第20話 欠点
すべてはヨアシュの思惑通りに、ことは進んでいた。
彼の目的は、蒼馬自身をその目で見ることだ。
それも、できれば事前に万全の態勢を整えた状態ではなく、ありのままの姿をである。
シャピロ商会からして見れば、取るに足りない小物でしかないラザレフのところに、わざわざ長逗留させてもらっていたのも、そのためだった。
ジェボアの商人ギルドの小麦買い叩きによって、蒼馬たちが資金難に陥るのは目に見えていた。多少でも知恵が回れば、そんな状況を打開するために、商人ギルドとの関係改善を図るか、もしくは確保してあるホルメアの貴族の子弟たちの身柄と引き換えに資金を調達しようとするはずだ。
いずれにしても、ジェボアかホルメアとの交渉の仲介役を探さなくてはならない。
そして、その白羽の矢がラザレフに突き立つであろうと予測するのは簡単だった。後は、シャピロ商会の名前を使ってラザレフのところに潜り込み、そこで罠を張って待ち構えるだけで良かった。
そうしてヨアシュは、まんまと蒼馬の前に現れたのである。
しかし、自分の思惑通りになっているというのに、ヨアシュは落胆していた。
そうまでしてお目見えに叶った噂に名高い「破壊の御子」が、凡庸を絵に描いたような少年だったからである。
おしゃべりをしながら、「破壊の御子」を名乗るソーマと言う少年の反応をつぶさに観察していたが、別段頭のキレが良いわけでも、機転が利くわけでもなさそうだ。それに人相や体つきから見ても、凶暴と言われたゾアンたちを率いて、あのホルメア最高の将軍と呼ばれたダリウスを打ち破ったとは、とうてい思えない。
では、軍師や参謀のような軍略に特化した人間なのかと思えば、それも違うようだ。何しろ、この大陸で兵を率いる者なら、その書に誰もが一度は目を通すと言われている百年前の帝国の名将インクディアスの名前すら知らなかったのである。
いったい何をもって、ゾアンをはじめとした多くの異種族の者たちが、このような凡庸な少年を担ぎ上げているのか、ヨアシュにはわからなかった。
また、わからないと言えば、この少年の素性も同じだ。
ヨアシュは商人であるのと同時に、陸にいるより海の上にいた時間の方が長いと豪語するほどの船乗りである。ほとんどの人が、生まれた土地から離れることなく一生を終える時代において、ヨアシュほど諸外国に通じた人間は珍しい。
そうした経験から、会話さえすれば相手の発音や知識の偏りをもとに、その素性を推測できると言うのが、ヨアシュのひそかな自負であった。
ところが、そのヨアシュの見識をもってしても、このソーマという少年の素性は推し量れなかったのだ。
彼が言う『コーコーセイ』なるものはわからないが、勉強を仕事としていたと言うので、おそらくは学士の類だと推察する。それならば貴族や裕福な商家の生まれで、家を継がなくていい次男坊か三男坊あたりかと思いきや、父親は塩を俸給にもらう人だと言う。
しかも、そんな俸給を塩でもらう下級兵士のような父親が旅行好きで、よく旅行に連れて行ってもらっていたなどと言うのだ。裕福な貴族や商人ならばともかく、莫大な費用がかかる旅行をする下級兵士など聞いたことがない。
そればかりか、『ヒコーキ』なる空を飛ぶ鉄の鳥に乗って、わずか一日足らずで雪が降る北国に行ったり、南の常夏の島に行ったりしたなどと、わけのわからない妄言まで言い出す始末。
こいつは、よほどの誇大妄想と虚言癖でも患っているのか、それとも希代のペテン師なのか。
いずれにしろ、ヨアシュは蒼馬を大ぼら吹きなだけの凡庸な少年にしか思えなかった。
おそらくは、ゾアンの反撃から始まった一連の出来事も、この大ぼら吹きの少年を担ぎ上げた何者かが、その裏で糸を引いているだろうというのが、ヨアシュの推論である。
そして、その黒幕のひとりとヨアシュが睨んでいたのが、エルフの女官――エラディアだ。
帝国の貴族や富豪たちを何人も破滅に追い込んだ妖女エラディアの噂は、ヨアシュも聞き及んでいた。彼女が噂通りの女ならば、このソーマという少年を手玉に取り、脳みそまで筋肉でできていそうなゾアンやドワーフやディノサウリアンたちを意のままに操るのもわけはないだろう。
そして、それを裏付けるように、わざと答えにくい質問などをするとソーマという少年の目は無意識にすがるような視線をエラディアに向けるのだ。さらに彼女を交渉の場から排除すれば、案の定、少年は動揺し始めた。
やはり彼女が、この少年の傀儡子だったのか、とヨアシュは確信する。
わざわざこんな街まで足を運んできたというのに、噂に名高い「破壊の御子」がただの操り人形だったのだ。面白いものや珍しいものが大好きなヨアシュにとってみれば、期待外れも良いところである。
これでは落胆するなと言うのが無理な話だった。
