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破壊の御子  作者: 無銘工房
龍驤の章
145/534

第11話 魚

 蒼馬が厄介になっているメナヘムの屋敷にオルガが訪れたのは、その翌日のことである。

 さっそくマーマンの女王からの返事をもらってきてくれたのだと思った蒼馬は、喜色満面でオルガを出迎えた。ところが、そんな蒼馬の顔を見るなり、いきなりオルガは挙動不審になる。

「どうかされましたか?」

「いや。私は慌ててなどいません。私は冷静沈着です」

 とうていそうは見えないのだが、蒼馬がそれを指摘する前に、オルガは咳払いをひとつしてから告げる。

「女王陛下のお言葉をお伝えします。『島に来られるのならば、いつでも盛大に歓迎する』と」

 それに蒼馬は、かすかに違和感を覚えた。たったそれだけの言葉を伝えるだけならば、わざわざオルガ自身がやってくる必要はない。小者ひとりでも寄越せばすむ話だ。

 それに、オルガも何やらバツが悪い表情を浮かべているのも気になる。

 しかし、いずれにしろマーマンの女王から歓迎するとの言葉をもらったのだ。マーマンと友好関係を結ぶのに、まず一歩前進したのは間違いない。蒼馬は小さな達成感を覚えた。

「せっかくいらっしゃったのですから、お茶でもいかがですか?」

 わざわざ自分のところまで足を運んでくれた感謝の意味もあり、蒼馬はオルガをお茶に誘った。しかし、オルガは、それは申し訳ないと固辞し、そのまま帰ってしまったのである。

「なあ、ソーマ。あの女、おかしくなかったか?」

 シェムルですら気づくのだから、オルガが挙動不審だったのは気のせいではないだろう。

 だが、彼女がそのようになる理由がわからない。

 オルガの態度に釈然としないものを感じながらも、とにかくマーマンの女王から歓迎するとの言葉を得られたのだ。さっそく蒼馬はマーマンの島へ渡る準備を始めたのである。

 慌ただしく島へ同行させる者の人選や手土産の用意をしていた蒼馬だったが、そこにひょっこりと顔を出したのはヨアシュである。蒼馬からマーマンの島に招かれたという話を聞いたヨアシュは祝いの言葉を述べてから、続けて言う。

「それで、いつ島へ行かれるのでしょうか?」

「できれば明日か明後日にでも行きたいです」

 予定にはなかった山賊退治によって、思わぬ日数を浪費してしまっている。ホルメア国がいつ攻めてくるかわからない現状では、一日でも早く友好を結ぶために早急にマーマンの女王と会いたかった。

 しかし、蒼馬の返答に、ヨアシュは眉間にしわを寄せる。

「失礼ですが、ソーマ様。向こうから、いつ来るようにと指定はありましたか?」

「いえ。いつでもとは言われましたが、特にいつとは……」

 蒼馬の答えに、ますます眉間のしわを深めたヨアシュは、さらに問う。

「それでは、案内人は?」

「特には……」

 歓迎するというオルガの言葉に少し浮かれていた蒼馬も、ヨアシュの口調にただならぬものを感じ、口ごもった。そんな蒼馬の前で、ヨアシュはひとつため息をついた。

「これは厄介なことになりましたね」

 それはどういう意味かと尋ねたが、ヨアシュはその場では答えず、蒼馬たちを屋敷の外に連れ出すと海辺まで案内した。

「あれが、マーマンたちが住む島です」

 ヨアシュが指差す先の海に、島影が見えた。

「あの島にある洞窟を王宮とし、マーマンの女王はそこにいらっしゃいます」

「ほう。俺はてっきり海の底にでもあるのかと思っていたぞ」

 小さく目を見張り、感心しきった様子で言うガラムに、蒼馬も同感であった。蒼馬もまた竜宮城や海底都市のような光景を想像していたのだ。

 ヨアシュは「皆さん、そうおっしゃいます」と言ってから言葉を続けた。

「ジェボアでは、あの島の周囲に近づくことを禁じております。なぜなら、あの島の周囲は暗礁も多く、それによって潮の流れも複雑になっている海の難所だからです。そして、それ以上に、断りもなく近づく船はマーマンたちによって沈められてしまうからです」

