第3話 十人委員
ベネス内海は、セルデアス大陸の中央付近まで深く切り込むようにしてある海だ。周囲を陸地に囲まれた内海であり、めったに荒れるようなことはない穏やかな海である。そのため、古代からベネス内海では海洋交易が盛んに行われていた。
そして、そうした海洋交易において、西域の中心となっていたのが海洋国家ジェボアだ。
西域と呼ばれる地域のベネス内海の沿岸は、暴風や波浪から避難するための湾や入り江が少なく、また遠浅で暗礁も多い。そのため、喫水が深い大型の交易船が停泊できる大きな港が発展しにくい土地であった。
そんな中で、ベネス内海に突き出た半島部分にあり、天然の防波堤となる岬を持ったジェボア湾は、古代から大型の交易船が停泊する港として利用されてきたのである。
時代を経るにつれ、その湾は整備されて大きな港へと変わっていった。それとともに港に寄り添うようにしてあった小さな街は商業都市へと発展し、それはいつしか国となった。
それが海洋国家ジェボアである。
そして、その日、このジェボアの実権を握る商人ギルド――その意思決定機関である十人委員と呼ばれる十人の豪商たちの定例会合が開かれていた。
今回の定例会合の場となっていたのは、十人委員のひとりであり、金銀銅などの貴金属の加工や売買で巨万の富を築く豪商のコルネリウスの邸宅である。
その邸宅の中でも、これでもかとばかりに贅を凝らした客間で、たくさんの料理が並べられた大きな丸テーブルを囲むコルネリウスを含めた十人の男たち――彼らこそが十人委員と呼ばれる豪商たちだ。
邸宅の主人であるコルネリウスが手ずから切り分けた肉を手づかみで食べた豪商らは、わずかに目を見張った。
「ほう……。ボルニス風ですな」
最近、ジェボアでも流行りだしたゾアンの香辛料を使った料理である。海洋交易が盛んなジェボアには、芥子や魚醤だけではなく海外の国々から輸入される様々な香辛料があった。
しかし、肉料理に合うという一点でいえば、このゾアンの香辛料は格別である。
だが、まだボルニスから輸出されたばかりの希少なものだ。ボルニス料理の流行とともにジェボアでは価格がうなぎ上りに高騰し、いまや同量の金銀と取引されるほどにもなっていた。それを惜しげもなく料理に使って見せているところから、コルネリウスの財力の大きさがうかがえる。
しかし、それを食すのもまたコルネリウスに負けず劣らぬ豪商ばかりだ。庶民ならば手を付けるのも戸惑うような料理を前に、平然と歓談を交えながら舌鼓を打っていた。
あらかたの料理が片付いた頃に、コルネリウスは料理の感想を尋ねる。すると、豪商らは十分に堪能させてもらったと満足げに答えた。
しかし、客が満足したと言うのに、コルネリウスの表情は硬い。
「確かに、うまい。――ですが、うまいものも食べ過ぎれば身体に障る。そうではありませんか?」
なごやかだった場の空気が、一気に冷める。
この場にいるのは、いずれもジェボアを代表とする豪商たちだ。コルネリウスが料理になぞらえて、にわかに台頭し始めたボルニスの勢力に警鐘を鳴らしているのに気づく。
「しかし、うまいものを食いたいのが人間というものだ。そして、商人とはそうした欲求に応えることで、金を稼ぐ生き物ではないのかね?」
それでもボルニスとの交易には利があるという商人もいれば、コルネリウスの警鐘に同調する意見も出る。
「せっかくの料理も冷めては台無しだ。だが、熱い料理を慌てて口にすれば、火傷をしかねない」
そうかと思えば、次には現状のホルメアとボルニスの一触即発の事態を踏まえての意見も出た。
「でも、飢えた獅子が料理を狙っていると聞きます。獅子に食い尽くされる前に、私たちでおいしいところだけ摘み食いするのも悪くないのでは?」
言質を取られぬように迂遠な言い回しを使い、お互いの腹を探り合う。この場にいる誰もが、他の者を出し抜き、蹴落としてやろうと考え、また相手もそう考えているであろうことは承知の上での狐と狸の化かし合いである。
「あの逃亡奴隷どものせいで、私は要らぬ出費をさせられているのだぞ!」
そんな迂遠な言い回しでしか話し合わない他の十人委員に苛立ちの声を上げたのは、交易商のヤコブであった。
彼は大陸中央からの商品をボルニスの街へ流通させることで富を築いた商人である。それだけに、ボルニスの街で蒼馬が発布した奴隷禁止令によって、輸送に安価な奴隷の労力が使えなくなった彼は大きな損害を被っていたのだ。
