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破壊の御子  作者: 無銘工房
龍驤の章
139/533

第5話 料理

「メナヘムさん、ようこそ来てくださいました!」

 満面の笑みを浮かべて自分を歓迎する蒼馬をメナヘムは顔では笑みを浮かべながら冷徹に観察をしていた。

 交易商であるメナヘムは、これまで数えきれないほどの人を相手に会談や商談をこなしてきた経験がある。

 そうした人の中には、一代の傑物(けつぶつ)と呼べる大人物もいた。

 そんな人物は、ただその場にいるだけでも、こちらを圧倒するような独特の雰囲気を持っていたものである。

 ところが、初めて目にする「破壊の御子」を名乗る青年からは、そうしたものが感じられない。

 それどころか、平凡である。

 特に才気走るところも感じられなければ、こちらを威圧するような雰囲気もない。人が良さそうなだけの丸っきりの凡人である。どこかの裕福な貴族か商家のお坊ちゃんと紹介された方が、まだしも納得できるだろう。

「夜には正式な歓迎の宴を催させていただきますが、まずは昼食をご一緒にと思いましてご招待させていただきました」

 そう言う蒼馬の後に続いて離れ屋に入ったメナヘムは、かすかな違和感を覚える。

 離れ屋の中がずいぶんと明るいのだ。

 かすかに眉根を寄せるメナヘムだったが、陽光が降り注ぐのを感じて頭上を振り仰ぐ。すると、天井には採光用の天窓が(もう)けられており、そこからは青い空がうかがえた。

 何本もの格子(こうし)が入った天窓は大胆と言っていいほど大きく取られている。これならば明るく感じるはずだ。しかし、あんなに大きく天窓を取っては、冬には冷たい外気が入ってしまい大変だろう。

 そう考えたところで、メナヘムは「おや?」と思った。

 季節はまだ初春である。まだまだ肌寒い季節だ。実際に、離れ屋の外では、少し強い風が吹いただけで首をすくめるような寒さを感じていた。

 ところが、離れ屋の中は程よく空気が温められている。

 もしやと思ったメナヘムは、再び頭上を振り(あお)ぐ。よくよく目を()らせば、天窓から見える青空が、歪んで見えるような気がした。そればかりではない。青空に浮かんでいる白いはずの雲が、やや青緑がかって見えるのだ。

「もしや、板ガラスですかな……?」

 メナヘムの問いに、蒼馬はほがらかに笑って見せた。

「ええ。最近になって、ようやく完成したばかりのものです」

 大陸中央では、最近になってドワーフらが作り出した板状のガラスを窓に使うのが流行っていると噂には聞いていた。しかし、いまだガラスは貴重であり、大聖堂や王宮などの限られた場所だけだという話だ。それなのに、このような西域の端にある辺境の都市で早くも取り入れられていることにメナヘムは驚いた。

 現代日本で生きてきた蒼馬にとってガラスを窓に利用するのは、ごく当たり前のことである。そのためガラス製造を始めた初期の頃から、板ガラスの製造をドワーフたちに強く要望した成果であった。

 だが、この時代の人々にとっては、いまだガラスは宝石の代用品であり、非常に高価なものである。そうした人々にとって窓ガラスは、窓を宝石で飾り立てているのに等しいものだった。

 大陸中央の商人であり冒険家のマーク・パウロが記した旅行記である「西方見聞録」に「西域は莫大な金銀を産し、宮殿や庶民の家々は宝石で飾り立てられるなど、財宝に溢れている」という有名な一文がある。

 しかし、実はマーク・パウロ自身が西域を訪れた記録はなく、「西域見聞録」は彼が耳にした西域の伝聞を記述したものにすぎない。そして、この「宝石で飾り立てられる」の部分は、後年になって庶民の家にも普及した板ガラスの話が曲解して伝わったものだという説がある。

「ガラスの器の大量生産に成功したばかりか、板ガラスまでとはさすがですな」

 メナヘムはお世辞だけではなく、本心からそう言った。

 ところが、それに対して蒼馬は「ドワーフの職人たちのおかげです」と愛想笑いを浮かべるだけである。それにメナヘムは拍子抜けしてしまった。

 大陸中央でもまだ珍しい板ガラスの製造に成功したのを讃えたのだ。もっと誇らしげにしても良いだろう。ところが、破壊の御子はドワーフたちの腕は誇っても、板ガラスそのものにたいしての反応が薄かった。