 沈められてしまうという剣呑な話の内容に、蒼馬は驚いた。

「で、でも、僕は招待されたんでしょ?」

 ヨアシュは蒼馬に首を大きく横に振って見せる。

「いえ。違います。本当に招待されたのならば、いついつに来いと指定されるか、案内人を寄越してくるはずです」

「つまりは……」

 ヨアシュは大きくうなずいてから、こう言った。

「そうです。島に来られるのならば歓迎するという言葉は、来られるものならば来て見ろという意味です。つまりは、(てい)の良い拒絶なのです」


                  ◆◇◆◇◆


 せっかくマーマンと友好が結べると思ったのが、ぬか喜びだったとわかり、さすがの蒼馬もがっくりきてしまった。

「せっかく一歩前進できたと思ったのに……」

 それでも諦めきれない蒼馬は、ダメでもともとという気持ちでヨアシュに尋ねた。

「何とかマーマンの人たちを交渉の場に引き出す方法はないですか?」

 てっきり、そのような方法はないと言われると思っていた。ところが、ヨアシュは意外な言葉を返す。

「まあ、あるといえばあるような……」

 蒼馬たちの期待のこもった視線を集めながら、ヨアシュは苦笑いを浮かべて言葉を続ける。

「自力で、あの島に渡ってしまえば良いんですよ」

 思わぬヨアシュの提案に、蒼馬たちは驚いた。

「だが、奴らはソーマが島に行くのを拒否したのだろう?」

 友好を求めた蒼馬の手をすげなく振り払ったマーマンの態度が気に食わないのだろう。今にも「けしからん」と言わんばかりの口調でシェムルが言った。

「おっしゃるとおりですが、同時に『島に来られれば歓迎する』と女王自らが言ったのです。本当に島にさえ渡ることができれば、女王も無下にはできませんよ」

「なるほど。つまりは、島に渡りさえすれば、こっちのものというわけだな」

 シェムルの言葉にヨアシュがうなずくと、皆は一様に思案顔になる。

「夜の闇に乗じて、ひそかに島に渡るというのはどうだ?」

 そう提案したのはガラムであった。夜の闇でも、その鋭敏な五感を使って狩りをするゾアンらしい提案である。しかし、同時に海を知らないゾアンの提案でもあった。

 ヨアシュは怖気(おぞけ)を振るうように、身体を小さく震わせて言う。

「とんでもない! あの島の周りには、ただでさえ暗礁が多いというのに、夜の闇では暗礁にぶつかりに行くようなものです。そうなれば、船底に大穴が空くか、衝撃で船から投げ飛ばされるか。いずれにしろ夜の海に沈むことになりますよ」

「それならば、いっそのこと泳いで渡るか?」

 ズーグの提案に、隣にいたドヴァーリンが露骨に顔をしかめた。身体が水に浮きにくいドワーフからしてみれば、海を泳いで渡れというのは死ねというのと同義である。

 そして、ヨアシュもまたズーグの提案には否定的であった。

「それはおやめになった方がよろしいかと。マーマンは常に島の周囲を警戒しております。巡回するマーマンに見つかれば、とうてい逃げおおせるものではありません。それに何よりも、この辺りには(さめ)がたくさんおります。マーマンですら襲われて命を落とす者が多いというのに、人間やゾアンでは自ら餌になりに行くようなものです」

 しかし、それに対するゾアンたちの反応は鈍かった。平原を代表とする勇者であり、二転三転する戦局の中にあって積極果断を旨とするガラムとズーグですら、困惑しているようだ。

