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破壊の御子  作者: 無銘工房
胎動の章
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第22話 微笑(後)

「今後は他国からの逃亡奴隷を受け入れないというのを明言していただくというのは、どうでしょう?」

 このヨアシュの提案に、蒼馬は迷った。

 エラディアとの交渉の練習において、いつかはジェボアから奴隷解放の撤回を求められる可能性があると教えられていたが、逃亡奴隷の受け入れまで言及されるとは想定していなかったのだ。

 その上、向こうから奴隷解放の撤回から要求を引き下げて提示されただけに、そのまま突っぱねてしまって良いものかという躊躇(ためら)いもあった。

 しかし、今、自分を支えてくれている人の多くは、かつては奴隷として辛酸を舐めつくしてきた人たちだ。そんな彼らに、せっかく自分らを頼って逃げてきた奴隷たちを見捨てろと言えるわけがない。そう思った蒼馬は腹をくくる。

「それは、できません」

 蒼馬の返答に、ヨアシュは大げさに肩をすくめ、首を左右に振り、いかにも落胆していると態度で示す。それから難しい顔を作ってしばらく考え込んでから、いかにも渋々といった口調でヨアシュは言った。

「わかりました。――では、せめて荷運びに限り、奴隷の使用をお目こぼししていただく。これならいかがでしょうか?」

 いくら奴隷解放という理想を掲げようとも、他国にまでそれを押しつけられないことぐらい、蒼馬にもわかっていた。それならば、ジェボアとの関係を改善するためには、この程度の条件ならば飲むべきではないかという考えが浮かぶ。

 特に、ヨアシュから要求を引き下げた提案をされたのに、それすらも拒絶したばかりである。それなのに、これもまた拒否するのには、蒼馬も心理的な抵抗を強く感じていた。

 しかし、これはヨアシュの罠である。

 最初に、とうてい飲めない要求を突きつけたのは、それを拒絶させることで次に提示する要求を通しやすくする交渉術の基本だ。

 そして、その要求自体にも、さらにヨアシュは罠を仕掛けていた。

 荷運びに限って奴隷の使用を認めさせるものと思わせておいて、一度それを了承すれば、そこから街を通過するときに奴隷が逃げた場合はどうするかなど様々な条件を持ち出しては、そのひとつひとつに小さな譲歩を引き出し、最終的には大幅な譲歩となるようにする交渉術のひとつである。

「いかがでしょうか? 私としても、これが譲歩できるギリギリのところなのです」

 さらにヨアシュは駄目押しに、いかにも自分が譲歩しているという姿勢をアピールした。それに蒼馬の中の天秤が、グラリッと譲歩へと傾きかける。

 しかし、そのとき思い浮かんだのは、今も自分の後ろに付き従うシェムルの顔だ。

 愚直なまでに誓いを守り、誇り高くあろうとする彼女の姿に、自分もまた決して曲げてはならない信念として、自由と平等を理想に掲げたことを思い出す。

 それならば、これは譲歩してはならないものだ。

「それも、できません」

 蒼馬は、(がん)として言い切った。

 それにヨアシュは、下手くそな交渉だと思った。

 頑迷なだけで駆け引きになっていない。最終的に拒絶するにしても、はじめは考慮(こうりょ)の余地があるように見せて、相手から譲歩や条件を引き出すのが賢い交渉である。こう最初から拒絶されては交渉の仕様がない。

 しかし、それと同時に攻めにくくなったのも事実である。

 それでもいろいろと難癖をつけて、蒼馬を追い込むのは容易(たやす)い。

 だが、ヨアシュはそれを躊躇(ためら)っていた。

 それは、蒼馬のある癖のせいだった。

 雑談をしていた時からヨアシュは気になっていたのだが、蒼馬は追いつめられると、なぜか笑うのだ。それは舌戦の途中から始めた意図的な笑いとは違う。どう見ても無意識のうちに浮かべてしまった笑みにしか見えなかった。