では、どうしろというのだと問われると、ヤコブはさらなる制裁が必要だと声高に言う。
「反対する」
それに真っ先に反対したのは、穀物商のカイアファ老人である。
「今の小麦買い叩きも即刻やめるべきだ。安い小麦が手に入ると喜んでおるのは、目先のことしか見えておらん馬鹿者ばかりだ。この五年で、ソルビアント平原での小麦の収穫量は、異常なほど伸びている。今はボルニスも、その大半を内需に向けている。だが、それも遠からず輸出へと振り向けられるぞ。異常に安い小麦が市場に大量に出回れば、他の小麦など買われはせん。そうなれば他の地域の小麦を作る農民らは全滅よ。その後は、今度は我らが奴らの言い値で小麦を買わなければならなくなるわ」
カイアファ老人に続いて、商売の自由を守る商人ギルドがそれに反する制裁を下すのはいかがなものか、という反対意見が次々と上がった。そればかりか、五年前にコルネリウスやヤコブが主導して決議された小麦の買い叩きが思うように効果が上がっていないのを揶揄する意見まで出始める始末だ。
それに自尊心を傷つけられたヤコブが、怒声を上げる。
「それもこれも、どこかの放蕩息子がいらぬことをしているからだ!」
他の豪商らはいっせいに視線をひとりの男に向けた。
それは会話に加わらずに素知らぬ顔のままで千切ったパンで器に残ったスープを拭い取っている浅黒く潮焼けした壮年の男――メナヘム・シャピロである。
彼の息子のヨアシュが「破壊の御子」のところに足しげく出入りしているのは、すでに周知の事実だ。しかも、そればかりではない。「破壊の御子」が作る珍しいものをこのジェボアで広めたのも、そのヨアシュである。そのおかげでボルニスの街は、小麦の買い叩きによる損失を補って余りある莫大な収益を輸出によって得られるようになったのだ。
「メナヘム殿。あなたのご意見をうかがいたい!」
ヤコブに名指しされて、ようやく自分に話が向けられていると気づいた態を装い、メナヘムはことさら悠然と口許を手巾で拭ってから言った。
「その放蕩息子とやらが、どこの誰かは知らないが、私も強い共感を覚える。何しろ、私も放蕩息子に手を焼かされているのだからな」
明らかに息子のヨアシュのことを示唆されているというのに、メナヘムは空っとぼけた。
「叱りつけたくとも、あやつは叱りつける口実を与えない。まったく、我が息子ながら小賢しいことだ」
息子の行動を咎める気はないし、その理由もないということだ。
それにヤコブも、言葉に詰まる。
蒼馬たちへ圧力をかけるためにジェボアの商人ギルドが買い叩きを指示しているのは、小麦だけである。ヤコブらが小麦以外も対象にしようとしたところ、他の商人からの反対もあって否決されたからだ。
そして、ヨアシュが取り扱っているのは、香辛料やガラスや石鹸などだけである。これでは商人ギルドにヨアシュを責める謂われはない。
「そのどこかの放蕩息子がギルドの規約に触れるのならば、即刻勧告なり除名なりの処分を下せばよかろう。だが――」
そこで一拍の間を置いてから、メナヘムは強く言い放った。
「ジェボアの商人ギルドの第一義は、商売の自由を守ること、だ。十人委員に名を連ねる諸兄には、今さら言うべきことではないがね」
反論の言葉が見つからずに、悔しげに睨みつけるヤコブと、それに冷笑をもって応えるメナヘム。対照的なふたりの姿に、その場の話の流れはボルニスとの改善関係へと傾きつつあった。
「あの……よろしいか?」
そこに、痩せぎすで、見るからに気の弱そうな男が、恐る恐る手を挙げた。それは酒造とその流通と販売を主業としている豪商ジューダである。ジューダはいっせいに向けられた視線にビクビクとしながら言う。
「れ、例の書簡をお忘れではないでしょうか?」
すると、十人委員の豪商らは、いっせいに渋い顔になった。その中でただひとり、我が意を得たりとばかりに得意げな顔になったのは、ヤコブである。
「そうだ! それを忘れてはなりませんぞ!」
ヤコブの言葉を皮切りに、他の豪商からも次々と意見が飛び出る。
「いや。しかし、それではジェボアの独立性を損なう恐れが……」
「まったくだ。我らは属国ではないのですぞ!」
