序 西域
第三章「龍驤の章」を開幕します。
ウワラルプスと呼ばれる山脈がある。大陸中央よりやや西に位置する巨大な山脈だ。夏でも解けない万年雪を白い帽子のように頂く高峰が連なり、冬ともなれば風雪が吹き荒れる過酷な土地である。
山脈の名であるウワラルプスとは、「世界の壁」を意味する大陸中央の古代語を語源とするという。すなわち古代の大陸中央に住んでいた人々にとって、ウワラルプス山脈とは世界の果てを意味していたのだ。
しかし、時代とともに人の活動範囲が広がるにつれ、人々はウワラルプス山脈の向こうにも別の世界が広がっていたのに気づいた。そして、そこにいたのは伝説に出て来る精霊や幻獣たちなどではなく、自分らとなんら変わらぬ人々の姿だったのだ。
それを知った人々は、ウワラルプスは世界の果てなどではなく、地域を分けるただの壁であったことを初めて理解したのである。
そして、大陸中央の人々は、自らが世界の中心であるという自負より、新しく見出した世界を西域と称した。
しかし、ひと口に西域と言っても、その範囲は広い。
まずはウワラルプス山脈の裾野に広がる原野。そこには大小様々な蛮族らが住み着き、部族間での争いが絶えない危険な場所である。
そして、その先にあるのは八つの小国からなる連合国――八王連合国と呼ばれる国々だ。この風俗も人種も異なる八つの小国からなる連合国は、いずれの国が攻められても他の七か国が共同して戦うという同盟を結んだ国々である。
その八王連合国の西が、西域の中心部ともいうべき地域だ。そこでは西域の覇権をめぐって相争うホルメア国とロマニア国の二大国と、それらに挟まれる形で北部の山間部に小国バルジボアがある。
そして、この西域の中心より、やや西にはベネス内海での海洋交易で栄える海洋国家ジェボア。さらに西の海には、最果ての国と呼ばれるシュパムール王国が浮かぶ。
これらの国々を含む広大な地域が、西域と呼ばれるところなのである。
さて、この西域の歴史とは、ひとつの大国の崩壊から始める戦乱の歴史でもあった。
かつて、近隣の国々を従え、西域の中心地帯で栄華を誇っていたその大国は、ホルメアニスとロマニアニスのふたりの王子による骨肉の争いによって引き裂かれたのだ。その後、ふたつに裂けた大国は、それぞれホルメア国とロマニア国と名乗り、互いを不倶戴天の仇敵として幾度となく矛を交えることになる。
また、その争いの中で、互いに相手を凌がんとする両国は、次々と近隣の小国を併呑していった。その過程で、ある小国はホルメア国とロマニア国の間を巧みに渡り歩く道を選び、またある小国らは結束して両国に対抗する道を選んだ。
そして、その結果が、今の西域の勢力図なのである。
このように戦乱に明け暮れていた西域であったが、三十有余年前にホルメアに攻め入った現ロマニア王ドルデアが名将ダリウスに惨敗を喫した戦いを最後に、平穏な時を迎えていた。無論、多少の小競り合いはあったが、少なくとも国を挙げての戦は、鳴りを潜めたのである。
しかし、この平和を享受しながらも、その下では大量の油がグツグツと煮えたぎり、わずかな火種さえあれば瞬く間に西域全土を燃やす大火となることに、西域に住んでいる誰もが気づいていた。
だが、その火種がついに訪れたことまでは、知り得ようもないことだ。
再び、この西域に戦乱の炎が巻き起ころうとしていたのである。
◆◇◆◇◆
その日、ホルメア国の宮廷に思わぬ来訪者がやってきた。
それは、禿頭の老人である。その背丈は子供と見まがうほどに低く、身体も枯れ木のように細かった。しかし、それでこの老人を侮るような者は、ホルメア国にはひとりとしていない。
なぜならば、この老人こそが先王の下で外交と内政において、その辣腕を振るい、王の右腕とも称せられた大宰相ポンピウスその人なのである。
しかし、ポンピウスは二十年以上も前に、先王の崩御とともに職責を辞し、それからは領地に引きこもって決して表には出てこようとしなかった人物であった。
そんな人物の突然の来訪に、謁見の間に居並ぶ諸侯らはただならぬ緊張に包まれていた。
それは、ホルメア王ワリウス・サドマ・ホルメアニスとて例外ではない。彼も父王の下で辣腕を振るった元大宰相の突然の来訪に緊張し、先ほどからしきりに自分のどじょう髭をいじくっていた。
まずポンピウスは時候の挨拶から入り、長らく伺候せずにいた非礼を詫びる。それにワリウス王は寛大な慈悲をもって許しを与えると、このたびの来訪の理由を尋ねた。
するとポンピウスは、次のような問いを発したのである。
「偉大なる王ワリウス陛下におかれましては、今ホルメア国がもっとも討たねばならぬ敵は、いずれと思し召しましょうか?」
それに、如何なる難問や凶事を告げられるかと内心で怯えていたワリウス王は、拍子抜けしてしまう。
「それは、ロマニア国である」
ワリウス王は自信をもって断言した。ホルメア国にいる人間ならば、子供でも知っていることだ。
ところが、ポンピウスは大きく首を横に振ったのである。