 まるで、板ガラスなど珍しくもないといった様子である。

 これにメナヘムは、服飾に革命をもたらすボタンという画期的なものを「そんな大したものじゃないと思っていた」と言い切っていたという話にも納得がいった。

 こいつが平凡などとは、とんでもない話だ。

 息子のヨアシュも以前「見た目だけで判断すると足元をすくわれる」と言っていたではないか。それに、この青年が自分ですら驚愕せずにはいられない数々のものを生み出したのは、まぎれもない事実だ。

 ひそかに自分に対する認識を改めていたメナヘムを蒼馬は大きなテーブルが用意された部屋に案内する。

 蒼馬と対面する形で椅子に座ったメナヘムとヨアシュの前に、程なくしてエルフの女官が湯気を立てる皿を一枚だけ置いた。

 その皿の中を見て、メナヘムはわずかに眉を動かす。

 これまでさんざん驚かされ続けて来たのだ。ここでもまた何かとんでもないものが出て来るのかと思いきや、出てきたのは深めの皿に入った淡い褐色を帯びた透明なスープである。具といえば、申し訳程度に野菜を細かく刻んだものが浮かんでいるだけだ。

 メナヘムが知るスープといえば、もっと様々な具材が煮込まれた、どろっとしたものである。これでは貧乏人が材料をケチって作ったスープにしか見えない。

 まあ、堅いパンを柔らかくするには水っぽい方が良いのだろう。

 そう思ったメナヘムだったが、肝心のパンがなかった。

 これではスープが食べられない。南方の砂漠などでは、スープを手ですくって食べる地方もあるが、このような水っぽいスープではそれも難しい。

 さて、どうしたものかと迷うメナヘムに、給仕のために後ろに控えていたエルフの女官がそっと耳打ちする。

「これをお使いになり、スープだけをお飲みください」

 エルフの女官が示したのは、薬品の調合などに用いる(さじ)によく似た道具であった。しかし、メナヘムが良く知る匙よりも、すくう皿の部分が大きく丸い。これならばスープをすくうのも楽だろう。

 メナヘムはなれない手つきで、スープを匙ですくって口に入れた。

 うまい。

 口の中いっぱいに広がるうまさに、メナヘムは驚いた。

 貧乏人のスープなどとは、とんでもない。しっかりと味がする。それも何と表現していいかわからない複雑なうまさだ。

 自らも商船に乗り込み、諸国の美食を味わい尽くしたメナヘムは舌には自信がある。しかし、その自慢の舌をもってしても、そのスープの味は未知のものだった。

 スープの基本となっている野趣(やしゅ)に富んだ味わいは、山鳥のものだろう。そこに魚介の味と、さらには野菜の甘みを感じる。だが、わかるのはそこまでだ。ひとつ、わからない味がある。それはメナヘムが、これまで味わったことがないものだった。

 さすがのメナヘムも、想像できなかっただろう。まさかそれが、メナヘムのみならず多くの人々が海に生える雑草としか見ていなかった海草――昆布から採った出汁の味だとは。

「お気に召されたようで、何よりです」

 からかうわけではなく、ただ純粋に喜んでいる蒼馬の声に、メナヘムはハッと我に返る。気づけば皿の中のスープは、ほとんどなくなっていた。

 スープの味の秘密を解き明かそうとするあまり、つい我を失っていたのにメナヘムは羞恥を覚える。そんなメナヘムへお代わりのスープを持ってくるように蒼馬は命じた。しばらくして新しいスープとともに、また別の皿がメナヘムに出される。

 できた料理をいっぺんに持ってくるのではなく、一品ずつ出して来る方法も珍しいが、次に出された料理もまたメナヘムの知らないものだった。

「これは、なんですかな……?」

「ソーマ様の国の料理で、『てんぷら』というものだそうです」

 料理を持ってきたエルフの女官によれば、魚介や野菜に卵と小麦粉を水で溶いたものを衣としてつけ、油で揚げた料理だという。ただ素材を油で揚げる素揚げは食べたことがあるが、このようなものは初めてだ。