「でも、あえてよけいな危険を背負い込むこともないのではないでしょうか?」
それからも十人委員の豪商らは侃々諤々と意見を戦わせた。
しかし、結局、その日は何も決まらなかった。
◆◇◆◇◆
十人委員の会合を終えたメナヘムが自分の邸宅に戻ると、出迎えた家令から息子のヨアシュが帰宅を待っていると告げられた。
「ヨーホー! ご無沙汰しております、父上!」
邸宅の客間に入るなり、両手を大きく広げて自分を出迎えた息子に、メナヘムは相好を崩すと抱擁を交わす。そうして互いの健康を確かめ合った後、ふたりは床に置かれた大きな座布団に腰を下ろした。
「今日は、十人委員の会合だったそうですが、いかがでした?」
まず、そう切り出したヨアシュに、メナヘムは渋面を作る。
「いかがも何もない。時間の浪費だ……」
メナヘムもまた、十人委員の即断力に欠ける問題点は理解している。
しかし、だからといって、どうかしようとは考えてはいなかった。誰かひとりに権力を集中させるより、即断力がなくとも今の十人委員の仕組みの方がよけいな混乱が起きる心配がない。それに何よりも、下手に十人委員の仕組みを変えようとすれば、他の豪商らに足を引っ張られる恐れがあるからだ。
そこでメナヘムは、ふとある噂を思い出した。
「『破壊の御子』から取引をおまえに一括したいという提案があったのに、それを断ったそうだな。独占できれば、さらなる利益が得られたものをなぜ断った?」
さすが父上は耳が早いと、ヨアシュは笑う。
確かに、蒼馬からボルニスの物産を一括して任せたいという提案をヨアシュは受けていた。商売のイロハすらわからぬ蒼馬は、自分でやるよりもヨアシュに全部任せた方が確実だろうと思ったからだ。
ところがそれをヨアシュは苦笑とともに断っていたのである。
「それでは私が安く買い叩けてしまいます。他の商人も入れ、競合させた方がよろしいでしょう」
そう言うと、ボルニスの物産の七割だけを自分が取扱い、残りの三割を他の商人に振り分けたのだ。
一見すると、ヨアシュは大儲けできる好機をみすみす手放したようにも見える。だが、これによってヨアシュへの信頼を篤くした蒼馬は、残りの三割を扱う商談にも助言を求めるようになったのだ。そのため、ヨアシュは自身が取り扱うのは七割でありながら、実質残りの三割にも自らの意向を含ませられるようになっていたのである。
「ボルニスの街――いえ、あのソーマ様は金の卵を産む鶏のようなものです。鶏をつぶして肉にすれば、ひと時は満足できるでしょう。ですが、たっぷりと餌をやり、大切に養った方が、永く金の卵を産み続けてくれるというものです」
そう言いつつもヨアシュは「もっとも、鶏は鶏でも獅子をも殺しかねない牙と爪を持った鶏ですがね」と、ひとり胸の内でごちた。
ヨアシュが言うとおり、今のボルニスの街はまさに金の卵を産む鶏だとメナヘムも思った。
これまでのものよりはるかに薄く繊細でありながら大量生産が利く安価なガラスの器や蒸留酒や石鹸などといった珍しい物品の数々は、大陸中の嗜好品が集まる帝国においても十分に通用する価値を秘めている。実際に、いくつかの品を帝国に持ち込んだところ、有力な王侯貴族からももっとたくさん手に入らぬかという打診すらいただいていた。
しかし、それを考慮したとしても、息子がやや入れ込み過ぎているように思える。
それをさりげなく注意すると、ヨアシュはわずかに困惑の色を浮かべたが、すぐにひとりで納得した顔になった。
「まあ、父上はボルニスをご存じありませんからね」
メナヘムは気を悪くした。これでもジェボアを代表する豪商のひとりとして、各地の情勢には常に耳をそばだてているつもりだ。それはボルニスとて例外ではない。
「いえいえ、父上が悪いと言うのではありません。あの街――いえ、ソーマ様があまりに規格外すぎるのですよ」
間近で見てもあれは理解できません、とヨアシュはケラケラと笑った。それから父親を上目遣いで見やる。
「父上、ちょっとお願いがあります」
「今度は何だ? また船でも欲しいのか?」
この放蕩息子のおねだりは、いつものことだ。たいていは新しい船や海図を欲しがるのだが、しかし今回は違った。
「実は、ソーマ様がジェボアを訪ねたいとおっしゃっているのです。そこで父上の力で、お招きいただきたいのです」
メナヘムは、渋い顔になった。
