が短くて馬にも乗れない。
そこで窮余の策として、まるで荷物のように馬の背中に縄でくくりつけられたのだ。当然、そのような状態では走る馬の揺れが直接伝わる。そのため濃い髭でわかりにくいが、ドヴァーリンの顔は吐き気で真っ青になっていた。
「わかっちょるわっ!」
それでも虚勢を張って声を荒げたドヴァーリンは、自分の後ろに続く同様の状態のドワーフたちに声をかける。
「おまえら、声を上げろ! ――同胞たちよ、獣の輩たちとともに助けに来たぞ! さあ、槌を取れ! ともに立ち上がれっ!」
ドヴァーリンの張り上げた声の後半はドワーフ語であった。彼らは馬にくくりつけられたまま、銅山で使役されているドワーフらに蜂起を呼びかけながらズーグに続いたのである。
このゾアンとドワーフによる突然の襲撃に、ホルメア国側は組織的な抵抗すらできなかった。
ゾアンたちはその脚力を存分に発揮して、ホルメア国の兵士が状況を把握するよりも早く街の要所を制圧し、兵士らを分断するのに成功したのである。そのためホルメア国の兵士らは、それぞれの判断で小さな集団ごとに建物などにこもって抗戦せざるを得なかった。
しかし、それがかえってゾアンたちを手こずらせる。
ガラス窓などが普及していない時代である。風雨をしのぐのが優先され、採光があまり考えられていない住居の中は薄暗い。そんなところへ外の明るい場所から踏み込めば、目が慣れるまでは闇に包まれているようなものである。そこへ待ち構えていた複数の兵士が、いっせいに襲いかかるのだ。これには、歴戦のゾアンの戦士らもさすがに手を焼いた。
ところがズーグだけは、そうしたところへ嬉々として乗り込んで行った。
「おう! 邪魔をするぞ!」
あたかも知り合いの家を訪ねるが如き気安さで住居へ入ったズーグを右手からは振り下ろされる剣が、正面からは突き出された槍の穂先が出迎えた。
それにズーグは、まず右手から斬りかかってきた兵士を見向きもせずに山刀の柄頭で顔の中央を強打する。ズーグの怪力をもってすれば、それだけで兵士の鼻骨は粉砕され、その奥にある脳髄までも損傷させる致命の一撃となる。
次いで、正面から突き出された槍を無造作に伸ばした左手でその柄をガシッと掴む。それから、その太い腕に力こぶができたかと思うと、一瞬の抵抗も許さず槍ごと兵士を引き寄せる。そして、右手の山刀による問答無用の一撃で兜ごと兵士の脳天を叩き割った。
ほんの少し間違えば剣で叩き斬られ、槍で胴体に風穴を空けられてしまう危うい戦いぶりには、むしろズーグの後ろに続く戦士たちが肝を冷やす。
このような戦い方を続けていれば、いつしかは返り討ちに遭ってしまう。それを懸念し、ひとりの戦士が次の住居を制圧に行こうとするズーグに提言する。
「《怒れる爪》。少し下がった方が良いのではないか?」
そのような軟弱な奴ではないと怒られるぐらいは覚悟していたその戦士だったが、ズーグの答えは次のようなものだった。
「なんだ? せっかく調子も乗って来たところだ。代わってやらんぞ」
まるで大事なおもちゃを取り上げられそうになった子供のように、すねた口調で返すズーグに、戦士は呆気に取られてしまう。その肩を叩かれて振り返れば、ズーグと同じ〈爪の氏族〉の戦士が諦めろとでも言うように首を小さく左右に振っていた。
そんな調子で、さらにズーグが兵士の立てこもる住居を四つばかり制圧した時である。ズーグらが目指していた鉱山の入り口や精錬所から、どっと鬨の声が上がった。
それとともに、そこからはホルメア国の兵士らが這う這うの体で逃げ出して来る。そして、さらにそれを追うようにドワーフらが姿を現した。
「何だ、もう蜂起したのか。もう少ししてからでも良かったのに」
やれやれと山刀の背で肩をトントンと叩くズーグが言うとおり、それはドヴァーリンの呼びかけに応じて蜂起したドワーフの奴隷たちであった。ボロ布のような下穿きしか身に着けていない彼らは、ズーグらが見ている前で手にした金槌や火かき棒などで兵士らを撲殺していく。
兵士らは必死に抵抗したり、命乞いをしたりするが、ドワーフらの積もり積もった憎しみは止まらない。ひとり残らず滅多打ちにされて殺されていく。それでも怒りがおさまらないドワーフの中には、すでに息絶えた兵士をそれでも殴り続ける者さえいた。
しばらくして、ようやくその惨劇は終ったが、解放されたのに感激したドワーフらが解放者であるゾアンたちと熱い抱擁を交わすといった感動の場面は起きなかった。むしろ、なぜゾアンがやって来たのかと疑いと警戒の眼差しで、ズーグらを遠巻きにする。
そこにゾアンの戦士らを掻き分けて、ドヴァーリンが前に出た。
「わしの名は、《鋼》のドヴァーリン! 元黒曜石の王国の血族にして、今はボルニスの血族の戦士長! おぬしらの求めに応じて解放にきた! ナールという者を知っておる者はおらんか?!」
ドヴァーリンの言葉に、マーベン銅山のドワーフたちはざわめき出す。しばらくして、顔の真ん中にどんっと置かれた大きな団子鼻と、細かく三つ編みにした豊かな赤茶色の髭が特徴の初老のドワーフがツルハシを肩に担いで出てきた。
「わしゃ、《赤髭》のノルズリ! マーベンの血族の戦士長よ!」
ドヴァーリンとノルズリは歩み寄ると、まず互いの髭を触り合い、それから固く抱き合った。
「ずいぶんと遅くなってしまったが、許してくれ」
そう謝罪するドヴァーリンに、ノルズリは首を大きく横に振る。
「怒れるものかい! ――息子のナールめは失敗し、どこぞで野垂れ死んだかと思っておったが、無事に務めを果たしおったか」
ノルズリの口から出たナールという名前に、ドヴァーリンは苦いものを飲み込んだ顔になる。
「息子じゃったか……」
しかし、それに気づかぬノルズリは頭を下げた。
「助けられたばかりですまぬが、今すぐ力を借りたい。居住区に、女王様が囚われておる。それをお助けしたいのだ」
その願いに答えたのは、ズーグである。
「ああ。それならば心配無用だ。すでに同胞らが向かっている。しかも、そいつらを率いているのは凄腕の戦士だ」
そこでズーグは悪戯めいた笑いを浮かべる。
「まあ、俺様よりちょいとばかり腕は落ちるがな」
初登場のノルズリ。名前は北欧神話で北で天を支えるドヴェルクからもらいました。
また、ドヴァーリンとノルズリが抱き合う前に互いの髭を触り合ったのは、ドワーフの慣習です。
ドワーフにとって髭は非常に重要なものです。それを他人に触らせるのは、相手を深く信頼している、深く感謝をしている、というのを示す行為なのです。