 さっそく、てんぷらを手づかみにしようとしたメナヘムをエルフの女官が止める。

「これをお使いください」

 そう言ってエルフの女官が示したのは、銀製の小さな三叉槍(トライデント)のようなものだ。

「フォークという道具です。これで料理を刺してお食べください」

 メナヘムは、なるほどと納得した。これならば熱い料理でも口に運べるし、油で手を汚す心配もない。先程の匙といい、良く考えられている。

 てんぷらなるものにフォークを突き立てると、ざくっと小気味よい音がした。それを口に運んで、一口齧ってみる。

「……! これは何と!」

 サクサクとした小麦の衣の中にあったのは、ジェボアの海で獲れる白身魚の切り身であった。素揚げではありえない、しっとりとした魚の切り身は、噛み締めるとジュワッと口の中にうまさが広がる。淡白な味わいの白身の魚に、どっしりとした油の重みが加わり、これまた何とも言えないうまさだ。

 しかし、メナヘムが驚いたのは、単にうまいからではない。

 切り身が塩辛くないのだ。

 いまだ食品の保存を塩に頼っている時代である。海の近くならばともかく、こうした内陸まで魚を運んでくるには、必ず塩漬けにしなければならない。ところが、今食べた魚の切り身は塩漬けではありえない瑞々(みずみず)しさがあったのだ。

 実は、このてんぷらに使われた魚は昨日ジェボアの港で水揚げされたばかりのものである。それをすぐに血抜きをし、氷室(ひむろ)で貯蔵していた氷に漬けた上でハーピュアンを使って空輸させたのだ。

 まさか、そんなことをしているとは考えも及ばなかったメナヘムだが、とにかくとてつもない労力と技術を使っているというのはわかる。

 それだけにメナヘムは愕然とした。

 たった一皿のために、どれほどの労力を費やしているのだ?!

 ジェボアでも屈指の豪商であるメナヘムは、どこへ行っても盛大な歓迎を受けるのが当たり前だった。

 そして、自分を迎える者たちは、メナヘムの来訪をいかに喜び、そして歓迎しているのか言葉だけではなく大げさな身振り手振りを交えて伝えようとする。それは、時にはこちらが辟易(へきえき)するほど過剰な場合すらあった。

 ところが、これはどうだ。

 舌や胃を介して感じられる、たった一皿のために費やされた、とてつもない労力。それが、百万の言葉よりも雄弁かつ熱烈に、メナヘムを歓迎する気持ちとなって伝わってくるのだ。

 自分を歓迎する者たちの美辞(びじ)麗句(れいく)には免疫ができているメナヘムですら、これには正直に参ったとしか言いようがない。

 その後も、次から次へと知らない料理が出てきて、そのたびにメナヘムを驚かせた。

 そして、いよいよ主菜らしきものが運び込まれてくる。肉が貴重な時代において貴賓(きひん)をもてなす主菜となると、肉料理が定番だ。激しく弾ける油の音と香ばしい匂いからして、用意されたのはやはり肉料理のようである。

 この辺りの地方で主菜として出される肉料理といえば、内臓をきれいに取り除いた後に野菜や果物を詰めた牛や豚を丸々一匹焼いたものが一般的だ。

 ところが、エルフの女官がメナヘムの前に運んできたのは、肉らしきものが乗った一枚の皿だけであった。

 皿の上に載ったものをメナヘムが、らしきものと断定できなかったのも無理はない。

 それはメナヘムが知る肉とは姿形が異なるものだったのだ。軽く焦げ目がついた表面は全体が均一で、筋や脂肪といった組織が見られない。それに形もきれいな楕円形で、まるで作ったかのようである。

 メナヘムはそれをフォークで突き刺し、恐る恐る口に運ぶ。

「うまい……!」

 思わず感嘆の声を洩らしてしまった。

 肉は焼けば固くなるというのに、このふっくらとした柔らかい焼き上がりは何なんだ?