今や「破壊の御子」は、ただの反乱奴隷の頭目ではない。そんな者が、曲がりなりにも国の体裁をとっているジェボアに来よう思えば、誰かの紹介でもなければ無理だろう。
しかし、問題は彼らがホルメア国と対立していることだ。
彼らを安易に招き入れれば、西域の雄と呼ばれたホルメア国の不興を買い、ジェボアにとっても不利益となる恐れがある。また、そのような者たちを招き入れたシャピロ商会への商人ギルドからの風当たりも強くなるだろう。
さすがにそれは無理だと拒絶しようとしたメナヘムだったが、それよりも先にヨアシュが言った。
「――というのは、さすがに今の父上には承諾できない話ですので諦めます。その代わりに、父上ご自身の目でボルニスの街をご覧いただくというのは、いかがですか?」
この提案に、メナヘムはしばし考え込んだ。
世間では放蕩息子だの、うつけだのと呼ばれているが、メナヘムは自分の息子を高く買っていた。軽薄そうに見えて、ものの価値を見抜くその目は確かだ。
「よかろう。ボルニスの街と『破壊の御子』とやらには、私も興味がある」
◆◇◆◇◆
即断力が欠けると言われる十人委員のひとりではあるが、メナヘム個人は違う。ボルニスへの誘いを承諾したその日のうちに自分が不在の間の商会を長男のダニエルに任せると、次の日には旅支度を整えてヨアシュとともにジェボアを発ったのである。
ボルニスへ向かう馬を四頭立てにした大きな馬車の中で、敷き詰められた座布団に座り、酒杯を乗せた小さな卓を挟んで父親と向かい合うヨアシュは、街を出てしばらくすると懐から何かを取り出した。
「父上。これでも食べながら、ゆっくりと参りましょうか」
そう言ってヨアシュが差し出したのは、小さなパンである。おそらくは出立に合わせて料理人に焼かせたのだろう。鼻を近づけると、焼きたての香ばしい匂いがする。
「ほう。ボルニス風のパンだな」
これもまたボルニスの街発祥のものだ。これまでのパンにはない、その柔らかさや香ばしさから、今までのパンを駆逐する勢いでジェボアにも広まりつつあるパンであった。
しかし、その上に塗られている固まった泥のようなものは、初めて見る。
「大豆のミトゥにバターを混ぜたものを塗って、焼いたものです」
破壊の御子が、芋ではなく大豆でミトゥを作っていると噂には聞いていた。しかし、メナヘムは見るのも食べるのは初めてだ。
まずはミトゥのかかっている部分を一口に齧り取る。すると、最初は芋でつくったミトゥのような甘さがなく、ただ塩味だけのものかと思った。だが、咀嚼していくうちに、これまで味わったことがない旨味が感じられた。さらにそこにバターの芳醇な味わいが加わり、何とも言えないうまさとなって口の中に広がる。
「ほう……! これはなかなか」
初めて堪能する味に目を細める父親の姿に、ヨアシュはクスッと笑いを洩らす。それに、どうかしたのかと目でメナヘムが問う。
「ソーマ様の前では、くれぐれもバター入りのミトゥの話題は避けてくださいね。どうもあの方には、ミトゥに対して並々ならぬこだわりがあるようで、これは邪道なのだそうです」
面と向かって文句を口にはしないが、あまり良い顔はしないらしい。
食べ物で機嫌を悪くするとは、何と子供っぽい奴だとメナヘムは呆れた。他にも、できたばかりの大豆のミトゥを譲ってもらおうとした時には、おもちゃを取り上げられた子供のような悲しそうな顔をされたなど、いくつかの逸話を聞かされる。
息子から聞かされる子供のような幼稚さと、残虐で横暴という巷の噂との落差に、メナヘムはますます「破壊の御子」への興味を募らせた。
そのような話をしながら、馬車で三日ほど進んだ時のことだ。
メナヘムは、はてと首を傾げた。
それまで激しくガタゴトと揺れていた馬車が、急に静かになったのだ。いまだに小さな揺れや衝撃は感じる。しかし、先ほどまでと比べれば、それは無きに等しいと言って過言ではなかった。
「おや? どうやらボルニスの勢力圏に入ったようですね」
同じくその変化に気づいたヨアシュが、とぼけた顔で言う。明らかに何かを知っているくせに、それをあえて隠している顔だ。
それをメナヘムが追及すると、ヨアシュは「外に出て見ればわかります」と答える。
息子の口振りに首を傾げながら馬車から降りたメナヘムは、驚愕した。
「……! なんだ、これは?!」