こんな評判倒れな「破壊の御子」に比べれば、むしろ同席しているゾアンの娘の方がヨアシュにとっては興味深いくらいだ。
父親からは「おまえは顔で笑っていても目が笑っておらぬ。目で騙せぬようでは、まだまだ二流」と言われたことがある。しかし、海千山千の豪商である父親ならばともかく、まさかこのようなゾアンの娘ごときに、目で演技を見抜かれるとは思わなかった。
そんな彼女がこの場に残るのを認めたのは、ちょっとした意趣返しである。
彼女の言動からは、少年に対して厚い信頼が感じられた。ならば、その少年を目の前で徹底的に叩き潰してやるのも一興かなという悪戯心からである。
私に無駄足を踏ませたのだから、それぐらい楽しんでも罰は当たらないでしょう。
ヨアシュは人の悪い笑みをこっそりと浮かべた。
◆◇◆◇◆
「さて、あなた様は、いったい私に何をお求めでしょうか?」
まずは、ヨアシュはそう切り出した。しかし、蒼馬はそれに答えずに、逆に問いかける。
「僕ですらシャピロ商会の名前は聞いたことがあります。かなり大きな商売をなされているそうですね」
まずは、こちらをおだてつつ手の内を探ろうと言う定石どおりの手に、ヨアシュは苦笑をもって応じる。
「当然、ホルメアの王宮にも出入りをされているんですか?」
ホルメア王宮とのつながりを確認してくるとは、やはり捕虜の身代金交渉の仲介話だな。
ヨアシュは、そう確信するが、それをおくびにも出さずにとぼけた答えを返した。
「私どもシャピロ商会は、主に海上貿易が主体でしてね。正直に言ってしまえば、あまり陸の上まで手を広げていないのです」
蒼馬の顔に落胆する色が浮かぶのに、嘘がつけない少年だ、と呆れながらヨアシュは言葉を続ける。
「――とは言っても、シャピロ商会と言えばジェボアでも指折りの商会。商会長である父は準爵位もいただいております。ホルメア王への謁見を求めても、断られることはないでしょう」
ヨアシュが仲介役としての条件を備えているのに、蒼馬はホッとする。しかし、次はいよいよ核心部分を尋ねなくてはならない。再び緊張しながら蒼馬は口を開いた。
「ヨアシュさん。王弟ヴリタスの身代金交渉をホルメア国としたいので、その仲介をお願いできないでしょうか?」
それは、ヨアシュが予想していた通りの言葉であった。
しかし、ヨアシュは即答しない。
口許に笑みを張りつけたまま、何かを思案している風を装って目を軽くつむり、右手の指で机をリズミカルにトントンと叩く。
ヨアシュがしたのは、たったそれだけである。
しかし、それまでの軽薄なおしゃべりから一転して険悪な空気すら漂わせたヨアシュの沈黙に、蒼馬は緊張を煽られた。一定のリズムを刻む机を叩く音すらも、緊張のあまりささくれ立った蒼馬の神経を逆なでる。
何か自分は間違ったことを言ったのではないか? 何か失礼なことを言ってしまったのか?
そんな疑心暗鬼が蒼馬の中に湧き上がってくる。
そして、それはヨアシュのもくろみ通りだった。
過剰なまでに相手を慮る性格。
ヨアシュは、蒼馬の性格をそう分析していた。先程までの他愛もないおしゃべりの中でも、蒼馬は少しでも自分に非があると思えば、すぐに謝罪を口にしたり、動揺を示したりしたのも、その表れだ。
それは、ひとつの美徳なのかもしれない。特に、奴隷として虐げられてきた者たちにとっては、自らを慮ってくれる優しさは、長き極寒の冬を耐え抜いた後に見出した春の太陽に他ならなかったのだろう。
だが、交渉の場においては、それは致命的な欠点だ。
そして、ヨアシュはその目を開いた。
「なぜ、私がそのようなことをしなければならないのかな?」
それまでの軽薄な態度から一転して攻撃的な言葉を放ったヨアシュに、蒼馬は面食らったように目を白黒させる。
そんな蒼馬に対し、ヨアシュは柔和な口調を捨て去り、さらなる言葉の刃で一気に斬り込んできた。
「はっきり申し上げて、我らジェボアの商人ギルドは、あなたを良く思ってはおりません」
それは承知していたが、こうして面と向かって言われると蒼馬は動揺してしまう。
「あなたがこの街を征服したことで、どれだけの商人たちが悲鳴を上げているのか、ご存じないのですか?」
ヨアシュはさらに実例を挙げて蒼馬を責め立てる。
「街の通行だけではありません。最近ジェボアでは、逃亡奴隷たちが増えているのです。もちろん、ここに逃げ込むためにね。いや、奴隷だけじゃない。野盗や山賊たちまで、ジェボアの捕吏の手を逃れるために、ここに逃げ込む始末。さらに治安の悪化によって増やした警護の者たちの雇用費の増加。いやはや、挙げればきりがありませんね」
ヨアシュは、やれやれとでも言うように、ひょいと肩をすくめて見せた。
「私たちジェボアの商人ギルドは、あなたのせいで大変な迷惑を被っているのです。それなのに、なぜあなたに協力しなければならないのでしょうか? 私にはまったく見当がつかない」