 このような食感の肉は、これまで食べたことがない。噛まずとも、肉が口の中でほどけるようだった。

 それに、上にかけられた茶褐色の汁もまた格別だ。果実のような酸味と野菜の甘みに香辛料の風味が混然一体となった汁が肉に絡み、口の中でうまさが弾けるのだ。

 また、肉そのものも味わったことがないものである。どこかで食べたことがあるようでいて、そのいずれでもない。いったい何の肉だと何度も噛みしめながら考えていたメナヘムは、ようやくその正体に思い当たる。

「これは牛と豚の肉でしょうか……?」

 半信半疑で尋ねると、蒼馬は肯定した。

「はい。――僕の故郷では、合挽(あいび)き肉のハンバーグと呼ばれる料理です」

 ただ肉を焼くのではなく、()き潰した二種類の肉を混ぜ合わせることで、また違った味わいを生むとは、メナヘムも初めての体験であった。

 これほど趣向を凝らした肉料理を味わってしまえば、今まで豪勢と思ってきた牛や豚の丸焼きなど手抜き料理にしか思えなくなる。

「料理は口に合いましたでしょうか?」

 にこやかな笑顔で尋ねる蒼馬に、メナヘムは「十分に堪能させていただいております」と何のひねりもない答えを返すのが精いっぱいであった。

「それは良かった。先日、ヨアシュさんから貴重な砂糖をいただきましたので、それをつかって今アイスクリームを作っています。楽しみにしていてください」

 初めて耳にする料理の名前に困惑するメナヘムの隣で、ヨアシュが歓声を上げる。

「ヨーホー! あの甘い雪ですね。それは楽しみだ!」

 貴重な砂糖を加えた牛の乳を氷で冷やして作る菓子らしい。しかも作るには大量の氷と塩を使うので、よほどの客でもなければ出さないそうだ。

 それを息子から説明されたメナヘムの脳裏に、次の言葉がよぎる。

 もう勘弁してくれ、と。


                 ◆◇◆◇◆


 それから三日の間、蒼馬から手厚いもてなしを受けたメナヘムとヨアシュのふたりの姿は、ジェボアへと向かう馬車の中にあった。

 心ここにあらずといった表情で、とっくに見えなくなってしまったボルニスの街の方を見やる父親に、ヨアシュはニヤニヤと笑いながら声をかける。

「父上。ボルニスの街は、いかがでした?」

 自分が衝撃を受けているのを承知の上での問いに、メナヘムは苦笑した。

 なぜ息子が、あれほどボルニスの街に入れ込んでいたのか、今ならば理解できる。

 あの「破壊の御子」を名乗る青年の知識と、それから生み出されるものには、それだけの価値があるのだ。

 もてなしを受けていた三日間、破壊の御子は一言も自分をジェボアへ招待して欲しいとは言わなかった。おそらく、それは息子の入れ知恵もあったのだろう。破壊の御子自身から口に出さずとも、自分が招待せずにはいられなくなると、息子は確信していたのだ。

 そして、腹立たしいことに、すでに自分は破壊の御子との関係をより深めるために、彼をジェボアへと招くつもりでいた。

 たとえそれでジェボアの商人ギルドで多少風当たりが悪くなっても、あの破壊の御子とさらなる良好な関係を築いた方が利はある。いや、むしろそうした状況でもなお良好な関係を築こうというシャピロ商会の姿勢は、破壊の御子に強く好印象を与えるだろう。

 そこまでメナヘムを決意させたのは、ボルニスにいる間に出された料理のせいである。

 それは、単に料理のうまさに籠絡(ろうらく)されたからではない。

 料理とは、豊かさであり歴史なのだ。

 食べる物に困窮(こんきゅう)していれば、腹を満たすことが優先される。そこでは、いかにおいしく美しく料理しようという考えは二の次、三の次になってしまう。おいしく美しく料理にしようという考えは、食べる物に余裕があって初めて生まれるものなのだ。

 そして、いくら豊かであっても、料理は一朝一夕に完成するものではない。数十年、数百年という年月をかけた試行錯誤を積み重ねて、ようやく完成するものなのだ。

 まさに、それは歴史そのものである。

 あれだけの趣向を凝らした料理の数々を生み出した豊かさと歴史となると、もはやメナヘムには想像すらできない領域のものであった。

 そして、メナヘムが驚いたのは、それだけではない。

 メナヘムが最も驚いたのは、出された料理に背景が見えないことだ。

 料理とは、文化でもある。人種が同じでも、その土地の風土や風習などによって、まったく別の料理が生まれていく。海に近ければ魚などの料理が、山ならば獣肉を使った料理が、平野ならば穀物を使った料理が発展するといったようにだ。