 どうかしたのかと蒼馬が尋ねると、皆を代表してシェムルが言った。

「なあ、ソーマ。その、『さめ』というのは何なのだ?」

 彼らが困惑していたのにも納得である。平原で生活してきた彼らには、鮫といっても通じなかったのだ。

「えーと。とっても大きな肉食の魚だね。僕がいた世界でも、海で泳いでいた人が腕や足を食いちぎられたって話がたまにあったよ」

「人の腕や足を食いちぎるのか?! そんなすごい魚がいるのか!」

 シェムルたちが知る中で、そのような獰猛な生き物は狼か山猫ぐらいなものである。みんなの脳裏に、人面魚ならぬ狼面魚のような奇怪な生物の想像図が浮かび上がった。

「うん。でも、こっちにはジョーズみたいなのもいるのかなぁ?」

 ここは異世界である。以前、テレビでやっていた古い名作映画特集で見た巨大鮫と人間の死闘を描いた映画「ジョーズ」のような化け物のような鮫もいるかもしれない。

「何だ、その『じゃーず』というのは?」

「ジョーズだよ。船ぐらいもある巨大な人食い鮫。人間なんて丸飲みしちゃうんだよ」

 ガウガウと吠える巨大な狼面魚が、人を頭からバリバリ食べる光景を想像し、シェムルたちはブワッと毛を逆立てた。そして、申し合わせたように全員が海から一歩下がる。

「……泳ぐのはやめておいた方がいいな」

「うむ。俺も異論はない」

 ガラムとズーグが重苦しい口調で、そう言った。

 しかし、そうなると島に渡る手段がない。船もダメ、泳ぐのもダメとなると、後は空から行くぐらいである。

 そこで蒼馬は、ちらりとハーピュアンのことを思い浮かべた。だが、すぐに頭から振り払う。

 実は、某妖怪ヒーローのカラスヘリコプターのように、たくさんのハーピュアンに吊るしてもらえば空が飛べるのではないだろうかと考えたことがあった。

 だが、それを提案したところハーピュアンの隊長であるピピに「面白い冗談ですね」と返されてしまったのだ。ひそかに空を飛ぶのに憧れていた蒼馬としては、少し残念で恥ずかしい思い出である。

 それに、そんなことがもし可能であったとしても、島に渡れるのはひとりずつになってしまう。それでは意味がないのだ。

 何か良い案が思いつかないだろうかと、蒼馬たちは海岸沿いをしばらく歩いていた。すると、そんな蒼馬の前に一台の馬車が停まる。

「あれぇ? ソーマ様、こんなところでどうかされましたか?」

 その馬車から降りて来たのは、蒼馬の料理人マルコであった。

 ジェボアに来てからというもの、マルコはメナヘムにいたく気に入られたらしく、この辺りの様々な料理を食べ歩かせてもらっていたのだ。蒼馬も新しい料理の開発の役に立てばと許可していたのだが、まさかこんなところで出会うとは思わなかった。

「今日はですねぇ。この先にある村で、漁師の人たちに魚や貝を食べさせてもらったんですよ」

 街中で食べられる手の込んだ料理ばかりではなく、たまには素朴な味わいのある郷土料理も良いだろうと、今日はここまで足を延ばしてきたそうだ。

 しかし、それだけのためにわざわざ馬車まで用意し、料理の代金まで持ってくれるのだから、メナヘムも気前がいい。ただし、そこにはあわよくばマルコを引き抜こうという狙いが含まれているようだ。

 もっとも肝心なマルコの方は「おいしいものを食べさせてくれるいい人」ぐらいにしか思っていないようである。蒼馬と同じくこの五年で大人になったマルコだが、料理を作ることと食べること以外となると、途端に鈍くなるのは相変わらずだ。

 今も、食べたばかりの漁師料理について、うっとりとした目で語っている。

 そんなマルコに、シェムルはムカッとした。こちらはマーマンの島にどうやって渡ろうか必死に頭を悩ませているというのに、食い物にうつつを抜かしていたというのが(しゃく)(さわ)る。

「おい、マルコ。ソーマは大事な用事で、ここを訪れているのだ。少しは考えて行動しろ」

 シェムルの叱責に、マルコはしゅんとしてしまう。

 うなだれたマルコに、シェムルは「わかれば良い」と声をかけようとした。だが、それよりも早くマルコは言う。

「今度は皆さんの分もちゃんと持って帰りますね」

 どうやらひとりで食べたのを怒られたと思ったらしい。

 これにはさすがにシェムルも呆れ返って何も言えなくなった。

「あ! 見てください、ソーマ様! 魚ですよ、魚!」

 しかも、今怒られたばかりだというのに、それもケロリと忘れて歓声を上げる。

 興奮に頬を紅潮させたマルコが指差したのは、ちょうど浜で行われていた地引網漁だ。何十人もの引き子たちが歌を歌いながら、力を合わせて網を引き揚げている。網で囲まれた海面では、たくさんの魚が跳ね回って激しい水しぶきを上げていた。