思わぬヨアシュの先制攻撃である。
豪商と呼ばれるぐらいなのだから、いくら遺恨があろうと商談に際しては割り切って話を持っていくものだろうとばかり蒼馬は思っていた。それが、蓋を開けてみれば、いきなりの糾弾である。この予想外の事態に、蒼馬は何も言えなくなってしまう。
「あなたは、この事態をどのようにお考えなのか、是非聞かせていただきたいものですね」
さらにヨアシュは答えを急き立て、冷静さを取り戻す時間を与えなかった。
「僕のせいで、街の通行が妨げられているとは聞いています」
それでも蒼馬は必死に言葉を探す。
「ですが、将来的にこの街の通行税を無くそうと思っています。それでご理解いただけないでしょうか?」
荷運びに奴隷が使えずに運搬費がかさむのならば、街の通行税を無くすので、そこで折り合いをつけられないかと、蒼馬は提示した。
それに、隣室で聞き耳を立てていたエラディアは下唇を噛む。
恐れていた蒼馬の欠点が、早くも出てしまったのだ。
とかく日本人は交渉下手と言われている。
その理由のひとつが、交渉相手の立場を慮るからだ。
日本社会は、妥協と協調の社会とも言われているぐらい、お互いに配慮し、譲り合い、協力し合うという意識が根底に根づいているという。そのため、交渉においても互いに譲り合い妥協点を見つけ、争いを避けようとする。そのひとつとして、私もこれだけ退くので、あなたもこれだけ退いて欲しいという妥協点を示すのだ。
しかし、それが通じるのは日本人だけである。
日本人以外を相手にし、まだ交渉も始まって間もない段階で退く姿勢を見せれば、それは相手からは弱腰に映ってしまう。そうなれば、相手は示された妥協点まで退くよりも、さらにその先まで自分の主張を通そうとするのが道理だ。
「ヨーホー! それは素晴らしい」
ヨアシュは、感嘆の声を上げる。
通行税の撤廃。何と素晴らしい。大歓迎である。だが――。
「でも、今の口ぶりでは、それはジェボアの商人ギルドへの特権というわけではなさそうですね。それでは何の意味もない。そうではありませんか? もっと実のある話を聞かせて欲しいものです」
しっかりと通行税を撤廃する条件は確保しつつも、ヨアシュはさらなる条件の提示を求める。
「も、もちろん、ホルメアとの仲介をしていただければ、それなりの報酬を支払うつもりです」
しどろもどろになりながらも、条件を提示しようとする蒼馬に、ヨアシュは内心でため息をつく。そんな決まりきったことが交渉の手札になると思うなよ、と。
「それだけで、私たちジェボアの商人ギルドすべての損失を補償できるとでも? どうやら、我々の商売の規模をご存じないようですね」
追いつめられた蒼馬の悪あがきの一手に、ヨアシュは痛烈な返しをお見舞いした。
ジェボアの商人たちがボルニスの街を通過できなくなったことで生じた損失の詳細とその金額が、立て板に水のようにヨアシュの口から流れ出す。
それが本当の数字かどうかは、わからなかった。ただのハッタリなのかもしれない。しかし、それを判断するだけの知識がない蒼馬は、ヨアシュの上げる莫大な数字の波に、ただただ押し流されてしまうだけだった。
「そんなものを交渉の条件と思わないでいただきたいものですね」
最後に告げられたヨアシュの言葉には、憐れみすら込められていた。
そのときになって、初めて蒼馬は気づく。
自分には武器となる手札がない、と。
これまで蒼馬は、常に攻める側であった。〈牙の氏族〉の村でガラムたちを説得するときは、人間の軍隊を追い払う方法を胸に秘めていた。砦を落とした後にズーグらを説得するときは、平原を出なければゾアンが滅びると言う確信があった。
常に蒼馬は、それらを武器にして交渉の場で攻める側にいたのだ。
ところが、このヨアシュとの交渉は逆である。関係が悪化しているジェボアの商人に交渉の仲介役を頼まなくてはならない蒼馬は、攻められる側だったのだ。
それに気づいた蒼馬は、自分で自分を完全に追いつめてしまう。
緊張のあまり、ひりひりと咽喉が乾く。胸の中で心臓が、ばくばくと音を立てて暴れる。血流が頭に上がり、脳がパンパンに膨れて思考が真っ白に染まってしまう。ついには地面がグラグラと揺れるような錯覚に、椅子から身体が転げ落ちてしまいそうになった。
蒼馬は自分でも何を言おうとしているのかわからないまま、口を開こうとする。
それに、ヨアシュは「もう少し楽しめると思ったのに」と落胆の吐息を洩らす。
そして、隣室に控えていたエラディアが割って入ろうとする。
しかし、そのときである。
謁見室に、けたたましい金属音が鳴り響いた。
またたく間にヨアシュによって追い詰められてしまった蒼馬。
しかし、そのときに鳴り響いた音。
それをきっかけに、蒼馬はヨアシュへ反撃を開始する。
そして、その武器は――。
次話「微笑」