 しかも、蒼馬が意識的に笑みを浮かべるようになり、さらにヨアシュは困惑する。

 なぜ笑みに笑みを重ねようとしているのだろうか? もしや、本当に余裕があって浮かべてしまう笑みを誤魔化すため、わざと見え見えの作り笑いを浮かべているようにも取れる。

 しかし、それはヨアシュの考えすぎであった。

 蒼馬の浮かべていたのは、困ったときに浮かべてしまう日本人特有の微笑である。

 日本各地の民話や幽霊話を集めた「怪談」の著者として有名な小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、その著書「日本の面影」の中で「日本人の微笑」について書いている。それによると、辛い時や苦しいときに日本人が浮かべる微笑は、外国人にとっては異様なものに映ると言う。

 そして、この世界で初めて目にした「日本人の微笑」に、ヨアシュはまさに異様なものを感じてしまっていたのである。

「困りました。あれも嫌だ、これも嫌だ。これでは話し合いになりませんよ」

 攻めあぐねたヨアシュは場をつなぐために、愚痴をこぼした。それに蒼馬も軽口を叩いて付き合う。

「でも、荷物運びに奴隷を使わなければ良いだけでしょ?」

 それは、この世界の常識を知らない蒼馬の見当違いな意見である。ヨアシュは呆れ返りながらも、「かかる費用の問題です」と言おうとしたのだが、それよりもわずかに早く、蒼馬は次の言葉を口にした。

「荷運びだけなら、手と足さえあれば商人だろうと貴族だろうと王族だろうとできるじゃないですか」

 蒼馬としては、別段何らかの駆け引きや意図をもって言った台詞ではない。

 ところが、それに対するヨアシュの反応は激しいものだった。

 わずかに椅子から腰を浮かしたヨアシュは、その目をギョッと見開き、まじまじと蒼馬を見つめたのである。

 この思わぬヨアシュの反応に、蒼馬の方も驚いて目をパチクリとさせてしまう。

 しばらく無言で見つめ合った後で、いきなりヨアシュはブフッと吹き出した。それから口許を手で覆って、必死に笑いを抑えようとする。

「ど、どうかしましたか……?」

 ヨアシュの狂態に、蒼馬は自分が何か変なことを言ってしまったかと不安になり、おずおずと尋ねる。すると、ようやく笑いの衝動がおさまったヨアシュは目尻に浮いた涙をぬぐいながら、蒼馬に謝罪した。

「いやいや、これはとんだ失礼をいたしました」

 そればかりか、ヨアシュは急に態度を軟化させてくる。

「ここで性急に問題の解決を図ろうとしても、お互いにとって望まぬ結果となるでしょう。――いかがですか? 後日改めて協議する場を設けるというのは?」

 もともとこの席は、ホルメアとの仲介を頼むのが目的である。ジェボアとの関係改善を協議するには、事前の調整や対策を立てる時間が欲しい蒼馬としても、願ってもない提案である。だが、最初に問題を持ち出してきたヨアシュが、いきなり方針を転換して来たのに戸惑いを覚えた。

 その蒼馬の戸惑いを交渉の仲介を頼めるのかどうかの不安と思ったのか、さらにヨアシュは言う。

「ああ。ご安心ください。ホルメア国との交渉の仲介。喜んでお引き受けいたしましょう」

 私に任せてくれ、とでも言うように、ヨアシュは自分の胸をひとつ叩いて見せる。

「ほ、本当ですか?」

 いまだ半信半疑の蒼馬に、ヨアシュは当初の軽薄なものとも、交渉途中の狡猾(こうかつ)なものとも違う、好意的な笑みを浮かべて見せた。

「もちろんで、ございます。――あ、でも仲介料はしっかりいただきますよ。そうですな。……身代金の一割といったところでしょうか」

 いきなり態度を豹変(ひょうへん)させた理由がわからず釈然(しゃくぜん)としないながらも、ヨアシュの提示した条件は、事前に調べておいた交渉の仲介料として妥当なものだったので、蒼馬もホッとする。