 ボルニスで出て来た料理は、それひとつひとつならば背景が見える。

 ところが、すべての料理となると話は違う。海のものと思える料理が出たかと思えば、山のものが出され、その次には平野のものが出されるというように、まったく異なる背景を持つ料理が一緒に並べて出されたのだ。

 これでは料理から破壊の御子の出身地を()(はか)るのは不可能である。

 もし無理やり推し量れば、破壊の御子の母国とは次のようなものになるだろう。

 豊かな海と山と平地に恵まれるか、そうした国々の文化を交易か占領によって吸収し、それを数百年以上の歴史の中で育み、発展させた超大国。

 だが、それほどの大国ならば、交易商である自分の耳に入らぬはずがない。また、息子のヨアシュからも、そうした大国が破壊の御子の背後にいるような話はなかった。

 まさに、理解不能である。

 メナヘムが知る中でそれに最も近かったのは、大陸中央にある帝国だったであろう。しかし、メナヘムが感じたのは、そんな帝国よりもはるかに豊かで歴史を積み重ねた大国――現代日本の影であったのだ。

 メナヘムが理解不能と思ったのも無理はない。

 しかし、それだけにメナヘムは危険も感じていた。

 以前、息子のヨアシュが破壊の御子を巨大な触腕が見えても本体は海面の下に隠れたままの海魔のようだと評したのは、正鵠(せいこく)を射ている。何しろ、いつどこから何が飛び出してくるのかわからないのだ。それこそ不用意に近づけば、その触腕に(から)め取られ、はるか深海の底に引きずり込まれて破滅するかもしれない。

 だが、とメナヘムは考える。

 祖父は海賊が暴れる海に商船を乗り出し、今のシャピロ商会の基礎を築いた。父は危険と言われる未開の地へ自ら買い付けに行き、シャピロ商会を押しも押されもせぬ豪商に育てたのだ。

 それなのに、自分だけが海魔を恐れて船の()(たた)むようでは、海洋交易商が務まるものかとメナヘムは笑う。

「ソーマ様がジェボアに来られるように、骨を折ろう」

 当然でしょうとばかりに、すまし顔の愛息子にメナヘムは悪戯心が芽生える。

「それと、放蕩(ほうとう)がすぎるおまえは勘当(かんどう)だ」

 いきなり突きつけられた勘当に、さすがのヨアシュも目を見開く。期待どおりの息子の反応に気をよくしたメナヘムだったが、ことさらしかつめらしい顔を作って言葉を続ける。

「十人委員の了解を得ずに破壊の御子をジェボアに招く私も、近いうちに責任を取って隠居しよう。後のシャピロ商会は長男のダニエルに任せるつもりだ」

 そこでメナヘムは、ニヤリと笑う。

「勘当したとはいえ、おまえは可愛い息子だ。私が引退するのと同時に、財産を分けてやる。それをもって、どこなりと好きなところで商売を始めるが良い」

 父親の思惑を察したヨアシュは、その臭い芝居に付き合う。

「父上に勘当されては、恥ずかしくてとてもジェボアにはいられません。――幸いなことに、こんな私でも親しくしてくださる方がいらっしゃいます。その方の街で小さな店のひとつでも開こうかと思います」

「うむ。良かろう。勘当はしたが、おまえとダニエルはたったふたりの兄弟だ。これからも互いに助け合ってシャピロ商会を盛り立てるのだぞ」

 ヨアシュの勘当とメナヘムの引責による隠居によって、シャピロ商会への他の商人からの非難を()らす。そして、表向きは勘当されたヨアシュを介して、破壊の御子とより一層親密な関係を結べば、シャピロ商会はますます大きくなるだろう。

 唯一気にかかるのは、破壊の御子とホルメア国との間の緊張感が増していることだ。

 だが、もし破壊の御子がホルメア国に敗れても、ヨアシュを切り捨てればシャピロ商会本体は生き残れる。それに、ここで友好関係を深めておけば、ホルメアに負けて行き場を失った蒸留酒や石鹸などを作る職人たちをシャピロ商会で抱え込めるだろう。

 そんな、したたかな思惑である。

「さすが、父上。悪知恵が働きますね」

「おまえほどではないぞ」

 それを蒼馬が聞いていれば「悪代官と越後屋の会話」と思うようなことを言い合ったメナヘムとヨアシュは、ふたりして大きな笑い声を上げたのである。

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