 蒼馬たちが見守る中で、ついに砂浜に引き揚げらえた網は、遠目でもそれとわかるぐらい、たくさんの魚でパンパンに膨れている。

「うわ! すごい大漁ですね」

 感嘆の声を上げる蒼馬の隣に、ヨアシュが立つ。

「今は『メリネの祝福』の季節ですからね」

「メリネの祝福?」

 おうむ返しに尋ねる蒼馬に、ヨアシュは説明した。

「ええ。はるか昔、この辺りの漁師が不漁で苦しんでいた時、清く美しい乙女メリネが自ら生贄となって海に飛び込んだそうです。それ以来、この季節になるとジェボア近海には多くの魚が集まるようになったという伝説ですよ」

 そんな伝説があるんだ、と蒼馬は感心した。

 実は、この古代ジェボアの人々が「メリネの祝福」と呼ぶ魚が集まる現象は、海流の変動によるものだ。

 この季節になるとジェボアの沖の海の底では、海流の変動が起きる。それによって深い海の底の深層水が表層近くまで押し上げられてくるのだ。この深層水はミネラルを豊富に含んでいるため、それを餌にプランクトンが繁殖する。さらにそのプランクトンを餌として魚が集まってきていたというわけだ。

「ああ、おいしそうだなぁ~。焼いた方が良いかなぁ? それとも煮た方が良いかなぁ?」

 つい先程食事したばかりだと言っていたのに、引き揚げられた魚をどうやって食べるか想いを()せているマルコに、蒼馬も苦笑する。

 しかし、蒼馬もまた魚は大好きだ。特に海から離れたボルニスの街では新鮮な魚が手に入りにくく、なかなか食べられない。そのせいもあって、このジェボアの街に来てからは毎日の食事が楽しくてたまらなかった。

 今夜の食事もメナヘムに頼んで魚料理にしてもらおうかと、何とはなしに浜辺を見やる。

 と、その時、蒼馬は既視感を覚えた。

 はち切れんばかりに、たくさんの魚が入った網。

 そして、先程の会話の中で出て来た、あれ。

 自分は現代日本にいた時に、そのふたつが関連したものを見た記憶がある。しかし、それは単なる漁の光景ではない。あれは、そうだ。何かのドキュメンタリー番組だった。そこでは、あれを使って……。

 蒼馬の脳裏で、何かがガチリッとはまった。

「……そうだ! これは使えるんじゃないか?」

 あたかも歯車が噛んだ異物が取り除かれ、それまで停止していた機構が一気に動き出したかのように、蒼馬の脳が激しく動き始めた。

 そして、ついにある策が形作られる。

「ねえ、ヨアシュさん。本当に僕たちが自力で島に渡れれば、マーマンたちは歓迎してくれるんですか?」

 砂浜で豊漁に歓声を上げる人々の姿を半ば茫然と見やりながら、蒼馬はヨアシュに確認した。

「それは当然、歓迎すると言った以上、追い返されたりはしませんよ」

 そう答えたヨアシュに、蒼馬は悪戯っぽい表情を浮かべて、さらに問う。

「ちょっと危険な手段を使っても?」

「あまり卑怯な手段でなければ……」

 海に毒を撒いたり、人質を使って脅迫したりする卑怯な手段であれば、かえってマーマンの怒りを買ってしまう。それでは島に渡れたとしても、後の交渉すらままならなくなるだろう。

 善からぬ手を使うのではないかと眉をしかめるヨアシュに、蒼馬は大丈夫だというように笑って見せる。

「では、マーマンの島へ渡る船の手配をお願いします」

「そりゃ、私どもシャピロ商会と懇意にしてくださる船長はたくさんいらっしゃるので、紹介には事欠きませんよ」

 蒼馬が何か思いついたのは察したが、ヨアシュは念を押す。

「ですが、ジェボアの船乗りならば、誰しもマーマンの恐ろしさは身に染みています。島に行けと言われても、マーマンに船底を叩かれただけで引き返すでしょう」

 海の上では、たとえ船主でも船長の指示に従わなくてはならない。船長の指示に逆らった奴は、水夫たちに海へ投げ落とされてしまうのが船乗りの掟だ。そうヨアシュは警告したが、蒼馬は顔に自信の笑みを浮かべて見せる。

「大丈夫。マーマンたちを船に近寄らせはしませんから」

 あまりに大言壮語である。海とマーマンの怖さを熟知しているジェボアの人間だからこそ、ヨアシュは呆気に取られずにはいられなかった。

 そんなヨアシュに、蒼馬は続けて言う。

「それと、あの網ごと魚を全部買い取りたいので交渉をお願いします」

 後ろでマルコが歓声を上げた。

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