「それでは、その条件でお願いします」

 蒼馬が了承すると、ヨアシュは「ヨーホー!」と声を上げて満面の笑みを浮かべて右手を差し出した。それを蒼馬がおっかなびっくり握ると、ヨアシュはがっしりと握り返す。

「絶対に損はさせませんよ。そりゃもう、ガッポリと身代金をふんだくってまいりますから」

 この世界では貴人の身柄と引き換えに身代金を取るのは、ごく当たり前の行為なのだが、いまだに現代日本社会の常識から抜けきらない蒼馬は、身代金をふんだくると聞くと凶悪犯の口振りのように思えて苦笑してしまう。

「それでは、捕虜の名簿をいただけますか?」

 握手を終えたヨアシュは、そう要求してきた。それに蒼馬は驚く。

「今回はヴリタスという人だけのつもりですが……」

 今、捕虜にしている貴族の子弟すべての身代金を要求する前に、まずは一番の大物であるヴリタスの交渉から始めようとしていたため、捕虜の名簿の準備はしていなかったのだ。

「ヨーホー! そう言えば、そうでした」

「何か不都合でも?」

 残念そうな口振りのヨアシュに、蒼馬はそう尋ねた。

「いえいえ。どうせなら、まとめてやった方が良いかと思っただけです」

 ヨアシュの答えに、それは悪いことをしたかなと蒼馬は思った。捕虜を管理しているエラディアに頼めば、すぐに名簿を用意してくれるとは思う。だが、まずはヴリタスひとりからと事前に打ち合わせていたため、断るしかない。

 申し訳なさそうに蒼馬がそれを告げると、ヨアシュは気になさらずにと軽く流してくれた。

「あ、そうだ」

 そのとき、蒼馬はひとつ閃いた。

「この場で、仲介料の一部を前金として先払いさせていただきますね」

 それにヨアシュは(いぶか)しげな顔を作る。

「仲介料は、身代金の一割というお約束では?」

 いまだホルメアからどれだけの身代金が得られるかわからないのに、ここで先払いとはおかしな話である。そうヨアシュは指摘したが、蒼馬は後で差額を支払うと言い張って強引に前金を持ってくるように指示した。

 しばらくして、金貨が入った袋をいくつも運び込んできたミシェナという女性官吏の慌てぶりから見るに、それは予定外の行動だったようである。そうまでして、なぜ前金を払おうというのか訝しく思っていたヨアシュだったが、蒼馬に袋の中身を確認するようにうながされ、中に詰められていた金貨を見て納得した。

 なるほど。ただの夢想家というわけではないというわけですか。

 ヨアシュは面白いものを見つけた子供のように、口許をにやけさせたのだった。


             ◆◇◆◇◆


 交渉を終えて領主官邸から辞去するヨアシュとラザレフを見送ったエラディアが謁見室に戻ると、そこでは机の上に突っ伏した蒼馬と、手にした小さな扇でやさしく風を送るシェムルの姿があった。

「ソーマ様は、どうかなされたのですか?」

 そう尋ねるエラディアに、シェムルは大きなため息をついた。

「緊張しすぎたせいで、また頭が(ゆだ)ったそうだ」

 それから、へたばっている蒼馬に呆れたような苦笑を向ける。

「まったく。少しは成長してくれよ、我が『臍下(さいか)(きみ)』よ」

 その声を受けて、ようやく蒼馬はのろのろと顔を上げる。

「……面目(めんぼく)ないです」

 それからいつもの笑顔をシェムルに向けると、まずは感謝の言葉を言った。

「でも、ありがとう、シェムル。いてくれて、助かった」

 蒼馬の感謝を受け、得意げに鼻息を荒くして腕組みをするシェムルに、エラディアはひとつため息を洩らした。

「本来なら、シェムル様にはいろいろと言いたいこともあるのですが……」

 今後も蒼馬には交渉の席についてもらわなくてはいけなくなるが、そうなると当然シェムルも同席することになる。今回は幸運に恵まれたが、本来ならば付き添いや警護の者が勝手に口を挟むようなまねをすれば、まとまる話もまとまらなくなってしまう。このようなことが二度と起きないように、シェムルにもきちんと教えなくてはいけないと思ったエラディアだった。