「さにあらず」
驚くワリウス王と諸侯らに向けて、ポンピウスは次のように断言した。
「今、ホルメアがもっとも討たねばならぬ敵。――それは、ボルニスの反徒ども。そして、それを率いる『破壊の御子』なのです!」
しかし、その発言はワリウス王と諸侯らの苦笑をもって迎えられた。
ホルメア国最西端のボルニスの街が、「破壊の御子」を名乗る輩に率いられたゾアンと奴隷たちによって落とされてから早五年の月日が経っている。しかし、落とされたのはたかが地方都市ひとつに過ぎない。勢いづいて他の都市にまで攻めてくるのならばともかく、ゾアンと奴隷どもはボルニスの街を制圧しただけで満足したのか、そこに引きこもっているだけであった。
ホルメア国にしてみれば、所詮はたかが落ち目のゾアンと奴隷の反乱に過ぎない。虎視眈々とこちらの隙をうかがう仇敵ロマニア国さえいなければ、とっくに鎮圧されていた奴らだ。
ポンピウスと同じように奴隷どもの危険性を訴えていたダリウス将軍の顔を思い出し、ワリウス王は不機嫌になる。話によれば、今なおダリウスは事あるごとに反徒どもの危険性を周囲に訴えているらしい。
「ポンピウス卿の進言は、確かに受け取った。そちの用件は、それだけか?」
もはやその話は終わった。他に何もなければ早々に立ち去れと言わんばかりのワリウス王の物言いに、ポンピウスは後ろに控えていた従者を手招きした。すると、豪奢な刺繍が施された布の上に置かれた巻物を捧げ持った従者が前に進み出る。侍従のひとりがそれを受け取り、ワリウス王に視線で問いかけた。それに、ワリウス王は読み上げろとばかりに、顎をしゃくって見せる。
そして、巻物を紐解き朗々とした声で侍従が読み上げたのは、小麦をはじめとした穀物の数量や金貨や銀貨の枚数、各職層の人口、訪れた隊商の数などであった。そのあまりに莫大な数量に、居並ぶ諸侯らはどこの国のものかと首を傾げる。
これはいったい何の数字かと視線で問われたポンピウスは満を持して答えた。
「これらはすべて反徒どもに占拠されているボルニスの街のものにございます」
その答えにワリウス王は玉座から腰を浮かしかけ、居並ぶ諸侯らは信じられぬとざわめき始めた。先ほど読み上げられた数字は、いずれもたかが地方都市のものとは思えないものばかりである。小麦などの収穫量にいたっては、ホルメア一国に匹敵しようというほどだ。
「お分かりいただけましたでしょうか? もはやボルニスの街は、ただの地方都市ではございません。一国にも匹敵するかという穀物の収穫量を誇り、様々な珍しい物産を次々と生み出しているのです」
ポンピウスは、そこでいきなり話題を変えた。
「ところで、最近になって陛下は珍しい酒をご愛用なされていると耳にしておりますが?」
ポンピウスの言うとおり、ワリウス王は最近になって、とある酒に嵌まっていた。それは、琥珀のような美しい色合いと、目が飛び出るほどの高価さで「まるで金貨を溶かして飲んでいるようだ」という言葉から黄金酒と呼ばれているものである。
「その黄金酒が、ボルニスの街で造られた『うえすきー』なるものだと、陛下はご存じでしょうか?」
ワリウス王は、驚愕した。さらにポンピウスは追い打ちをかける。
「そればかりではございませぬ。それを陛下がお飲みになられている時に使われるガラスの器、昨今の貴婦人らの間で流行しております装飾品や石鹸なるものまで。すべてボルニスの街で生まれたものにございます。こうしたものを購うために、我が国から大量の金や銀がボルニスの街へ流れ出しているのです」
ポンピウスは自分のもたらした衝撃が十二分にワリウス王や諸侯らに伝わったのを確認してから、「陛下」と言葉を続けた。
「ボルニスの街をゾアンや奴隷どもに占拠された地方都市と侮ってはなりません。この莫大な穀物と財貨を用いて武力増強を図られれば、我がホルメアにとっても、大きな脅威となり得るのです」
ポンピウスは厳しかった口調を柔らかいものに変える。
「しかし、見方を変えれば、ボルニスの街は熟してもぎ取るばかりとなった果実のようなもの。我がホルメア国がこれを手に入れれば、まさにそれは甘露にございます。この莫大な穀物と資金をもってすれば、ホルメアは百万の軍を養えましょう。さすれば、怨敵ロマニアなど恐れるに足りません」
そして、ポンピウスは耳元で甘くささやくように告げた。
「西域統一は、ホルメア国の宿願。その大業のためにも、まずはボルニスの街を攻め落とされませ、陛下」
ポンピウスの言葉に圧倒されていたワリウス王は、うむとひとつうなずいた。それから改めて考えてみればみるほど、なるほどポンピウスの言うとおりである。さらに、うむうむとうなずいてからワリウス王は、玉座から立ち上がった。
「皆に告げる。余は、ポンピウス卿の進言を受け入れよう。皆、ボルニスの街を占拠する反徒どもを討ち果たすべく尽力すべし」
「「陛下の御意のままにっ!」」
広間に居合わせた重臣や諸侯らは、いっせいに唱和したのである。