 しかし、笑い合う蒼馬とシェムルの姿を見ると、今だけはこれで良いような気がする。シェムルへのお小言は後回しにし、今は蒼馬をねぎらった。

「お見事でございます、ソーマ様。満点とは、とうてい言えませんが、それでも最悪の事態は避けられました」

 エラディアのお墨付きをもらった蒼馬は、やっと胸を撫で下ろした。

 しかし、彼女がだいぶ甘く採点してくれているのは蒼馬にもわかっていた。何しろ、自分でヨアシュとの交渉を振り返ってみても、反省すべき点しか思い浮かばないのだ。今になって思えば、いくらでも対処の仕様があったというのに、あのときはまったく考えが浮かばなかった。ヨアシュの作った雰囲気に呑まれたとしか言いようがないが、それも言い訳に過ぎない。

 そう反省していた蒼馬は、ふと思いついた疑問を口にする。

「あのヨアシュって人は、何の目的があって来たんだろう?」

「この街を通れなくなったので、文句を言いに来たのではないのか?」

 シェムルは不思議そうに首を傾げて言った。

 小麦を買い叩かれたときに、ミシェナは通商路を遮断されたジェボアの仕返しだと言っていた。今回もそれと同じ理由ではないかとシェムルは思っていたのだが、蒼馬は首を振ってそれを否定する。

「それにしては、なぜか途中からあっさりと引いたでしょ? 本当に、街の通行を勝ち取る気なら、もっと粘ったんじゃないかなって思うんだ」

 本当に通商路の復活を目的としていたのならば、今回の交渉でヨアシュは何も得られず無駄足を踏んだことになってしまう。あのような一癖も二癖もあるような人が、それを良しとするとは思えなかった。

「お気づきになっておられませんでしたか?」

 良い質問をした教え子を見る教師のような顔で、エラディアは言った。

「あのヨアシュという男は、おそらくはジェボアの商人ギルドを代表して来たわけではありません」

 それに蒼馬は素っ頓狂な声を上げる。

「……え? ええっ?! だ、だって、あの人はジェボアの商人ギルドとの関係改善とか言って」

「そうした発言や態度で、ソーマ様が誤解するように仕向けただけですわ。彼は自分のことをジェボアの商人ギルドの代表とは、一言も申しておりません」

 言われてみれば、エラディアの言うとおりであった。父親がジェボアの商人ギルドの十人委員であるという前置きと、いかにもジェボアを代表してきているような口振りに、すっかり騙されていたというわけだ。

「商人らは、信用を大事にするため、見え透いた嘘はつきません。ですが、ときに必要なことを口にせず、こちらが誤解するように仕向けることもございます」

「じゃあ、仮に僕がそう思い込んで条約を結んでしまったら、どうなってたの?」

「あの男はそれを手土産にジェボアに帰り、商人ギルドも素知らぬ顔で彼が代表であったと言い張ることでしょう」

 ジェボアの商人たちのしたたかさに、蒼馬は「うわぁ……」と呆れと感心の混じった声を洩らした。

 しかし、それですまないのが、シェムルである。

「あいつはソーマを騙そうとしていたのかっ?!」

 牙を剥いて声を荒げるシェムルは、今にもヨアシュを追いかけ、その山刀で首を掻っ切らんばかりの怒気を身体中にみなぎらせていた。

「おやめください、シェムル様。いかなる理由があろうとも、あの男を殺せば、ジェボアの商人ギルドと最悪の事態になってしまいます!」

 もともと商人ギルドは、権力や暴力から身を守るために商人らが集まってできた組織である。そのギルドの一員が手にかけられたと知れば、商人ギルドは決して黙ってはいない。他への見せしめのためにも、ありとあらゆる手段を用いて蒼馬を徹底的に叩き潰しに来るだろう。

「だが、あいつはソーマに無礼を働いたのだぞ!」

 無礼にはそれ相応の報いを与えるのがゾアンの流儀である。シェムルはそれに何の問題があるのかと(いきどお)る。

「商人ギルドにとっては、私たちの手で殺されたこと自体が重要なのです。事情など些細な問題にすぎません」

 そこでエラディアは、弱々しく首を横に振って言葉と続けた。

「それに、私たちの言い分と、ジェボアの商人ギルドの言い分では、世間はジェボアの言い分を信じます。いえ、本心では疑っていても否定はしません。この世の中は、正しい言い分ではなく、力が強く、声の大きな者の言い分が通るのです」

 仮に蒼馬たちがジェボアの商人ギルドと対抗できるだけの力があれば話は別だが、あいにく蒼馬たちと商人ギルドでは比較にすらならないのが現状である。

 そう(さと)されては、シェムルも自分の憤りを抑えるしかない。それでも、頭では理解できても、やはり感情では納得していないのか、見るからに不満そうである。

「ご安心ください、シェムル様。きっと、ソーマ様が正しいことは正しいと言える世の中を作ってくださいますから」

 笑いを含んだ声でエラディアがそう言うと、シェムルは驚いたように小さく目を見開いた。それから満面に笑みを浮かべると、蒼馬に向けて期待に弾む声をかける。

「そうだぞ! 我が『臍下の君』よ、がんばってくれ!」

「……やれるだけは、やってみるよ」

 世の中を作るなどと、あまりに大きな話に蒼馬は苦笑いするしかなかった。しかし、それにシェムルは鼻にしわを寄せる。

「男なら『俺に任せろ!』ぐらい言え。ソーマなら、必ず作れる!」

 そのゆるぎない信頼と大きな期待が照れ臭かった蒼馬は、話題を変えようとエラディアに話を振る。

「ヨアシュさんがジェボアの商人ギルドの代表じゃなければ、いったいどんな意図があって来たんだろう?」

 蒼馬とシェムルのやり取りが微笑ましかったのか、エラディアは上品に口許を手で隠して、クスリッと笑ってから答えた。

「おそらくは、ソーマ様をその目で見るのが目的だったのではないかと」

 それにシェムルは「早くもソーマの凄さに気づき、偵察に来るとはやるな」と腕組みをして、ひとりで(うなず)きながら納得していた。

 しかし、もともと自己評価が低い蒼馬は、まさか自分を見るためだけに、わざわざやって来たとは思えなかった。

「それだけじゃないような気がするんだけど……」

 そこで蒼馬は、ふと思い出す。

「そう言えば、ちょっと気になることがあるんだけど」

 自分がヨアシュの言動で気になった点をエラディアに伝えると、彼女は大きく頷いて見せた。

「良くお気づきになられました。あの男がはじめに言っていたことを重ねれば、おそらくソーマ様のお考えに間違いないかと」

「そうすると、あの人は僕を騙すだけじゃなくて、仲間の商人たちも出し抜こうとしていたわけ?」

 それにエラディアが「そうなります」と答えると、蒼馬はヨアシュのしたたかさには呆れ返るほかなかった。

「ところで、ソーマ様。なぜ、いきなり前金を支払われたのですか?」

 交渉の打ち合わせにおいても、そのような話は一度も出なかった。それを不思議に思ったエラディアが尋ねると、蒼馬は得意げな顔になる。

「たぶん、あの人にはわかっているだろうと思うけど、ちょっとした布石かな?」

 蒼馬は、ヨアシュがもらいすぎだと言って残していった金貨の詰まった袋から、一枚の金貨を取り出すと、それをエラディアに投げ渡す。それを受け取ったエラディアは、手の中の金貨に目を落として、あっと小さく呟いた。

「なるほど。そういうことですか」

 そう呟くエラディアの手のひらの中で、老人の横顔が刻印された金貨が、きらりと輝いた。

 弟ヴリタスの身代金を要求され、激怒するホルメア王ワリウス。

 あわや交渉決裂するかと思ったとき、それを押し留めたのは金貨であった。


次話「金貨」

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